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システム・サクラメント  作者: Kesuyu
第7部 襲撃する者とされる者
69/71

9【K】俺の中の熱は消えていない




 Kが体育館にやって来たのはバイパーと落ち合う手筈だったためだ。通信機で話し合い集合場所をわかりやすく比較的安全そうな体育館に限定したから。だだっ広い空間には、窓から微かに街の明かりが差し込んでいる。そして場違いにもそこには仄かに石鹸の匂いが漂っていた。

 銃弾が飛んできたとき、Kはステップを踏んでそれをよけた。奥で誰かが身を隠し、狙っているのは間違いがない。体育館にはろくに隠れる場所がなかったが、彼は壁沿いに移動してグロック17の上部を念のためスライドした。暗がりでの戦闘には幾分覚えがあるので、Kは氷山のごとく冷静だった。それも闇から闇へと忍び歩くその戦闘スタイルからついた二つ名は――誰が呼んだか――「ナイトウォーカー」。闇夜に乗じ、影のごとく命を盗むのだ。

 今度は弾丸が三発飛んできた。Kは臆せず壁に沿って前進してそれをくぐり抜ける。ふと相手の残段数が気になった。射撃は正確ではあるものの、中々大胆な戦法だ。弾数には限りがあるので、こちらは無駄撃ちするわけにはいかない。おまけに自分は手負いなのだから。

 敵は演台の裏に潜んでいるとKは当たりをつける。演台にまわり込みさえすれば相手は袋のネズミだ。そう思いながら彼は少しずつ演台との距離を詰めていった。足もとを何発も銃弾がかすめる。

 しかしKの思惑とは裏腹に、相手は銃を乱射しながら演台から飛び出し、壇上の向こう側の袖に滑り込んだ。どうにも距離が縮まらない。それどころか敵は体育館の二階の細い通路ギャラリーにあがっていく。

 今度は相手のリボルバーが火を噴く。体育館に怒号のような銃声が響きわたる。どうやらサイレンサーつきのピストルは弾切れしたようだ。ただ予備のリボルバーがあるなんて用意周到である。放たれた弾丸がKの腕をかすめる。元々リボルバー使いなのか、狙いが精度を増している。

「厄介だな」、Kが呟く。

 位置的に高いところにあがられたら、籠城されたみたいに難攻不落だ。手をこまねいていれば、じりじりと狙い撃たれる。主導権を奪わねばなるまい。Kは舞台袖に飛び乗り、死角に隠れて小声で通信機に呼びかける。

『バイパー、到着はまだか? 体育館に強敵がいる』

『ちょっと待ってくださいよ』とバイパーが答える。『自分が今どこにいるのかもまだわからないんですよ』

『とにかく急いでくれ』

『急いでますよ』

 Kはヒイラギにやられた足の怪我に耐えて、階段を駆け上がった。細い通路に出ると発砲音と共にすぐに弾丸が飛んでくる。彼はとっさに身を沈めてそれをやり過ごした。相手は目線の奥、ちょうど体育館の入口の上の通路で銃をかまえている。黒ずくめの服に身を包み、こちらも迎撃すると相手も即座に身を臥せった。そしてじりじりと距離を押し引きし、睨みあった。敵は思いの他小柄だったので的が絞りにくい。さも暗殺に向いていることだろう。ただ、どうも華奢にも見える。

 Kが拳銃を発砲すると、敵は角に逃げ込んだ。さらにカーテンにしがみつき、まるでサーカスのように器用に下に滑り降りた。すかさずKも駆け寄り、あとに続く。すかさずそこを狙い撃ちされる。Kの右足を銃弾がえぐった。相手は脇目も振らずに体育館の奥に走り去り、壇上の袖にまた身を隠した。そしてすぐに放たれた弾丸がKの眼鏡の縁をかすめ、彼は管理者Ⅹからもらったそれを外して、ジャケットの胸ポケットに滑り込ませた。射撃は思い切りがいいが、動きは慎重だ。警戒されて、まったく近寄らせてもらえない。

 不味いな、とKは思う。度重なる連戦で、彼は相当負傷していた。こうして立っているのも不思議なくらい。だが痛みで大量のアドレナリンが脳内に流れ込み、彼は気分が高揚していた。痛み? かまうもんか。ここで一度でも歩みを止めたなら、それが癖となって、今後の人生にとって大事な局面で幾度となく立ち尽くす羽目になるはず。灯火が遠のくくらいなら、這いつくばってでも前へ——

「逃げるな」、Kはどなった。「正々堂々と勝負しろ」

 深い沈黙が下りた。Kは泰然としてコートの中央に移動する。相手は壇上の袖からそっと顔を出し、鋭くこちらを睨んでいる。その視線が彼の頬を刺した。

「挑発しているつもりなんでしょうけれど、その手には乗らない」

 柔らかい、なおかつ気丈な女の声が耳にもぐり込んだ。

 女? とKは思い留まりそうになる。しかも艶があって若い。彼は困惑した。なぜならこれまでに一度だって女の生命に手をかけたことがなかったから。むやみやたらと人を殺した経験すら――〈ウロボロス〉と関係するまで――ほとんど持たぬのだ。でも同じ土俵に立つ以上、覚悟を決めなければならない。中途半端な姿勢は命懸けの相手にも失礼だ。でも〈ウロボロス〉には女の構成員もいるのだろうかとも彼は思う。いや、いてもおかしくないだろう。実際、相対す女はこれだけ腕が立つのだから、ヒイラギなら悦んで彼女を雇ったことだろう。

 体育館の中は薄暗く、拳銃の狙いがつけにくかった。それでも二人同時に銃撃する。リボルバーの銃声が鳴り響き、お互い狙い澄ました銃弾は空を切ったかに思えた矢先、彼の左耳は出血した。

 とくに痛みは感じなかったが血が滴った。彼は正に手負いの獣だった。肉体の損傷が激しく、思うように身体を使役できない。それがなんだっていうんだと彼は思う。ヒイラギは倒した。目的はすでに果たせたのだ。ただ俺は影のような存在。せめて死ぬなら、可能な限り、猫のように人知れずひっそりと幕引きしたい。

 女が扱っているのはリボルバーで間違いない。オートマチックピストルに比べて威力の強い弾が撃てる反面、弾数は6発前後に限られ、弾の交換にも手間と時間がかかる。質量で圧せば、勝機が見えるかもしれない。彼は壇上の袖を速射した。すると女が駆け抜けて演台の裏に隠れる。そしてすかさず一発リボルバーを撃つ。銃弾は彼の頭上を越えた。

「投降しろ」とKはピストルをかまえながら言った。「本当はその拳銃、もうほとんど弾が残ってないんだろ? できれば女は殺したくない」

「アサシンの矜持(きょうじ)にかけて、その言葉お返しするわ」

「いいだろう」とKはあごを上げて言った。「一度だけ弾を入れ替えさせてやる」

 沈黙のあと、女が演台から顔を出した。こちらの表情を読み取ろうとしている。その揺らいだ瞳の奥には、澄みきった光が宿っていた。

「後悔しても知らないから」、彼女はそう言って、また顔を隠した。

 演台の裏でシリンダーを振り出し、薬莢が地面に落ちて転がる音がした。そのあと弾薬を込めていく微かな音もする。なぜKがそんなチャンスを与えたのかは、本人にもわからなかった。ただ相手の力量を認め、万全の状態で対決したかったのかもしれない。そのあいだ彼は窓の外を眺めていた。廃校に侵入してからかなりの時間が経過している。窓に張り付いた深い青が、うっすら白んでいた。すぐに撃鉄を起こす音が辺りに響く。

 再び女が演台から顔をのぞかせた。

「あなたはマガジンの交換をしなくていいの?」

 Kはピストルをかざした。

「癖なんだ。銃の弾数を数えるのは」

「じゃあ戦闘再開でいいかしら?」

「もちろん」、Kは小さく頷いた。

 女は唇の前で指を一本立てる。「親切にしてくれたお礼に、苦しまずに死なせてあげる」

 リボルバーが火を噴いた。Kの脳天を目がけて。彼は首をひねってそれをかわす。反撃すると、女は壇上から飛び降りた。近距離戦に持ち込むつもりだ。二人はコートの中央を挟んでぐるぐると牽制しあった。ころしちゃだめ、とどこかで声がする。が、その声はどこにも届かなかった。

 彼の身体は本格的に重たくなっていた。ヒイラギに撃たれた左足を引きずり始めている。そのうえ身体に重力が重く圧し掛かる。こうなったら形勢は不利だろうなと彼は思う。〈ウロボロス〉の置き土産として、獰猛な蛇が身体中に巻き付いているみたいだ。それでも後には引けない。彼は力の限り、精神の限り、身体を起こし、足を踏み出した。体育館にはバイパーが向かっていることだろう。だが、もうこの戦いは誰にも邪魔されたくなかった。まだ俺の中の熱は消えていない。むしろ煌々(こうこう)としている。

「あなた、身体がぼろぼろなんじゃないの?」と彼女が尋ねた。

「ほんのかすり傷だ」とKは言った。「負けたときの言い訳にはならない」

「どうしてそこまで頑張るわけ?」

「さあな」、Kは首を傾げ、気の抜けた表情をした。「それしか知らんからな」

 女は難しい顔をした。異国や辺境で初めて味わった見たこともない料理を慎重に咀嚼するように。それから言った。

「変な人」

 思わす彼は失笑した。そしてとくに意見や感想は述べなかった。

 銃撃戦が始まる。女が脳天や心臓を狙っているのは、Kの目にも一目瞭然だった。本気で苦しまないように殺すつもりなのだ。彼は俊敏に銃弾をいなした。お返しに彼も銃撃するが、女はしなやかに舞うようにそれをかわした。

 二人はコートを半周して様子をうかがう。Kは足踏みさせられていた。なに、今さら傷ひとつ増えたところでかまわない。彼は捨て身で一直線に女の方に駆けだした。銃弾が頬をかすめる。でももうかわすつもりはない。そのままはおっていたダウンジャケットを脱いで、相手の正面へ投げつけた。暗がりでダウンジャケットがはためき、そのシルエットを人影に見せる。女はダウンジャケットを一心に撃ち抜いた。Kはただ彼女の隣でそのこめかみに銃口こつんと当てた。

「チェックメイトだ」、Kは言った。

「殺したければ殺せばいい」と彼女は言った。

「なぜ〈ウロボロス〉に入った?」

「私は〈ウロボロス〉じゃない」、毅然とした声だった。

 Kは困惑した。「〈ウロボロス〉じゃない?」

「そうよ。私を殺しても、必ずすぐに姉が仇を取ってくれる。やりたきゃやればいい」

「いいだろう」、Kは冷静さを取り戻した。「最後に言い遺す言葉はあるか?」

 沈黙が下りた。彼女は脱力したように膝をつく。そして言った。

「ごめんなさい――シャノワールさん」

 その言葉にKは度肝を抜いた。シャノワールだって? 自然とかまえた拳銃をおろす。やがて深い息をついて問いかけた。

「もしかして、ゴーストさん?」




あと2話

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