150 挑戦 機械人形
そこが捻れた時空であることは、踏み入れた瞬間に理解した。
アリオスたちの目の前にクロノが居るように見えるが、外の法則など働いてるはずのない空間で、迂闊には動けない。
赤髪の、一見粗野な見た目の男には、とても見覚えがある。
この領域の支配者であること、そして、時を操る魔法を使うことは把握した。
「来いよ、雑魚共。核の違いを見せてやる」
先手は譲ってはいけない。
言葉が終わった瞬間に、アリオスは雷の槍を放った。
合計十の雷撃が、空を走る。
瞬きの間に敵へ殺到し、感電と熱で肉体を蹂躙するはずであった。
「効くか、クソボケ」
すべての雷は、ライオスを通りすぎる。
より正確には、放った瞬間にデタラメに転移し、ついには彼方へ飛んでいった。
時空の流れ方が、めちゃめちゃに書き変わっている。一歩先に踏み出せば、まったく別の場所に飛ばされる。
踏み出せば、どんな目に遭うか。
「死ね」
しかし、止まったままで行われる戦闘はない。
必然的にかき乱される。
ライオスは腕を軽く振るう。すると、軌跡には青銅の槍が現れた。
指を鳴らすと共に、それは加速し、飛んでいく。
「!」
アリシアが前面に障壁を作り出す。
鋼鉄より遥かに頑強で、並みの魔法ではヒビひとつ入らない。
にも関わらず、触れた瞬間に、障壁は風化した。
真っ直ぐに、若人たちの命を奪いに来る。
「こっち!」
単純に、近接戦の力で最も劣るのはアリシアである。
ラッシュはアリシアを抱き抱え、その場から離脱。アリオスは前へ進み、リリアだけがその場で攻撃を受け止めることを選ぶ。
迎撃、回避、防御、それぞれの選択肢。
その全てに、ライオスは否を突きつける。
「バカが」
アリオス、ラッシュ、アリシアは、動いた途端に予測地点とはまったく違う場所に居たことに気付いた。
特に大きな驚愕は、ラッシュとアリシアの目前には、ライオスが迫っていたことだ。
動作の過程は見えず、攻撃のモーションすら済んだ状態だ。
攻撃を向けられた二人は、背筋が凍った感覚を味わう。
単純な蹴りのように見えるソレ。
だが、あまりにも速く、加速度的で、死の匂いがした。
触れれば死ぬと、肌で感じたのだ。
「!」
下した判断は、的確であった。
彼我の間にあった空間を、爆ぜさせたのだ。
また、見当違いの場所に飛ばされる。
空間の非連続性に、振り回される。
未だにアリオスは敵の元へ行けない。
毎秒ごとに、世界は形を変えていくのだ。
どこに繋がり、どこへ行き、流れるか。場所によって、時の速さすらことなる。
適応は極めて困難である。
「あ、あ、ああああ!!!」
一方、防御を選んだリリアは、同様に苦戦していた。
ライオスの槍は、触れたものの時間を爆発的に加速させる。
呪詛という概念は、人の怨念次第で残り続けるもの。だが、掠れもする、薄れもする。時間という概念からは逃れられない。
ジリジリと押され続けて、いずれは負けることが既定となる。
呪詛と、時のぶつかり合い。
術としての性能は、遥かに後者が勝っている。
意地で勝れる領域ではない。
即座に、リリアは術ではなく、それを構成する力そのものを敵と定める。
込められた力は腐り落ち、動きを止める。
牽制の一撃を防ぐために、この消耗とは、本当に割に合わない。
ならば、今度はやり返してやろうと空を走る敵を睨んで、
「ああああああ!!!!」
「吼えるな、雑魚が」
気付くと、目前に敵が迫っていた。
乱雑に拳を振りかざし、勢いをつけてぶつける寸前であった。
なんの変哲もない拳であったはず。なのに、背筋が凍る死の気配を感じる。
それに応じて、彼女の呪いは形を為した。
盾と鎧は、主を守るために。槍は、憎き敵を穿つため。
漆黒は、万物を呑み込み、呪い尽くす。
対して、拳は何の工夫もなく振り下ろされる。
打ち勝ったのは、拳であった。
「!」
槍の穂先は自然と折れた。
拳は、盾も鎧も撃ち抜いて、リリアの腕ごと吹き飛ばした。
触れた箇所を塵に変わる。数百年の時間が経過したように、朽ち果てた。
二撃目は、目に留まらぬほど速かった。
過程が圧縮されたようだ。
回避は間に合わず、防いだところでどうにもならない。
「……やるな」
振り下ろした拳は、何も壊さなかった。
リリアはもう、目前には居ない。
見やれば、アリシアがリリアの首根っこを掴んでいた。
空間に作用し、引き込んだらしい。
短時間で構造を見抜き、ハッキング。腕前を過小評価していたと小さく認める。
だが、最も評価している点は、別だ。
アリシアの手は大きく爛れている。リリアの呪いに触れた瞬間に、相当ダメージがあったはずである。
躊躇いなしに、傷付くことを選ぶ。
ライオスは、その姿勢こそを見る。
「どいつもこいつも、テメェの命を何だと思ってやがる。捨て身を躊躇えよ、バカ共が」
「「「「…………」」」」
ライオスたちは、集結していた。
空間の非連続性が途切れた僅かな時間を使って、ようやくできたのだろう。
分かってはいたが、桁違いの使い手である。
今のやり取りの中で、戦闘不能に追い込まれてない者がいないだけで僥倖だった。
まったく底が見えないのは、いつも通り。このレベルの相手に、戦闘が成立できるだけ、よくやっている。
集中を切らせてはいけない。ギリギリの所で成り立っていると、自覚している。
「この空間、何とかならない?」
「無理です。先ほどは、本当に偶然支配権を取れたんです。もう、油断してはくれません」
「なら、別の方法を考えなさい。アタシらじゃ、どうにもならない」
「暴れるぞ。やり方は、各々任せる」
瞬きの間に、ライオスは動く。
空間の繋がりを弄り、その先はアリオスたちの背後へと。
「ほう」
短い嘆息。
後ろから仕掛けると読んでいたのだろう。
殿をしていたラッシュが、魔法を置いていた。
感覚鈍化、鈍足化、脆弱化など、ラッシュが持ち得る全ての弱体化の魔法だ。
目眩ましのための煙幕、味方への無音化を施している。
ライオスは、アリオスたちを見失った。
次の瞬間、体を弾かれる。
二組で組んで、各々が別々に飛んだのだ。
置き土産の呪いが動きを止め、雷撃と氷撃が炸裂した。
「く、くく、天才共め」
愉快そうに笑うライオスは、巨大な時計を背負っていた。
どんな意味を背負っているか、計り知れない。
ただ、秒針が凄まじい速さで回り出し、
「少しは粘れよ、瞬で死ぬぜ?」
推察の間もなく、姿が消える。
風切り音から、高速で動いていると理解した。
だが、どこから来るか判断不能だ。
音が出ては消え、視線の先で捉えた瞬間に、遥か彼方で空を蹴っている。
動きに規則性が無さすぎる。
アリオスとラッシュ、アリシアとリリアが互いの背中を守る。この場でさえなければ、これほど信頼できる背中はないと、言い切っていた。
その不安は、預言のごとく、当然に当たる。
「上だ!」
ラッシュは、索敵のための感知領域を薄く広げていた。
空間の僅かな揺らぎを検知し、警告を飛ばす。
できる限りの防御を展開しながら、迎撃のための準備の時間を稼ぐ。
アリオスも同様に、剣を構えていた。
また彼も、人を外れた超感覚を頼りに幾つかの術を用意し、時間を稼ぐ。
だが、時間とは、この場のただひとりのための領域である。
「こふっ!」
「あ゛あ゛あ゛!!」
武具は、容易く崩れ落ちる。
何故なら、千年不変の道具などないから。
人の肉は、脆く、塵となる。
何故なら、人は二百年、三百年と生きることができる設計をされていないから。
だから、ライオスが触れたアリオスの腕も、ラッシュの腹も、消えてなくなるのが道理なのだ。
触れればその箇所は死ぬ。
まろび出る内臓を、結界で覆い隠す。
雷の身体は、エネルギーから即座に欠損部位を補填する。
「テメェから死ね」
その様をしかと目にしたために、ライオスは狙いを定めた。
集団を殺すのならば、弱い者から。
ラッシュを見つめ、殺気を放った。
「!」
すると、ライオスは後方を振り払う。
「冗談じゃねぇぜ、天才め」
「チィ……!」
舌打ちを隠さないアリシアは、魔法を放った後であった。
リリアの呪詛をエネルギーに、力を練り上げ、魔法を放ったのだ。一点集中、呪詛を混ぜ込んだ氷の矢が飛んでいた。
軽くライオスは振り払ったが、城郭を粉々にする程度の威力はあった。
さらに、触れた者に猛毒のごとく襲いかかるはずであった。
だが、それもさも当然のように効いていない。
「まったく、驚きだな。空間の繋がり方は、常に変更しているのに。法則を見極めて、俺へ飛ぶようにこの短時間で調整したのか」
憎しみさえ籠って、ライオスは敵を睨んだ。
心底恨めしそうで、感情の乗り方が段違いであるように思える。
ライオスの背負う時計の秒針が、大きく震えた。
彼の想いに呼応し、力が溢れている。
さらに、攻撃のギアが上がることを確信させた。
「!」
リリアが、真っ先に動いた。
どこから敵がやって来るか、彼女は分からない。
理屈など知らない。理論など要らない。
ランダムな敵の軌道を見切らずに、なんとなくここに来るだろう、で迎撃する。
当然のように、その直感は当たった。
だが、リリアの呪詛の槍は、届かない。
凄まじい速度で動き回って、直進しかできないはず。
この速度なら、止まることはできない。
だから、カウンターは最も効率的な対処法だ。差し向けた槍は、確実な攻撃であった。
慣性などまるで無視して、突如止まらなければ、その刃は届いていただろう。
その直後に、止まる直前そのままの速さで走らなければ、反撃できたはずだ。
「だが、それでオレ様に勝てる訳でもなし」
時を操ることは、加速も減速も、何もかもを自由にできる。
さらに、
「何度やっても無駄だぜ」
すんでのところで、ライオスを押し戻す。
爆発的な呪詛の拡大が、辛うじて間にあった。
アリオスたちの理解が一致する。
こんなもの、捉えられるはずがない。
とにかく、面で全体を押し潰すぐらいしか、有効な手立てがない。
お互いの攻撃で傷つけ合う可能性はあるが、許容する他にない。
空間を、悪意と傷で満たす。
全方位に雷撃を、それを除く全ての属性を、呪詛を、バッドステータスの付与を。
できる限りの攻撃を、無作為に充満させていく。
「俺サマ相手にゃあ、攻撃がぬる過ぎるぜ」
点ではなく、面。
どうしても、攻撃は薄くなる。
何ということもないように、ライオスはただ立ち尽くしていた。
不敵な笑みを絶やさず、アリオスたちを舐めた視線を送り続ける。
「怯むな!」
止まりそうになる手を、己に喝を入れながら動かし続けた。
四方八方、やたらめったら撃ちまくる。
少しの暇も与えてはいけない。
強迫観念に刈られるように、力を使う。
汗も、血も、流し尽くす勢いで、辺りを埋め尽くすために尽力した。
だが、
「弱ぇし、遅ぇな」
局所的に時を遅らせることも、可能なのだ。
動作を、認識を、緩やかにする。
あらゆる探知や対処は不能であり、ただ、蹂躙される獲物となるのみ。
全方位に攻撃を仕掛けることに注力しており、強襲への対応は必ず遅れる。
死神の掌が、アリシアへ向かった。
事前に、最低限の防護結界を張ってはいたが、そんなものは紙くずも同然だ。
一転して、最も厄介な戦力を削りにかかる。
「!」
瞬間、立つことも難しいほど大きく揺れた。
空間が、大きくたわむ。
ライオスを含む全員が体勢を崩した。思わず移動し、各々が別々の場所に飛んだ。
局面が仕切り直される。
「ふん……」
あと少しで、終わっていたはずだった。
だが、そうはならなかった。
ただ仕切り直されただけなら良かっただろう。
ライオスは空間を知覚し、フィールドの状態を確認する。
操る権限を与えられた空間であった。
連続性を支配し、己の力を乗せ、敵を翻弄する要であった。
だが、今はその機能を大きく損ねている。
突然の困難だが、ライオスには察するところがあった。
「いつものことだな」
嘆かず、怒らず、淡々と。
彼は、挑むことを諦めない。