終【K&Ⅼ】システム・サクラメント
Dear アイリス
HAPPY NEW YEAR
とは言っても、この手紙が届くころにはおそらく新年も過ぎていることでしょう。私は今、彼とイチカと共に世界旅行をしています。お腹の子どもは順調に育っていて、あと半年もすれば健康に産まれてくれるでしょう。彼も最初は処女懐胎の話にびっくりしていたけれど、今では理解を示してくれています。とにかくよいお年を過ごしてください。子どもたちを含め、みんなの無病息災を遠くから祈ります。落ち着き先が決まったらまた手紙を出します。
P.S. みんなに用意したクリスマスプレゼントを渡しそびれたので、時期も遅いけれど、私のベッドの下に備えてあるので、可能なら、見つけてみんなに渡してください。よろしくお願いします。
From あなたの永遠の妹にして親友 リリィ
絵葉書の半分には風情ある欧風の街角が写っていた。そして裏返すと消印はチェコだった。傍に控えているパンジーにアイリスは命令した。
「至急リリィのベッドの下を調べてちょうだい。彼女の置き土産があるはずだから。手が足りないようならビオラを連れてって」
「仰せのとおりに」とパンジーは言って、アイリスの部屋を退出した。
アイリスは若干むくれた。「まったく『できるだけ遠くに逃げて』とは言ったものの、まさかチェコにいるなんてね。大体滞在先のホテルとか書きなさいよ。返事のひとつも出せやしないじゃない」
さて今日はちょうど3人の子に洗礼を授ける日。洗礼を受けるのはミナ、カホ、アイサだ。シスター名も考えてある。活発なミナはマリーゴールド、気位の高いカホはローズ、可憐なアイサはアネモネ。きっと似合うだろう。ただ、儀式の場にリリィがいないのが残念だ。
灰色がかった薄水色の空の下、しんしんと雪の舞い落ちるプラハの街並みでリリィは白い息を吐きながら赤いダッフルコートを着て、白い格子柄のマフラーを首にきゅっと巻きながら佇んでいた。足には黒いテーパードパンツをはいている。真っ赤なコートは初々しくも鮮烈で、彼女を幾分若く見せた。隣にいるイチカは水色のフェイクファーのボアブルゾンにグレーのパンツだ。そして髪をツインテールに結んでいる。手に息を吹きかけながら仲良く手を繋いで待っているとKが紙袋を持って走り寄ってきた。紺のセーターを着て、カーキのチェスターコートを羽織っている。セーターの首もとには白いボタンダウンシャツの襟が顔をのぞかせていた。紙袋の中身はチェコの伝統的なお菓子「トゥルデルニーク」だ。シナモンが効いたドーナツみたいなものだ。
「遅れてごめん」とKは言った。
「ううん」
リリィは首を振り、Kのコートの袖を引っ張り、踵を上げてその頬に口づけした。
「きゃあ」とイチカが言いながら開いた手で顔を覆い隠す。
そして3人は雪の歩道を歩きながらコンサートホールに向かった。
コンサートホールでどこか名のある国のフィルハーモニー管弦楽団の演奏を席に並んで座り、鑑賞する。すぐにKの手の上にリリィがそっと手を重ねた。演奏者たちが舞台袖より現れて席につきチューニングを確かめ、指揮者が指揮台に立つ。その日の曲目はベートーヴェンの交響曲第8番だった。演奏は豊かで力強く、自然とみなぎり、鼓舞されるような音色だ。
「素晴らしかった」、演奏が終わるとリリィは両手を重ねあわせて言った。
「そうだね。来てよかったね」
「なんだかくらくらする」とイチカは言った。
「ちょっと迫力ありすぎたかな?」
「後学のためよ」とリリィは言った。「胎教にもなるし」、彼女は大事そうにお腹をさする。それからあごをあげた。「ところでこれからどうするの?」
「レストランを予約してある」とKは言って指を立てた。「日も落ちたし夕食には悪くない時間だ」
盛況なレストランでイチカは人目を惹いた。まあ、なんて可愛らしいと囁きが聞こえる。
「野菜も食べなきゃ駄目よ」とリリィが指摘する。
「やさい、いや」、小麦粉にじゃがいもを練って焼いたクネドリーキを食べながらイチカが拒否する。
「ザワークラウト、美味しいよ。ローストポークにもよく合う」、Kは笑顔で美味そうに食べて見せた。
店のウェイトレスがチェコ語で「まあ、なんて愛くるしいお嬢ちゃんなのかしら」と言い、Kはそれに対してペリエを手に「デクイ(ありがとう)」と言葉を返した。
「すっぱい」とイチカはザワークラウトを食べて言った。
それを見かねてリリィが言った。「サラダでも取る?」
「それはいいアイデアだ」とKは言って給仕係を呼んだ。
Kはさっきのウェイトレスにサラダを注文した。ウェイトレスはイチカに手を振って名残惜しそうに厨房に去った。
「リリ、あかちゃん、いつうまれる?」とイチカはオレンジジュースを飲みながら尋ねた。
「まだ妊娠二か月だから、半年以上先よ」、リリィはそう言って腹をさすった。
「おなかすこしおおきくなった」
実際Kは彼女に裸を見せてもらい、触ってもみたが、確かにその腹は少しだけ膨らんでいた。
「おとーとたのしみ」
「まだ性別はわからないわよ」、リリィは困惑気味に言った。
「ぜったいおとこのこだもん」とイチカは意見を譲らなかった。
食事を終えると辺りは宵闇に包まれていた。
「手を離しちゃ駄目だよ」とKは言ってイチカの手を握る。
イチカのもう一方の手はリリィが握った。
「あい」、イチカは首を縦に振った。「ケイ、あれやって」
「いいよ」
Kは手を引っ張って彼女を高く持ち上げた。リリィも持ち上げる。
「きゃっきゃ」
手を下ろすとKは言った。「満足しましたか? お姫さま」
「この子にはいったい何が見えているのかしら?」
「わからない」とKは答えた。「でも少なくとも悪夢ではないことは確かだ」
「ならいいけど」
「次はどこに行こうか?」とKは尋ねた。
「私、オーロラが見たい」と彼女は即答した。
「じゃあ、北だな」、彼は笑った。
イチカは右手の先を見上げた。「リリ」。それから左手の先を見上げた。「ケイ」
「なあに?」とリリィとKは尋ねる。
「ずっといっしょがいい」
「ずっと一緒だよ」とKは言う。
リリィの左手の薬指にはKからもらった細いプラチナの指輪がきらりと輝いていた。
「帰りましょう」と彼女は言った。「ホテルに」
そうして三人は仲睦まじく雪の降る歩道を歩いて行った。空には月が――白んだ半円が、慈しむように地上をそっと見下ろしていた。
「先輩のパソコンを回収してきました」
バイパーは〈システム〉本部の執務室で両手にパソコンを抱えて佇んでいた。机の向こう側では管理者Ⅹが椅子に座り、身をのけ反らせて天井を見上げている。Kが行方をくらませてから、このごろ物思いに耽ることが多い。
「ご苦労さん。悪いんやけどパソコンを机に置いて、コンセントを繋いでくれるか?」
「承知いたしました」
バイパーが指示どおり作業を行っていると管理者Ⅹは言った。
「急な話やけど、バイパー、アウルを指導したってくれへんか?」
「アウルをですか?」
「そや。ハンターに昇格させてやりたいんや。あの子には素質がある。ただ経験不足は否めへん」
「どうしてまた急に?」
「一番はハンター不足やからや。〈蛇〉との死闘で死傷者をたくさん出した。Kも国外でハネムーン中やしな。養子までとって」
その言葉にバイパーは身を乗り出した。
「Kさん、結婚したんですか?」
「気持ちはわかるが、作業の手はとめるな」と彼女は溜息混じりに言った。そして呟いた。「『どこまでもお供する』って言ったのに、あの女たらしめ」
「作業完了しました」
それを聞いて管理者ⅩはKに預けていたゲーミングパソコンのふたを開き、電源ボタンを押した。パソコンがうなり声を発する。
「先輩にはもう二度と会えないんでしょうか?」とバイパーは尋ねた。
「知らん。本人に訊いてくれ」
「それじゃまるでパラドックスじゃないですか」
パソコンが起動する。管理者Ⅹは〈システム・サクラメント〉にログインする。彼女はふふんと鼻を鳴らした。
「妹が連絡してきたとおりや。アカウントが復旧しとる」
バイパーが画面をのぞき込む。「なんですか、これ?」
「あとで説明する。まあ見とけ」
管理者ⅩはフレンドリストからゴーストのアイコンをマウスでタップしてDMを送った。
〈空がひび割れて落ちてきました。そちらはいかがですか?〉
しばらくすると返事が返ってきた。
〈こちらは一筋の光によって空が切り裂かれるでしょう〉
今日もデジタル家畜は発狂し、ハンターたちはそれを鎮める。診療所のベッドで発狂したデジタル家畜らは大仰なヘルメットを頭にかぶせられ、もくもくと悪夢を放出し、振りまいている。その悪夢は誰かの眠りにそっと忍び込み、その誰かの夢を蝕み、歪め、彼らはうなされる。時空の歪みは地下の奥底で、絶えず何者かの到来を待ち続けている。今日もどこかで車のアクセルが乱暴に踏まれ、野良猫や野良犬は轢かれる。交差点では人びとが我関せずとすれ違う。綿毛は風に吹かれ、新しい生命は生まれる。そんなこともおかまいなく彼らは北を目指す。システム・サクラメント。
著 Kesuyu
監修 ゆうじ
スペシャルサンクス 読んでくださったすべての方
ご愛読ありがとうございました!




