9【K】だからそれを見極めに行くんだ
〈システム・サクラメント〉が緊急メンテナンスを実施した。これではシャノワールはゴーストと連絡を取れない——何しろお互い殆ど個人情報を知らないのだから。
翌朝彼は管理者Ⅹに事の成り行きを報告しに行った。〈システム〉本部に行き、エレベーターで地下に降りる。司令室のドアを開けると、彼女は待ちかねたように椅子に座って入口に顔を向けていた。
「単刀直入に言います」とKは冷静に言った。「〈システム・サクラメント〉内でバグが確認されました」
「やっぱりそうか」と管理者Ⅹは重苦しい雰囲気で言った。「妹からも連絡来とる。今メンテナンス作業に追われとるらしい」
「どれくらいで復旧しますか?」
「わからん」
「正直俺が目にしたものはバグというには大掛かりすぎました。まるで我々をゲームから追い出そうとしているような」
それを聞いて管理者Ⅹはしばらく口もとを手で押さえた。そして言った。
「あんた、ひとつ『おつかい』頼まれてくれへんか?」
「『おつかい』ですか?」
「そうや。『猫の使い』や」、彼女は意味深長に笑った。
冷たい風の吹きすさぶ中、Kは居住区に行き、バイパーの部屋のチャイムを鳴らす。バイパーはすぐに応答した。
「はい」
「バイパー、俺だ」
「先輩、どうしたんですか?」
「今から東京に行く。一緒に来てくれ」
バイパーは即答した。「すぐに支度します」
ジープの運転はKがした。バイパーは助手席で前方を見据えている。樹海を走っているあいだ、前方ではアウルとゴートを乗せたジープが先導してくれた。樹海は相変わらず樹々が生い茂り、自然の迷宮のようだった。
「一体どういった用件で東京に?」
「チェリーブロッサム社さんのシステムに不具合が生じた。すぐにでも真相を確かめたい。何かよからぬ事態が持ち上がっているのかもしれない」
バイパーは唇に拳を当てた。「それは心配ですね。何か策でもあるんですか?」
「だからそれを見極めに行くんだ」
「了解」
樹海の出口に到着するとアウルとゴートが車から降りてきた。Kたちも車から降りる。
「夕方には戻る」とKは言った。
「承知した」とゴートはあごひげをさすりながら言った。
「Kさん、バイパーさん、どうかご無事で」とアウルは祈るように言った。
「心配ないさ」、バイパーはアウルの頭をなでた。
二人と別れると、Kとバイパーはジープに乗り込み、Kは河口湖のインターチェンジを目指してアクセルを踏んだ。高速道路に乗ると、一目散に東京を目指す。約1時間20分かけて東京の千代田区に入ると、神田橋のインターチェンジを降り、チェリーブロッサム社の近くのコインパーキングに停車した。ジープを降りるとバイパーはうんと背伸びした。
「意外と早かったですね」
「法定速度ギリギリまで飛ばしたからな」
Kは腕時計を見る。時刻は午前10時前だった。
「いい頃合いだ。さっそく行くぞ」
「はい」
入口からチェリーブロッサム社のロビーに入り、奥の受付カウンターに行くと知らない女の子二人が上品な笑みを浮かべてカウンターの向こうに座っていた。そのひとりに声をかける。
「『猫の使い』で来ました」
対面している女の子が一瞬神妙な面持ちになった。すぐに笑顔を取り戻す。
「すぐに連絡いたしますので、横のソファにお掛けになってお待ちください」
Kとバイパーは壁際のソファに並んで座った。受付カウンターの向こうではさっきの女の子が受話器を片手に小声で話している。ロビーは広く、彼らの他には来客者の姿はなかった。ありがたいことに暖房がきいていたので、彼らはコートを脱いで、膝に抱えた。しばらくすると通路の奥から、女の子が歩いてくる。オオクボ・メイ・ミスズだ。黒いタートルネックのセーターの上に灰色のスーツを着ている。胸もとには細いシルバーのネックレスがきらめいていた。そしてパンプスの足音を小気味よく響かせていた。
Kは立ち上がった。
「メイさん、おひさしぶりです」
メイは洗練された笑みを口もとに浮かべた。
「Kさん、バイパーさん、おひさしぶりです。大変お待たせいたしました。応接室にご案内いたします」
エレベーターで最上階に昇ると、以前と同じ部屋に通された。メイは煎茶を淹れ、Kとバイパーの座っているソファの前のテーブルにそれを差し出す。
「粗茶ですが」
「お気遣いありがとうございます」
「恐縮です」、盆を抱えてにっこりと笑う。
その様子をナキリナキは入口の壁の陰から顔を出してじっと凝視していた。白いハイネックのニットに白いスカートを着ている。Kはそれに気づき、思わず立ち上がった。
「ナキリナキさん」
メイも振り返る。「あら、ナキさま、いらっしゃったのですね?」
ナキリナキは壁の陰に隠れたまま、メイを手招きし、近づいてきた彼女に耳打ちをした。そしてメイはKたちを見た。
「ようこそおいでくださいました、とおっしゃっております」
そのあとナキリナキはおずおずと歩いてKの向かいのソファにちょこんと腰掛けた。メイもその隣に座る。
Kは言った。「ナキリナキさん。あなたにいただいたブローニング・ハイパワーのおかげで、このあいだ命拾いしました。〈ウロボロス〉の最高幹部に左胸を銃で撃たれたのですが、ジャケットの内ポケットに入れていたブローニング・ハイパワーがそれを防いでくれたのです。ありがとう」
ナキリナキはそれを聞いてメイに耳打ちする。
メイは言った。「あれは特別な銃なのです。肌身離さず持っていてください」
「そうします」、Kはうなずいた。「ところで、御社の〈システム・サクラメント〉でバグを発見しました。なぜバグが起きているのかご説明いただけないでしょうか?」
またナキリナキはメイに耳打ちした。メイが代わりに答えた。
「不測の事態でしたのでそれはこちらでも調査中です。ただバグはどこかから紛れ込んだ『AI』の仕業である可能性が高いです。おそらくは前回のメンテナンス時に紛れ込んだものでしょう。失礼ですがKさんはどこまでゲームを進められたのですか?」
「高難度ミッション、難易度16〈強欲〉のミッションまでです」
ナキリナキはメイに耳打ちする。
「まあ、すごい。ですがおそらくバグはゲームの完全攻略を阻んでいる可能性が高いです。そこまでゲームを攻略している方は他におられませんし」
「なるほど」とKは言って試案した。
バイパーが前かがみに言った。「話が見えないんですが、バグだけ排除したらいいんじゃないですか?」
「さっきも申し上げたとおり」とメイは切り出した。「バグではなく『AI』なのです。たとえばAI将棋を見たことはおありですか? どれだけ実力が備わっていても今や『AI』を相手取るのは人間にとって苦難です。大量のデータセットの処理、データ内のパターンや関連性の発見、明確な目的への最適化、予測など人知を超える働きかけなどが『AI』には可能です。私どもでも対応はしておりますが、日本屈指の技術者であるナキさまにおいても勝率は五分五分です」
「不躾な質問をしてすみません」、バイパーは頭をかいた。「無学なもので」
「いえ」、メイはにっこり微笑んだ。
「他に打開策はないのでしょうか?」とKは尋ねた。
ナキリナキがメイに耳打ちする。
「それも含めて現在調査中ですがゲームの完全攻略がなされればあるいは」
「完全攻略ですか」、Kは考えた。「私以外にバグに呑み込まれた人はいるのですか?」
「全プレイヤーがバグに呑み込まれて、ログインできなくなりました」
「〈システム・サクラメント〉の復旧の見込みはあるのでしょうか?」
そこでナキリナキがもじもじと口を開いた。
「ふ、復旧の見込みは、ありません。あの、相手の実態は、み、未知数です。そ、存在自体が摑めないのです」
「存在自体が摑めない?」
「だ、だから、私たちはその存在を、その、便宜的に〈オメガ〉と命名しました」
「〈オメガ〉」、ふとKは以前にゴーストさんとチャットした「ツクヨミ」というプレイヤーの名前を思い出す。自分に懸賞金をかけているという——。〈オメガ〉と何か関係があったりするのかもしれない。
ナキリナキはKの瞳をまっすぐに見つめた。
「だ、だから、今月中に『オメガ』を、排除できなければ、えっと、残念ですが〈システム・サクラメント〉は、サービスを終了しようと思っています」
バイパー「システム・サクラメント?(置いてけぼり感)」
K(仕方ないな)




