143 オムニバス
『アリオスは決意する』
理解を拒む事態に陥ったことは、何度もある。
戦いの中で、予想外の出来事は必ず起きる。
予想は上回られるもので、自分に不都合は起きるもので、希望は存在しないものである。
状況なんて曖昧なものは、虫一匹分の小さな変化でも傾く。
そこで思考を止めれば勝てない。
だから、我が師は、とにかく体と思考を止めないことを俺たちに叩き込んだ。
それでも、体が固くなる時がある。
それでも、思考に空白が生まれる時がある。
仕方がないことだ。
習性というか、人間の、思考する生物の仕組みというものだ。
人間ならば、そういうことがある。
無いと思っても、千度に一度、万度に一度、必ず起きる。
だから、常に師は言うのだ。
人であることを辞めろ、と。
ただの一度すら過ちを犯さない。
正しく戦う兵器であることを、求められる。
それはきっと、安楽とは程遠い、炎と剣と血に満たされた世界だろう。それでもと、俺はこの道を選んで、力を授けられた。
身体は人と大きく外れ、怪物に成った。
味も、熱いも、寒いも、よくわからなくなったが、そんなことはどうでもいい。
この程度で強くなれるのなら、心底からどうでもいい。
だから、師に感謝をしなかった日はない。
十把一絡げでしかなかった俺に、クロノと肩を並べる資格をくれた。
偉大な師に、計り知れない敬意を込めて。
ただ、ひれ伏すだけしか出来なかった。
あの人は、誇りだ。
俺の目指すべき究極だ。
クロノは、誇りだ。
俺の希望の星だ。
だから、油断していた。
あってはならないことが起きた。
この状況から鑑みて、突如現れた奴等は、使徒なのだろう。
いったい何故、奇襲があると思わなかったか。
これだけ時間があって、これだけ経験を積んで、これだけ恵まれて、いったい何をしていたのか。
今回、俺はいったい何の役に立ったか。
考えれば考えるほど、バカらしくなる。
愚か者。愚物。恥さらし。
いつになったら、使い物になるのか。
どれだけ己を罵っても、まるで足りない。
ならば、
「救おう。今すぐに」
失敗を雪ぐためには、結果を出すしかない。
決意は、一瞬。決断は瞬時に。
やるべきことを、彼は決して躊躇わない。
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『アリシアは火を灯す』
まず、最初の失態は分断を余儀なくされたこと。
当然ながら、守る側より、攻める側の方が先手を取ることが出来る。また、当然ながら、敵は十二分な準備の上で攻めてくる。
こちらとて、準備も覚悟もしてきた。
けれども、相手はそれを上回った。
能力が違いすぎたのが、原因でしょう。
敵は、あまりにもデタラメでした。
強さもそうですが、理解不能なあの権能。
どれだけ分析しても意味不明で、無茶苦茶、無法も良いところです。
サンプルもない、詳しそうな人間も情報をくれない、どうしようもない。だから、後手に回らざるを得ない状況でした。
とても、不本意な結果でしたよ。
クロノくんを守るという目的を果たせず、役にも立てず。
彼は私のものなのに、私の手元に彼は居ない。
その一因に、私の能力不足もある。
屈辱という言葉しか、湧いてきません。
ですが、だからこそ、私は冷静でなければなりません。
反省を、改善を、策定を。
どれだけ腹立たしくとも、役目を投げ出してはならない。
激情をさらけ出す時は、最後でいい。
火を絶やさず、種をくべて、最後は燃やし尽くしてやればいい。
「考えましょう、今すぐに」
反省するなら、現実的な対策を。
行動は、とにかく早く。
いつまでも、この熱を隠しておくことが出来そうにありませんから。
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『リリアは敵を呪う』
腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ。
全部をぶつけたい、壊したい、殺したい!
何故、こんなに戦いが尽きないのか。何故、こんなに戦いたい奴等ばっかりなのか!
クロノと一緒に居たいだけなのに、皆が皆、邪魔をする。
呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる。
世界の全部を覆い尽くしても足りない呪いを、ぶつけてやる。
骨も残さない。絶対に殺してやる。
嗚呼、アタシは、忘れてた。
敵が憎いという感情を。呪いの本質を。
牙が抜けて、爪が鈍って、いったいどうして敵を殺せるのだろうか。
もっと、もっと尖って良いんだ。
とにかく、憎しみを燃やす。
生命の限りの憎悪を、胸に抱く。
怒りに身を任せた者は、歯を砕くほど噛み締めるもの。血が滴るほど、拳を握り締めるもの。血の涙を、流し続けるもの。
アタシの中にあるものは、クロノや他の連中を想う心も、何かを慈しむ心もある。けど、この呪いが消えることは、絶対にない。
アタシから恨まれることの意味を、思い知らせてやる。
「殺す、今すぐに」
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『ラッシュは悟る』
人生、諦めが肝心。
何故なら、どうしようもない状況、絶望ってものはあるから。必死に頑張って、仲間の力も借りて、何もかもを出し尽くして、そんな程度で解決するなら、絶望なんて言わない。
真の意味で、不可能ってものが、この世にはある。
もしもそんなものに、真正面から立ち向かえば、当たり前だが大怪我をする。どれだけ血を流しても、その壁を越えられないことは確定事項だ。
ならば、だ。
結局、どうにもならず、怪我をするなら、その怪我をどう少なくするかに労力を費やすべきじゃないだろうか。
流れには逆らわず、落ちるところまで落ちたとしても、自分には代えられない。
仕方がない、仕方がない。
今回だって、あの化物以上の化物が、二体も現れた。
引き際は、ここしかないだろう。
一時の感情に身を任せて、生命を落とせば何も残らない。
何もかもを投げ出して、逃げよう。
新しい関係も、新しい住処も、新しい生き方も、全部すぐに代わりを手に入れられる。
………………
逃げたい。投げ出したい。
だけど、ダメだな、今回は。
夢を見てしまった。
どうやったって越えられない絶望を、覆せる奇跡を見た。
あの『神父』を討ち果たしたんだ。俺にとっての『最悪』を具現化したアレを。
ダメだ、こんなのは。
こんなものを見せられて、報いを渡さずにはいられない。
一度見た『絶望』すら、覆してしまうのではと思えてしまう、そんな『希望』を彼に見た。
代金は、ちゃんと払うもんだ。
借りは、きちんと返すものだ。
命を賭けて救われたなら、命を賭けて救い返すものだ。
嗚呼、まったく、馬鹿になったよ。
皆、俺と同じ馬鹿ばっかりだ。