24 何でもっと単純になれないんだろうね?
夕食までの自由時間。
客間での解散の後のこと。
およそ三時間ほどの暇ができて、各々がどう過ごすのかは、ある程度決まっていた。
自然と、各々のやりたい事が現れた結果だろう。
アリシアと客三人は、三つに別れる。
アリシアは馬車での言葉通りに屋敷を探索、クロノはアリシアについて回り、アインは行方知れず。
打算と好奇心と不可解が入り混じり、様相は混沌である。
どこで誰がどんな厄介事を起こすのか?
いつ、何が起きてもおかしくはなかろう。
だからこそ、やるべき事は真っ先に。知りたい事は、最短で。
彼は、目的に対して一直線だ。
真面目な彼の性根は、すぐに彼をそこに運ぶ。
長い廊下。
記憶はまだ新しく、時間も経っていない。
一度出た部屋に、舞い戻る。
ノックと返事、開扉までは流れるように。
彼、アリオスは、館の主であるオーディルの元へと向かっていた。
「おお、アリオスくん。どうしたのかな?」
「失礼します、子爵。いえ、大した用ではありません。子爵のお話を聞いておきたくて」
彼の妻のアイラの姿は、見えなかった
彼女も居た方が良かったのだが、仕方がない。
アリオスはオーディルに促されながら再び入室し、そして席につく。
控えるメイドが、手際よく新しいカップを差し出して、中身が満たされる。
アリオスは、緊張を感じている。
アリオスとて、社交界や密談をしたことがない訳では無い。
けれども、どちらかと言えば彼は武人肌な人間だ。しかし、今、こうしてアリオスは『知』の部分で、その道を歩んできた貴族相手に、独力で挑むのだ。
そう、おかしな事にはならないだろう。
自分の価値を自覚しているアリオスは、少なくとも、オーディルが自分に縁を結んで欲しいと思っている事は分かっている。
しかし、だからといって、丸め込まれたり、上手く躱される事は予想している。
アイリスの話通りのボンクラではないと、分かっているのだ。そう簡単に、アリオスの目的を叶えてくれるとは、思っていない。
だから、こうして恐れている。
警戒を怠らずに、話そうとしている。
だが、何よりも恐れていることは、
「それで、話というのは?」
「ええ。実は娘さんのことでして」
静かに、落ち着いた様子だ。
どちらかがそうだと言った訳では無い。
けれども、堂に入ったアリオスの雰囲気や、それを嫌な笑顔で受け入れるオーディル。
いつの間にか、準備は出来ていたのだ。
なんとなく、どことなく。
商談の空気は、確かなものになっている。オーディルは、娘の友人にあたる態度ではなく、客を相手にするように恭しく、言葉を紡ぐ。
「あまり時間は取らせません。言いたいことは、一つだけなので」
「ほう……それは、気になる……」
迂遠な事は言っていられない。
誰かに聞かれてはいけない会話なのだ。
すぐに切り上げるつもりだった。多くの時間を取らせることは、望まない。
その性急さは、伝わるものだ。
だが、決して雑になってはいけない。
これから聞こうとするのは、オーディルにとって、恐らく触れて欲しくない部分なのだから。
「……娘が、何かしたのだろうか? アレが、無礼を働くとは考えにくいが……」
「いえ。私は、まず貴方から聞きたいと思いまして」
「……私から、か」
意図を測りかねているのが、ひしひしと伝わる。
提案や依頼をするのだと思っていたのだろう。
アリオスの予想外の注文に、オーディルは困ったように頬を掻く。
「何を求めているのかは知りませんが、アレは利発な娘ですよ。私達も、末恐ろしく思うほどに」
「…………」
「あの子が生まれてしばらく、私達は家を立て直そうと必死でした。子供に勉強を強いて、過度に期待をかけて、何度も怒鳴りました。しかし、三人居る子の中で、アイリスだけは特別でした……」
そこには、真剣な評価があった。
オーディルは、自分よりも娘の方が高い能力を持っていると自覚しているのだ。
そこを認めるプライドの低さに、アリオスはオーディルの評価を高める。
「凡百な私達とは、似ても似つかない。あの子が八歳の時、私達の商売に口を出し始めた時のことは忘れません。あの子の言は、何もかも的を得ていて、何もかもが論理的で、とにかく上手くいったのです」
「…………」
「親として、子の才能を喜ぶべきなのでしょう。しかし、私達は恐れました。恐ろしい。とても、怖かったのです」
素直な言葉に、アリオスは満足していた。
それが、聞きたかったのだ。
「恐ろしかった。だから、コントロールしようとした。ですが、上手くいかなかった」
「…………」
「方法を示せば、より良いものを示される。倫理を解けば、理屈で負かされる。どうにもなりません。立場を笠に着て、命令するしかない」
記憶をなぞるオーディルは、とても疲れて見えた。
その様子を見れば、分かってしまう。
これまで取ってきた手段の全てが、無為に終わってきたのだろう。
何も、変えられなかった。
影響を与えられなかった。
きっと、眼中にすらないのだろう。その屈辱の中で、何年も何年も抱えてきたはずだ。
その弱さに、アリオスは追従する。
「私も、娘さんは恐ろしいと思いますよ。私はこういう事には疎いのですが、娘さんに持ちかけられた商談には、思わず震えましたよ」
「親として、鼻が高い限りです」
「ですが、少々、恐ろしすぎる」
心からの感想だった。
お世辞でもなんでもなく、本気だ。
強い警戒心を表しながら、その心中を吐き出す。
弱さを晒すことは、あまり良い手ではないとは知りつつも、必要なことだった。
そうせずには、いられなかった。
「貴方は、どう思います? 彼女の欲望、能力、そして冷酷さについて」
「…………」
押し黙るオーディルに、アリオスは己の内に抱く同じものを感じ取る。
気味の悪いものへの忌避、強きものへの恐れ。
それが深く、強く、現れる。
勝機、というより、隙なのだろう。
「危険です。心から、そう思います」
「…………」
「誰かが、必要なのです。アレの首輪代わりになるための、誰かが」
その本題は、重く、重く。
呪いのような、そんな言葉。
凡庸な男にかけるには、酷な願い。
「制御なしには、許されない。人の心を軽く見る彼女は、いつか必ずやらかすでしょう」
否定はしない。
オーディルも、その未来は見えている。
結果のみを追い求め、その過程にある犠牲をまったく考慮せず、情すら利用し尽くす。
悪魔のようなその性を、隠している。
利益のため、いずれは目も当てられないような非道を為す。
しかし、
「私や友は、その枷にはなれない。共に長い時間を過ごす予定がない」
「…………」
「ですから、必要なのです、貴方たちの力が」
自分たちに火の粉がかからないように。
いつかやってくる災禍が、芽を出さないように。
その役目をこなせるのは、やはり、親たる彼らしか居ないのだ。
アリオスの願いは、それだった。
親たる彼らが、親として在ること。アイリスのその性を、矯正すること。
この願いは、とても、とても重要な事だった。
「…………」
オーディルは、深く落ち込んでいた。
下を向くその顔は、窺い知れない。
ただ、低く、声が響き続ける。
「私達は、親として、情けないか……」
「…………」
「これまで、あの娘の才能を抑えつけることしか出来ない私達は、出来損ないか……」
心底、苦しそうにしていた。
痛みを堪えるような言葉に、アリオスは酷く掻き乱される。
自分よりも長く生き、その分、苦痛を積み重ね、その上で上手くいかなかった男の吐露。
理解出来てしまうから、本当に痛い。
アリオスとて、それは分かってしまう。
「すまないな。私達は、君の期待には応えられない。とっくの昔から、あの娘は私達なんて越えている」
羨望と、後悔が見える。
強い者が何故強いのか。自分たちには、一体何が足りていないのか。
どうすれば良かったのか。違う手を取れば、もっと上手く事が運ばれたのか。
そんな、つまらない感傷に囚われている。
アリオスもよく知る、かつて抱いていた感情だ。
「君が、娘を恐れるのは分かる。今回の件も、こうした、信頼出来る人間を連れて来い、という形でなければ、否応無く巻き込まれていたでしょう」
「…………」
「まったく、油断ならない。あの子はきっと、この先何度も巻き込もうとする。だが、私達には、それを止める手立ても、能力も、時間もない」
オーディルは、冷たくそう言い放つ。
アリオスの願いは叶えられないと、そう言っている。
あてが外れた。
そう思う他にはない。
出来ない事を無理に強いるほど、アリオスには力がないのだから。
元より、そこまで望みが強かった訳でもない。
断られる事も予想の範疇で、仕方がないと席を立とうとした。
そこに、
「出来るとするなら、君たちだけだよ」
「失礼します」
オーディルの言葉は、純然な事実なのだろう。
自分の身は、自分で守るしかない。
他人に全てを頼った時点で負けだったのだと、そう思った。
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