1【K】心の聲に従うんだ
「だ、だから、今月中に『オメガ』を、排除できなければ、えっと、残念ですが〈システム・サクラメント〉は、サービスを終了しようと思っています」とナキリナキは決意に充ちた目つきでそう言った。
「サービス——終了ですか」とKは言葉を切りながら言った。「何か私に手伝えることはありませんか?」
「な、ないことは、ありません。ただ、非常に困難なことですし、ぶ、部外者にこれ以上ご迷惑をおかけするわけには——」、ナキリナキは口ごもった。
Kは断言した。「かまいません。是非手伝わせてください」
ナキリナキは困惑した様子でメイを見た。メイはそれに優しくうなずいて微笑んだ。
「で、でしたら、その、〈システム・サクラメント〉の高難度ミッションを制覇してください」
「高難度ミッションを——ですか?」
「そ、そうです」、ナキリナキはうなずいた。「さ、さっきも述べたとおり、その、おそらく『オメガ』の狙いは、ゲームの完全攻略を阻止することです。き、きっと、そこに執着するだけの理由があるはずなんです」
バイパーが頭をかきながら口を挟んだ。「あの、よくわからないんですが、今はメンテナンス中なんですよね? 完全攻略といってもゲームのプレイができないんじゃ——」
メイがそれに答えた。「メンテナンスはしていますが、メンテナンス作業を継続しつつ、ゲームをプレイできるようにすること自体は可能です」
「そうなんですね」
「ただ、このような事態は初めてなので、何が起こるか予測がつきません」
「覚悟はできています」とKは言った。「大事な仕事ですし——それに乗りかかった船です」
「わ、わかりました。さ、さっそく今晩には〈システム・サクラメント〉にログインできるようにしておきます」
「よろしくお願いします」、Kは頭を下げた。「あと、気になる点があるのですが——」
「な、なんでしょうか?」
Kは手を組み、「ツクヨミ」というプレイヤーについて話した。なるべくゆっくり、事細かに。もちろん自身に懸賞金が懸けられていることも。そのあいだナキリナキとメイは黙って話を聞いていた。
「ツ、『ツクヨミ』というプレイヤーのことはすぐに調査してみます。な、何かわかり次第、お姉ちゃんに連絡します。そのときは情報が盗まれないようにまた来てください。その、それでいいですね?」
「もちろん」とKは言った。「助かります」
帰りの車はバイパーが運転した。帰り際メイに「もっとゆっくりしていってください」と引き留められたが、Kは「むやみに居座るとお仕事の邪魔になるので」と断った。空はどんよりと曇っていて、雲が強引に太陽を覆い隠していた。空気は湿っぽく、一雨来そうな具合だった。
「先輩、腹減りましたね」
まったく、バイパーと話していると飯の話ばかりだな、とKは思う。よく傭兵がやれていたもんだ。
「我慢しろ。追手は来ていないが油断するな。街に着いたらいくらでも奢ってやるから」
「べつに奢ってもらいたいわけじゃないですよ。自分の分は自分で支払います」
「殊勝なことだな」
そのあとバイパーは少し不服そうに顔をしかめた。
「ところで水臭いじゃないですか、先輩? 〈システム・サクラメント〉のこと、どうしてバディの僕にも黙っていたんですか?」
バイパーの言い分ももっともだが、それでもKは端的に、突き放すように言った。
「〈システム〉の機密事項だからだ」
それを聞いてバイパーは言葉を詰まらせた。
「これ以上俺から話せることはないよ。納得いかないなら司令に直訴することだな」
バイパーは返す言葉もなく、諦めてハンドルを握り続けた。
街に帰ると、彼らはさっそく管理者Ⅹの元に行った。報告を聞きながら、腕を組み、神妙な面持ちをしている。Kが話し終えると彼女は難しい顔をした。
「まあ、大体わかったわ。ご苦労さん」、彼女はそう言うと奥の執務室に引っ込んだ。
街の上空を薄い雲が覆い、細かい雨が降るころ、昏睡状態にあったハンター・ウルフが目を覚ました。
「あ、あう——」
しかしまだ意識が朦朧としているのか、はっきりとした言葉は口にしない。ウルフは〈システム〉の地下2階の医務室で、医療スタッフによって手厚く看病されていた。この調子だと、ハンターへの復帰は困難だろう。デジタル家畜になれる見込みもなさそうだ。
知らせを聞いて、管理者Ⅹやハンターたちが医務室に集まってくる。駆けつけた管理者Ⅹはウルフの手を両手で優しく握った。
「無理させたな。あとのことはうちらに任しとき。とりあえずゆっくり休めばええんやで」
すると声が届いたのかどうか、ウルフは安心したように眠った。
Kが自宅に帰ると〈システム・サクラメント〉は依然メンテナンス中だった。
彼はゲーミングパソコンの蓋を閉じ、夕食の支度に取りかかった。その前に包丁を研ぐ。砥石を水で濡らし、両手でせっせと包丁の刃先を鋭くさせた。包丁を研いでいると無心になれる。こういう落ち着かないときにこそ、精神統一になる作業を彼は欲していた。包丁もそこまで高価なものじゃない。研ぎ終わるとトマトを試し切りしてみる。刃先がスッと入り、満足のいく切れ味だった。
夕食の席でアウルが言った。
「ウルフさん、意識が戻ったって聞きましたけど、大丈夫なんですか?」
「いや、たぶん厳しいだろうな。まともに話せる状態でもないし、司令も――表情にこそ出さないものの――相当責任を感じていらっしゃる」、Kはホッケの開きをひとつまみ箸で取った。
「そうですか」、アウルは肩を落としながらトマトと卵の味噌汁を飲んだ。
「仮にもウルフも一人前のハンターだからな」とKは言った。「本人も覚悟しているだろうさ」
「それでも、簡単には割り切れないですよ」
「いいか、アウル」、Kはアウルの顔をまっすぐに見た。「今後、俺の身に何かあっても同情は不要だ。それでもハンターになりたいのならば、それこそ自分の使命をまっとうしてくれ」
「使命ですか?」
「そうだ」
「僕の使命ってなんなんでしょうか?」
「それは自分で見つけることだよ。心の聲に従うんだ」
「よくわからないですけど」とアウルは言った。「肝に銘じます」
「ああ」、Kは笑った。「銘じてくれ」
アウルが就寝するとKは自室にてゲーミングパソコンを開いた。起動するまでのあいだ爪を切る。ナキリナキが言うには今晩には〈システム・サクラメント〉をプレイできるらしい。だが、〈システム・サクラメント〉は未だメンテナンス中だった。
久々に酒が吞みたかった。煙草も吸いたかった。しかし、〈システム〉においては、飲酒も喫煙もご法度だ。仕方なく深呼吸をして、リビングに行き、鍋でホットミルクを作ることにした。
ホットミルクを飲みながら、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読み、時間が経つのを待つ。本を読んでいると少しうとうとした。彼は本を閉じ、椅子に座ったまま目を閉じた。
夢を見る——
アウルが成人してハンターとして立派に任務をこなしている日々だ。身長も伸び、がっしりとして、随分と見違えるようにタフな青年になっている。現場の指揮は彼が取り、皆がそれに従っている。ただ自分はそこにはいない。自分だけはそこにいない。
目が覚めると〈システム・サクラメント〉のメンテナンス作業は終了していた。さっそくログインする。ログインするとパソコンの画面中央に不気味な文字が浮かび上がった。
〈システム・サクラメントにおいて全プレイヤーに「デス・ペナルティ」が発動しました。もしゲーム内でアバターが死亡した場合、アカウントは消滅します〉
彼は呆気に取られて茫然自失した。
管理者Ⅹ「うちへのお土産はどうした? ほら?」
K(用意してないなんて言えない……)




