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システム・サクラメント  作者: Kesuyu
第5部 激突と処女懐胎
42/71

2【Ⅼ】事実だけはちゃんと受け止めて行きましょう

セクシャルな内容を含みます。苦手な方はお気をつけください。




 修道院内のトイレの個室でリリィは我が目を疑った。手の中の妊娠検査キットの判定窓に赤い線が浮き出ている。陽性だ。彼女はしばし愕然として便座から立ち上がれなかった。私のお腹に赤ちゃんがいる? その事実をリリィは実感を持って受け止めることができなかった。シスターとしての仕事はどうなるんだろう? お腹が大きくなってくると、やはり足手纏いに——


「どうしたの? 顔色悪いわよ」

 アイリスの部屋に行くと、彼女は事務仕事をしながら開口一番そう言った。リリィはテーブルの前に佇んでいた。

「陽性だったわ」とリリィは力なく言った。

「そう、おめでとう」、アイリスが微笑する。「ならさっさと行くわよ」

「行くってどこに?」

「決まってんでしょ? 産婦人科よ」

 リリィとアイリスは私服に着替えて近所の産婦人科の病院に向かった。リリィはベージュのキャップにオフホワイトのノーカラーコートを着ていた。一方、アイリスは縁の大きなサングラスに茶色いサテンのワンピースという格好だ。一応〈ウロボロス〉を警戒して、お互いバッグの中にリボルバーを潜ませている。

「アイリス、ごめんなさい」、リリィは弱気だった。

「何が?」とアイリスが聞き返す。

「もし妊娠していたら、私、邪魔よね? シスターでいられるかしら?」

「どうかしら。規則によるとシスターは独身であること。別に子供がいちゃいけないなんてどこにも書いてないけど」

「でも、私ちゃんとひとりで産み育てられるかしら?」

「そんときはあたしがリリィのお腹の子の父親代わりをしてあげる」

 それを聞いてリリィは少し肩の荷が下りた。

「ありがとう」

「どういたしまして」、アイリスは微笑んだ。

 コヨイレディースクリニックに着くと二人は中に入り、受付で手続きをし、問診票を記入した。いくつかの診察を終えてソファに並んで座っていると、リリィの名前——もちろん偽名だ——が呼ばれた。二人は診察室に再び入った。

「おめでとうございます」と院長のコヨイ先生が笑顔で言った。「ご懐妊です」

「ありがとうございます」、リリィは戸惑いながら答えた。

「まだ四週目なのでエコーでは影しか目視できませんが、あと一週間もすればはっきり見えるでしょう。妊娠初期は流産の可能性もある時期なので、あまり無理のない生活を送ってくださいね」

「はい、わかりました」、リリィはぺこりと頭を下げた。


 修道院ではさっそく緊急会議が開かれた。4人のシスターが円卓を囲む。

「——というわけで、リリィが妊娠したわ」とアイリスが経緯を説明した。

「そんな」とビオラが言った。「みんな男性経験0だと思ってたのに」

 アイリスとパンジーはとっさにビオラから顔をそむけた。

「え? 男性経験ないのあたしだけ?」

 アイリスが咳払いをする。「余計な詮索はしない」

「だって——みんなどこで男性と出会ってるわけ?」、ビオラが食い下がる。

「私は誰とも性交した経験がないわ」とリリィが言った。

「でも、現に妊娠しているじゃない?」とビオラが言及する。

「まさか——処女懐胎?」、パンジーが驚いたように訊いた。

「何それ?」とビオラが聞き返す。

「処女が不思議な仕方で妊娠し、異能の男子を出産することよ」とパンジーが答える。

「それについて調べたんだけどね」、アイリスが言う。「学説によるとアメリカのとある大学が妊娠した女性5300人余りを対象に行った調査で、約1%が『処女懐胎』したと答えたそうよ」

「そんなの眉唾だわ」とビオラが反論する。

「とにかく」、アイリスがぴしゃりと言う。「事実だけはちゃんと受け止めて行きましょう。だからみんな、妊娠したリリィのことをこれまで以上に(いた)わってあげてほしいの。母子ともに健康であるために」

「大袈裟よ」とリリィが言った。「まだ妊娠四週目だし、症状もたまにしんどくなるくらいよ」

「駄目よ、リリィ」、パンジーが言う。「あなたが一番自分を労わらないと」

「そういうこと。リリィはもっと人を頼りなさい」とアイリスは言った。

「ねえ、みんなほんとにどこで男性と出会ってるの?」、ビオラが繰り返し間の抜けたことを言う。

「それでは閉会」、アイリスが両手を叩いた。「子供たちの世話をしないとね」


 午後3時半、アイサにピアノの稽古をつける。アイサは椅子に座り、今ではすっかり使い込んだバイエルをピアノの譜面台に載せる。

「ねえ、シスター・リリィ」、アイサが心配そうに言った。「今朝病院に行っていたって聞いたけれど、どこか具合が悪いの?」

「大丈夫」とリリィが笑顔で答える。「どこも悪くないよ」

「でも、昨日はトイレで吐いたって聞いたの」

「あのときはちょっと具合が悪かったのよ。今はほら、ぴんぴんしてるよ。心配してくれてありがとう」

「何か手伝えることがあったら言ってほしいの。アイサはシスター・リリィの味方なの」

 リリィはアイサの頭をなでた。

 妊娠したことを伝えようかともリリィは思った。でもまだ自分自身が事実を受け止めきれていないので、もっとお腹が大きくなってから、改めて子供たちにも説明しよう。今できることはまだまだあるはず。

「さあ、ピアノの練習をするわよ」と彼女は言った。「楽譜の33ページを開いて」


 その夜、リリィは自室でコットンのひざ掛けを腰から下に掛けて、椅子に座って手袋を編んでいた。黙々と毛糸と棒針を操っていると無心になれる。今では手袋も10双完成していた。この調子だとシスターたちや調理スタッフのおばさんたちの分も作れそうだ。いまひとつ妊娠したという実感は湧かないが、そっとお腹をさすってみる。この子はきっと私に奇跡をもたらしてくれている。神様からのギフトなのだ。だから、なんとしても産み育てよう。

 部屋の扉が開く。誰だろうとリリィは思って入口を見る。そこには最年少のイチカの姿があった。リリィはびっくりする。

「イチカ、また夜更かしして抜け出して来たの?」

 イチカはリリィを認めると小走りに近づいて来て、それからリリィのお腹に抱き着いた。

「どうしたの、イチカ?」とリリィは言う。「甘えたくなったの?」

 イチカはお腹に顔をうずめている。

「寝なきゃ駄目よ」

「やー」

「どうしたの?」

「ここにあかちゃんいる」とイチカは言った。

 リリィは驚いた。

「わかるの、イチカ?」

「あたしのおとーと」

「お腹の子は男の子なの?」

「あい」

 リリィはイチカを抱きしめた。しばらくするとイチカと同室のミナが迎えに来る。

「やっぱり、シスター・リリィのとこか。イチカ、寝なきゃ駄目だよ」

「やー、ここにいる」

「わがまま言わないの。絵本読んであげるから」

「えほん?」、イチカが目を輝かせる。

 リリィも言う。「イチカ、そろそろ自分の部屋に戻りなさい」

「あい」

 そうしてイチカとミナは手を繋いで部屋から出て行った。


 午前5時、目覚めは爽快だった。リリィはカーテンを引くと、うんと背伸びをした。そのあと顔を洗い、歯を磨く。そしてパジャマを脱いで修道服に着替える。

 礼拝堂に行くとリリィは長い時間祈りを捧げた。どうか無事に赤ちゃんを出産できますように。お腹の子が健やかでありますように。修道院の皆が無病息災でありますように。

 昨晩、シャノワールは〈システム・サクラメント〉にログインしていなかった。きっとお忙しいのだろうと彼女は思う。でも本音ではもっと語り合いたいし、高難度ミッションを制覇したいのも事実だ。彼のことをもっと知りたい——

 礼拝堂にアイリスがやって来た。

「また随分と熱心ね」

「いつもどおり朝一番にお祈りをしないと落ち着かないから」、リリィは照れ笑いをした。

「どう? 妊娠したことは実感してる?」

「実感はしてない」とリリィは正直に言った。「でもなんとしても産み育てる覚悟はある」

「あんた、いい顔してるわ、今」、アイリスは腰に手を当てる。「それに大丈夫。あたしがついてる」、彼女は胸に手を当てた。

「うん」、リリィは頷いた。

「具合が悪くなったらきちんと言うのよ。守ってあげるから」

 そのときリリィの視界が唐突に涙で溢れて滲んだ。彼女はたまらずアイリスに抱きつく。

「アイリス」と彼女は呼びかけた。「いつも側にいてくれてありがとう」

「何よ、今更改まって」とアイリスは答えた。「そりゃ、いるわよ。あたしはあんたの姉妹であり親友なんだから」

 そしてアイリスはリリィが泣き止むまで彼女を抱きしめていた。




もちろんリリィとアイリスに血の繋がりはありません。

ちなみにアイリスは23歳でリリィより年齢がひとつ上です。

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