151 挑戦 怪人
普通の魔法使いのエネルギー量を、仮に一としよう。誰かに師事し、研鑽を積み、それを生業にできる才なき普通の魔法使いだ。
それでも、魔法使い以外の常人よりはずっと多く、数が揃えば戦争は大きく状況を変える。その他、多数の愛すべき凡人たちである。
人類の多くは凡人に位置している。
そんな中で、凡人たちが一生かかっても辿り着けない領域に、手を掛けた者たちも居る。
十や百という、多大なエネルギーを身に宿す、いわば天才である。
割合は、およそ一割ほどの希少な存在。
頂点に近い、限られた者たちだ。
その天才たちを砂のように一握し、さらに数粒を選り分けたとしよう。
彼らは、英雄と呼ばれる者たちだ。
天才たちからさらに飛び抜けて、強く、凄まじい素質がある。
数字にすると、五万であったり、十万であったり。
アリオスたちも、現在はここに位置する。
そして、そのさらに上に、怪物たちが闊歩する。
歴史に遺すことができる者たちだ。
英雄の中でも百年に一度の逸材が、稀に至れる領域である。
一人で大陸の全てを平らにする、国を滅ぼす、消えぬ傷跡を世界に残す。そういう力を持った、人を外れた者たちであり、使徒はこの位置にあたる。
ここまで来ると、常識や枠組みなど使えない概念と成り下がる。
例えば、『怪人』と呼ばれる第四席の彼が有するエネルギー量を数字で表すならば、軽く四十万を越える。
常人、四十万人分の力を、一身に宿す。ただそこに在るだけで、大国を凌駕する戦力である。
時代によっては、一代で世界規模の統一国でも、焼け野原でも作り出せただろう。
何の自惚れもなく、かつて彼は自分がこの世で最も強いと信じていた。
自負を許されるだけの力が、あったはずだった。
何もかもに手が届く理想を、描けるはずだった。
だが、そうならなかった理由が、彼の目前には居る。
(圧倒的ダ……)
そもそも、何故、異空間が力ずくで壊されるのか。
小さいとはいえ、そこは独立した世界である。
法則があり、理屈があり、認識すら不可能な数字によって成り立たせている。物質とは異なり、それは概念的なものである。
それを無理矢理に壊したということは、理論上、その延長にこの星の破壊すらできてしまう、ということ。
ただ、頑強な物体を壊したのとは、意味も訳も違う。
半世紀かけて創りあげた、『最強』を封じるための世界であった。だが、相手がデタラメすぎて、無駄な努力に終わった。
こんなにも、馬鹿げたことはない。
これが一個の生物であるなど、なんの冗談と思いたくなる。
(コレ八嘘ヲツカナイ。ダカラ、コレ八一割シカ力ガ戻ッテイナイシ、力ヲ完全ニ戻シテ戦ウツモリモナイ。ダガ、シカシ……)
一割で、どんなに少なく見積もっても、彼の二十倍以上のエネルギーを感じる。
つまり、コレの本気を数字で表すことができたならば。
(考エルノモ、馬鹿ラシイ)
彼と、凡人とでは、象と蟻でも表しきれない差がある。英雄たちとでは、子供と大人以上の差があるだろう。
だが、彼とその他との差よりも遥かに大きく、『最強』との差は横たわる。
あまりにも、深く、大きな谷だった。
より優れた存在に、人間は嫉妬を覚えるらしい。
何を馬鹿なと、彼は思う。
本当に凄まじいモノを目撃した時には、塗り潰されるのだ。感動も、恐怖も、嫉妬すらなく。見上げるだけで精一杯になる。
(サテ…………)
構えた。
体術など、彼は知らない。
この場合は、多種多様、様々な魔法をいつでも発動できるようにすることを指す。
数多の魔法は、人外の怪物である彼が、そのエネルギーを練り上げて用意したもの。
しかも、彼が司る概念は、空間。想像可能なあらゆる天災を巻き起こせるだけの力である。
さらに、彼は『最強』の情報を仕入れている。
ソレは人と獣、二つの性質を併せ持つ。普段は人としてしか戦わないが、力を隠しているのだ。
戦闘形態を使い分け、その二面性で相手を翻弄するのが本来のスタイル。
さらに、『最強』の使う数多の技も、体で覚えている。知識だけなら有する秘密の技も、多く知っている。
初見ではない。対策も考えてきた。
だが、
(気休メニモナランナ)
諦念が、色濃く浮かぶ。
彼とて、そこまで愚かではないのだ。
身をもって、彼は知っている。
どれだけ策を弄しても、数で利を取っても、絶対の不利を押し付けても。
それでも勝つから、『最強』なのだ。
「――――――!!」
大きく、『最強』の肉体が変化する。
直立の二足から、四足へ。
雷が落ちたような唸り声が響き、鎧を纏うように変形をし続ける。
時間にすれば、一秒未満。
あからさまな隙なので、彼は用意していた魔法のうちのいくつかを放り投げてみる。
思い付く限りの殺傷性を持つ空間魔法だ。
だが、
『久しぶりに、暴れられるな』
当然のように、ソレは無傷である。
『最強』は、人間の少女の姿から一転、完全なる獣と化していた。
一見、夜を纏ったような漆黒の狼に見える。
だが、額から伸びる大きな角が、三対六個の眼球が、醸し出す空気の厳かさが、決して尋常の存在ではないと知らしめる。
発声をどこからしているか知らないが、冷めた鉄のような声が頭に直接響く。
『こういうのが好きなんだろ? 自分以上の怪物がさ』
「…………」
返答はしない。代わりに、備えた魔法をぶつけた。
様子見などと言ってはいられない。一秒の間に可能な限りぶつけた魔法の数は、百をくだらない。全てが空間に作用し、対象を裂き、砕き、解体する必殺のソレであった。
だが、当然のように、無傷である。
『ほら、今度はこっちから行くぞ』
「!!!」
ソレは、身動きひとつしていなかった。
ひたすらに静かで、その莫大なエネルギーすらも静謐を崩さない。
不可解であったのは、魔法の発動を認識できなかったこと。
彼にも気付けない速度で発動したわけではない。今、彼がもらってなんとか防御できた一撃は、空間を操作することによって、範囲内の存在をねじ切るものだった。空間魔法については、彼に一日の長がある。
だから、魔法を使わずに、魔法のような超常の現象を起こしたという事実に気付く。
『魔法は、力を以て理をねじ曲げる術理だ。だけど、ボクはこの星の化身。ボクこそが理。ボクこそがこの世界だ』
「…………」
『お前たちは、こそこそ理の裏を突く。だが、ボクは、この存在で理を使役する』
デタラメだ、と心の中で叫んだ。
だが、次の瞬間に、理不尽に嘆くという無駄を投げ捨てる。
背中が凍ったような感覚がした。
瞳に映ったのは、死の象徴だった。
漆黒の神狼が、アギトを広げ、牙を覗かせたのだ。
直後、彼は空間を広げた。
距離を取るのに、彼は身体を動かさない。
魔法によって空間を操作し、自分や他人を好きな場所へ転移、もしくは『距離』を発生させる。
当然、空間の固定化や歪曲によって、防御のための盾も作る。
仮に攻撃を繰り出していたのがアリオスであったなら、当然に加害に失敗していた。
だが、
『だから、お前が創る世界への影響を無視して、こういうことができる』
「―――――」
狼の面でも、嘲笑うことができるのかと、一瞬どうでもいい感想が浮かぶ。
ぼとり、と神狼が咥えていた何かが音を立てて落ちた。
無くなった左腕を庇いながら、彼は反撃に移る。
痛覚など彼にはないが、脂汗を流す。
恐ろしき『最強』を拒絶するために、魔法を行使した。
「ガア、アアア!!」
空間をねじ曲げても、切り裂いても意味はない。
攻撃のアプローチを変える必要があることは、本能で理解していた。
異空間を作り、束ね、錨を作る。空想の上に成り立つ、仮想の質量は、いくらでも積み重なる。
それを、全力で放り投げる。
『念じれば、それだけで世界はボクの味方をする』
少なくとも、敵を引き潰し、遥か後方まで障害物を消し飛ばしながら削ることができた。
しかし、ほどけ、消えていく。
当たるよりも前に、魔法は解除されたのだ。
『知覚は、もはや生物の域を越える。どこからボクを害するものが来るか、世界が教えてくれる』
正面からの攻撃は、囮だ。
本命は、真上に用意した別の錨だった。
視界にかすることすらなかったが、ソレにとっては見えているも同然なのだろう。
『無駄なんだよ。ボクに、魔法は通じない』
折り重ねた空間を武器の形へ変える。
剣が、斧が、槍が。刃も鈍器も、何もかも、人を殺せる形を再現し続ける。
さらに多くの殺意を、さらに多くの安堵を求める。
だが、どれだけ用意してもまるで足りない。
水筒の水で、砂漠は満ちない。
『暇潰しに考えてたよ。お前たちとボクとでは、いったい何が違ったか』
凄まじい魔法を使えるとか、とてつもない威力の必殺技を使えるとか。
そんな陳腐でくだらない『最強』ではなかった。
一挙手一投足が、細胞のひとつひとつが、存在の根元が、異なる生命体だったのだ。
天才程度の工夫なんて、簡単に踏み潰す。
彼は、多くの魔法をストックしていた。
形作った術式を異空間に閉じ込め、それを取り出すことで効果を発揮させる。
彼の三百年近い人生で用意した、幾百万の魔法を湯水のごとく使っていく。
今度の魔法は、
『お前たちは、克己に打ち込むことができない。他人を貶めず、与えられた時間をただ強くなることに使わない』
「…………」
『突き抜け、孤独になることを恐れる。ある程度強くなれば、もう必要ないと投げ捨てる。だから、お前たちはボクの期待を越えられないんだ』
彼が創った小規模異世界。
それらは小さく、手のひらに乗るような大きさだ。
しかし、腐っても、矮小でも世界である。
彼は、異空間の創造を、生物が子を作る時に似ていると感じていた。
創造の時に使用したエネルギーに見合わない、内包する未知の力を宿しているのだ。時間をかけて調整すれば、それだけ可能性と力を秘める。
そして、その異世界を、彼は爆発させる。
殻が壊れた途端に、中の神秘と力は暴走し、弾けるのだ。
その時の爆発は、この時空を歪ませるほどの威力を持つ。
惜しげもなく、十の世界を使った。
ひとつで、地図が大きくかき変わる破壊を秘めたはずだった。
だが、
『弱く、脆く、自分の力に振り回される。本気で強くなる気がないからだ、軟弱者め』
これまでの、幾百の魔法は、何も世界を乱さない。
山を、谷を、河を等しく平らにするはずの破壊は、どこを探しても見当たらない。
すべての異常を、ソレは包み込む。
彼の手加減なしの全霊を、ソレは容易に防ぎきったのだ。自分のみでなく、世界に与えた影響ごと、なかったことにした。
いったい、何の悪夢だろうか?
『選ばれた力があるなら、脇目も振らずに磨き続けろ。たとえ最強になったとて、歩みを止めるな。その覚悟がないなら、大人しく死ね』
これは、きっと小手調べだ。
わざわざ彼の攻撃を受けて、横綱相撲を気取っている。
本気で戦うつもりなら、もっと攻めている。
何故なら、コレは守るより攻める方が性に合っているから。
もしも、ソレが本気になってしまえば、あまりにも当然に負けるだろう。
このまま怖じ気づいてさえいれば、殺す価値もないと見逃してくれるだろう。
どうすることが賢い選択か、彼は知っている。
だから、
「――――――!!!」
『そう、それでいいんだよ』
彼は、一歩を踏み込んだ。
代償は命と知りながら、それでもと。
満足そうに笑う『最強』を目にした瞬間、
「…………」
下半身を食い千切られた。
無様に、みっともなく、彼は這いつくばるしかなかった。