146 ジョーカー
「なあ、オレ様に協力してくれないか?」
「…………」
受け入れられるはずがない。
殺してきた、と己で言ったのだ。
目的のために、数えきれない人間を殺してきたことは自白していた。
相容れないのは、互いの方向性から間違いない。
守るために仕方なく戦うクロノと、殺すことを厭わないライオスとでは、根本から異なる。
足並みを揃え、歩むことはできない。
言われずとも、両名が察していること。
だが、そこを曲げて、頼み込んでいる。
挑発でも、悪ふざけでもなく、本気で行動していた。
反射ではね除けられなかったのは、ライオスの目を見たからだ。
静かに燃える火が、灯っている。
こういう人間を、クロノはよく知っていた。
「何をさせるつもりだ?」
「お前は、素直にその力を提供してくれるだけで良い」
肩をすくめて、大したことはない、と笑っている。
感情だけで嫌だと言えたなら、どれほど良かったか。
こんなにも親しき男を、何故振り払えるか。
引き込まれる安堵に、どうしようもなく支配される。
「汲み上げた力を元に、術式を完成させる。無理矢理に搾り取ることもできるが、効率が悪いからな」
「…………」
「ああ、不快にさせたならすまん。これは、こちらの都合だ」
無礼な物言いに眉をひそめたクロノに、すぐさま気付く。
謝罪の言葉がすぐに出る。
クロノの周囲はとても我が強いため、このようなことはまず起こらない。
どこまでも、普通ができた男だった。
「オレ様が今、握っているこの術式は、世界の時を巻き戻すためのものだ。これで、お前の望みを叶えてやれる」
「何のことだ?」
「お前、平穏に暮らしたいんだろう?」
だから、クロノに共感できた。
アリウスをはじめとした、誰もが切り捨てたものを、クロノから感じ取っていた。
小さく、控えめで、クロノすら、忘れていた願いを掬い上げる。
「お前は、戦いが好きな訳じゃない。火の粉を振り払うための手段だ。手段と目的を倒錯しても、真に戦いが好きな変態とは違う」
「…………」
「お前は、真っ当だ。イカレていない。普通の願いを抱く、普通の人間だ」
否を突き通すことは、できない。
嘘を吐けば、それは自白と同じことだ。
沈黙を貫いたのは、それしか選択肢が残されていなかったから。
とても残酷に、ライオスはクロノの化けの皮を剥いでいく。
「お前はただ、大それた力を持ってるだけのガキだ。可哀想に。ろくでもない人生だったんだろう?」
「アンタに、何が……」
「分かるさ。オレ様もまあ、ろくでもない人生を送ってきた」
言葉にならない悲劇を背負い。
明日を夢見て立ち上がり。
それでも、上手くいかなかったのだろう。
諦めてしまった者の影が見える。
何度も、何度も、クロノが戦う度に堕ちかけた所に、堕ちてしまった。
その理由までは、推し量れない。
だが、おそらく、
「だから、無かったことにしよう。起こる悲劇を、惨劇を、なくしてやろう」
「そんな、こと……」
「道理に反するか? だがよぉ、悲しいことなんて起きずに、幸せばっかりの方がいいだろ?」
それは、そうなのだろう。
間違っているようには、思えない。
クロノだって、ライオスの言う通りになれば良いと思っている。
「やり直す。世界を、三百年前から。お前の人生も、とびきり幸せにしてやるよ」
「…………」
「オレ様に協力する見返りは、幸福だ。ここまでの道のりの不幸を消してやる」
だが、
「…………」
それでも、
「協力は、できない」
少しだけ、ライオスは残念そうな顔をした。
あまり堪えている様子はなく、予想はできていたのだろう。
それでも、軽く口惜しく思っていたのだろう。
僅かながら、唇を結ぶ力が強まっている。
「貴方は、間違ってる。上手く言えないけど、それはおかしい……」
「おかしい、か」
乾いた声音だった。
本気で自分が正しいと考えているなら、すぐに否定と罵倒を飛ばす性格だろうに。
皮肉げに笑うだけで、何も返さない。
言葉を探して、諦めたように、
「まあ、そりゃそうか。普通は、そうだよな」
揺らがない。反省はない。
きっと、何を言っても変わらない。
だが、それでも、響かない訳ではない。
何か、伝えなくてはならないことがあるような気がして、
「理解を得られず、残念だ。仕方がないが、計画は無理矢理に進めよう」
「なあ……」
「ん?」
「間違ってるって分かってて、それでもやるのか?」
絞り出した言葉が、この程度になってしまったことに、後悔してしまう。
この人物が、何を目指しているのか。
知り得ないから、示すことができない。
肯定も否定も、叩きつけられない。真っ当な倫理観で諭すなど、聖者でもあるまいし、可能なはずがない。
「正しい道より、間違っている道の方が、マシだったんだ」
「…………」
「だから、どうにもならない」
修羅の道にしか、生きられない。
「ちゃんと、オレ様は話の通じない悪党だ。それが分かっただけ、いいだろ」
決裂は、当然のように。
もう、終わりを決めてしまったのだ。
そこに向かう以外は、どうでもいい。
終わりに向かって、道が変わってしまう。
話が通じない悪党というのは、言葉通りの意味なのだろう。
「始めよう。これを成し遂げてようやく、オレ様はやり直せる」
過去への渇望は、誰より深く。
その願いは、星をも殺す。
そういう呪いを、抱いてきたのだ。
※※※※※※※※※
「敵は、おそらく異空間に居ますね」
クロノたちが捕らわれてから、時間にして二十五時間後のことである。
アリオスたちは、クロノたちの救出のために、すぐに動き始めた。
とはいえ、散々戦った後だった。
十五時間という最低限の休息を挟み、その後に全力で索敵を行った。実に十時間をかけて索敵を行った末の結論が、これだった。
告げるアリシアの結論に全員、驚きはなく、納得を示す。
いかにもそれらしいと、感じていた。
「『転移』の痕跡から、行き先はこの星のどこにも繋がっていないことは分かりました。おそらく、別の異空間に潜んでいるのでしょう」
「で、いつ殴り込めに行けるのよ?」
ドロドロとした怒りを、リリアは自然と表現してしまう。
感情に合わせて、溜め込んだ呪いが暴れる。
その鬱憤は、全員の想いを共有している。
はち切れそうな憤怒を堪えながら、表面上は冷静を装い続ける。
「……残念なことに、相手は格が違います。空間がどの位相にあるか、まるで見当が付きません」
「痕跡は追えるのにか?」
「相手は、素人ではない。天才的な術式です。夜空から、たったひとつの星を探し当てるようなものです。正解があるのは分かりますが、不正解は無数にあります」
アルベルトの門外漢ゆえの問いにより、全員が目的の難しさを知る。
正確な例えかは理解できないが、間違いなく、絶望的な難易度ということだろう。
「『神』がかりな魔法です。人間の仕業とは思えません」
「それほどか」
「世界を敵に戦ってきた者たちです。いえ、使徒とは、世界の敵に足り得る者たちなのでしょう」
敵とは、害を運ぶ存在のこと。
世界という巨大な怪物に対して、打倒の可能性を秘めた人物を、使徒と呼ぶ。
誰かに教えられた訳ではない。けれども、自然と察してしまう。
「かなり状況は悪いです。私以外、誰も空間魔法の解析なんてできませんし、多分、私だけなら解析に何十年かかるか」
「マズイな」
時間は、アリオスたちの味方ではない。
導火線に火は付けられた。
余裕など、もう残ってはいない。
「規格外の存在です。私たちには、まだ届かない領域です」
「…………」
純然たる事実だった。
圧倒的な格上が、準備の上で仕掛けた。
どうあれ、逆転可能な状況ではない。
重い沈黙が、のしかかる。
これは、どうにもならない。
「で、どう盤面を壊す?」
だが、そんなことは、百も承知で足掻いているのだ。
「規格外には、規格外を、か?」
「嗚呼、だから、この御仁を」
全員の視線が、一人に集まる。
未熟な彼らに残されたカードは、そう多くない。
だが、使徒に対抗し得るジョーカーだけは、残っている。
戦闘力だけなら、埒外の領域にいる誰か。
彼ならば、もしかすればが起き得る。
「だが、それは難しい」
冷めている訳ではない。
熱ではなく、彼は確実を元に動く。
希望的観測に縋ることはない。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー……」
「この通り、意識すらない。何のために教団を戦っていたか、誰も知らない」
知ろうとすらしなかっただろう。
四百年もの間、誰も分からなかった。
そんな存在をどうするべきか、運用方法など分からない。
ただ、そういうものとして扱ってきたのに、何を今さらと。
現状をひっくり返す手段など、無いも同じだ。
あるように見えるだけで、結局は、無理の上にしかない。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
「それは、知ってますよ。だから、その目を覚まさせればいい」
ラッシュは、アルベルトが下がるように促した。
なんとなく察していたことだ。
賭けではあるが、どうせ、賭けなければ普通に負ける。
どうなるかは、想像できない。
一歩を踏み出さなければ、終わる。
なら、
「莨昴∴縺ェ……!?」
「眠っているなら、叩いて起こす」
アリオスの雷速の攻撃を、完璧に凌ぐ。
アリオスは攻撃の途端に離れたが、それをしなければ胴体が両断されていた。
いつの間にか振り抜かれていた剣を戻し、構える動作をしているのが、後から見える。
敵対行動
絶対にしてはいけない行為だ。
だが、敢えてやる。
衝撃が必要である。
もう、それに賭けるしかない。
無駄な足掻きとは知っている。
「莨昴∴縺ェ縺代l縺ー」
そして、亡霊の真意を知る。