148 彼の名前は
最強
その言葉の重みを、彼らは知っている。
長らく武の道を歩み、相応の高みに達した彼らだからこそ、分かるものがある。
最強とは、負けないこと。必ず勝つこと。あらゆる理不尽を、それ以上の理不尽ではね除けること。孤高であるということ。
その言葉には魔力があり、望みが込められ、畏敬と憧憬によって掲げられる。
その領域に踏み込めないからこそ、理解できることがある。
遠くとも、十把一絡げの人間たちよりもよほど近いのだ。
だから、今の自分達よりも遥かに強い力を持ち、想像もできないほどの代償を支払って、ようやく手の届く景色と理解している。
いずれ、と覚悟をしながらも、やはり崇められずにはいられない。
そう呼ばれるには、意味がある。
それを名乗るのならば、幾度となく資格を試される。自他を問わず、その称号のために、誰もが狂るう。
最早、この言葉は禁句に近い。
軽々に使うことは、彼らの強さが許さない。
そんな彼らが、目の前の存在を最強と定義した。
「!」
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
仕掛けた瞬間、返す刀で三度斬られる。
雷の速度で斬りかかり、結果、これだ。
生身のままなら、三枚に卸されて、ただ死んでいた。
非実体化して打撃・斬撃を無効化し、雷速で迫ってなお負ける。
デタラメさに、文句を吐きたくなる。
だが、一息のズレが敗北へ直行する。
「「死ね!」」
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
魔法も呪いも、全てお構い無し。
あらゆる障害を斬って捨てる。
通った後には、凪のように穏やかな現実があるだけだ。
世界が起こした変化を、無かったことにしている。
「マジでー?」
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
隙は、一分たりとも存在しない。
死角を突いても、気配を消しても、全てを対応して迎撃する。
未来を知っているのではなかろうか。
どう動くかが決まっている組手でだって、こんなに綺麗には防げまい。
「真正面からもダメ、搦め手もダメ。ダメだな、これは。強すぎ」
「泣き言を言うな。別に、勝つことが目的ではない」
本音を吐露するなら、ラッシュの泣き言に賛同していた。
少し触れただけでも分かってしまう。
この強さを、彼らは語り尽くすことができないのだ。
彼らが喧嘩を売った誰かは、訳が分からないほど強かった。
もしも、勝つことが条件ならば、計画の時点で頓挫している。
ほんの僅かな可能性をかけるのは、この蹂躙劇の勝敗ではない。
アリオスたちの勝利の条件は、
「あの人にかけられた封印の解除です。倒すより、遥かにマシでしょう?」
「ていうか、ホントにそれでなんとかなるんだよな?」
「やるしかありません」
それは、アリシアの希望的観測だった。
かけられた封印は、元の存在の大きさ故に、少しずつ軋んでいる。つまり、戦えば戦うほどに、引き出した力が強ければ強いほどに、封印は緩んでいくのだ。
四百年に渡って戦い続けたために、既に封印は大幅に弱っている。
きっかけがあれば、封印は破れてしまう。
さらに、
「それに、希望的観測と言うには、あまりにも怪しすぎる……」
小さな違和感を、二つ感じた。
まず、術式全体の歪さ。
完璧ではなく、不完全な術だった。
次第に効果が薄れていくよう、わざと穴を空けたまま術をかけたようだ。
脆さを兼ねたために、強力な術であるにも関わらず、自然と解けようとしている。
さらに、不可解なことに、ここ最近はたわみが大きくなっているようだ。
殊更の衝撃など与えたはずがない。
しかし、活動が活発になっていると、騎士団の面々が言っていた。
クロノたちと出会ってから、この誰かを大きく動かすようなナニカが、人知れず起きていた。
不気味に思う。
道筋を、あらかじめ定められていたかのようだ。
何もしていないにも関わらず、逆転の芽が育ちすぎている。
だが、
「やるしかないんなら、進むまでよ!」
既に、そこ以外に道はない。
ならば、迷いを捨てて進むだけだ。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
呪詛が溢れ、地面が溶ける。
大味な呪詛の津波ではあったが、津波とは点ではなく、面を押し潰すもの。表面だけを斬っても、仕方がないものであった。
一滴でも掠れば、そこから命を奪える力だ。ただの一振で切り払われてしまったが。
足場は、切り開かれた『彼』の周囲だけ。
併せて、外からアリシアが放った様々な特性を持つ魔法も消えていた。
法の外側から、『彼』は常に戦う。
あまりの理不尽に、徒労を覚える。
「畳み掛けろ!」
「クソ、デタラメすぎる!」
アリオスの突撃に、ラッシュが続く。
一対一なら、勝負にすらならない。
全部を出して、互いの力を高め合って、ようやく勝負の場に指をかけられる。
現時点の極致が、鍛練の積み重ねが、磨き上げられた血塗れの才能の全てが、訳の分からない理不尽に痛め付けられるだけだ。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
技
そうとしか呼称できない、ナニカ。
最小の力で、最大の効果を得る。
最大の効果は常にアリオスたちの予想と力を越えてくる。
もしも、こんな緊迫した場面でなければ、挑むこともしない。たとえ、鍛練のためだったとしても、止めていた。
こんなものと力を比べるなど、いずれ心が折れてしまう。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
「!」
流麗ならば、心を奪われる。
精緻ならば、感心を隠せない。
猛烈ならば、心が竦む。
だが、『彼』の技はそのどれにも当てはまらない。
絶対的な正解を前にすれば、ただ『そうか』としか思えない。
肉薄するほど近くに居るから、感じ取る。
これまでに積み上げた全てが、間違いだと見せつけられる。
頂とは、ここまで凄まじいとは。
険しく、苦しく、辛い。
だからこそ、
「今!」
地面から這い寄る鎖が、『彼』を捕えた。
ただ、術をかけるだけなら斬られるか、避けられるかで終わった。
世界を切り取り、時の流れを遅らせた。しかも、対象者を『彼』だけに絞って。
同時にあらゆる術を使って、幾重もの罠を仕掛けた。
囮があれば、すぐ見抜かれる。計百を超える魔法の全てが本命であり、そのひとつに偶々かかってくれた。
無理も無茶も、当然承知だった。
息を切らせて鼻血を拭うアリシアの姿が、どんな無茶を通したかを知らしめる。
「ぐ、あああああ!!」
より研ぎ澄ませてゆく。
より深くへ沈んでゆく。
目の前に正解があるのだから、即座に真似て、糧とする。
彼らは天才ゆえに、手本を一度で理解し、実践できる。
「「―――――!!」」
直感と反射と、身の丈に合わない力。
まるで、ひとつの生命のように、協調して剣を振るう。
右が避ければ左の逃げ場を潰し、手前を斬ることで奥の罠に誘導し、来る攻撃は手前で潰して反撃を図る。
「あ、あ、ああああ あ あ!!」
ジリジリと、アリオスとラッシュが押され始める。
正解を選び続けても、練度が違う。
だから、
「■■■■■■■■!!!!」
三対一の体制に、切り替える。
アリオスとラッシュ、そして『彼』の激しい攻防の裏から、『黒』が飛び込んだ。
兜、鎧、具足に至るまで、漆黒。
動く度に漏れる音は、人の呼吸や金属音ではなく、耳障りで不気味な叫び声に聞こえる。
巨大な槍と盾を携えた、おぞましさと恐怖を固めたような人型であった。
強い呪詛を身で固めたそれは、
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
「■■■■■!!」
リリアは、細かなサポートなどできない。
手はアリシアで足りているため、己が最も役に立てる方法を即座に選んだ。
後衛としての役割が最も適切ではある。
だが、このやり方も、彼女としては不得手ではない。
前線で戦うことも、同様に可能だ。
「!」
暴れまわる黒騎士は、全てが呪詛だ。
鎧がすれる音も、リリアの叫びも、目に写る動きすらも呪詛に変わる。
最も近い『彼』は、当然その影響を大きく受ける。
切り払い、無効化し、しかし着実にリソースを奪う。
「■■■■■!!」
ラッシュとアリシアが、二人を支える。
アリオスとリリアが、命を懸けて戦う。
全員の意志が完全に統一される。
「おおおおお!!!」
「ああああああああ!!」
「クソがああああ!」
「■■■■■!!」
時間としては、五分にも満たない。
だが、その五分で、千度は死にかけた。
心身ともに限界が近付いていく。
後先など考えず、この僅かな時間のために、器をひっくり返して力を注ぐ。
永遠にも思える、永い数分。
狂うほどの熱量を放ち続ける。負けもしないが、勝ちもしない。
おそらく、すぐに終わるだろう。奇跡が少しだけ長く続いているというだけのこと。
現在『彼』の封印は緩んでいる。
少なくとも、この百年で最も力を使ったはずである。
だが、完全に封印が解けるには、まだ足りない。
コップの水は、溢れる寸前まで来ていて、
「フィリップ・クライン!」
次の瞬間、時が止まった。
視線が一手に集まる。
この戦いに参加できるはずがない、弱々しい第三者。
アルベルトは、声高らかにその名を叫んだ。
「思い出した。いや、何故、忘れていたか。建国の祖、我らが源。その名前は、あらゆる記録に記され、誰にも気付かれずに、三百年あまりを経た」
ヒビが入った。
「物語には、その存在は知られども、名だけは記憶できない。世界の全てを術にかけ、貴方を忘れさせた」
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
「誰が、こんなことをした。何が目的だった。いったい、貴方たちは何がしたかった」
音を立てて、破片が落ちる。
「その状態、まさか状態の変化が止まっているのか? 何かを求めて、貴方はこの時代まで届けられたのか?」
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
「ならば、その目的は……」
そして、
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
誰でもない『彼』は、自分を取り戻す。
目的を思い出す。
「伝えなければ……」
フィリップは、剣を取る。
振り抜くと、空間は切り裂かれた。