29 『よっ! 待ってました! あ、お茶請け持ってない?』
「まず、商品の引き渡しです」
華が咲いたかのような、美しい笑顔だった。
真っ白な花弁が映える百合のような、一見害など何もない、綺麗なだけのものに見える。
直前のやり取りが無ければ、確実に騙されていただろう。
このおぞましき悪女を、ただの少女と勘違いしていただろう。
だが、それが毒針を隠すためのものだと分かっている。
身構えるのは、その刃に触れないためだ。
この毒に酔いしれる事が、無いようにだ。
「両親が用意したもので半分。あと半分も、すぐに調達しましょう」
「あ、ああ……」
笑うアリシアに、邪気は映らない。
純真な少女のように、見せかけられる。
これまでずっと、奥底に封じられてきたからだろうか?
表面上だけは、本当に綺麗なだけだった。
だから、不意に気になった。
コレは本当に『悪』なのだろうか、と。
仮面を被った怪人を演じている、ただの少女なのでは無かろうか、と。
何故、そう思ってしまったか?
馬鹿な想像をしてしまうほど、普通だったからだ。この状況で、極めて、平静だったからだ。
「あ、アンタ、俺たちが取引してるもん、分かってんのかい……?」
コレが、本当に邪悪か?
目に見えた結果を無視して、そんなくだらない事を思ってしまう。
見たこともない、未知なのだ、コレは。
だから、相応に怯える、震える。
自分の半分ほどしか生きていないような少女が、不気味で、おぞましくて、仕方がない。
「ええ、人間ですよね? 用途は魔法用の生贄ですね?」
「…………」
言っていないはずだ。
商品が人間である事すら、知らないはず。少なくとも、商品を詰める『檻』は隠され、鍵はかけられたまま。どの魔法も高度で、小娘に破れるものではないはず。
何故、知っている? 何故、分かる?
人を扱うのは良いとして、生贄と何故断言できる? 他にも、色々と可能性はあったはず。不自然に、当たりの方ばかりを引き当てられている気がする。
全てを見透かされているかのような気分だ。その言葉には、不自然に強い確信が乗っている。
それが、気持ち悪くて仕方がない。
「嗚呼、特に難しい事ではありません。後ろ暗い商品が何か、当たりを付けていただけです。出生率やら、人口やら、土地代やら、ここ数年おかしな所が無いかを洗っただけですよ」
「…………」
「情報の精査は、ちゃんとしてきました。私が『お願い』すれば、改めて調べてくれる優秀な文官が数人居まして」
嫌に口が渇く気がした。
だが反して、手は汗でべったりだ。
人と話している気がしない。この小娘から感じる、超越とした存在感には、覚えがあった。
男の直属の上司、第五使徒『聖王』
雰囲気が、似ている。
何もかも見透かし、見下すような気配が。
「死亡率と人口に着目すると、多少おかしな所が見えてきまして。人間が商品なのは分かっていました。今確認しましたが、奴隷としての旬が過ぎたモノも多いかったので、消耗品として使うのではと想ったのです」
「コイツらはぁ……」
「お気遣いなく。資源の売買に心動かされる事などありませんよ」
だから、檻には高度な隠蔽が今も……
いや、それはもう良い。
何もしないのも、男は嫌になってきた。
懐から葉巻を取り出し、火をつける。
余裕を演出するつもりが、本当に若干だが心が落ち着くあたり、煙の恩恵の強さを感じ入る。
これで酒もあれば良いのだが、と高望みをしてみる。
早くも、逃げ出したくなってきた。
「随分と質のいい資源を集めてますね。その点、私の両親もなかなか素晴らしいですよ」
「……アンタの両親だけじゃ足りんぞ。まだ、数が必要で、」
「嗚呼、その点は心配なく。同じように、催眠の魔法をかけた使用人が居ます。質もこだわりましたので、質と量、両方十分かと思われますよ」
心底から、思う。
他人の事を、本気で資源としか見ていないのだ。
得になるか、損になるか。
コレは、人が数字に見えるに違いない。
彼女の両親が踏み越えなかった一線など、意味が分からなかったのだろう。
「……そう、警戒しないでください。これは、貴方たちにとって利になる提案なのです」
「利に、なる?」
「五年後、私なら提供出来る生贄の量を三倍にしてみせます」
誰かを苦しめたい訳では無い。
誰かを貶めたい訳でもない。
ただ、自分の利益を追求しているだけなのだ。
悪意もなく、悪人と化しているそれは、男が触れたいものではない。
触れられないほど、おぞましい。
これまで、生贄は慎重に提供されてきたのだ。
万一にもバレないよう、戸籍や死亡率の隠蔽や誤魔化しを繰り返してきた。
それに、魔力の高い、質のいい生贄を用意するのは、並大抵ではない。事態が露見しないよう、丁寧に工作してきたのは別として、同水準の人間がなかなか見つからないという理由もある。
それをどうクリアするのか?
戯れ言だと、切り捨てられない凄味を感じる。
「私なら、生贄のための『牧場』を作れます。誰のものでもない空白の土地を作り、錯乱の魔法と結界で保護し、高い魔力を持つ人間が生まれ続ける『牧場』を」
「発想が人間じゃねぇよ」
「ありがとうございます」
褒めていないのだが。
しかし、そんなことはお構いなしだ。
心底楽しそうに、嬉しそうに。
「……分からねぇな」
「分からない? 何がです?」
「お前、何が目的なんだ?」
すると、アリシアはとても不思議そうな顔をする。
明確な答えを求める理由が、分からないようだった。
考えるまでもないと、雄弁に様子で語っている。
だが、すぐに納得したようにハッとして、
「利益ですよ。純粋な利益。家を存続させたい。繁栄させたい、それだけの事です」
「……異常だよ」
似ている。
信奉を向ける対象が違うだけで、同じなのだ。
直属の上司だけに言える話ではなく、使徒たちに共通するものだろう。
他のすべてを贄にしてでも、成し遂げたい事がある。
その異常な熱意が、そこにはある。
「……仕事が達成出来る時点で、文句はねぇ。今の話、するんなら俺の上司にしな」
「紹介して頂けるので?」
「お前なら、気に入って貰えるよ。クソ女」
もう、会話もしたくない。
自分が悪人の自覚はあるが、目の前の巨悪には通用しないと分かったからだ。
あまりにも、レベルが違う。
きっと、コレは何万人殺そうとも、眉一つ動かさないに違いない。
劣っていると取るべきか、勝っていると取るべきか。男が微かに有する良識が、目の前の女を嫌悪する。『違って』いるのでも、『優れて』いるでもない、『外れて』いる人間は、ただただ気味が悪い。
それだけの事なのだ。
それだけの話なのだ。
「じゃあ、残りの生贄を用意しろ。話は持ち帰る。半月は待て」
「『越冥教団』バンザイ、とでも言えば?」
「やっぱ居てたな、あの時? ああ、『越冥教団』バンザイだよ、クソったれ」
男が振り返ろうとする。
前払いの料金を出そうとして、荷物の方を向いたのだ。
忌々しげに舌打ちをする寸前のことだ。
「あ?」
「駄目だ、そんなの」
他に誰か居た事に、気付く。
小娘以外の、他の何者か。
直前まで薄かった気配が急に濃くなり、男はそちらを改めて見つめる。
そこには、
「上手く言えないけど、間違ってる。そんな迷った心でやって良い事じゃない」
「……一応、俺は止めたからな」
「悪い。巻き込まれてくれ」
「アイツら、アンタのツレかい?」
「ええ、大切な『お友達』ですとも」
二人の少年の存在を、直前まで見落としていた。
その事に、男は若干の不気味さを覚えた。
だが、すぐに思考を切り替える。
「お嬢様? 俺はどう踊れば良いので?」
「殺さないでください。それはリスクが高すぎます。私なら、上手く『説得』してあげます」
強い危険を感じ取る。
男は自分の武器、鋼鉄と皮のグローブを嵌めた。
バキバキと、拳を鳴らす。
凍えるような鋭い殺気が吹き荒ぶ。
「このクソガキ共、すぐ寝かし付けてやろう」
「許されない。やっちゃいけない。望まないなら、後悔するなら、俺は止める」
「放っておけばいいのに……ああ、クソ……」
その闘争は、止められない。
誰も知らない、ただひとりの勝手な認識だが、首を突っ込んだのは、主人公だからだ。
その結果は、はじめから決められていたのである。
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