8【L】あそこでは時間の流れ方がこことはまるで違うんです
深夜、子供たちが寝静まった後、四人のシスターは修道院の敷地内にある桜の木の下で、スコップを使って穴を掘り、ミイラ化した神父の遺体をそこに入れた。遺体は穏やかに瞼を閉じ、だらんと垂れた腕を、パンジーがせめて胸の前に重ねてやった。その腕はすっかり水分を失い、痛ましいまでに骨と皮だけで、ほとんど木の棒みたいだ。そして上から掘り起こした土をもう一度かけていくと、次第に神父の顔が土に覆われて、隠されていった。
「一体どうなってんのよ?」と遺体に土をかけながらビオラが言った。「どうして昨日まであんなに元気だった神父が、よりによってたった一晩でカラッカラのミイラになってるわけ?」
「あんまり大きな声ださないでよ」とアイリスが静かに言い返した。「そんなのこっちが聞きたいっての。鍵はちゃんとあたしが管理していたのに」
「動揺する気持ちはわかるけど、二人とも、喧嘩しない」とリリィは作業に没頭しながら注意した。
「喧嘩じゃない」とビオラが言う。
「議論よ」とアイリスが言う。
「だったらなおさら、話し合いは明日の会議でしましょう、ね?」とリリィは提案する。
「そうね、今は遺体の埋葬に集中しましょう」とアイリスは冷静になって答えた。
「はいはい」、ビオラは諦めたように肩をすくめた。
「神父様お労わしや」、パンジーはそう言いながら、ただずっと涙ぐんでいた。
遺体の埋葬が終わると、彼女たちは共同のシャワールームでしっかりと身体を洗った。パジャマに着替え、歯を磨く。鏡の中の自分の顔が随分とやつれて見えた。そのあとリリィは自室に戻り、ベッドに横たわって、窓から月明かりが差し込む中、天井の一点を見つめつつ考えを巡らせた。
どうして神父はミイラになってしまったのだろう。それもたった一晩で。人間をたった一晩でミイラにする方法なぞ存在するのだろうか? 仮にあったとして、地下への錠前はアイリスが確実に管理していたはず。神父に接触できたのはアイリスだけということになるが、アイリスが何かしたとは到底思えない。彼女は信頼の置けるシスターだ。そして私の姉のような存在。もしかすると予備の鍵でもどこかに存在するというのであろうか? 解らない。判らない。分からない――
翌朝のミサでは子供たちの合唱にあわせて、リリィはピアノを弾いた。本格的なものではなく、子供たちの好きな童謡だ。リリィがまだ幼いころ、彼女は当時の音楽大学出身のシスターに師事してピアノを習ったのだ。筋がよかったので、上達も早く、その度そのシスターは驚いたように褒めてくれた。彼女は嬉しくてたまらなくなり、暇さえあれば一人でこっそり楽譜を眺めていた。本当はあなたも音大に行ければよかったんだけど、ねえ? そしてシスターはいつか申し訳なさそうにそう言って家庭に入り、修道院を去った。風の噂ではどこか遠くでピアノの先生をしているという。
そうやって朝食の時間になり、食堂で子供たちとともにバゲットと豆のシチューを食べる。子供たちはそれを夢中に頬張っていた。
「せめてゆで卵くらいつけてあげたいんだけど、今の経営状況じゃこれが精いっぱいね」とアイリスが隣で囁いた。「でもきっとあいつはどこかに金を隠していると踏んでいる。裏仕事で相当稼いでいたはずだから、それなりに贅沢してたみたいよ。あとでしらみつぶしに、奴の部屋を捜索しましょ」
わかった、とリリィは答えた。
食後は会議だった。四人のシスターはまた会議場で円卓を囲い、顔を突き合わせた。神父はどうしてミイラになってしまったのか? アイリスが意見を求めるとみんな首をかしげて黙っていた。
「本体をミイラとすり替えたんじゃないか?」、そんな中、ビオラが口火を切った。
「どうやって?」とアイリスが尋ねた。「鍵はあたしが管理してたのよ?」
「だから神父は予備の鍵を隠し持っていたとか」
「なるほど」、アイリスは腕を組んで椅子の背にもたれた。「それだと確かにつじつまが合うわね。でもミイラなんてどこから持ってくんのよ?」
「さあ? たまたま持ってたか、自身の身を案じて隠してたんじゃない?」
「でもミイラは完全なものではなかったわ」とリリィが口を挟んだ。「腐っている部分もあったもの。そんなものどこに置いておくっていうの?」
「さあ? 作りかけだったとか?」、ビオラが投げやりに言う。
するとパンジーが小さい声で重い口を開いた。
「あのミイラは神父様に間違いありません」
「どうして?」とアイリスが尋ねる。
「ただわかるんです。どこからどう見ても神父様でした。昨日、見間違えじゃないかと、何度もお顔を確かめましたし、手の甲のほくろの位置までまったく同じでした。とても複製とは思えません。それだと大掛かりすぎです」
他の三人は固唾を呑んで、次の言葉を待った。
「もちろん、現実に一晩でミイラを作ることは不可能なことです。図書室で調べたところ実際に自然にミイラを作るには三か月くらい時間を要します。でも果たして、時間というものは本当に確かなものなのでしょうか? 必ずしもまっすぐ前に進むものだとはいえないのではないでしょうか? 時と場合によっては伸びたり縮んだりするのではないかと私は実感しています。一日が短く感じたり、長く感じたりするのは誰しもが経験することです。年齢を重ねるのも早い人もいれば、遅い人もいます。私はあの地下の牢獄が恐ろしくてなりません。なんというか、その、あの牢獄にいると、時空がねじれているような、そんな深みに落とされたような感触を覚えました。正直、もう二度とあそこには近づきたくはありません。あそこでは時間の流れ方がこことはまるで違うんです、おそらく」
「時間の流れ方が違う、か」とアイリスが呟いた。「リリィはどう思う?」
「わからない」とリリィは答えた。「私が鈍いからかな? 今までそういうふうに考えたことがなかったから」
「まあ、そうよね」
二人は神父の部屋で遺品整理をしていた。ビオラとパンジーはパンジーの部屋にいる。パンジーが鬼気迫る演説をした後、彼女が気を失ったからだ。ビオラはパンジーを彼女の部屋まで運び、付き添って介抱している。
「とりあえずパソコンの電源は入れたから、起動するまで、あんたは扉から向かって右側を捜索して。左側はあたしがやる」
「わかった」、リリィは頷いた。
彼女が洋服ダンスを開けると、黒い司祭服が七着きれいに収納されていた。おかしな点がないか入念に調べたら、下の段へと移っていく。ワイシャツや、肌着などがまた丁寧に折り畳まれて収納されている。一番下の段を開ける。ここには人の目に触れられたくないものが入っている可能性が高い。出てきたのは大量のブラジャーとパンティーだった。
「アイリス」とリリィは振り返って呼びかけた。
「何か見つかった?」
「女性ものの下着がいっぱいあるよ? それもかなりきわどいやつ」
アイリスは本棚の仕切り板に頭をぶつけた。「あの変態神父め」
今度はアイリスが本棚の一番下の抽斗からメモ帳を見つけた。
「リリィ」とアイリスは振り返って呼びかけた。
「何?」
「あったあった。メモ帳。ご丁寧に金庫の番号まで書いてる。きっと年だから頭で覚えらんないのよ」
リリィは顎先で手を合わせた。「わお」
目的の金庫はベッドサイドのテーブルの下に置いてあった。
「開けるわよ」
アイリスがそのダイヤルを慎重に回していく。やがてカチッという反応があった。彼女は金庫の扉を開いた。中には通帳に印鑑、ピストルと弾薬箱、いくつかのメモ帳、そして札束が入っていた。
「まずは通帳ね」
さっそく通帳を開こうとするアイリスに、リリィは顔を寄せた。預金は約四億円あった。
「四億?」、彼女たちは思わず顔がひきつって悲鳴に近い声を発した。
二人してしばらく声を失った後、アイリスが言った。
「あたしたちには清貧な暮らしを押しつけといて、こんなに貯えてただなんて、とんだ生臭坊主ね。数百万単位の出入りがたくさんあるじゃない。この大きな額の入金はたぶんゴキブリ駆除の報酬よね?」
「これだけあったら、子供たちにどれだけ必要なものを与えてあげられるか」、リリィは見上げて遠い目をした。
「とりあえず、このお金のことは後で考えましょ」
「うん」
再び、家具を調べる。しかしどれだけ丁寧に調査しても、もう情報となりえるものは何も出てこなかった。神経を張っていたせいで、リリィはもうくたくたになっていた。ましてや正にこの部屋で神父に犯されそうになったのだ。気持ちが悪かった。
「あとはパソコンを調べるだけだから、あんたは休んでて」とアイリスが言った。
「ううん。せめて横で見てる」、リリィは首を振った。
パソコンのホーム画面を眺めると、アプリケーションソフトがいくつか整理されて並んでいた。ゴキブリ駆除につながるやりとりを探して、左上から順に適当なドキュメントを開いていく。しかし手掛かりが摑めないまま、無慙にも時間は過ぎ去っていった。
「だめね」、アイリスが椅子の上で大きく背伸びをした。「もう集中力の限界。続きは明日にしよっか?」
「ねえ」、リリィは不思議そうに画面を眺めていた。「この右下にある名前の表記のない桜の花の模様のアプリは何かしら?」
アイリスが姿勢を直し画面を確認する。「確かに、なんだろう?」
アイリスはマウスでそのアイコンをクリックした。画面が真っ暗になる。バグかと思って彼女たちはハラハラした。しばらくすると黒い画面の中央に、赤い文字が浮かび上がってきた。二人はわけもわからず同時にそれを読み上げた。
「システム・サクラメントにようこそ?」
リリィ「このブラジャーとパンティ、着てたのかな?」
アイリス「ゾッとすること言わないで」