51 圧倒
溢れる呪いが、収束する。
再現なく溢れ続ける負の力が、制御されている。
これまでとて、十分にコントロールされていたはずだが、今は別次元だ。
自然と、力が従っている。
無理に頭を押さえて制御していたリリアより、遥かにリラックスしていた。
人の器ではまるで収まらない巨大な呪いすら、ソレにとっては小匙の一杯なのだろう。
まるで、規格外。
人を遥かに超越した立場から、クロノたちを睥睨している。
ソレは、呪いの装束を纏いながら、いつの間にか現れた玉座に腰を下ろす。
「図ガ高イ」
「「「!」」」
思わず、全員耳を塞いだ。
その言葉自体が、凶悪な呪いだ。
対処を怠れば、精神を汚染されていた。
それと同時に確信する。もう、人ではなくなってしまった。
心臓を鷲掴みにされた感覚だった。
凄まじいプレッシャーに、押し潰されそうだ。
「我ガ死ニ絶エ、幾星霜。ソノ間二成長シタノハ、態度ダケカ、人間?」
大量の羽虫が羽ばたくような、黒板で爪を引っ掻くような、そんな不快感。
声はリリアのままだが、それと同時に、聞くに耐えない不協和音が聞こえる。
耳を塞がなければ、気持ち悪すぎてマトモではいられない。
存在が、負、そのもの。
そこに在るだけで、全てを台無しに出来る存在だ。
「平服セヨ。聞コエヌカ?」
声を聞くだけで、戦意を削がれる。
姿を見るだけで、心が折れる。
呪いの王。
そう呼ばれるに相応しい力が、ある。
「ナルホド、従ウ頭スラ無イト見エル」
「伏せろ!」
右手を小さく挙げる。
呪いが集まり、小さな球体を作り出す。
それに、まるで星のような引力を感じた。
クロノの号令に応じて、二人は即座に屈む。嫌な予感がしていた。だから、反射的に、その直後に響いた指示に従う。
球から広がった輪は、正確に、三人の首があった場所を通った。
遅れれば、そのまま死んでいた。
「ソウ、ソレデ良イ。コレデ、話ガデキル」
頭を垂れた三人を見て、満足そうに『魔王』は言う。
夜のような暗い空間で、心地よそうに笑っていた。
静かに、小さく微笑むだけだが、ソレは根元から、取り返しのつかない邪悪なのだと感じる。
「普通ナラ、コンナ機会ハ設ケナイ。ダガ、ヤハリ聞キタイ事ガアッテナ。光栄ニ思エ」
親しみすら感じるほど、軽く話しているのは分かる。
態度や表情から、特別な訓練を課さずとも、何の気負いもなく気楽につらつらと話しているのだ。
しかし、あまりにも気持ち悪い。
神経を一言ごとに削られていく。
「貴様ラカラ、懐カシイ匂イガ微カニスル。誰ガ、誰ノ子孫ダ?」
「…………?」
「『勇者』カ『賢者』カ、それとも『獣』カ。我ハ、鼻ガ利ク訳デハナイノダ」
話が見えてこない。
心当たりもなければ、どういう意味かも。
突飛な問いかけに、思考に空白が生まれる。
なんと返答しようか、全員が戸惑った。
「ン? 我ラノ結末ハ、伝説トナッタノダロウ? 意味ハ、伝ワルハズダ」
「……そのお三方は、勇者一行の事ですか? 私たちの中に、その子孫が居ると?」
いち早く平常に戻ったのは、アリシアだ。
話し合い、戦闘の意思が無いことに気付いた。
何を欲しているのか、それを知りたい。
少しでも『魔王』の性質を知れるなら、儲けモノだ。引き出すつもりで、下手に尋ねる。
「似タ匂イガスル。特二、真ン中ノ貴様。奴ラノ匂イガ、殊更濃イゾ?」
そうは言われても、心当たりなどない。
だが、そんな答えで満足してはくれないだろう。
あまりの情報にまだ硬直しているクロノの代わりに前に出て、
「……彼の出自は、謎が大いに所があります。仰る通り、英雄の子孫という可能性は、あります」
「ソウカソウカ。我モ死ンデイタモノデ、記憶モ曖昧デナ。自信ハ無カッタガ、可能性ガアルノナラ、ソレデ良イ」
一番狙われるべきは、一番強いクロノだ。
アリオスとアリシアは、クロノのサポートと、隙を突くことに徹するのが最善。
元から全員がそのつもりだった。
意識をクロノに向けられる。戦いの中で、一番強い相手にそうなるのは普通のことだ。しかし、このやり取りで、その意識を過剰に向けられると踏んだ。
仲間を売る寸前の行動だが、それは合理性からくる判断だ。
頭をフル稼働させながら話し続けているが、それがバレているのかいないのか。
戦意は見せていないため、まだ、この時間は長引くはず。
時間を稼ぎつつ、『魔王』を目の前にする不快感に慣れる。
戦闘を完璧なパフォーマンスで行うために。
「小娘ノ中デ眠ッテイタ間モ、懐カシキヲ感ジテイタ。小娘ハ、我ニトッテ檻デアッタガ、コノ懐カシキ気配ノオカゲデ、目ヲ覚マセタ」
「彼女は、本来ならば三十年は貴方を閉じ込めておけるはずでしたが……」
「眠ル我ダカラコソヨ。檻トハイエ、身動ギスレバガタガ来ル程度デアル」
凄まじい呪いだ。
弱い生物なら、見ただけで狂死しかねない。
戦う所など想像したくもないが、そうは言っていられない。
攻防を予想し、戦うイメージを作る。
心で負ける状況を作るなど、論外だ。
じっくり、戦う前に挫けそうだった精神を取り戻していく。
「お伽噺の英雄たちの子孫かもしれないとは、喜ばしいことですね」
「ハハハ、我二目ヲツケラレタノダカラ、必ズシモソウトハ言エンガナ」
頬杖をつきながら、優雅に話す姿は、なるほど王に相応しい。
傲岸不遜の言葉が、これほど似合う者は居ない。
怯える三人と、ふんぞり返る『魔王』との実力差は、そのまま態度に現れていた。
「やはり、『魔王』様も敵は憎いのですか?」
「憎イトモ。ダガ、ソレ以上二認メテイル」
怖いと、心底から思う。
もしもコレが外に出れば、世界は滅びるかもしれない。
その昔、英雄たちはコレを殺すために、その命を散らしてきたのだ。
世界中を相手に、互角に戦った怪物。
気配だけで、他とは違うと知らしめる。
「『勇者』モ、『賢者』モ、『獣』モ、忌々シイガ、良キ煌メキヲ放ッテイタ。我モ、魅了スルホドニ」
クロノを見ている。
なにかを思い出すように想いに沈みながらも、視線は外さない。
その興味すら、呪いが乗る。
クロノなら抵抗できるレベルだが、人を殺すには十分すぎる。
意だけで、何かを害する事ができる。
殺傷能力の高さに、戦慄する。
「良キ時代デアッタ。全テガ命ヲ輝カセ、美シク散ッタ。シカシ、ドウダ? 今ハ、ソレガ足リナイ」
「足りない? 世界中で、戦争は起きています。この近辺は比較的平和ですが、十分な……」
「足リヌノダ。悲鳴、恐怖、苦悶、絶望。今ノ世界ニハ、何モカモガ、足リヌ」
朗らかに、『魔王』は言う。
それこそ、幼子に語りかけるように。
だが、その常識は、人のモノとは乖離しすぎている。
ただでさえ存在が気持ち悪いのに、その大きな差が、不快感を募らせる。
「カノ英雄タチハ、素晴ラシカッタ。歪ミ、傷ツキ、苦シンデイタ。アノヨウナ素晴ラシキモノガ、マッタク足リヌノダ」
値踏みされている。
そう気付いた途端、鳥肌が止まらなくなる。
「コノ小娘ノヨウニ、命ガ虐ゲラレル時ニシカ、見エヌ輝キガアル。我ハ、ソレヲ見タイ」
「また、世界中に戦乱を起こすのでしょうか?」
「無論デアル」
「また、『勇者』が現れるのでは?」
できる限り、気を緩ませて欲しかった。
クロノが密かに魔法構築は、アリシアにはギリギリ察せるほどに上手く隠せている。
この大怨霊に、挑むだけの勇気は整った。
「奮闘スル英雄タチノ前ニ立チハダカリ、絶望ヲ振リ撒イテコソの『魔王』デアル」
「死を恐れてはいないと?」
「モチロン。死ヲ恐レ、慎マシク生キルツモリハ無イ」
人間の全てを相手取っても、これは恐れない。
放っておけば、また、同じことを繰り返す。
お伽噺の中でこそ許される地獄が、瞬く間に展開される。
止めなければならない。
意識は十分、戦闘へ向けられている。
そして、
「派手二暴レテミセヨウ。次ノ数百年モ語リ継ガレルヨウナ、『魔王』ノ舞台を見セテクレル」
「止まっては、くださりませんか?」
「愚問ダゾ、賢シキ女。貴様モ知ッテイルダロウ? 性ヲ抑ラレル生命ハ、生命トハ言ワヌ!」
呪いが弾ける。
姿が消える。
真後ろから気配がした。
「我ノ復活二立チ会ッタ褒美ダ」
「クロノ!」
最も早く動いたのは、アリオスだ。
クロノが避けきれないと判断した。
事前に用意していたからこそ発動できた、十数の結界。
それに安堵せず、アリオスはクロノを突き飛ばす。
「死ヲ賜ロウ」
数多の結界は、ガラスのように砕けた。
手刀がアリオスの肩を抉る。
致命傷になる位置ではない。だが、ドロリと、アリオスは吐血し、倒れる。
「アリオ……」
「爆ぜろ!」
アリオス諸共に、アリシアは魔法を行使する。
大規模な爆発に包まれて、視界が塞がる。
あまりにも容赦の無い攻撃に、クロノはアリシアへ責めるような視線を向ける。
だが、汗だくで、瞳孔を開かせ、クロノには目もくれずに集中するアリシアが目に入る。
誤差にして、ゼロコンマ、数秒。
死角からアリシアを襲う『魔王』を迎撃するには、それだけの時間が間に合わない。
「か、ふ……!」
「フフフ、ハハハ!」
呪いがアリシアの体を犯す。
数瞬後には、全身が呪いに包まれる。
この呪いに触れる事は、前提としていない。
あらゆる防護は紙のように突き破られ、病魔として肉体を凌辱した。
「他愛ナイナ、英雄ノ末裔ヨ」
「あ」
斬られる。
抵抗などする余地もなく。
傷口から呪いが侵入し、凄まじい激痛をクロノに与える。
そのダメージは、到底クロノが意識を保てるものではない。
クロノは、そのまま地面に這いつくばった。
「サテ、再ビ、世界ヲ滅ボソウ」
ソレは、人の手に負える存在ではなかった。
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