10【Ⅼ】太陽のような笑顔を守り育むこと
会議の席でパンジーが言った。
「修道院のホームページの試作品ができました」
嬉しそうに両手を重ね合わせ、にっこりとしている。
「思ったより早かったわね」
「猛勉強しました」
ノートパソコンを見ると、色鮮やかな写真と共に〈さんさん修道院〉と表記されている。
「さんさん修道院?」、とアイリスが尋ねる。「うちってそんな名前だったの?」
パンジーが微笑んだ。「うちの修道院には名前がないので、便宜的に命名しました。異論があれば変更します」
「まあ、いいわ。もっと見せて」
ホーム画面には粛然とした礼拝堂の奥にひとり佇んで祈りを捧げる修道女の後ろ姿があった。
「これはリリィね。よく撮れてるじゃない」
「やめて。恥ずかしいわ」、リリィはどぎまぎと困惑した。
「何よ。画になってんじゃない」とビオラが横から言う。
「画面を下に進んでください」とパンジーが指示した。
顔が映らないように子供たちの写真がたくさん貼り付けてある。日差しを受けて、じゃれあうその姿は、いかにも健康的だ。すると画面中央に文字が浮かんでくる。
〈我々さんさん修道院は子どもたちの太陽のような笑顔を守り育むことに務めています〉
「本格的」、ビオラが口笛を吹いた。
「こちらには修道女の生活を記載しています」、パンジーが〈修道院での生活〉という表示を指さした。
マウスでクリックするとシスターたちが落ち葉を拾っている写真が目に飛び込んでくる。
「ミレーだっけ? その〈落穂拾い〉を模した写真ね」とアイリスが言った。
「そのとおりです」
パソコンの画面には修道院での生活のスケジュールが円グラフでわかりやすく絵で記載されていた。
「この絵はパンジーが描いたの?」
「描きました」、パンジーはうなずいた。「多少、絵心はあるので」、そのあと画面の右上を指さした。「最後にこちらを見てください。〈ご案内〉というところです」
言われたとおり〈ご案内〉というページを見ると、修道院の住所と電話番号が記載されていた。その下には「ご支援のお願い」と書いてある。
〈子どもたちのための基金の設置についてご支援を〉
文字のバックには手を繋いで歩くトウカとイチカの後ろ姿が映っている。
「以上になります」、パンジーがかしこまってお辞儀をした。「何か問題があれば、いくらでもご指摘ください」
「——と言っても」、アイリスが腕を組んで椅子の背もたれにもたれた。「とくに問題もなさそうだし、いいんじゃない?」
「本当ですか?」、パンジーは拳を重ね合わせた。
「うん、むしろよくできてるわ」
リリィとビオラも異論はなかったので、彼女たちもうんうんとうなずいた。
「じゃあ、あとでさっそくアップしますね」
「よろしく」
午後、ビオラがクッキーを焼いて皆にふるまった。意外に家庭的なのだ。食堂のテーブルには子供たちが群がり、それを嬉しそうに食べる。その様子を見て、ビオラはいたく満足げだった。
「たくさん焼いたから、遠慮しなくてもいいわよ」
リリィもひとくち食べる。食感が軽く、優しい甘さが鼻を抜ける。お店で売っていてもおかしくない出来栄えだ。自室にて仕事をしているアイリスにも持って行ってあげようと思い、いくらか皿に載せてもらう。
「お口に召した?」、ビオラが満面の笑みで尋ねる。
「ええ、とっても」、リリィは賛辞の言葉を述べた。
「イチカはどう?」
横でイチカはクッキーを頬張りながらにっこりとした。「おいちい」
その様子にリリィとビオラは思わずほっこりとした。
「とりあえず私はクッキーをアイリスに届けてあげるわね。ありがとう、ビオラ」
「どういたしまして」、ビオラは笑った。
クッキーを持ってアイリスに会いに行く。部屋に入ると、アイリスは導入したパソコンと格闘中だった。アイリスはリリィに気がつくと「ちょっと待ってて、年末調整で忙しくて」と言った。リリィは黙ってうなずいた。
彼女は皿をテーブルの上に置くと、調理スタッフの女性に分けてもらったレモンの表面を水道水で入念に洗った。紅茶を淹れ、輪切りにしたレモンをティーカップに浮かべる。ティーカップを二つテーブルに置くとアイリスが言った。
「いい香り」
「ちょっと休んだら?」
「そうね」
彼女らはテーブルに向かい合ってレモンティーを飲んだ。例によってアイリスはレモンティーに砂糖をがばがばと入れた。反対にリリィは砂糖を入れない。そうして二人はビオラの焼いたクッキーを食べながら話をした。
「ところで妊娠の経過はどう?」とアイリスが尋ねた。
「経過も何も——」とリリィは答える。「まだ妊娠一か月目よ」
「それもそうか」、アイリスは椅子の背もたれにもたれる。
「それより経営の方はどうなのよ?」
「経営ねえ」、アイリスは頭の後ろに手を組んで身をのけ反らせた。「正直、事務仕事ばっかりでやんなっちゃう。あの元ハゲ神父、書類を雑に扱いすぎ」
「何か私に手伝えることはない?」
「ありがと。でも大丈夫よ。自分から申し出たことだから、ちゃんと責任を持って自分でやり遂げたいの。それに妊婦さんに無理をさせるわけにはいかない」
「そう」、リリィは心配そうにうなずいた。
「ああ、どこか遊び行きたいなあ」
「今は駄目よ。〈ウロボロス〉の件が解決するまでは」
「わあってるって」、アイリスは天井を見上げた。「あとでトレーニングルームでも行って、汗でも流すかなあ。多少はすっきりするかも」
「うん、それがいいわ」
大部屋にはやや古びたオーディオデッキが置いてある。ミナとアイサとカホの3人は、それを使ってリリィから借りたCDを、暇があれば熱心に聴いていた。
——あなたにとってピアノとはなんですか?
(ミナ)なんだろう? 考えたことないなあ。でもやっぱり楽しいものかな。ほら、音楽って「音を楽しむ」って書くでしょう? だったら、やっぱり楽しまなきゃ。
(アイサ)日常に彩りを与えてくれるものなの。もちろん練習が辛いときもあるけれど、ピアノを始めてから、毎日が以前よりも充実しているの。だからがんばれるの。
(カホ)何かしらね? でも答えがないからこそ、日々探求したくなるんじゃないかしら?
——あなたにとって特別な曲はなんですか?
(ミナ)なんだろう? ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」かな。とても力強くて、それでいて哀愁のある曲だから。あとブラームスのピアノ協奏曲第2番も好きだな。
(アイサ)ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビィ」なの。ジャズの大定番らしいけれど、音の粒一つひとつが繊細で、旋律がとても美しいの。とくに冒頭の「マイ・フーリッシュ・ハート」のイントロは息を呑むほど美しいの。
(カホ)とくにないわ。歴史的名盤はそれぞれに素晴らしくて、甲乙つけがたいから。何かひとつは私には選べない。何よ、文句ある?
その夜、リリィがシャワーを浴び終えて自室に向かって廊下を歩いていると、トレーニングルームの明かりが点いていた。誰か電気を消し忘れたのかな? 彼女はそう思いトレーニングルームのドアを開けた。中ではアイリスがひとりで真剣にランニングマシンの上で走っていた。溢れ出る汗を肩にかけたタオルでぬぐいながら前方を注視している。ランニングウェアに着替えていたアイリスの身体からはかすかに湯気が立ち昇っていた。その姿にリリィはしばらく見とれた。するとアイリスが背を向けたまま声をかけてきた。
「何突っ立ってんのよ? どうかした?」
「いや、誰もいないと思って、電気を消そうと」
「片付けならやっとくから、あと10分走らせて」
「どれくらい走っているの?」
アイリスは左手のランニングウォッチを見た。「1時間20分」
「そんなに?」、リリィは聞き返す。「ほどほどにしないと足を壊すわよ?」
「ちゃんとほどほどよ。時速12キロメートルで走ってるから」
リリィは驚いた。「それでも遅くはないわ」
「走ったあとはちゃんとクールダウンするから、大丈夫よ。あんたこそ身重なんだからゆっくり休みなさい」
「無理しないようにね」
「オーケー」
彼女はトレーニングルームを後にした。そして〈システム・サクラメント〉は相変わらずメンテナンス中だった。
アイリス「くー、筋肉が損傷すると気持ちいい」
ビオラ「ドMだ」
パンジー「むしろドSでしょ?」
リリィ「アイリスはやることが極端なのよ」




