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システム・サクラメント  作者: Kesuyu
第7部 襲撃する者とされる者
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7【K】どこでもない場所で




 暗がりの中、バイパーは左目の下に三日月型の傷がある殺し屋を追いかけていた。その途中、何度も発砲もした。しかし殺し屋は色んな部屋のドアというドアを脇目もふらずに通り抜け、階段を下り、校舎内の深部に誘い込むように導いていく。ここは相手のテリトリーなんだ、とバイパーは思った。景色は目まぐるしく変化している。今建物のどの辺りにいるのかもわからない。形勢は不利だろう。彼の額には一筋の大粒の汗が流れていた。

「とまれ!」、たまらずバイパーは男に向かってどなる。「逃げずに勝負しろ」

 それを嘲笑するかのように殺し屋は黙々と闇の奥へと進んで行った。仕方なくバイパーも振り切られないように後を追う。ここまで幾度とない攻防を繰り返したせいで銃の残弾数がつきかけていた。これ以上、あまり闇雲に弾を使い果たすわけにはいかない。

 やがて鮮血のように真っ赤なライトによって、照らされ、浮かび上がった密室に到着する。

 部屋の壁には写真がいっぱい貼り付けてあった。バイパーはその中に何人かのハンターの写真を認める。暗殺のターゲットの顔写真を並べているのだ。それはバイパーを不快な気分にさせた。

 二人のあいだには4メートルほどの距離があった。

「ここが君の部屋かい?」、バイパーがピストルをかまえながら尋ねた。

 殺し屋は真っ直ぐにバイパーを見据えていた。「お前の名前を訊いといてやる」

「バイパー」

「毒蛇か」、男はくすりと笑った。「〈ウロボロス〉にいたほうがしっくりくる名だ」

 バイパーは表情を引きつらせた。「相手の名前を訊いたからには、自身も名乗るのが筋合いというか、まあ、礼儀だよね?」

「俺に名前はない」と殺し屋は即座に言った。そして「好きに呼べばいい」と付け加えた。それから続けた。「ただ便宜上、左目の特徴的な弧を描く傷からミカヅキと呼ばれている」

 ミカヅキはおもむろに壁にかかった日本刀を手に取った。そしてゆっくりと鞘を抜いた。刀身がきらりと鋭く光る。見るも美しい刀だったので、バイパーはその様子に一瞬見惚れた。

業物(わざもの)長曽祢興里(ながそねおきさと)入道虎徹(にゅうどうこてつ)だ」とミカヅキは満足そうに言った。「国宝級の代物さ。室内でも小回りが利くように、刀鍛冶に小太刀に仕立て直してもらった。少々もったいなかったがな」

「意外とよくしゃべるんだね。先ほどまで口がないのかと思ったよ」

 ミカヅキは苦笑した。くっくと。「バイパー、お前の冥途の土産だからな」

「その言葉、のし付けてそのままお返しするよ、ミカヅキさん」

「悪いが俺は無敗だぜ」

「臨むところだ」

「刀の錆びにしてやる」とミカヅキは言った。「ゲームスタート」

 途端に部屋が真っ暗になった。ミカヅキが部屋の照明を落としたのだ。バイパーはとっさにナイフを抜いて左手にかまえる。右手にはもちろんハンドガンだ。

 目を急な暗闇に馴れさせる前に殺気を感じて彼は身を引いた。見事なすり足だ。足音が聞こえない。音もなく小太刀で右脇腹を切り裂かれる。幸い、身を引いたおかげで傷口は浅かった。しかしながら、面倒なことに、ミカヅキはまた闇に溶け込んだ。

 こいつ、遊んでやがる、とバイパーは思った。銃を使えばなんなく僕を殺せるはずだ。でも、あえて暗闇での近距離戦を挑んできた。舐められたもんだが、それでいい。舐めた分だけ、本人に隙も生じる。

 それにしても恐ろしく冷たく鋭利な刃だ。たとえ中に防刃ベストを着ていたとしても、防げず、豆腐みたいに容易に切り取られていたことだろう。ミカヅキは僕を八つ裂きにする気なんだ。そう思うと、背筋に悪寒が走った。とにかくもっとも重要なのは集中力である。五感をフルに働かせ、微かな変化を見逃さないこと。バイパーは姿勢を低くし、ナイフを前にかざした。そしてピストルは顔の横で制止させた。底知れぬ闇に視界が惑わされ、あえて目を閉じ、その上で耳を澄まして、神経を張り巡らせる。一滴(ひとしずく)の波紋のように足音や衣擦れの音が聞こえる。ミカヅキが足を踏み込んだ瞬間、地面を蹴る音がして「来る」とバイパーは思った。身をひねり、気配のするほうへナイフを突き出すと、刃先で小太刀の斬撃を受け止めた。すかさずその小太刀の先に銃弾を撃ち込む。だが、ミカヅキは煙のように瞬時に身を引き、また闇に溶け込んだ。

 バイパーのナイフは世界で最も有名な戦闘用ナイフのひとつ――ククリナイフである。ククリナイフはイギリス軍やアメリカの特殊部隊でも採用されているナイフで、人間工学的に非常に優れたつくりになっている。指一本で縦にバランスが取れる反面、一振りで人間の首や腕を落とすことができる代物だ。19世紀初頭、世界最強の傭兵部隊と(うた)われたグルカ兵の携行していたものとしても有名である。とりわけバイパーはこのククリナイフを毎日かかさず手入れするほど愛用していて、その刃は正に新鮮な白魚のように美しい。

 実際、次の斬撃の瞬間、バイパーは身をよじって一撃をすれすれでかわし、それと同時に流れるような自然な動きでミカヅキの首をはねた。ミカヅキの頭部は勢いよく壁に打ちつけられる。虚しくもその顔には暗視スコープが装着されていて、口もとは殺人狂のように引きつった微笑が浮かんだままだった。

「腕に覚えがあったようだけれど、残念ながら、刃物の扱いでは僕のほうが一枚上手だったようだね」

 彼は探し当てた部屋の照明を点けた。

「早くKさんと合流しないと――それにしてもここはいったいどこなんだ?」

 バイパーはどこでもない場所で、Kの無事を願い、ひとりごちた。


 そんなKはヒイラギと激しい銃撃戦を繰り広げていた。口火を切ったのはKの愛銃グロック17だった。銃弾がヒイラギの頬をかすめる。Kが引き金を引いた瞬間、ヒイラギは頭を微妙に傾けて容易に弾丸をいなした。彼はにたあと笑って親指を舐め小型ヘリコプターの裏に機敏に引っ込んだ。小型ヘリコプターの陰から、その流線形の隙間から、Kを狙い撃ちする。Kはあとに引けないと思い、全力でダッシュして小型ヘリコプターの正面に張り付いた。ヒイラギの放った弾は先ほどまでKが立っていた屋上の戸に正確に直撃する。

「いくら支払えば仲間になってくれる?」

「黙れ」

「本当に金なら湧き水のごとくあるんだよ。集金は得意なんだ。詐欺もするし、強盗もする。優秀なハッカーを抱えているから、他人の個人情報だって乗っ取ることもできる」

 それで〈システム・サクラメント〉をハッキングしたのかとKは思う。

「黙れ」

「つれないなあ」

 ヒイラギの手に握られているのはシルバーのベレッタM9である。ベレッタ自体はコスト面に優れ、アメリカ陸軍、空軍、海兵隊で採用されている、非常に知名度のあるハンドガンだ。装弾数はKのグロック17(17発)にやや劣る15発。しかしヒイラギはその愛銃を自身の手足のように使役する。実際Kは彼の弾丸が何度も身体をかすり、服を一枚いちまいはぎとられていく感覚だった。それほどヒイラギの射撃は精密だった。

「でもまさかまだ生きていたとはね」とヒイラギは言った。「てっきり山梨の旅館で昇天させたものかと思っていたよ」

「悪運が強いんでね」とだけKは答えた。

「その悪運の強さ、どこまで持つかな」

 二人は小型ヘリコプターのあいだを挟んでその周囲を慎重にぐるぐるとまわる。相手より優位な立場を探る。

「お前はスタート地点をどこから考える?」とかつてハンター・シープは言った。「正解は正しい場所に足を置くところからだ」

 ふとその言葉が脳裏をよぎる。なんだかアメリカの初代大統領リンカーンの言葉みたいだ。シープ――まったくあんたは正しいよ、とKは思い起こす。Kは今一度自身の足場を確かめた。いつの間にか、屋上のフェンスを背にしている。ひどく不安定だ。正しい場所に足を置け。

 Kは銃声の中、俊敏に小型ヘリコプターの背後からまわりこんだ。入れ替わりにヒイラギが小型ヘリコプターの背後に駆け抜ける。実はKはずっと数えていた。互いのピストルの残段数を。ヒイラギの残弾はあと5発だ、対してこっちは7発ストックがある。緊迫してにらみ合いをしているこの状況下で、一進一退の攻防で、マガジンを入れ替える余裕はないどころか、そんな隙を見せたら命とりになる。まごつくのは死の淵にジャンプするのと同様だ。Kは深く息を吐いて、神経を集中した。

 ヒイラギは小型ヘリコプターの陰にぴったり寄り添っていた。どうやら出足をうかがっている。状況は弾ひとつかすりもしないヒイラギの主導下にあった。〈ウロボロス〉を発展させ、恐らく恐怖政治でその実権を掌握して有用な人材を酷使してきたのだ。彼の目には「敗北」の二文字は微塵も映り込んでいなかった。

 射撃の腕前だけ見ればヒイラギの方がやや上手だろう。それにつけ彼はこの局面に非常に大胆なカードを場に切ってきた。

 特攻して全弾射撃をしてきたのだ。

 Kの四肢が直撃を受け損傷する。Kのグロック17が不吉な音を立てて、手から転げ落ちる。ヒイラギはKを押し倒し腹ばいにまたがってコンバットナイフを抜いた。月夜にそのナイフの刃はいやに輝いていた。

「チェックメイト」

 その瞬間Kはジャケットの内側のホルスターに忍ばせていた、ナキリナキから預かっていたお守り代わりのブローニング・ハイパワーを抜き取ってヒイラギの眉間を撃ち抜いた。

「バ、馬鹿な」、ヒイラギは消え入りそうな声を洩らした。

 結局他人の命を軽んじていたから、自身の命に対してもお粗末だったのだろう。

 ヒイラギは立ち上がり、少しずつ後退して廃校の屋上のフェンスからまっすぐ飛び降りた。そこには彼なりの美学が含まれていたのかもしれない。地面に叩きつけられた遺体は、見下ろすとひどく矮小(わいしょう)なものに感じられた。

 なんにせよKは〈ウロボロス〉のボスを討ち取った。これで管理者Ⅹも安堵の息を洩らすことだろう。Kはズボンのポケットから手ぬぐいを取り出し、持参した消毒液で損傷した左肩を濡らしたあと、その上から縛った。

 これで終わったんだと感慨にふける。

 そしてよろめきながら屋上の扉を開いた。




バイパー「お守りがなかったら死んでましたね」

K「ナキリナキさんには足向けて寝られないな」

カウントダウン、あと数話。

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