6【Ⅼ】こんな意味のない馬鹿げた闘争
アイリスたちが死体を山に埋めに行った翌日、深夜未明、修道院は〈ウロボロス〉の襲撃を受けた。
「ビオラとパンジーは子供たちを地下シェルターに避難させて」
アイリスの怒号が飛ぶ。
リリィはS&WM19を手に闇に紛れ、応戦していた。相手の数は10人。サプレッサーを装着したワルサーPPKを手に銃撃してくる。こっちには最強の殺し屋タナトスがいるのに、舐められたもんだ、と彼女は思った。
「いったい何が起きているわけ?」とカホは歩を運びながら疑念を口にした。
「ホホ、かくれんぼよ」とパンジーが答える。「慌てないで歩いてね」
「トウカ、かくれんぼすき」とトウカは嬉々として言った。「オニサンはだれ?」
「恐ろしい狼さんよ。だからちゃんと鍵をかけて隠れるのよ」
「はあい」
アイリスは正に鬼神のごとき猛攻を見せた。礼拝堂に立ち塞がって、侵入者を容易く精密に片付けてしまう。それというのも、修道院に魔の手が及んで虫の居所が悪いのだ。侵入者のひとりが恐れをなして悲鳴をあげる。
「この化け物」
そして散った。
リリィは彼女のサポートに徹していたが、ほとんどアイリスひとりでかたがついた。息ひとつ乱れていない。触れると棘が刺さりそうなくらい、彼女は鋭いオーラを放っていた。いつもとはまるで別人のように。
子供たちを気にかけて、自然と地下シェルターの前にシスターたちは集まる。
「子供たちは無事?」
「ちゃんとシェルターに避難させたわ」
「どうやら隠れ蓑が特定されたみたいね」、アイリスは親指を噛んだ。「資産家を装った寄付の話を、もっと警戒すべきだった。うかつだったわ。美味い話にはたいてい裏があるってね」
「せっかく遺体も山に埋めたのに、勘弁してほしいわ」、ビオラはそう言って深い溜息をついた。
「安全な場所はもうないのでしょうか?」、パンジーがおろおろと取り乱す。
「やらなきゃ、やられる」とリリィは静かに言った。「それだけ」
「そうね、やらなきゃ、やられる」とアイリスがうなずいて同意した。「これは戦争よ。生き延びるには逃げるか、声をあげるか、武器を手にするしかない。どのみち自由を勝ち取るには力と勇気が必要よ。とにかくまた〈蛇〉がやってくるかもしれない。だからビオラとパンジーはここで子供たちを守って。奥にある牢獄には子供たちを近寄らせちゃ駄目よ」
「かしこまりました」とパンジーが平静を取り戻して言った。
「アイリスとリリィはどうするのよ?」とビオラはすぐさま反駁気味に尋ねた。
「〈蛇〉の頭を取る」とアイリスは断言した。そしてリリィの顔をのぞき込む。「リリィ、戦えるわね?」
リリィはうなずいたあと強い目をした。「ええ、お腹の子なら大丈夫。こんな意味のない馬鹿げた闘争、はやく終わらせましょう」
リリィとアイリスは黒ずくめの服に手早く――それこそ抜け目なく簡潔に身を通し、修道院の駐車場でスポーティーなセダンに乗り込んだ。徹底的に無駄を排したような身のこなしで運転席に乗り込んだアイリスがエンジンをかける。真夜中の住宅街に車の駆動音が響き、リリィを助手席に乗せて、車は急発進で加速した。深夜ということも手伝って、道路上は手招くように空いていた。
その日、東京は強風注意報が出ていた。リリィは窓の外を眺める。街灯は灯り、流れゆく景色は闇に浮かび、さざめいていた。FMからはグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」がロマンティックにかかっている。
アイリスは前方を見据えながらハンドルから片手を離すと、上着のポケットから何かを取り出し、リリィに手渡した。「ほら」
受け取った軽量のそれはサイレンサー付きのワルサーPPKだった。
リリィが訊く。「これって?」
「襲撃者が持っていたものよ。サプレッサーがまだ生きているから、何挺かくすねておいたの。リボルバーだけだとちょっと心もとなかったからね。ま、保険。オートマチック・ピストルは扱えるわよね?」
うん、とリリィは端的にうなずいた。
「ほんもののピストルだ」、不意に後方から溌剌とした声がした。
リリィとアイリスは驚いて後部座席に目をやる。そこにはイチカが嬉々とした表情で身を乗り出していた。
「イチカ、どうしてここに?」、リリィが声をあげる。
イチカは人懐っこい笑みを見せた。「イチカ、かくれんぼしてるの」
「今すぐ降りなさい」
「やー、パンジー、かくれんぼする、いったもん」
「降りるったって、もうすぐ新宿に到着するわよ」とアイリスが運転に集中しながら言った。
「そんな――」
信号待ちをしているあいだ、アイリスはウェストポーチを開け、中から通信機を取り出した。
「ほら、リリィ、これを耳につけて。この通信機を通せば、離れてても無線で話せるから」
リリィは言われた通りにする。「こう?」
『聞こえる?』
『聞こえる』とリリィは返す。
「それ、外さないでね」
「わかった」
目の前の信号が青に変わると、アイリスはゆっくりとアクセルを踏んだ。
「イチカ」とアイリスが冷静にどなる。
「なに?」とイチカが後方で返事をする。
「お姉ちゃんたち、今からとっても大切で危ない仕事に出かけるの。だから、大人しく言うことを聞いてね。まず、お姉ちゃんたちから絶対に離れないことを約束してくれる? 次に怖い鬼さんには近づかないこと。そして最後にここで見たことは誰にも話さないこと。いいかな?」
「んん? それ、なにごっこ?」、イチカは難しい顔をする。
「かくれんぼよ」
「わかった」、イチカが挙手する。「だれにもいわない」
「ちょっとアイリス――」とリリィが口を挟む。「あなた、もしかして、イチカをこのまま連れていくつもりなの?」
「悪い?」とアイリスはしれっと言う。
「悪いわよ!」とリリィは怒鳴り声を発した。
それに反応して、アイリスは表情を歪ませて、顔が反射的に窓のほうに傾く。
「ちょっと、急に叫ばないでよ。耳に通信機つけてんだから。おかげで鼓膜破れるかと思っちゃった。だいたいそれでハンドル操作誤って事故ったらどうすんの? まあ、行きがかり上、イチカはあたしらと一緒にいるのが一番安全でしょ。だって〈蛇〉の巣穴を見つけたこの機会を逃すわけにはいかないんだもん。拠点を変えられたら、これまでの苦労も徒花よ。互いの駒が相手の陣地に攻め込んでいるんだから、一歩も引けない。迷うまでもなく選択はゴーよ」
でもリリィには一抹の不安が拭いきれなかった。
「それでイチカに何かあったらどうするのよ。怖い思いさせないかしら?」
アイリスは言った。「あんた4歳のころの記憶ってある?」
「急に何?」
「いいから考えて」
リリィは首をひねり、眉間にしわを寄せて考えた。「ない、と思う」
「でしょ? イチカは4歳なのよ。記憶なんてまだ固まりっこないって」
「でも――」
「大丈夫」とアイリスはリリィの言葉を遮ってはっきりと言った。「最強のあたしがいるから」
「まったく」、リリィは背もたれに背中を預けて瞳を閉じた。「敵わないな、アイリスには」
「あたしを誰だと思っているの? 暗殺の女王アイリス様よ。大船に乗ったつもりでいてちょうだい、ホホホ」
「暗殺の女王だなんて誰も言ってない。現に二つ名はタナトスでしょ」
「それ、やめい」、アイリスはぷくっと頬を膨らませた。
「はいはい」
「あたしのがいっこお姉ちゃんだからね」、アイリスはそう言うとにっこりと笑った。
リリィは手を組みながら言った。「頼りにさせてもらいます」
「けんか、めっ」と後部座席から声がした。見るとイチカが二人の言い争いに怯えている。勇気を振り絞って声を出したようだ。
「喧嘩じゃないよ。でもちょっと怖かったね。ごめんね」、リリィは手を伸ばして彼女の頭をなでた。
「イチカ、心配しなくてもお姉ちゃんたちはとっても仲良しよ」
「ほんとに?」、イチカが尋ねる。
「ほんとほんと」、思わず声がそろう。
「じゃ、ゆびきり」
「これでいい?」、アイリスとリリィは笑顔で指切りをした。
「あい」、イチカは首を縦に振った。「ね、かくれんぼまだ?」
「ちょうど会場に到着したわ」
アイリスはハンドルを切ると、そのまま西新宿の廃校の裏門の前に車を停車させた。彼女たちは黒いニット帽を手際よく目深にかぶる。車を降りるとアイリスが言った。
「火薬と血の臭いがする」
「わかるの?」とリリィは問いかけた。
「間違いない。風が強くて仄かだけれど、何か異変が起きてる」
「それは良い異変? 悪い異変?」
アイリスは首を小さく振った。「そこまではわからない」
「そう。イチカはどうするの?」
「車に独りぼっちにさせるわけにはいかない。リリィが側についていてあげて」
「わかった」
「実行役はあたしがやる。あんたたちは、そうね、ちょうど校舎の東側の離れに大きな体育館があるじゃない。そこに隠れてて。あそこなら見通しがいいから、危険も察知しやすい」
リリィは口を結んで深くうなずいた。
「準備はいい?」
「いつでも」
「あい」
「さて、行きますか」
「うん」
「あい」
リリィとアイリスは手伝い合いながらイチカを門の向こうに運ぶと、廃校の中に影のように慎重に侵入した。風はびゅうびゅうと吹き、星の見えないのっぺりとした濃紺の夜空の下で――
アイリス「暗殺の女王の二つ名が広まらない(ショボン)」
リリィ「アイリスが勝手にそう呼んでほしいだけでしょ。それより、ようやく物語もクライマックスよ」




