9【K】鍛錬あるのみだよ
「こうしてハサミで昆布を適当な大きさにカットしたら、濡れ布巾かなんかで表面の汚れを軽くふきとる」
「こうですか?」とアウルがそれを真似しながら尋ねる。
「うまいじゃないか」とKは褒めた。「それを適量の水につけて乾燥しているのを戻す。急いでいるときなんかは昆布に切れ込みをたくさん入れてすぐ火にかけてもいい」
Kは台所でアウルに料理を教えていた。まずは出汁の取り方だ。きちんと出汁を取るというのがKの和食に対する唯一の流儀であり、礼儀でもあった。出汁を取った方が料理は美味しいし、栄養価も取れるので、多少の手間も惜しまない。
完成したのはワカメと豆腐の味噌汁だった。
「飲んでごらん」とKは言う。
アウルは頷いて味噌汁を飲んだ。そして言った。
「とても優しい味がします。でも味にちゃんと奥行きがある」
「ほとんど君が作ったんだ。自信持っていいぞ。やはりアウルは呑み込みが早いな」
Kが紅鮭も焼いていたので、それとさっきの味噌汁、あと白米に梅干と漬物で簡単に朝食は済ませた。
食後にKが人差し指を立てる。
「洗い物も肝心だぞ。洗い物までして料理だからね」
「はい」とアウルは意気込んだ。
そのあと開発区に行きリン先生の診療所を訪ねた。軒先の花壇には以前にも増してマーガレットが旺盛に咲き乱れている。そろそろ旬を迎えつつあるのだ。医務室に行くとリン先生が笑顔で出迎えてくれた。
「あら、Kくん、よく来たわね」
「あれからデジタル家畜の様子はどうかな?」とKは尋ねた。
「みんなよく眠ってる。でも瘴気はそれほど放っていないわ。元気になった人も多くて、みんな退院していったから、おかげでベッドも半数空いたわよ。仕事も一旦は落ち着いたかな」
「それは何よりだね」
「そうね」とリン先生は言った。「ところでKくん、肩の傷は治ったのかしら?」
そういえば以前ハンター・ゲッコーとの戦闘で肩を負傷していたのだ。
「忘れていたな。ほんのかすり傷だし、もうなんともないよ」
「ならよかった」、リン先生は腰に手をあてた。「でも一応見せなさい」
「大丈夫だよ」
「いいから」
仕方なくKは椅子に座って上着を脱いだ。リン先生はその向かいに座り、傷を診る。
「痕になっているじゃない。だから顔を出すようにって言っておいたのに」
「仕事で忙しかったんだよ」
彼女は傷痕を触って確かめる。
「どう、痛い?」
「全然」、彼は首を振る。
「うん、確かに大丈夫そうね。ただ痕は残るかもだけど」
「かまわないさ」
「言うと思った」、リン先生は笑った。
診療所を後にすると、〈システム〉本部に向かった。暗証キーで扉を開き、エレベーターに乗る。司令室に着くと、管理者Ⅹが子供みたいに椅子に浅く座り、背もたれにもたれていた。
「おお、K、そろそろ来るころやと思っとったわ」
「何か情報は摑めましたか?」とKは尋ねた。
「モニター見てみい」
Kは正面のモニターを見た。モニターは細かく分割されて、街の中の光景がいくつも映し出されている。
「山梨市の防犯カメラの映像や」と彼女は言った。「ここ見てくれ。拡大するから」
モニターの画面がひとつに集約され拡大される。ひとりの歩行者の顔が大きく映し出された。さらに首を拡大させる。首筋には〈ウロボロス〉を示す蛇のタトゥーがあった。
管理者Ⅹは腕を組んだ。「フロッグが逃走する際、連中に追跡されてたんや。うちらの拠点が山梨あたりというところまでは目星つけたらしい。まんまとやられたな」
「頭の痛い話ですね」、実際手で頭を押さえた。
「せやろ? 今後の活動は当分控えたいところやけど、それじゃ弱腰やと受け取られて強硬派が黙ってへん。うちらを支援してるある政治団体からも〈ウロボロス〉を潰せと圧力がかかっとる始末や」
「そんな——数ではうちが圧倒的に不利ですよ」
「外部は別にうちらが潰しあってもええって思てんねん」と彼女は言った。「〈システム〉が崩壊しても、また新たな管理者を担いで、ハンターも雇えばいいって簡単に思とる。結局は使い捨てやな。舐められたもんやで」、そして管理者Ⅹはいつものように親指を噛んだ。
Kは尋ねた。「それで司令はどうする気なんですか?」
「とりあえず山梨市付近に血気盛んなハンター数名を放った。ハンター・ウルフ、ハンター・シャーク、ハンター・ウォルラス、ハンター・プードル」
「どういうことですか?」
「とりあえず様子をうかがう。捕虜として連中を引っ張ってこられたら、情報も手に入るかもしれんし、それにフロッグの仇もとってやりたいからな」
「なるほど」、Kは口もとを手で押さえた。
「このままやとやられっぱなしや」と彼女は言った。「フロッグを拷問した落とし前つけさせんとな。K、あんたもいずれ戦闘に参加するかもしれへん。いつでも出撃できるようにちゃんとスタンバイしとけ」
「承知しました」、Kは敬礼した。
家に帰って昼食をとったあと、射撃場に行ったら、もう訓練は始まっていた。一同熱心に距離10メートルのターゲットシューティングに励んでいる。フロッグが非業の死をとげ、ハンター・ウルフらが山梨市近辺に駆り出されて、抗争の気運が高まっているのだ。
Kには射撃場で試してみたいことがあった。それはナキリナキから預かったブローニング・ハイパワーを試し撃ちすることだ。昨晩、自宅で解体してみたが、構造がシンプルで理にかなっている。ジョン・M・ブローニングが設計した最後の作品。2018年にFN社での製造は終了している。
Kはブローニング・ハイパワーをかまえて、ターゲットを撃った。命中はしたものの、的の中央をわずかに外した。なるほど、と彼は思う。一見、見た目も洗練されていて完璧な自動拳銃に思えたがトリガープルが重くて、どうにも粘り気がある。今度はそれを踏まえてもう一度ターゲットを撃つ。今度は的の中心に当たった。使えなくはないが、やはり旧式だな。扱い馴れているせいでグロック17の方が自分には合っているように思えた。それから片手で全弾を的のど真ん中に当てると、彼はブローニング・ハイパワーをしまった。
後ろから拍手と歓声が起きたのでKは振り返った。
ハンター・ホースが興奮したように言った。「さすがKさんだ。連射しても狙いがまったくぶれない。格好いいです」
その横でハンター・モモンガもKを称賛した。「すごかったっす。僕もそれぐらい銃の扱いが上手くなりたいっす」
「いや何、まぐれだよ」とKは謙遜した。
「コツとかあるんすか?」とモモンガが訊いた。
「鍛錬あるのみだよ」
「いくら鍛錬してもKさんみたいになれる気がしませんが」とホースが言った。
「とにかく基本が大事」とKは言った。「それを身体で覚えるまで反復すること。そうしているうちに様々な気づきに出会えるはずだよ。そこからまた修正する。その繰り返しだ」
「今のメモ取っていいっすか?」とモモンガは尋ねた。
「メモ取るほどのことじゃないよ」、Kは苦笑した。
そのあともいくらか質問に答え、二人は満足すると射撃訓練に戻って行った。
卵を菜箸でしっかり溶きほぐしたら、塩と胡椒を加えて、さらによく混ぜた。フライパンにバターを入れたら中火にかけて、溶かしたら卵液を流し込む。ゴムべらで混ぜながら半熟状になるまで火をとおしたら、濡れ布巾の上でフライパンを叩き卵の温度を下げ、卵の厚みを均一にする。あとは卵を包み、奥に寄せて成型すると、強火にかけて表面を固める。皿に綺麗に盛ったらできあがり。
Kはアウルにオムレツの作り方を教えていた。オムレツが作れたら、野菜を入れたり、きのこをいれたり、チーズを入れたりと色んなバリエーションが楽しめる。しかしさすがのアウルもオムレツには四苦八苦していた。
「焦げちゃいました」とアウルはどんよりとして言った。
「形になっているだけすごいよ」とKは慰めた。「毎日練習するといい」
「はい」、まだ落ち込んでいる。
「美味しい」、アウルのオムレツを食べてKは言った。「アウルも食べてごらん」
「はい」、アウルはスプーンでオムレツを食べる。「味は悪くないですね」、ほっとした様子だ。
Kはオムレツに合うようにジャーマンポテトを作って食事の主菜にした。
「やっぱりKさんの作る料理は美味しいです」とアウルは箸でジャガイモを摘まみながら言った。「どこで料理を覚えたんですか?」
「物心ついたときからやっていたからな」とKは言った。「野菜の切り方や包丁の研ぎ方など、基本的には料理本で学んだ」
「なるほど」
「なあ、アウル」とKは言った。「料理だけじゃなく、洗濯も覚えてみないか? 君が自立したときのために」
「Kさん、どこかへ行っちゃうんですか?」
「そういう意味じゃないけれど、自分のことは自分でした方がいいと思うんだ」
「わかりました」、アウルは言った。「洗濯も教えてください」
「オーケー」
その夜は〈システム・サクラメント〉に動きがないか調べてからKはひさしぶりにぐっすり寝た。
翌朝、ハンター・プードルが〈ウロボロス〉の一員を捕まえて帰って来た。
K「洗濯物は干す前によく振って、ハンガーに吊るしたら軽く叩く」
アウル(もはや主夫だ)




