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幕間 忘れ去られた英雄の一幕


 夜の帷が降りきって、十歩先も見えなくなる。土の匂いが鼻につき、虫の声がわんわんと響いている。

 人工的に作られただろう、整理された道がなければ、この先に人が住んでいるとは思えない。木漏れ日ではなく、遮られるのは月の光で、届く光量はとても限られている。

 薄気味悪い闇が、どこまでも遠く広がり、人の恐怖心を煽っていた。

 ひとり延々と歩き続けるには、不気味すぎる。心細さを抱えながらも、歩く時間はとても長く、静かに物思うにはとても合っている。

 こんな山中に居を構えるとすれば、どんなしがらみから逃げたかったのだろうか。暇潰しには、あまり苦労はしなかった。


 馬車を用いて、都会の彼の家から一昼夜。それだけ時間をかけてでも、彼はこんな何もない場所へ赴く必要があったのだ。

 何故なら、古くからの友人に、二人きりで話がしたいと頼まれたから。


 密談をすると言われた時に、彼は真夜中の個室をイメージしていた。

 月明かりと、仄かに揺れる蝋燭の火の元、小さな言葉を交わす。そうした密やかで、静かな場が用意されている。

 彼はとても普通の青年なので、誰もが想い描くような場面しか考え付かない。

 暗い想像、突然の連絡、おどろおどろしい静かな道のり。この時点から、何故だか、不穏なものを感じざるを得なかった。

 

 現代から約四百年前、とある春の日の深夜。

 彼は、古くからの友人の自宅に招かれる。


 不自然さ、というものは、感じていた。

 話がしたい、なんてらしくないのだ。その友人は、とても豪快な性格で、悩みや問題はひとりで勝手に解決してしまう。

 それに、その友人は、とても強い友人に恵まれている。仮に世界がひっくり返っても、彼に何かを頼む必要がない。

 その気になれば、友人は己の時代を作り出すこともできた。己の国を建国し、千年王国の王として統治し続けることもできた。その気になれば、どんなことでもできたのだ。


 太陽のような存在だった。

 その友人が、塵芥でしかない彼を頼るのか。

 頼られることへの喜びより、何が起こるか分からない恐怖が勝つ。

 悶々としながら、闇夜の道を突き進む。

 星と月の光、目的地へ続く道を頼りに、進んでいく。


 そして、小さな家に辿り着いた。



「…………」



 ここまでの鬱蒼とした道とは一変、その場所だけは拓けていた。

 小さな畑と、小さな家。

 世界の全てを手にできる人間の持ち物としては、信じられないほど質素だ。

 緊張を抱えながら、戸を叩いた。

 すると、



「ぼへっ!?」


「よく来た、フィリップ!」



 思い切り、扉が開いて叩きつけられた。

 地面に背をつけることになる。

 流れる鼻血に後から気付き、擦りながら、前を向いた。

 鈴を転がすような綺麗な声は、爛々としていた。

 


「……■■■さん。相変わらずのようで」


「ああ、すまない!」



 フィリップの前に立つのは、女であった。

 腰まで伸ばした黄金色の髪は、さらさらと流れるようだ。

 四肢はすらりと長く、細く引き締まっている。

 既に年の頃は三十を過ぎているはずだが、その態度まで含めて、十代半ばの少女に見える。

 それだけなら、ただの少女としてしか見ない。だが、只者ではないと一目で理解できる理由は、片側が潰れている蒼い眼と、肌に刻まれた大小無数の傷の数々。


 女は、フィリップの古くからの友人。 

 女は、かつて世界を救った大英雄。

 女は、世界に愛でられし乙女。


 名前は、その名前は、



 ※※※※※※※※※※



「頼みたいことがあるんだ」



 場面は、机を挟んでの話し合いになっていた。

 夜を迎えることへの備えと、来てくれたことへの慰労を兼ねて、暖かい飲み物を用意してくれていた。

 湯気からは甘い香りが漂っていて、夢のような心地がする。

 フィリップも、憎からず思っている相手だ。それに、彼女の周囲の人間は優秀で、恐ろしく強く、彼の付け入る隙がない。

 だから、これが都合のよい夢なのではと思ってしまう。

 


「君のためなら、いつでも死ねるよ?」


「過激だなぁ! お前たち、私のことが好きすぎだろう!?」



 冗談に対して本気で笑っているが、彼にとっては本心でしかない。

 夢うつつのままに、フィリップは言う。

 彼女の前では、何も偽ることができない。

 日に照らされて、その恩恵に預かった側が、どうしてその恩に背けるか。

 僅かな背徳すら、自分を許せなくなる。ただ、本当にそれだけのことである。

  


「だけど、もしかすれば、死ぬより酷いかもしれないんだ」


 

 何を申し訳なさそうにするのか、フィリップにはまるで分からなかった。

 貰った恩を思えば、死ねと命じられて死ぬのは当然だ。

 何を言われても、即座に実行するつもりだった。

 


「いいか? これから言うことは予言だ。なにもしなければ、百パーセント未来で起きる」



 彼女の言葉を疑わない。

 愚直であることだけが、彼の取り柄だ。

 だが、



 ※※※※※※※※※※※※

 


「このままなら、こうやって人類は滅びる」


「…………」



 ひとつ、許せないことがあった。

 それは、太陽が陰り、輝きが消えること。

 どんなことがあっても、この一つだけは許せなかった。

 フィリップは、彼女に魅せられていた。

 死ねと言われれば迷わず死ぬが、これだけはどうしても許せない。



「いや、いやいや……」


「信じられないだろうが、未来はこうなる。だから、君は……」


「違う! そうじゃない!」



 衝動のまま、机を叩き付けた。

 コップがガタンと倒れ、もう冷めきった中身がこぼれ落ちた。

 しぃん、と静寂が満ちる。

 怒りに身を任せないと、フィリップは彼女の言葉を遮ることなどできない。冷静な部分で、彼女に意見するなどしてはいけないと思考している。

 

 だが、それでも、今怒らなければ、光は消えてしまう。

 


「何故、君がそんなことをしなければいけないんだ! そんな必要、どこにある!?」


「言ったはずだ。このままなら、人類は滅びる」


「知るか、そんなの! とにかく嫌だ!」



 彼女の居ない世界は、ただの終わりだ。

 人類が死に絶えるよりも、耐え難い。

 とにかく嫌だ。絶対に嫌だ。何が起きたとしても、それだけは阻止したい。

 意志が固いのなら、とにかく頼み込んで、いや、何を犠牲にしてでも止めさせなくては。


 いや、そもそも、

 


「確かに、そうなれば人類は滅びる! だけど、そんなの覆せるだろう? 君と、あの二人が協力すれば……」


「ダメだ」


「いいや、そうしよう! 君は錯乱している。今から二人をここに呼んで……」


「私たちが協力したら、本当に実現できてしまう」



 確かに、それは間違いない。

 彼女とその友である二人、この三人が協力すれば、本当に何でもできてしまう。

 となれば、それは()()()()()となる。

 いよいよ、人類は滅びて消え去るだろう。

 滅びが僅かに遅れるだけで、根本の解決には至らない。

 


「私の責任だ。ケジメはつける」


「でも、でも……」


「すまない。だが、分かってくれ」



 握られた手は、とても冷たかった。

 瞳は、濡れたように輝いていた。

 何度も何度も、見てきた。彼女が周囲を鼓舞し、前へ進ませてきたのは、瞳に灯る、苛烈で力強い意志があったからだ。

 その光に魅せられたから、フィリップは今まで進めた。

 死ねと言われれば、死ぬつもりだ。犠牲になれと言われれば、犠牲になった。

 そういう人間は、彼以外にもごまんと居る。



「頼む。私は、私の理念を違えたくない。そんなの、とても生きていられない」


 

 真に恩を返すというのなら。

 この、大罪を背負うことにも、耐え得るのではなかろうか。



「…………」


「……そうだな、五年後といったところか。君に封印を施す。存在を封じる禁呪だけど、穴を残す。いずれ緩み、絆され、四百年後に解除されるように」



 愚直さだけが、彼の取り柄だ。

 言われるままに、命じられればそうしよう。

 何百年でも待つとしよう。

 何かの役に立つかもしれないので、封印されながらも、剣の鍛練だけは続けよう。

 


「伝えてくれ。私の最期を。そして、私の願いを」



 本当は、尋ねることすらいけないことだ。

 彼女への疑いなど、そんなものはない。

 あるとすれば、彼女の期待に応えられるかという、自分への疑いだ。



「どうして、僕なんだ……?」


「…………」


「そんな重要な役目、僕なんかより、他に適任が居るんじゃないのか?」



 項垂れる頭が、重くなる。

 これから背負う罪の重さに、早くも潰れてしまいそうだ。

 この日、この時、茨の道を選ぶことができたのは、



「お前だけが、私の友人の中で、普通の人だからだ」



 手を取って、彼女が自分を選んでくれたからだ。



「普通の倫理観がある。ほんの少しだけ、私の言い分に納得しただろう?」


「…………」


「私の周りは、イカれ野郎が多すぎる。お前は、とても真っ当で、珍しい存在だ。お前以外、こんなことは頼めない」



 信頼してくれた。役立たずの自分に、大役を任せてくれた。

 そのことが、涙が出るほど嬉しかった。

 このために生まれてきたと、確信できた。

 ちっぽけな自分を使えって、成し遂げられる価値の大きさは、ここが最大だ。

 


「確かに、お前は弱いさ。他より強い野郎は居るさ。でも、普通の人のお前が、打ちのめされても、苦しんでも、私の側で只人より遥かに苛烈な道を歩んできた。それは、価値あることだよ」



 だから、受け入れた。

 彼女の筋書きの通りに、死にもの狂いで実演した。

 この五年、革命、建国、その後の引き継ぎ等々。濃密なスケジュールの中で、彼女の預言に従い、その全てをやり抜いた。

 価値あることと、そう認めてくれたから。

 ただ、一言があったのなら、その一言のために全てを賭しても構わない。


 血を流し続けた。

 分不相応なものを求める戦いは、疲れた。

 これが罰だというのなら、とても納得がいく。

 苦しみ抜いて、死ぬ思いを何度もして、そうすれば、彼女の孤独を慰めることができるのではと思った。

 

 五年後、フィリップは封印にかけられる。

 朦朧とする意識の中でも、彼は預言を叶えるための鍛練を欠かさなかった。

 ただ、伝えなければならないことを、伝えるために。

 この贖罪を果たさなければ、生きている意味がないのだから。

 

 だから、



 ※※※※※※※※※※※



「お願いです……僕を、彼女の元へ……」


「フィリップ王……」



 アリオスたちから取り残されたフィリップは、アルベルトの肩を借りなければならないほど弱っていた。

 弱まっていたとはいえ、強烈な封印がほどけた所である。四百年間縛られ続けた疲労は、ともすれば死に至る程度には甚だしい。

 それだけ苦しいはずなのに、彼は這ってでも、目的を果たそうとしている。



「伝えなければならないのです……。お願いします、私をあの子の元へ……」



 うわ言を繰り返すばかりだ。

 きっと、何を伝えても何も返してくれない。

 この妄執は、それだけ根深い。四百年もひとつの想いに囚われるなど、想像もできない。

 きっと、彼が思いを伝えたい誰かでなければ目を醒まさない。

 だが、彼には関係がない。



「私は貴方の子孫、アルベルトと申します!」



 建国の祖として、敬意がある。

 この状況で、彼の妄執を阻止しようとも思わない。

 協力することもやぶさかではない。

 ただそれも、やるべきことをした後のこと。



「祖たる王よ、お目もじして光栄至極に存じます! 未だ王にすらなれぬ未熟者ですが、ひとつ、お尋ねする無礼をお許しください!」


「伝えなければ……伝えなければ……」



 アルベルトが、クロノたちに付いて回った理由は、国の危機に立ち向かうためだ。


 クライン王国は、教団の拠点が多すぎる。

 行方不明の人間の数、死者数、諸々に不自然な部分がある。

 隠された金の流れる先と流入された未知の技術は、どこへ繋がるのか。

 国ぐるみで、教団の実験に協力していることは、もはや暗黙の了解だった。


 彼は、それが嫌だったのだ。

 


「何故、貴方はこの国を立ち上げたのでしょうか!? 歴史では、圧政に苦しむ民たちのため、剣を取ったと聞きましたが!?」



 父たる王も、皇太子たる兄も、その状況を認めていた。

 いったい何人が、いたずらに死んだか。それだけならまだマシで、命を弄ばれた末に殺された人間も、腐るほど居る。

 いや、それも胸くそ悪いが、最悪構わない。

 もしも、この事が露呈すれば、他国からの非難は避けられまい。世界の敵に協力し続けた裏切り者として、最悪、滅ぼされてしまう可能性もあるだろう。

 このリスクを取り続けるのは、看過できない。

 


「現在、この国は教団という悪の組織に寄生されているのです! 貴方が理想を以て作った聖域が、悪人の靴底に荒らされている! この現状、如何にお思いでしょうか!?」



 敵の戦力が凄まじいことは、知っている。

 無駄な怒りを買って、攻め滅ぼされるなどそれこそ愚かだ。

 だから、教団について消極的な手しか打てないことは仕方がない。

 せめて、もしもがあっても、独断ゆえに処分できる己が動くべきだ。王の暗殺のため、とでも言い訳できれば十分だろう。


 ここまでした理由は、全て、生まれ育った国のため。

 


「祖なる王よ! お答えを! 悪が栄えている今への憤りを、見せて欲しいのです!」


「…………」


「さあ!」



 答えを迫る。

 最も古き王は、どんな想いを抱えているか。

 興味本位ではあったが、真剣に問うていた。

 そして、



「国を、築いたのは、彼女が、そうしろと、言ったからだ……」



 小さく、風にかき消される声で届いた。

 確実にアルベルトの落胆させる言葉を。

 


「すまない……僕には、多くの、人を導いて、叶える理想は、なかった……」


「…………」


「ちっぽけな人間、なんだ……。君の、期待できる、答えはない……」



 志を問われるのなら、それはそうだ。

 彼は、英雄の器などではない。

 尊敬した人と共に人生を歩みたかったという、ただそれだけが願いの凡人だからだ。

 彼の願いの中には、その他大勢の人生なんて想定にはない。

 ゆえに、



「ここから、先は、君の戦場じゃ、ない……。くだらない、意地と、理想の、ぶつかり合いだ……」


「…………」



 肩を借りることは、もはや求めない。

 くだらない理念のぶつかり合いに、大義は必要がない。

 フィリップは、大義ではなく、彼女への想いを全うするために。彼の敵たちは、彼ら自身の思い出を守るために。

 だから、



「君が、戦う、場は、ここじゃない……」


「…………」



 大義を抱く子孫へ向けて、恥を晒しながら言う。

 情けなさに、顔も向けられない。

 仕方がないから、一人で進むことを選ぶ。

 フラフラになりながら、まともに歩くこともできず、亀よりも遅く前へ進む。

 愚直さだけが、彼の取り柄だった。



「…………」



 望む答えを得られなかった子孫は、無言でフィリップに再び肩を貸した。



「な、ぜ……?」


「残念です。我が国は、不純な動機のもとに作られたのかと」



 ならば、この場で捨て置かれてもおかしくない。

 さぞ、がっかりしただろう。

 国を愛し、命も捨てられる人間に、その祖からくだらない国の成り立ちを聞いたのだ。

 


「しかし、貴方が教団を潰そうとするのなら、手伝いましょう」


「…………」


「貴方が、その誰かに会うまでですが」



 言葉が出なかった。

 背負う罪の大きさに、胸が苦しくなる。

 

 思い描いた未来が、近付いていくことを感じていた。


 

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