33 『よく言うよ。端から切り捨てるつもりだったくせに』
アリシアは、戦闘経験に乏しい。
その人生の中で、それを必要とした時間が、あまりにも少なかったのだ。
能力として磨いた事は多々あるが、机の上で過ごした時間が最も多い。
出来る事は、魔法が多数、近接格闘術が嗜む程度。
真正面から戦うのなら、まず間違いなくクロノに軍配が上がる。
勝ち筋が薄いのは、分かっていた。
まず、こうならないように状況を整えておくべきであり、挑むのは不正解だ。
明確な負け筋をなぞろうとしている今は、愚行と呼ぶ他にない。
なのに、思考が冴えてくる。
戦闘に向けて、特化していく。
如何にして目の前の男を屈服させるか? ただそれだけの事に、全てを傾けていく。
これからする事に対する魅力に、アリシアはどうしても抗えない。
野蛮極まりない事柄に、力を尽くすのか? 失敗する可能性が高い事に、自分という価値を投じるのか?
答えは決まっている。
「捻り潰す」
驚くほど好戦的な言葉が飛び出た。
自分の言葉とは思えない、その相応しくない発言は、何故か自然と胸に落ちる。
コレこそ足りなかったものだと、胸を張れる。
自然と上がった口角が、それを示す。
湧き上がる暴虐への興味が、いつまでも在り続ける。
「その喧嘩、言い値で買ってさしあげましょう」
挑発が半分、本音が半分だ。
頭の中では、どんな手を使えばクロノを嵌められるか、それをどうクロノが攻略するか、そればかりが浮かぶ。
飛び散る血飛沫が、まろび出る臓物が、現れる苦悶の表情が、楽しみで仕方がない。
一秒先にはどんな景色が待っているのか?
自分が組み伏せられる姿すら、長らく待ち望んだもののようにも思える。
愛しい人を迎え入れるように、両手を広げた。
そして、
「来てください、クロノさん」
「その前に……」
クロノはパチン、と指を鳴らす。
すると、
「これは……」
景色が書き換わる。
古臭い地下室でも、人が居る都市でもない。気が付けば、そこはどこかの荒野だったのだ。
一瞬感じた、膨大な魔力反応。
自身で撒いた様々な魔法が、置き去りにされていた。
あり得ない状況だが、その解答すらもすぐに導き出せる。
有り得べからざる魔法行使に、思わずアリシアは震えた。
「『空間転移』……?」
膨大な魔力反応に比べて、詠唱や発動の瞬間に感じた時間は一瞬。
世界の法則を変える魔法でも、空間などの概念に干渉する事は最難関である。
それを、何の苦もなく息をするようにやってみせた。
天才と呼称するだけでは、その異常性は表せない。
おかしい。
常軌を逸する。
何かがねじ曲がっている。
その事がひたすらに、面白い。
「あはぁ……!」
「これで、周りに気にする必要はない」
その行為の意図は理解していた。
だからこそ、腹の底から笑えてくる。
周囲の人間への配慮という、ただそれだけの事のために、この大魔法を使ったのだ。
流す脂汗と、取り繕った表情から、無理をして『空間転移』を使ったのは見抜いた。
行使の早さと隠密性は空間を司る魔法への適正からだろうが、高い魔力を持つアリシアを無承認で巻き込んで飛ぶのは、かなりの消耗を強いられたはず。
支出を度外視して、価値のない者を守った。
事前に削れてくれる分にはありがたい。それに、アリシアを舐めている事もおかしくて堪らない。
「なあ、アリシア……」
「戦いはもう、始まっていますよ?」
容赦はしない。
初めて現れた敵を前に、抑えきれなかった。
まずは手始め。
発動したのは、三つの攻性の魔法。
全てが無口頭によって発動された魔法行使だ。
何気なく高等技術を使っているが、なんの苦でもない。高等技術程度なら、小手先の技も同然だった。
風、炎、土の全てが、速度重視の魔法である。
「まっ、て……!」
「もう十分待ちましたので」
早く、一刻も早く傷つけ合いたい。
そんな欲望を制御できない。
攻撃が防がれた事と、追撃の余裕がないことを確認した後、アリシアは大きく飛び退き、隠し持ったペンダントを掲げた。
すると、何もない空間から、肘までほどの長さのステッキが現れる。
刻まれた魔法を補助する装飾、宝石、素材。全てが高品質な魔杖である。
武器の品質は十全。
次からはさらに威力も速度もあがる。
「言葉を使いたいのなら、私を倒してからにしてくださいね!」
「俺は!」
第四階梯魔法『アビスバースト』
第五階梯魔法『金蓮花』
第六階梯魔法『雨煙火林』
中位から高位魔法の大連打だ。
下から弾けた闇が、四方から迫る蓮の葉や華を思わせる光の結界が、上から降り注ぐ火の雨が、クロノを襲う。
「正直、戦うのは気が進まない!」
「貴方が言い始めたのでしょう!? 私の敵になってくれると! なら、争うしかない! 今、この瞬間に!」
「君が望むからな! でも、話がしたいんだ!」
その全てを、クロノは一薙ぎで打ち払う。
高い魔力とパワーで無理矢理かき消したのだ。
強引どころではない荒業だが、それをなし得てしまうのだから凄まじい。
なおも興味が唆られて、アリシアは数多の魔法を編み上げる。
言葉を聞きながら、話しながらも、アリシアの攻撃性は一切は衰えない。
「何を話すのです!? 既に、賽は投げられたのですよ!」
「コレが、終わった、後の話だ!」
閉じ込めるためや、足止めのためではなく、目隠しのための結界を張る。
閉じ込められる事を警戒し、クロノは回避行動を取ろうとするが、その結界は先のものと違って断然脆い。
その裏から、攻撃を行う。
第五階梯魔法『ミリオンエッジ』
無から鋼鉄が生み出され、刃にとして形を成し、射出される。
強い魔力を帯びた刃は、金剛石すら軽々と斬り裂ける。
視界は塞がれた中で繰り出される刃の雨は、逃げ場も、避ける余地も与えない。
「終わった後? 面白い事を言いますね! 終わりは終わり、後なんてありませんよ!」
「別に、俺は殺し合いをしてるつもりはない!」
クロノは当然、防御するしかない。
だが、並大抵の魔法では相殺できない。
アリシアの魔法が巧みであるのもそうだが、ステッキによって底上げされた分は無視できない。
だが、問題なのはそこではない。
最もクロノにとって苦しいのは、考える時間を与えられないことだ。
「この後だって、普通にある!」
気が付けば、全ての刃が潰れていた。
空間ごと、一気に捻じ曲げられたかのような、不自然な潰れ方だ。
しかし、アリシアは手を止めない。
未知に対して、何も怖じない。
「それは申し訳ありません! 面白すぎて、殺し合いが前提になっていました!」
「嫌なはしゃぎ方だな!」
距離を取る。
近接戦に持ち込まれれば、勝ち目はないからだ。
この数十メートルばかりの間合いを潰されるか、否か。それが勝負の分かれ目になる。
第五階梯魔法『フライ』
第四階梯魔法『ファントムデコイ』
アリシアは空中へと逃げ、さらに、幻術による囮を作り出す。
距離を取りながら、本物を悟らせない。
二つの魔法を維持しながら、アリシアはさらに魔法行使を続ける。
「分かりました! 私が勝てば、貴方は私に完全服従! これで構いませんね?」
「まあまあ嫌、なんだけど!」
「貴方の意思は関係ありません! 動けなくなるなら、私は必ず貴方を洗脳します!」
「ホントに嫌なんだけど!」
瞬間、地面が大きく揺れる。
思い切り足を取られて、クロノの視界は傾いた。
第三階梯魔法『カゲロウの巣』
巨大な流砂が発生する。
いきなりの事で、ほぼ仰向けの状態で倒れた。
さらに追撃が襲う。
「じゃあ、俺が勝ったら、言うこと聞いてもらうからな!」
「どんな命令でも、どんなご奉仕でも喜んで!」
「やましく聞こえる事を言うな!」
第六階梯魔法『鉄塊氷山』
氷で出来た山が、降り注ぐ。
五十メートルは優に超える巨大なそれは、クロノをシミすら残さないだろう。
焼いて溶かすのも、砕くのも、範囲外に逃げるのも、間に合わない。
「お、おおぉぉおおお!!」
クロノから、歪な魔力が湧き出した。
特有の、あの気持ち悪く、強大な力だ。
クロノが触れた瞬間、氷塊は一瞬で消え去った。
まるで、刹那の内に膨大な時間が流れたかのように。
「俺は、俺は、なあ!」
「はい! 何でしょうか!?」
「君とも、友達になりたいんだ!」
意味が分からない。
言葉を理解する事が出来ない。
攻撃の手こそ緩めはしないが、僅かに思考に空白ができた。
数瞬の沈黙の後に、アリシアが叫ぶ。
「まるで意味は分かりませんが、私に勝てたらそうしてあげましょう!」
爆破、酸、空気弾、レーザー、闇、重力、気圧操作、気温支配、腐食、刃、瀑布、念動力などなど。
氷山の上からさらに展開された魔法の数々。
上から完璧に押し潰すためのものだ。
思考する間を奪うための、クロノを慌ただせるための攻撃だった。
「言ったな、言質取ったぞ……?」
だが、その全てが無に消える。
クロノが生み出した『どこでもない空間』が全てを飲み込み、消滅したのだ。
何度目か分からない『あり得ない』だ。
詳しい理屈は、アリシアにすら理解出来ない。
けれども、判断は常に一瞬で、決断に戸惑いも迷いも存在しない。
「ぶっ飛べ」
「!」
クロノの姿が消える。
思わず視線を彷徨わせてしまうが、魔力の残滓から、クロノが何をしたのか遅れて気付いた。
防御態勢を取ろうとした時には、もうクロノは目の前に居て、
「『空間転移』! しまっ……!」
クロノが手をアリシアにかざす。
掌から漏れ出た衝撃波は、容易くアリシアを地に叩き落した。
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