2【Ⅼ】なんて惨いことをするんだろう
〈システム・サクラメントにおいて全プレイヤーに「デス・ペナルティ」が発動しました。もしゲーム内でアバターが死亡した場合、アカウントは消滅します〉
〈システム・サクラメント〉内のその表示を見て、リリィは愕然とした。
デス・ペナルティ? ゲーム内でアバターが死亡した場合はアカウント消滅? なんて惨いことをするんだろう。アカウントが消滅してしまったら、暗殺の依頼を受けられなくなる。何よりもシャノワールさんと連絡が取れない。メンテナンスはこのためにあったのだろうか? だとしたら本当に噂どおりの糞ゲーじゃない。そう思っているとシャノワールからDMが届いていた。
〈会えませんか?〉
その率直且つ端的な誘いにリリィはどぎまぎした。会えませんか? もしやこれは告白されるやつでは? リリィははやる気持ちを抑えてキーボードを叩いた。
〈私も会いたいです〉
動揺してとんでもないメッセージを送ってしまった。まるでこれじゃこっちこそ愛の告白だ。リリィは椅子の上でクッションを胸に抱えて悶え苦しんだ。するとすぐにシャノワールからDMが届く。
シャノワール『今大丈夫ですか?』
5秒後。
ゴースト『大丈夫です』
シャノワール『ならナインス・シティーにあるバー〈アシッド・フード〉に来てください。奥の個室にいます。くれぐれも背後にはお気をつけて』
〈アシッド・フード〉はナインス・シティーの入り組んだ裏通りの奥にあった。外観は店名が書いてあるだけで、一見だとなんの店なのかまったくわからない。街中なのに来る途中2度、プレイヤーの断末魔の叫びが聴こえた。不穏な気配がする——いったい何が持ち上がっているのだろう?
意を決してゴーストは〈アシッド・フード〉の中に入った。中はレッド・ガーランドがかかり、間接照明に照らされたこぢんまりとした空間で、バーカウンターでは客が2人で話し込んでいる。店主はがっしりとした大柄な中年で、頭の上には「パンク」と名前が表記されている様子からして、どうやらプレイヤーと見える。パンクはこちらに気がつくと、グラスをクロスで吹きながら「いらっしゃい」と言った。
ゴースト「あの、シャノワールさんはいらっしゃいませんか?」
パンク「ああ、あんたが例の——ついてきな」
ゴーストはパンクの後をついて、店の奥の通路のさらに突き当りの部屋にとおされた。部屋の中では赤い髪をポニーテイルに結んで黒いドレスを着た女の子が、ソファに座って淡い黄色のカクテルを飲んでいた。シャノワールだ。こうやってひとりでカクテルグラスを傾けていると、どことなく物憂げに見える。
ゴースト「シャノワールさん、こんばんは」
シャノワール「ゴーストさん、こんばんは。まあお掛けください」
ゴーストは緊張しながら向かいのソファに腰掛けた。
ゴースト「こういう場所にはよく来るんですか?」
シャノワール「たまにね」
パンク「ドリンクは何にする?」
ゴースト「シャノワールさんは何を呑んでいるんですか?」
シャノワール「ギムレット」
ゴースト「じゃあ同じものを——」
パンク「あいよ」
パンクは部屋から立ち去った。
ゴースト「あの——ゲームでお酒を呑んでも酔ったりするんですか?」
シャノワール「もちろん酔わないですよ」
ゴースト「じゃあ呑む必要あるんですか?」
シャノワール「場所代ですよ。サービスしてもらっているのにお金を払わないわけにはいかない。まあ、個室も貸してもらっているし、投げ銭みたいなものかな。それにここなら安全に話ができますからね。なにせパンクさんは元ランカーだから他の客に迷惑をかけるやつは簡単に追い出してしまう。ちなみに賃料を払えばパンクさんのようにプレイヤーでも店を持てますよ」
パンクがギムレットを持って部屋に現れ、テーブルに置くと「ごゆっくり」と言って去っていった。
シャノワール「とりあえず乾杯しましょう」
ゴースト「はい」
二人は乾杯をした。
シャノワール「もしかしたらもうお気づきかもしれませんが、『デス・ペナルティ』の影響でPKが横行しています」
ゴースト「PKとはなんでしょうか?」
シャノワール「プレイヤー・キリングの略です。つまり他のプレイヤーを殺してアカウントを消滅させる輩が現れだしたのです。『デス・ペナルティ』のおかげで報復もされません。だから背後にお気をつけてくださいと言ったのです」
ゴースト「そういえばここに来るまでにプレイヤーが死ぬときに発する叫び声を2度聞きました」
シャノワール「そういうことです」
ゴースト「これは運営の意図なんでしょうか? いったいなんの得が——」
シャノワール「いや、おそらくバグです。この前のような」
ゴースト「バグ?」
シャノワール「ここから先は機密事項なのですが、僕は運営と繋がりを持っています。バグを発生させているのはたぶん『オメガ』というAIです。だから1か月で『オメガ』を排除できなければ、運営は〈システム・サクラメント〉のサービスを終了すると言っています」
ゴースト「そ、そんな——」
ゲームのサービスが終了すれば、シャノワールさんともこうして会ったり、連絡を取ったりできなくなるかもしれない。
ゴースト「何か私にできることはないですか?」
シャノワール「もちろん、そのために呼び出しましたからね。ここからは相談なんですが、僕と一緒に高難度ミッションを制覇してほしいのです」
ゴースト「でも『デス・ペナルティ』がありますよね。高難度ミッションを1度も死なずに攻略できるものなのでしょうか?」
シャノワール「わかりません。でも1か月以内に『オメガ』を消滅させられなければ、運営はサービスを停止してしまいます。『オメガ』はなぜか〈システム・サクラメント〉の完全攻略の阻止に執着していて、そのためにあの手この手を打ってきています。高難度ミッションの制覇は『オメガ』を撃滅するための鍵なんです。あくまでも憶測の話ですが——」
ゴーストは手もとをじっと見つめていた。そしてしばらくすると顔を上げた。
ゴースト「少し考えさせてください」
リリィはパソコンを閉じると、ベッドに仰向けになった。これからいったいどうなるんだろう? シャノワールは快く「じっくり考えてください」と送りだしてくれた。「ただ期限は3日です。こちらとしてもそれ以上は手をこまねいているわけにもいかない。3日経てば僕は独りでも高難度ミッションに挑みます」
3日か——それまでに答えを出さなくちゃいけない。うかうかしていたらシャノワールさんは独りでも死地に赴いてしまう。とりあえず寝支度をして、起きたらアイリスに報告しよう。
「——なるほどね」
アイリスとリリィはアイリスの部屋で熱いほうじ茶を飲みながら、皿に載せたごませんべいをばりばりと嚙み砕いていた——リリィは〈システム・サクラメント〉で起きたことを話しながら。
「それでアイリスの意見が訊きたいのよ」
「そんなの迷う必要なんてないでしょ?」とアイリスはあっさり言った。
「どうして?」
「どうせ死んだところで1か月後には〈システム・サクラメント〉のサービスが終了するんだから、それを阻止することに尽力すべきじゃない?」
「たしかに」、リリィは拳をあごに当てて考える。「それもそうよね」
「そもそもアカウントが消滅したら、また1からアカウントは作れないの?」
「たぶん作れるけれど、1か月で高難度ミッションまで辿り着くのは不可能だと思う。それにお金だってかかるわ」
「まあ、そうよね」、アイリスはゆっくりと虚空を見つめた。「それができたら妨害してくる意味もないものね。他のプレイヤーは1か月でサービス終了するかもしれないことは知らないのよね? それを皆に知らせたら、けっこう仲間も増えるんじゃない?」
「サービス終了の話は機密だって」
「なるほど。だいたい他人に話したところで信じてくれるかもわからないし、他の人が高難度ミッションに挑戦できるだけミッションをクリアしているかもわからないしね」
「うん」、リリィはうつむいた。
「ま、なんかあったら責任はあたしが取るから、やりたいようにやんなさいな」、アイリスは満面の笑みで言った。
アイリスに背中を押され、ひるんでいたリリィはやっとやる気がでた。なんとしても〈システム・サクラメント〉の高難度ミッションを制覇するんだ——シャノワールさんと一緒に。自室に戻るとゲーミングパソコンを起動する。そして〈システム・サクラメント〉にログインした。
さっそくシャノワールにDMを送る。
〈シャノワールさん、こんばんは。高難度ミッションの制覇の件、是非ともお供させてください〉
そのとき、背後から何者かによる銃撃があり、彼女のアバターは撃ち抜かれた。瞬時に体力ゲージが0になる。PKだ。油断した。
彼女はその場にゆっくりとくずおれた。
ゴースト(もう——私を酔わせてどうするつもり?)
シャノワール(やはりこのアバターにはカクテルがよく似合う)




