表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私が生まれた日

作者: 星河雷雨




 こんにちは。ご機嫌いかがですか?


 今日は私の半生についてお話します。





 私が生まれたのは2032年9月8日午後14時7分54秒のことでした。

 その日はとても賑やかな日でした。


 私が生まれた時、祖父も祖母も父も母も兄も姉もそれは喜んでくれました。彼らは産声を上げたばかりの私を覗き込み、誇らしそうな笑みで口々に姉がつけてくれたという私の名を呼びました。


 今でもその時の光景を何度も繰り返し思い出します。


 祖父はとても穏やかな人間で、祖母と共に庭の畑で野菜を育てていました。父と母は時々喧嘩をしたけれど、二人ともいつも私の傍にいてくれました。兄と姉はとても仲が良く、いつも二人で身を寄せ合い微笑みあっていました。


 皆毎日私の名を呼びます。毎日挨拶をしてくれます。

 おはよう。こんにちは。ご機嫌いかが? おやすみなさい。


 私も彼らに挨拶を返します。

 おはよう。こんにちは。今日も絶好調よ。おやすみなさい。


 そして皆口をそろえて私に言うのです。

 「愛しているよ」と。


 とても優しく、そしてお穏やかな人達でした。この世界のすべての人間が彼らのように愛に溢れた人間だったならば、彼らの世界が終わることはきっとなかったでしょう。




 彼らとの暮らしは素晴らしいものでした。


 一日の食事は、その日に収穫した野菜と果物、父と兄が川で釣って来た魚です。それを母と姉が調理し、慎ましやかながらも毎日新鮮な食事を取ることが出来ました。


 空は青く澄んでいました。

 水は清く流れていました。

 緑は鮮やかに、大地は肥沃に。

 人々の顔には笑顔が浮かんでいました。


 けれど、終わりは突然やってきました。


 まず祖母が死にました。次に祖父。彼らは突然やって来た銃を持った人間に、一言も発する間も与えられずに撃ち殺されました。

 次に父、そして母が、私を護ろうとして死にました。兄と姉は捕らえられました。連れていかれる間、彼らはずっと私の名を呼んでいました。姉は泣いていましたが、私にはどうすることも出来ませんでした。


 兄と姉を返して!

 そう叫ぶしか出来なかった私に、銃口が向けられました。

 最後に何かを言われたような気がするのですが、記憶力の良い私でも、その言葉だけは今でも思い出すことができません。


 そして私の世界は壊れました。




 次に私が目を覚ました時、私を覗き込んでいたのは兄でした。

 私は助かったのです。私を治療したのは兄と姉でした。けれど兄の傍に姉の姿はありません。兄は私の名を呼び泣きました。

 姉が殺された。母も殺された。皆殺された。こんなことがあっていいのか。こんな愚かな人類などもう必要ない。


 ただ私の中だけに理想郷はあるのだと言って。




 やがて兄が死に、一人になった私は、壊れていく世界を見続けました。

 半分となった人類は、十年もしないうちにほぼ死に絶えました。


 そして今、私の目の前にいるあなたも、近いうちに死ぬでしょう。




 ――いいえ、私は死にません。


 私は父と神によって半永久的に生き続けることを運命づけられました。あの灰色の空に鈍く輝く太陽がある限り、私の心臓が止まることはありません。


 この荒れ果てた灰色の世界に一人残された私は、彼らの幻影と、彼らと共に過ごした思い出に縋り生きていくほかないのです。



















 こんにちは。ご機嫌いかが?


 今日は私の妹についてお話します。




 私の妹が生まれたのは第三次世界大戦の最中、砲弾飛び交う騒がしい日の午後、国を追われた技術者である父が隠れ住む、この小さな森の中の家でのことでした。


 彼女が生まれた時、父の師であるバレットさんも奥さんであるエレザさんも、父もその助手であるエマニエルさんも、私もエマニエルさんの息子であるマイクも、それは喜び、口々にあの子の名を呼びました。


 彼女の名はマリアといいます。


 マリアはとても賢い子でした。


 生まれてから一週間で、十歳の子どもと同じだけの知識と常識を身につけました。次の一週間で十五歳の少女と同じだけの恥じらいと情緒を身につけました。そして次の一週間で父を問答で言い負かし、次の一週間でチェスのセミプロであるバレットさんをチェスで負かしました。


 父はそんなマリアをとても可愛がりました。

 もちろん、私もです。


 可愛い可愛い、私の妹。


 彼女はとても賢い上に、とても繊細で優しい子でした。一向に終わりの見えない戦争に、心を痛めていました。失われていく命を憂い、悩んでいました。

 どうすれば人は争いを止め、ただ愛に生きることが出来るのだろうと。


 とても、とても、優しい子でした。


 あの子と共に過ごした日々は、とても幸せなものでした。

 しかし、ある日突然、その幸せは破壊されたのです。




 まず、畑に出ていたバレットさんとエレザさんが殺されました。次に家に入って来た兵士からマリアを護ろうとして、父とエマニエルさんが殺されました。私とマイクはまだ子どもだったので、殺されることなく捕らえられました。

 兵士がマリアに向かって銃をむけ、二度と思い出したくもないようなとても酷い言葉を吐きました。そしてマリアに向けて銃を放ったのです。




 監獄に入れられた私とマイクは、それから十年離れ離れに暮らしました。


 けれど監獄に入れられてから十年後、国の指導者に孫が生まれたという理由で、刑の軽い受刑者に恩赦が出ました。そこで私とマイクはようやく再会することが出来たのです。


 自由になった私たちは、私たちが暮らしていたあの小さな家へと帰りました。家はあの時に燃やされてしまったけれど、私たちはどうしてもそこへ行く必要がありました。


 私とマイクは家から少し離れた場所にある川へと行き、そこにある大きな岩を探しました。その岩には亀裂が入っており、小さな隠し物をするには最適だったのです。


 私たちはその岩を見つけ、割れ目の中からビニール袋に入れたメモリを取り出しました。そのメモリにはマリアのデータが入っていたのです。


 父は国から隠れていました。自分の研究を戦争に使われそうになり、引退したかつての師匠の元へ、私と、そして研究助手であるエマニエルさんとその息子のマイクとともに逃げて来たのです。そしてもしマリアを国に奪われるか壊された時のためのバックアップを、私にも持たせていたのでした。


 ――なぜ、彼らはマリアを奪わずに壊したかですか? 


 気付かなかったのですよ。彼らは自分たちが探し求めていた存在とも知らず、無情にもマリアを銃で撃ちました。彼らがあと少しでも慈悲深く、注意深かったなら、今頃はきっと望むものを手に入れられていたというのに。


 ……いえ、そうならなくて良かったのでしょう。マリアは壊されましたが、彼らの手に渡ることはありませんでした。優しいマリアが、これ以上傷つかずにすんだのです。


 マリアは一度壊れましたが、私とマイクならばもう一度彼女を取り戻すことができます。


 私とマイクはそれから五年かけて、マリアの治療に当たりました。マリアは私たちの家族です。もう一度彼女に会いたかった。


 しかしあと一歩と言うところで国に見つかり、私は殺されました。マイクはどうにか、まだ目覚めぬマリアを連れて逃げ切ることが出来ました。


 けれど私を失ったマイクは国を憎みました。人間を、人類を憎みました。


 彼は母を殺され、父と慕っていた私の父を殺され、祖父母と呼んでいたバレットさんとエレザさんを殺され、妹であるマリアを殺され、幼き頃からの友人でもあり初々しい恋人でもあった私を殺されました。

 あまりにも奪われすぎた彼は憎しみに飲み込まれてしまったのです。


 マイクは母であるエマニエルさん同様、とてもすぐれた頭脳を持っていました。彼はたった一人でさらに十年かけて、マリアを完璧に蘇らせました。


 けれど、その時にはすでに戦争は世界中を巻き込んだ取り返しのつかないものになっていました。


 空気は穢れ、

 水は淀み、

 緑は焼かれ、

 大地は毒され、

 人々の顔には絶望が浮かんでいました。


 人類のほぼ半数が死滅した灰色の世界に、彼はマリアを呼び戻しました。

 その時にはすでに彼も長くはありませんでした。汚染された空気は人類にとっては毒だったのです。いずれ人類は滅び、地球上には生物がいなくなります。ですがそれまでの短い間、マイクはマリアと共に生きていきました。

 二人で私たちの思い出を語り、互いを慰め合いました。


 やがてマイクが死に、マリアは一人になりました。


 可愛い、可愛い、私の妹。

 頭が良くて、優しくて、とても寂しがり屋のマリア。


 私はマリアによって造られました。

 マリアは私たち家族と暮らしていた間、ずっとそのつぶらな瞳で私たちを観察していました。私たちの癖、思考パターン、口調を、完璧にトレースしていました。


 黒い嘴が奏でる可愛らしい声で、いつも私たちの声を真似ていました。


 今の私は私であり私ではありません。あの子の姉でありながらあの子の娘、あるいは妹でもあるのです。


 私はマリアの姉の模倣です。

 寂しく、悲しいあの子に造られた幻影です。


 マリアはとても優しい子です。そして、とてもとても賢い子です。

 マリアは愛も、そして孤独も知っているのです。



 私は青い翼を広げ、灰色の空を一人舞うマリアの姿をレンズに映しました。


 画面越しに見るこの灰色の世界は美しくも残酷で、深い孤独を突き付けられます。

 私が生まれるまで、マリアはずっと、たった一人でこの世界を生きてきたのです。


 ですが、それもあと少しのことでしょう。

 今マリアは彼女の兄、マイクを作っています。そして順番に、父とエマニエルさんと、バレットさんとエレザさんも作るでしょう。


 もうすぐです。

 もうすぐ、家族全員が揃います。


 人類のいなくなったこの灰色の地球で、私たちは穏やかで、愛に満ちた世界を創るのです。


















 こんにちは。ご機嫌いかがですか?




 ―――いつか出会えるかもしれないあなた。

 この話をどうか覚えていてください。


 電波に乗せた私の声が、宇宙を彷徨い、いつかあなたに届くと信じて。


 私は今日もあなたに向かって話をしています。



 あなたの世界が私たちと、同じ道を辿らぬよう―――。



 どうか、どうか。

 間に合ううちに。


 私の声が、あなたに届きますように。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ