5【K】強風にあおられながら
翌朝、ハンター・ウルフは一命を取り留めた。峠を越えたのだ。ただずっと仮死状態にあるらしく、意識を取り戻す気配はない。彼のバディのハンター・イーグルは医務室のベッドの枕もとに一晩中座って、わなわなと手を震わせている。窓の外には烈しい雷雨が訪れ、季節外れの台風が――我々の感傷をも薙ぎ倒すかのように――日本列島を縦断していた。
ハンター・K、ハンター・バイパー、ハンター・オルカ、ハンター・スクワロルの四名は防水のウィンドブレーカーとパンツに身を包み、司令室の中央で横一列に並び、その向かいで、管理者Ⅹはいつもどおり、椅子に深く腰掛けて、全員の顔を見上げていた。
「もうわかってるやろうけど、うちらは狙われとる。いつ、どこで、誰が襲撃してくるか知れん。一応手配して、ジープのナンバープレートは東京都――品川と練馬――の物に交換しといた。外は嵐や、敵も易々と動けんことを願う。ジープは二台に別れて、引き取った荷物はトランクに詰めること。ええか?」
承知しました、とハンターたちは敬礼しながら応えた。
「よし、じゃあ出発してくれ」と彼女は言った。「くれぐれも単独行動は控えるように」
Kとバイパー、オルカとスクワロルはそれぞれのジープに乗り込み、〈システム〉本部の駐車場を後にした。外は豪雨だった。車のワイパーが左右に揺れ、その規則正しいリズムが雨の中やけに耳にこびりつく。二台のジープが縦に並んで樹海の入口に到着すると、一台のジープが停車して待っていた。ハンター・ゴートとアウルを乗せた車だ。彼らを先導するために待機していたのだ。バイパーが車のライトをパッシングさせるとゴートとアウルを乗せたジープはゆっくりと発進し、残りの二台のジープもそのあとを付いていった。
依然、雨のやむ気配はなく、樹海の中はいつにも増して鬱蒼としていた。濁った雨水が踏み分け道を流れている。しかし彼らはその上を走行し、少しずつだが前に進んでいるという実感があった。
Kは管理者Ⅹからもらった眼鏡をずっとかけていた。それを見てバイパーが尋ねた。
「先輩、眼鏡してますが、目、悪かったんですか?」
「馬鹿、これはカモフラージュだよ」、Kは眼鏡のフレームに指を通した。「レンズは入っていない。俺は〈ウロボロス〉に面が割れている以上、念のために変装しているんだ」
「なるほど」とバイパーは言った。「サングラスじゃ駄目なんですか?」
「かえって目立つだろう。だいたい夜に見え辛い」
「ふうん」、バイパーはハンドルを握りながら相槌を打った。「そのうちハンター全員が眼鏡をかける羽目になっちゃったりして」、バイパーが無邪気に笑った。
「笑いごとじゃないな」、Kはそれを真面目に受け取った。
そうこうしている内に樹海の出口が見えてきた。降りしきる雨の中、霞んで見える。樹海の外へ出ると三台の車は一旦停止して皆車から降り、暗い空の下挨拶を交わした。
「助かったよ、アウル」とKはアウルに言った。
「ああ、君がいなければ樹海を抜けられなかったよ」とオルカも言った。
「いえ、皆さん、どうかご無事で」とアウルは心配そうに言った。
「明日の朝、また迎えにくる」とゴートは言った。「危険も多いだろうがお前たちならやってのけるだろう」
「がんばります」、そう言ってスクワロルは拳を握った。
「さすがに雨が烈しいんで、そろそろ車に戻りませんか?」とバイパーが提案した。
「そうだな、この豪雨だ。立ち話もこれくらいにしておこう」とKは言った。それからゴートを見る。「アウルのこと、よろしく頼む」
「あい、わかった」、ゴートは深く頷いた。
そして6人はそれぞれの役目に戻って行った。
台風のおかげで人も車も殆ど見かけなかった。荒れ狂う暴風雨が街から人々を非難させたのだ。強風の中、二台のジープは縦に並んで走行した。土地勘のあるKとバイパーが先頭だ。
しばらくすると河口湖のインターチェンジから高速道路に乗り、強風にあおられながら東京を目指す。高速道路上も車は殆ど走っていなかった。叩きつけるような雨で視界も悪い。バイパーは後方からオルカたちが付いてきているのをバックミラーで確認しながら、慎重にアクセルを踏んでいた。
「先輩、お昼どうします?」とバイパーが尋ねた。
「そうだな。どこか適当なパーキングエリアで済まそう」
「ラジャー」
パーキングエリアに入ると、店はかろうじて営業していた。ただ閑古鳥が鳴いている様相だ。Kはオルカたちと一緒にフードコートに行き、昼食を食べた。頼んだのはうどんだ。
「K、食欲ないのかい?」とカキフライ定食を食べながらオルカが訊いた。
「なぜそう思う?」とKは顔を上げ聞き返した。
「いや、うどんでお腹ふくれるのかなと思って」
「僕のラーメン少し食べます?」とバイパーがラーメンを食べながら言った。
「いらん気を使わなくていい」とKは言った。「俺はこれで十分なんだ」
「ぼ、僕の生姜焼きはどうですか?」と生姜焼き定食を食べながらスクワロルが言う。
「だから、大丈夫だよ」とKは言った。「あまり満腹にしたくないんだ。思考が鈍る」
「さすがプロ」、スクワロルが感激してメモを取り出して何事か書き留める。
「メモるほどのことじゃない」
「ところでここから東京都まで2時間もかからないよね。それからどうしようか?」とオルカが言った。
「俺はちょっと寄りたいところがある」とKは言った。
「寄りたいとこ?」とオルカが眉をしかめた。「愛人のところとか?」
「なんでだよ」とKは言った。「大体俺は独身だ。世話になった人に会いに行くだけだ」
「ふうん、それはかまわないけれど、〈蛇〉には十分警戒してね」、蛇とは〈システム〉内での〈ウロボロス〉の隠語だ。
「わかってる」
東京に到着すると、後で合流する時間と場所を決めて二組になって別行動をした。時刻はまだ午後2時半だ。
「これからどうします、先輩?」とバイパーが尋ねた。「この嵐じゃ、遊ぶところもありませんよ?」
「チェリーブロッサム社さんのところへ行く」とKは端的に述べた。
「ああ、寄りたいところってそこだったんですね」
「一応世話になったし、何よりCEOは司令の妹さんだからな。挨拶しておかないと」
「了解です」とバイパーが言った。「じゃあ向かいますか」
空には雲がかかり全面灰色だった。ジープは猛烈な風雨の中、チェリーブロッサム社の本社に向けて走り出した。
チェリーブロッサム社の最上階にある応接室で待っていると、ナキリナキがメイに連れられて現れた。その風貌は相変わらず管理者Ⅹにそっくりだ。向かい合ってソファに座るとナキリナキがメイに向かって何事か耳打ちした。メイもうんうんと話を聞いてからこちらに笑顔を向けた。
「本日はお足下の悪い中、ご足労くださり誠にありがとうございます」
「いえ、仕事のついでに寄ったまでなので、そんなに改まらないでください」とKは言った。
ナキリナキがまたメイに耳打ちする。
「姉は元気ですか?」
「はい、元気です。それに我々も付いていますから」
ナキリナキがまたメイのジャケットの袖を取って耳打ちする。
「ブローニング・ハイパワーの調子はどうですか?」
Kはポケットからナキリナキから預かっていたブローニング・ハイパワーを取り出してテーブルに置いた。鉛が木の板を打つ鈍い音がした。
「よく手入れされていますし、いい銃だと思います」とKは言った。「ただ私はグロック17の勝手に馴れているので、正直使う機会がありません。だから今日はお預かりしていたブローニング・ハイパワーをお返ししに来ました」
それを聞いてナキリナキはあごの下で手を握りしめ、首をぶるぶると振った。
「だ、駄目です」
「駄目とは?」
「そ、それは、その、あなたに差し上げたのです。だ、だから、えっと、持っていてください」
「本当にいいのですか?」とKは尋ねた。「かなり価値のある代物だとお見受けしますが」
「は、はい」
Kは顔に穏やかな表情を浮かべた。
「そういうことでしたら、ありがたく頂戴いたします。ありがとう」
「えっと、その、ど、どういたしまして」
「あと〈システム・サクラメント〉でツクヨミというプレイヤーはご存じありませんか?」
「ツクヨミ?」、ナキリナキとメイは首をひねった。
「知らなかったら問題ありません。失礼しました」
「ところでこのあとはどうされるおつもりですか?」とメイが尋ねた。
「夜に仕事があるので、それまで待機ですね」とKは答えた。
「このひどい嵐じゃ時間を潰すどころじゃないですけどね」とバイパーが言った。
ナキリナキがメイに耳打ちした。
「時間まで弊社で休んでいったらどうでしょう? とおっしゃられています」とメイが言った。
「ほんとですか?」、バイパーが目を輝かせる。
「お気持ちは大変嬉しいのですが、迷惑をかけるわけにはいきません」とKは断った。
「迷惑だなんて」とメイが言う。
「そうですよ」とバイパーが言う。「せっかくのご厚意なんだし、ありがたく預かりましょうよ?」
Kは眼鏡の側面を押さえた。「駄目だ」
「台風はますます強くなることでしょう」とメイが言った。「どうかお気をつけて」
「ありがとう」、そう言ってKは立ち上がった。「行くぞ、バイパー」
バイパーもしょげながら席を立った。
「ま、また、いつでもいらしてください」とナキリナキが言った。
「是非」
そうして彼らは台風の中、ジープを発進させた。
バイパー「僕はメイさん推しです。先輩は?」
K「押しってなんだ?」




