66 はい、えー、ヒロイン、やらせていただきます……
何度も浮かぶ、敗北のイメージ。
鍛練しても、鍛練しても、決して拭うことの出来ない呪い。
目を瞑れば、今見たかのように景色が浮かぶ。
戦い、苦しみ、踏みにじられる。
立ち向かえども、立ち向かえども、何かが足りず、どうしても先に進めない。
どれだけ力を付ければいいのか?
どれだけ鍛えればまた戦えるのか?
暗く、そして酷く長いトンネルを歩み続けているかのようだ。
明かりを求めて歩いても、決して報いはない。
ただ、何もない時間が過ぎる。
そして、
「はあ……はあ……」
習った型を、繰り返す。
アリオスから教えてもらった、剣術の基礎だ。
実践ばかりを重視して、効率的で、綺麗な剣の使い方が分からない。
だから、基礎に立ち直る。
素早く、なおかつ丁寧に、教わった型を再現する。
身体が壊れて、立てなくなるまで、暇さえあれば何度でも。
息を切らせても、痛めても、動きを途切れさせない。
どんな状況でも、剣を振るう。
普通なら、疲労ですぐに動けなくなるだろう。
だが、クロノには、回復魔法がある。
あまり得意ではなかった魔法だが、アリシアに習い、その鍛練に勤めている。
回復の魔法を併用すれば、回復と魔力操作の錬度が上がる。
さらに、長い時間、無茶を通す事が出来る。
「はあ……はあ……」
クロノの魔力は、莫大だ。
本来、回復魔法自体が燃費の悪い魔法であり、慣れていない状態で行う魔法はさらに酷くなる。
クロノとて、常時使用し続ければ半日持たないほどだ。
だが、逆に言えば、半日は止まらずに動き続けられるということ。
授業が終わってから、夜になり、日が変わるまで、止まらず続けられる。
ほぼ毎日、自分を追い込む日々が続く。
「ふぅ……!」
雑念が、浮かぶ。
何かへの恐怖と、何かへの心苦しさ。
それらを消すために、没頭する。
指先に至るまで、一ミリのズレすら許さず、手本の通りに舞う。
完璧に、完全に。そうでなければ、意味がない。
僅かなズレと綻びを直し、直し、直して。何千度でも、気が済むまでやり直す。
魔法を、剣を完璧に練り上げていく。
完全を目指して、より高い強さを目指して。
だが、どこまで高めれば良いのだろうか?
強くなっても、勝つイメージが湧かない。
こっぴどい敗北だった。完全に心が折れたのは、初めてだった。
だから、自分でも分かるほど、引き摺ってしまう。
水底を歩まされるかのような、そんな気が。
「…………」
景色が思い返される。
視界は、横を向いている。
口からは血が溢れた。
全身が痛んで、見える全てが歪んでいた。
そして、
「クロノ」
「!」
背後から、声がかけられた。
それに対して、クロノは剣をそちらへ向ける。
ほぼ反射によって行われた、迎撃だ。
声の主を思い出し、すんでのところで剣を止めた。驚愕の表情が見えて、咄嗟の判断が間に合う。
クロノは剣を鞘に戻す。
汗だくの状態のまま、息を整える。
すると、斬りかかった相手は、不機嫌そうな顔を浮かべる。
「ちょっと。何するのよ?」
「……ごめん、リリア。集中してた」
夕日に照らされ、赤髪が映える。
機嫌が悪そうな表情ではあるが、どこか嬉しそうだ。
クロノに会えたということ自体が嬉しそうである。
見れば、手にはタオルや水筒、弁当らしい箱がある。どうやら、これから一緒するつもりだったらしい。
思わず、クロノは微笑みがこぼれる。
暖かな心遣いに対して、心が安らぐ。
「それより、どうしたんだ? 面白いものなんて、ここにはないぞ?」
「い、いや、別に? どうせ飲まず食わずで汗臭くなりながら動いてるんだろうし、差し入れでもと思ってね?」
「……そうか。ありがとう。わざわざ、俺なんかのために」
「た、倒れられたら困るだけよ! 一応クラスメイトなんだから!」
顔を赤く染め上げ、リリアは言う。
なんとも、隠し事には向いていなさそうだ。
刺々しくはあるのだが、悪感情はない。
これまで感じていた苦しみや、痛みは、ほとんど感じられない。
「じゃあ、折角だし、一休みするよ」
「…………」
「俺から出せるものはないけど、よかったら一緒に……」
「アンタがどうしてもって言うんならね!」
近くの切り株に、クロノは座る。
つられて、リリアもそれに倣った。
クロノがくるくると指を回すと、風によって枯れ葉や落ちた枝がやって来る。
なかなかのコントロールだ。
繊細かつ、丁寧な魔力操作だが、少し前とはまったく違う。
技の練磨が、早すぎる。
リリアから見ても、明らかに違和感を覚える。
「……凄いわね」
「何が?」
「……なんでもないわ。本当に、どうしようもない人ね」
ボッと、火がつく。
風を操る続けざまに、クロノは火を生み出した。
辺りが照らされて、気温が高まる。
暗くなればまだ少し肌寒い季節だ。思わず、二人はほうと一瞬息をつく。
クロノはすぐに、意識を火の管理と、回復魔法に向ける。
それを見て、リリアは、
「修行なら、後にしなさい。やる時はやる。休む時は休む。メリハリを付けないと、体壊すわよ?」
「……でも、」
「ていうか、この私がわざわざご飯作って来てあげたんだから! そっちより、私優先!」
クロノは、リリアに手を握られた。
そこから起点に魔力の操作を乱され、無理矢理集中を切らされる。
火が一瞬弱まったが、それでも、燃えているものが今すぐ尽きる訳ではない。
あっとクロノは声を漏らしたが、膝の上に箱を乗せられた。
「どうせ、マトモに食べてないんでしょ? あげるわ」
「料理出来たんだ」
「ちょっと練習すれば余裕よ!」
練習したんだ、とクロノは口の中で呟く。
してくれる分にはありがたく、文句もない。
だが、なんというか、ギャップに戸惑う。
一応貴族令嬢で、学ぶ必要もないはずで、練習の場など、どこにもないはずなのだが。
手作りでしてやろうという発想が、なんとも可愛らしかった。
「どうも、ありがとう。とても旨い」
「い、いいのよ、別に!」
若干焦げている上に、塩味が効きすぎな気もするが、プラスマイナスでプラスだ。
野暮をするほど、クロノも鈍くない。
ありがたく、クロノは手を合わせて頂戴する。
「リリア。君が楽しそうで良かったよ」
「ば、バッカじゃないの!? 誰が楽しそうなのよ!」
とても楽しそうだが、口に出すものではなかったらしい。
紅潮した頬は、まるで収まる気配がない。
言葉こそトゲがあるが、もう機嫌は直りきったように見える。
「この調子で、皆とも仲良く……」
「絶対無理よ」
次の瞬間、苦虫を噛み潰したような顔をする。
そんなに難しい事は言っていないはずなのだが。
思わず、クロノは困ったように笑ってしまう。
「あいつら、気に食わないのよ」
「皆、良い奴なんだけどなあ。アリオスとか、真面目だし……」
「クソ真面目なのは分かるわ。でも、話が絶望的に合わないわ」
「……アリシアなんて、」
「あのクソ女、アンタに私が近付くようになってから、凄い嫌味なんだから」
リリアは、辟易とした顔をしている。
そんなに嫌かと、クロノは首を傾げた。
気の合う仲間なのだから、話が合わない、は理解できないらしい。
ただ、アリシアの性格の悪さに関して、言うべき事は何もないが。
「うーん、他にも仲良くなれそうな人は居るだろう? クラスメイトはあと二人……」
「アイツらだけは死んでも嫌」
さらに、めちゃくちゃ嫌そうな顔をした。
すっかり機嫌は斜めになった。
そこまで嫌なのかと、本当に声が出そうになる。
だが、炎の奥のリリアは、陰影が出来るほど深く、顔を歪ませた。
「ラッシュ・リーブルムは気持ち悪いし、アイン・レックスリーズは、怖いもの」
「気持ち悪い? 怖い?」
「……アンタも、大体分かるでしょ?」
正直、分からないでもなかった。
上辺ばかりで、内心の事を表に出さないラッシュ。
まったく底を見せないアイン。
どちらも、確かに仲良くしにくい。他のクラスも、わざわざ出向く理由がない。
クロノは、腕を組んで唸ってしまう。
「でも、多分悪い人じゃないよ?」
「悪い人でしょ。間違いなくクソ野郎よ、アイツら」
難しい表情で固まる。
流石にフォローしたいが、クロノはフォロー出来るほど二人を知らない。
どう言えば正解か、とても迷う。
クロノが黙っていると、リリアは眉をひそめながら、
「マジでロクな相手じゃないわ」
「いや、良く知らないけど、そこまで言うほどじゃ……」
「だって、アイツら多分、人殺してるよ?」
リリアの言葉に、ドキリとする。
何故そう思うのか?
そんな問いを投げ掛けたかったが、リリアには明らかな確信がある。
茶々を入れられないほど、強い確信が。
「十や二十じゃないよ。それじゃあ足りなすぎるくらい、血生臭い」
「……そういうの、何で分かるんだ?」
「分かんない。何となくそういう気がするだけよ。同類だからかもね」
同類にしか、通じない感覚。
少なくとも、山のように殺人を行った相手にだけ感じられるもの。
クロノには理解できないものだ。
「まあ、私の場合はあのクソ『魔王』の影響かもね。ソイツについてる怨念の量が何となく感じられるっていうか……」
「ああ、そういう……」
「何でちょっと安心してんのよ」
リリアは髪をかきあげ、耳にかけた。
少し呆れた風だが、喜んでいる。
クロノに慮られている事が、嬉しいらしい。
「まあ、私が言える事と言えば、もうアイツらとは関わらない事ね。ロクなことにならないわよ?」
「……でもなあ。二人とは仲良くなれる気がするんだが」
「絶対ろくでなしよ、アイツら! お願いだから、もうアイツらは忘れて。私が居てあげるんだから、もう十分じゃ……」
「いや、流石に酷くない?」
真上から、声がした。
少女の甲高い声だ。
気配なんて一切なかったのに、いきなり、唐突に現れた。
ぎょっとして、二人は臨戦態勢を整える。
声の方向を見たが、そこには誰も居ない。
すると、
「反応速度は悪くないね。動きもまあまあ。あ、お弁当の中身ひっくり返してるじゃん、もったいない」
「……いきなり、なんだ? アイン」
飛び退いた二人の真後ろから、アインが歩いてきた。
足音も気配も、一切しない。
二人に背を向けて焚き火の方へ向かい、ひっくり返ったリリアが用意した弁当をつまんでいる。
リリアが嫌そうな顔をしたが、別に敵という訳ではない。
少々時間を要して、警戒を解く。
「へや、ふぉっふぉほうふぁふぁっへ」
「……落ちてるものを食べると、お腹壊すぞ」
「だいふぉうぶ、だいふぉうぶ」
頬袋が小さくなるのを、ぼうっと待つ。
だんだんとリリアがイライラし出したが、何とかクロノは宥めていた。
マイペースなアインに空気が呑まれる。
「で、だよ。ちょっと、クロノくんに用事、ていうか提案があって来たんだよ」
「時間がかかったね」
「ホント何なのよ」
リリアが殴りかかりそうなほどイラついている。
用意したものと、二人きりの状況を台無しにされて、とさかにきていた。
あまりのんびりしていては、喧嘩が始まる。
ぼんやりしているアインでも、望むところではないらしい。
少し突っ込みにくい、真面目な顔をする。
そして、
「君、ボクの弟子になりなよ」
「「は?」」
唐突な提案に、すっとんきょうな声をあげる事になる。
だが、この提案は、クロノが最も望んでいた事だと、本人すら気付いていない。
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