6【L】毎食後にデザート付きってわけにはいかないけどね
「愛していますよ、シスター・リリィ」と神父は耳元で囁いた。
「嫌です」、リリィは神父の腕の中でもがいた。「離してください、神父様」
「それはできません。あなたは私のものです」
「そんな、神父様、どうされてしまったの?」
「お話ならベッドの上で聞きましょう。本当は、私はこれまでずっとあなたのことがほしかった」
「いや!」
その時、扉を五回激しく叩く音がした。
「神父様、緊急の要件があります!」、ドア向こうの救いの声はアイリスのものだった。
「ちっ」、神父は思わず舌打ちをした。それから扉に向かってどなった。「何ですか?」
「それは中で話させてください」
「後にしてください。今は取り込み中です」
「いいえ、失礼ですが中に入ります」
アイリスが部屋の扉を開けると、神父はとっさにリリィから手を離した。そして素早くテーブルの上のピストルを手に取った。アイリスもすでに扉の内側でリボルバーをかまえていた。二人は銃口を向けあって対峙した。
「やっと化けの皮が剥がれたわね。いつもの仏顔も台無しよ?」
神父は激昂のあまり、鋭い目つきでアイリスを睨んでいた。「育ててもらった恩を仇で返すか。この売女」
「どっちが?」とアイリスが反論した。「あんたがいつもいやらしい目つきでリリィを見てたのはお見通しだっての。だからあんたとリリィを二人きりにさせないようにしてたのに、ついに実力行使に出たってわけね。みんなの前では説法やご高説かましてるわりには、結局やってることはゴキブリと大して変わんないじゃない」
「俺を愚弄するか」、神父の怒りは頂点に達していた。
「リリィ、こっちへ来なさい」、アイリスが銃をかまえたまま、目線で合図を送る。
リリィは神父の元をすり抜けてアイリスの方に駆け寄った。「アイリス」
「あたしの後ろに隠れてなさい」
「うん」、リリィはアイリスの背に身を寄せた。
神父は気が狂ったように叫んだ。「おのれ!」
彼はピストルの引き金を引いた。号砲が鳴る。だが弾はあらぬ方向へ――天井に当たった。その手の内にあったピストルが、アイリスの放った弾丸によって、瞬時に弾かれたのだ。ピストルは床の上を転がり、神父は痛みによって手を押さえた。
「ばかね」とアイリスは言い放った。「こっちがどれだけ研鑽を積んでると思ってんのよ。あたしに銃を向けた時点であんたの死は確定よ」
神父は青ざめて両手を上げた。「助けてくれ」
「リリィを犯そうとしたのよ」、アイリスは冷静だった。「他にも罪を隠してるかもしれない。そんなあんたを野放しにはできない」
「せめて命だけは」、神父は命乞いをした。
「そうね」、アイリスは考えた。「あんたにぴったりの部屋があるわ」
三人は修道院の地下へと続く階段を下っていた。壁も階段も古い石造りだ。神父は先頭で両手を上げ、アイリスがその背中に銃を突きつける。その隣でリリィは懐中電灯を持って前方を照らしていた。
「まさか修道院の地下にこんな場所があるだなんて」とリリィは驚いたように言った。
「戦時中に作られた施設なのよ」とアイリスは答えた。「元はシェルターだったみたい。でも今では御覧の通り、すっかり廃れちゃったみたいだけどさ」、そこで神父に声をかける。「ほら、あんたはさっさと前に歩きなさい」
「足下がよく見えないんだ」と神父は弁解した。
「蹴落とすわよ?」
「わかった。ちゃんと歩く」
シェルターの一番奥に、その部屋はあった。拷問用の牢屋だ。
「おい、俺を拷問するつもりじゃないだろうな?」、神父は怯んだ。
「どうかしら?」、アイリスはせせら笑った。「それはあんた次第よ。とにかく持っている情報は全部吐き出させてもらうわ」
「こんな狭くて暗い場所に閉じ込めるつもりなのか?」
「だから生きて帰りたかったら、さっきも言ったとおり、何でも正直に話すことね。とりあえず今晩はここに泊まってもらうわよ」
「くそっ」
アイリスは神父を牢屋の中に入れ、扉を施錠した。そして神父のうめき声を背に、彼女たちはシェルターを引き返した。
会議室の円卓には四人のシスターが席についていた。シスター・アイリス、シスター・リリィ、シスター・ビオラ、シスター・パンジー。皆真剣な表情で円卓を取り囲んでいる。アイリスが事情を話すと、ビオラは怒りに打ち震え、パンジーは動揺を隠せない様子だった。
「そんな、まさか神父様が――」とパンジーが声を振り絞る。「お慕いしておりましたのに」
「全部あたしたちを欺くための演技だったのね」とビオラは怒り心頭に発した。「許せない」
「姉さん」とパンジーはビオラに言った。ビオラはパンジーの双子の姉なのだ。「私たちこれからどうしたらいいの? 子供たちは一体どうなるの?」
「わからないわよ」とビオラが憤然として言った。「でもどうにかやっていくしかないでしょ?」
「修道院は継続するわよ」、事情を話したあと、様子をうかがっていたアイリスが凛として口を挟んだ。「あたしがなんとかする」
すると他の三人が声を上げた。「できるの?」
「まあ、毎食後にデザート付きってわけにはいかないけどね」、アイリスは笑った。「これまでつましく暮らしてきたんだもの。修道院の経営自体はそれほど難しい問題じゃないわ」
「さすがアイリス」とビオラは胸を撫でおろすように言った。「最強の殺し屋タナトス」
アイリスは不服そうな顔をした。「その異名で呼ぶのはやめてくれる? ちっとも可愛くないから」
他の三人はやっと笑った。
「でも、ゴキブリ駆除はどうなるの?」とリリィがやっと口を開いた。
「何言ってんの?」、アイリスが涼やかに口の端を持ち上げた。「そのために神父をわざわざ生け捕りにして、地下牢にぶち込んだんじゃない。賭けだったけれど上手くいったわ。どんな手を講じてでも、情報は残らず奪い取る。みんな覚悟はいい?」
四人は顔を見合わせて、やがて決心したように頷いた。
朝のミサを終えると、子供たちは食堂に行って、パンとスープ(コッペパンにミネストローネ)を受け取り、席につく。全員が席に座ると、またみんなでお祈りをした。そしてお祈りを終えたら、やっと朝食にありついた。その中にシスターたちの姿もあった。リリィは小さな女の子にスープをスプーンで掬って飲ませてやっていた。馴れた手つきで。子供たちは全部で11人いて、みんな女の子だ。どの子も親のいない、または親に捨てられた、行き場のない孤児である。親の顔さえ覚えていない子供だっている。
「シスター・リリィ」と隣の席の女の子が言った。
「なあに?」
「神父様の姿がいないよ? どうしちゃったんだろう?」
リリィは動揺しないように答える。「神父様はね、離職されたのよ」
「リショク?」
「簡単に言うとね、どこか他所へ行っちゃたの」
「どうして?」
「どうしてかな? きっとお忙しいのよ」
「そうなんだ」、女の子は落ち込んだように肩を落とした。
「それより、ちゃんとご飯を食べなさい」、リリィは話を逸らした。「食べ物を粗末にしちゃだめよ」
「はあい」
そのあと礼拝堂にみんなが集められた。異様な空気を察してか、子供たちは怯えたような、心配そうな表情でぼそぼそと声を洩らしている。アイリスは一段高いところで、腰に手をあてて全員を見下ろしていた。
「静かに」とアイリスは言った。「もう気づいている子もいるでしょうけれども、神父様は修道院をお辞めになったわ」
それを聞いて子供たちのあいだでどよめきが起こる。
「聞いて。だからシスターたちのあいだで話あって、修道院はしばらくこのあたしが取りまとめることになりました。でもこれまでどおり生活は変わらないようにするつもりだから、だから安心してほしいの。みんなのことは、ここでの暮らしは、あたしが絶対に、命に代えても守ります」
息を呑んだあと、ひとりの女の子が叫んだ。「わかったよ。シスター・アイリス」
アイリスの曇りなき表情と宣言を前にして、子供たちも次第にその表情を和らげた。口々に彼女を讃える。
「ありがとう、みんな」、アイリスは毅然として礼を述べた。
解散すると、子供たちの世話はビオラとパンジーに任せて、リリィとアイリスは錠前でシェルターへと続く扉を開いた。情報を聞き出すために。中は湿っぽく、真っ暗だ。アイリスが懐中電灯を手に慎重に歩を確かめながら先導する。最奥を目指してゆっくり進んで行くと突き当たりになり、そこに昨晩神父を監禁しておいた拷問用の牢屋がある。
妙に嫌な臭いが鼻について、アイリスは口元を手で覆い隠しながら牢屋の中に懐中電灯を向けた。そして思わず声を上げた。
「なんなのよ、これ?」
牢屋の中には朽ち果ててミイラと化した神父が壁に背を向けて、座り込んでいた。蠅や蛆が、不吉にたかっている。
シスターはなるべく綺麗な言葉使いをするように教育されてます。皆同じような話し方なのはそのため。