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システム・サクラメント  作者: Kesuyu
第5部 激突と処女懐胎
44/71

4【Ⅼ】あるいはそうかもしれない




 リリィが妊娠した。そのことは当面シスターたちのあいだだけの秘密となった。たぶん子供たちに打ち明けたら皆びっくりして、年長者は色々と勘繰り、噂話になるかもしれない。リリィには少しでも安らかに、平穏に過ごしてほしいということが、シスターたちの総意だった。


「肉寿司が食べたい」

 リリィがわがままを言うのは稀有なことなので、その発言にシスターたちは殊の他驚いた。ビオラは最初、何言ってんのよ、そんな贅沢許されないし、仕事に穴を空けたらあたしたちの負担が増えるじゃない、と抗議した。パンジーは思考が定まらずずっと黙っていた。アイリスは、妊婦にしかわからないこともきっとあるのよ、と笑顔で承認した。

「今晩はリリィと外食してくる」とアイリスは言った。

「いいの?」、リリィは目を輝かせた。

「もちろん」

「ちょっと待ってよ」とビオラが食い下がった。「二人だけずるい」

 アイリスはビオラに近づいて耳打ちした。「チップ、弾むわよ」

「行ってらっしゃい」とビオラは元気いっぱいに手を振った。

 パンジーは諦めたようにただ首肯した。


 夕方のピアノのレッスンを終えると、リリィは自室にて私服に着替えた。白いタートルネックのセーターの上にテーラードジャケットを羽織る。腰から下にはグレンチェックのフレアスカートを穿いている。着替えるといつもより幾分大人びて見えた。

 迎えに来たアイリスは白いボタンダウンシャツに、プレッピースタイルの緑色のⅤネックセーター、その下は丈の短いダークブラウンのプリーツスカートという恰好だった。その初々しい見た目は高校生だと言っても通りそうだ。

「ずいぶんと可愛い恰好じゃない?」、リリィは微笑した。「その恰好でお寿司屋さんに行くつもり?」

「行きつけがあんのよ」とアイリスが言った。「まあ、半年に一回顔出すくらいだけれど。これくらいは大目に見てくれるわ」

 彼女らは電車に乗って銀座に向かった。アイリスに連れられる中、リリィは言った。

「銀座?」

「そ。ちょっと値は張るけれど、どれもネタが新鮮で美味しいわよ」、アイリスは得意げに言う。

 これまでリリィは殆ど銀座に行ったことがなかった。どうにも敷居が高く感じられて尻込みするからだ。それも銀座のお寿司屋さんだなんて——。一見さんお断りだとか、色々と細かいこだわりがありそうだ。店主が頑固で怖い人だったらどうしよう? 彼女は自己暗示をかけた。銀座なんて何度も来たことがある。なんてことはない、そこはもう自分の庭のようなものだ。

「あ、ここここ」、アイリスが立ち止まって指差した。指差した先は人目を忍ぶようにひっそりと佇む雑居ビルだった。「ここの四階」

 絶対、隠れ家的なところだ、とリリィは怖気づき、さきほど自身にかけた自己暗示も儚くも脆く崩れ去った。

 ビルに入りエレベーターに乗って四階に向かう。四階でエレベーターのドアが開くとアイリスはすたすたと前を歩いて行き、通路の奥の重厚な扉を押した。店には看板すらなく、外からはなんの店かはわからない。中に入ると間接照明の下、マイルス・デイヴィスの「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」がかかっていた。

「大将やってる?」、アイリスは機嫌よくカウンターの向こうのすし職人に言った。

「おや、お嬢ちゃんか」と大将は言った。「いつぶりかねえ」

「約5か月ぶりね」

「まま、よく来たね。今、店を開けたところだよ。どこでも好きな席に座ってよ」

 客席はカウンターのみだった。全部で8席ある。その中央の座席にアイリスが座るとリリィもおずおずとその隣に腰かけた。

 さっそくアイリスが注文をする。「とりあえずノンアルコールのシャンパン。ボトルでね」

「あいよ」

 アイリスはリリィに声をかける。「なんでも好きなもの頼んでいいわよ。妊娠祝い」

「でも——」とリリィは遠慮がちに言う。

「今のうちに食べとかないと、今後出産まですぐに生ものは控えなくちゃならなくなるわよ。これでも結構貯蓄はしてるから、お金のことなら気にしないで」

「わかった」、リリィは頷いた。

 すぐにシャンパンのボトルがカウンターに置かれた。二人はそれをシャンパングラスに注いでもらい乾杯をする。

「美味しい」、リリィは思わず目を見開いて口もとを押さえた。

「ね」、アイリスは微笑んで頷いた。

「メニュー、何から頼めばいいのかしら?」

「んと、基本的には味の薄いものからだけれど、べつに好きなもの頼めばいいのよ」

「正直もう肉の口になってる」

「だったら遠慮なく肉を食べなさいな」

 カウンターに出された肉寿司を食べると、リリィは至極ご満悦になった。思わず顔をほころばせ、頬を押さえる。

「美味しいでしょ?」とアイリスは嬉しそうに訊いた。「他のネタもどれもお勧めよ」、そして彼女はウニの軍艦巻きを頬張った。

 そのあとも彼女らは他愛のない会話を交わしながら、中トロやいくら、アナゴなどを食べた。食べるたびにリリィがその味に舌鼓を打つので大将もいたくご機嫌だった。

「お嬢ちゃん、いい食べっぷりだねえ」

「こんなに美味しいお寿司は初めてなので」、リリィは照れ笑いをした。

「嬉しいこと言ってくれる」

「でもさすがにもうお腹いっぱいです」、リリィは椅子の背もたれにもたれてお腹をさすった。「これ以上は食べられない」

 アイリスがシャンパンを飲み干して言う。「じゃあそろそろお暇しましょうか」

「うん」

 支払いはアイリスがクレジットカードで済ませた。

「またおいで」と大将は言う。

「ええ、大将もお元気でね」とアイリスが言う。

「ごちそうさまでした」、リリィは会釈した。

 雑居ビルの外に出ると夜が深まっていた。ビルのあいだからは満月が見える。時刻はもう午後8時だ。人気のない通りに出ようとするととっさにアイリスがそれを制した。

「リリィ、拳銃を出して」とアイリスは小声で言った。「狙われてる」

 アイリスが壁から顔を覗かせると、銃弾が飛んできた。彼女は顔を引っ込める。

「何者?」とリリィは尋ねる。

「わからない」とアイリスは答える。「とにかく追って来られないように人通りの多いとこに出たいわね」

 またもや弾丸が飛んでくる。それは彼女らの隠れている壁の端に当たった。

「ご丁寧に相手はピストルにサプレッサーまでつけてる」とアイリスは言った。「見たところ通りに4人、壁の陰に2人、向かいのビルの階段上に2人怪しい奴がいるわ。でもやりくちが素人ね。プロじゃない。あたしは右手を、リリィは左手をお願い。防弾チョッキを着ているかもしれないから、確実に頭を狙って撃って」

「了解」

「あたしが合図するから、援護頼んだわよ」

 リリィは頷いた。

「3……2……1」

 リリィは壁際から半身を現し、路上の男を狙撃した。脳天直撃だ。再び壁に姿を隠すと、壁に銃弾が何発も撃ち込まれた。もう一度さっきの要領で路上の男を撃っては身を隠す。

 アイリスは右側に飛び出していき、銃弾をかわしながら2体3体と敵を始末していく。そのまま奥に進み、壁際の男の脳天を撃ち抜いた。敵の悲鳴が何度も聞こえてくる。

「ぐはっ」

「はあっ」

 リリィはビルの壁に隠れながら左手の壁際の男の頭部に銃弾を命中させる。その都度また壁に隠れた。そのあいだにアイリスは向かいのビルの階段を駆け上がっていく。そして吹き抜けの階段で辺りをうかがっていた男たちを排除した。男の1人が柵にもたれて踊り場から落下した。敵を全員返り討ちにしたのだ。辺りはすっかり静まり返っていて丸い月には雲がかかっていた。彼女らは警戒しながら路上に集まった。

「本格的な装備をしたところで素人はやっぱ素人ね」、アイリスは腰に手を当てて言った。「所詮アイリス様の敵ではないわ」

「早くこの場から立ち去りましょうよ」、リリィが追撃を危惧した。

「ちょっと待って」、アイリスは前かがみになって死体を観察しながらそう言った。「刺客の首筋にあるこのタトゥー、これって〈ウロボロス〉のものよね?」

 死体の首筋にはどれも蛇が環になって尻尾を噛んでいるタトゥーが刻まれていた。それを見てリリィは身震いした。

「そんな、なんで」

「前に新宿の元ライブハウスを襲撃した際に女の子たちを逃がしちゃったのが不味かったのかしら?」

「あるいはそうかもしれない」、リリィは言う。「でもあの子たちも被害者よ」

「まあね」とアイリスは同意した。「あたしたちは正しいことをした。とにかく騒ぎになる前に逃げましょうか」

「ええ、そうしましょう」

 二人は帰りの電車の席で、尾行を警戒しつつ、肩を寄せ合って寝た。やっと人ごみに紛れて緊張の糸がほどけたのだ。こんな若い娘たちが熟練の暗殺者とは誰もが——他の乗客には——露とも知れない。それくらい彼女らのふるまいは自然だったし、実際、堂々と街に溶け込んではいたが、念のために意識は半分覚醒させたままだった。




リリィ「うな重が食べたい!」

アイリス「そう何度もわがままが通用すると思うな」

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