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140 『神父』


 ソレは、生まれた時から『神父』であった。

 玉のように完全を体現し、弱点というものを持たない。

 惑う信徒を導く役目を宿し、そのために必要な能力を持っている。

 幼少から現在まで、力の大きさは変わらない。

 誰にも負けず、誰にも劣らない、理想の『神父』の役目をまっとうしてきた。

 大人になるまでに二十年の時を要し、その後、百八十年と少し、老いることなく生き続けた。


 ソレは、人の形をした怪物だった。

 

 人の皮を被っている。

 人と同じ身体構造をしている。

 人と同じく、理性というものがある。

 人のように悩み、生を楽しみ、何かを欲し、何かを嫌う。

 だが、彼は決して、人と同じではない。


 全盛期から、彼は老いない。

 通常、数十人がかりで行使する『奇跡』を、彼は単独で行える。

 救いを求める信者の声が聞こえる。

 星の外に在る『神』の存在を知覚できる。

 他の信者たちの祈りを束ね、戦うことができる。


 人に備わっていない数々の能力が、彼にはある。

 信者たちを導かねばという、強迫観念じみた本能がある。

 人に似ているだけで、その中身は、もっと恐ろしい何かでしかない。


 その理由、彼の特異性は、彼の生まれにある。

 だが、彼の出生を知る者は、既に全て死した。

 知っているのは、過去を覗く権能を有する一部の存在だけだろう。

 なので、この場では、クロノが目にした景色を写し出す。


 彼は、人の胎から生まれていない。

 彼が生まれるための胎は、脈々と受け継がれた信仰だった。

 

 世界に遍在する信徒の数は、おおよそ十万前後といったところだ。

 生まれたり、勧誘したり、離れたり、殺されたり。数は、この値を大きく上回ることも、下回ることもない。

 毎年、毎年、生き残って、死んで。何百年も同じように増えて、減って。

 だが、ただ一度だけ、大幅に人口が減ったことがある。


 たった一日で、八万が死んだ。

 普通に考えれば異常なことだが、彼らにとっては平常である。

 ただ、『神』の持ち物である己の命を、返しただけのこと。その時、同時に返した命の数が、少し多かっただけのこと。

 常に、彼らは『神』を降ろすために最善を尽くす。


 その在り方は、蟻と同じだ。

 絶対の『神』の元に、合一して動く。

 システムに則って、己の役割を、知識や知恵がなくとも、自然と命じられたように、かくあるべしと、その通りに。

 だから、己の身を捧げることに躊躇はない。


 赤黒い血を目一杯敷き詰めた、人一人がギリギリ収まるほどの器があった。

 彼らは額を地面に着けて、己の信仰を捧げ続ける。

 何百年も、何千年も、気が遠くなる時間をかけて、彼らはソレを作ろうとした。

 死んでは捧げ、生きても捧げ、戦いを続けられるギリギリの数を残しながら、少しずつ少しずつ力を高め、土壌を整え続けて。

 八万を超える命を溶かして、『神』がその信仰に応えて。

 

 ようやく、彼は産声をあげたのだ。



 ………………


 彼が生まれてからの信仰は、信徒たちは、生まれ変わった。

 殺される数が減り、救いを求める者を信徒に取り込んだ。

 命を散らせる必要がなくなり、力を蓄えることができるようになっていたのだ。統率力に加えて、知識すらも付けられた。

 最悪の場合は、『神父』が力付くで解決することもできた。

 躍動は水面下で行われ、『神父』の戦いの記録は残っていない。

 だが、この戦いによって、彼らは、『神』を信仰する集団は、凄まじい戦力を蓄えることができたのだ。

 騎士団も、頭を悩ませた。この頃は、『教団』を相手取る機会が多く、雑多なその他大勢へ異端審問をする暇がなかった。

 

 多くを神道へ導いた、『神父』という存在。

 彼は、いったい何を想ったか。

 さらに深い部分へ、視点を切り替える。



 ……………………


 そもそも、彼に名前などというものはない。

 望まれた役目があるだけだ。

 はじめから『神父』として完成していて、それ以外の何もかもが必要ない。

 異端と虐げられてきた彼らの統率力はさらに上がった。より強い秩序を得た彼らは、『神父』の手足として動き続けた。

 過激な行動は避けて、活動は影へ潜むようになる。戦争という、手駒が減るだけの非生産的な活動を止め、周囲に紛れることを優先する。

 密やかに、されど着実に。

 信徒は数を増やし、彼が大人になるまでの二十年で、その数をニ十万まで増やしたのだ。


 『神父』は何も悩まなかった。

 己の使命を、忠実に果たしただけだった。

 ただの子供のように遊ぶことに、憧れなんて抱かなかった。

 友人とやらが居なくとも、同志の数は極めて多かった。

 他の生き方になんて興味がなくて、選択なんて必要なかった。


 彼は、本当に上手く『神父』をやり遂げた。

 蟻のように、ただ役目を果たした。

 統率者として、信徒の声をつぶさに拾い、完璧を演じ続けた。

 彼にとっては、とても簡単なことだ。

 かくあるべしと生まれ、育ち、それに適した能力を有していたからである。



『救いを』



 彼には、信徒たちの声を聞く権能がある。

 全世界に、ひっそりと根付く信徒たちの苦しみを、悩みを、救いの声を聞き続けた。

 彼がすることは、対局を見ながら、彼らを救うことである。



『救いを』『救いを』『救いを』



 この世界において、『神』を信じることは異端だ。

 かつて、『神』と敵対していた頃の記憶を、人間は本能のレベルで覚えている。

 妙な動きをする隣人を、普通に排斥するくらいのことはする。

 追いやられた者を保護することは、当然に行う。


 

『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』



 排斥されるリスクを取ってでも、一部の人々は『神』へ縋る。

 それは、恋路であったり、友情であったり、習慣であったり、教えであったり、憧れであったり、優しさであったり。

 その道へ至る理由は、無数に在る。

 だが、千古不易であったのは、彼らは総じて絶望していたことにある。



『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』



 妻がある日、夫が別の女と楽しげに歩いている光景を見た。妻は、怒り狂って夫と女を刺し殺したが、彼らは妻への贈り物を選んでいただけだった。

 学校で、イジメられている子供がいた。耐え続ける日々であったが、以前友人だった者が、自分に刃を向けられること恐ろしさに、イジメに手を貸してしまった。

 美しい湖を見ることが好きな男が居た。その地に根付き、変わらぬ湖と共に老齢を迎えた。だが、いつしか湖は曇り、魚も住めない毒沼と化した。それをしたのは、開拓によって近年生まれた村が流す生活汚水のせいだった。

 騎士として、誇り高く主に仕えていた。主のためなら死ぬ覚悟を持っていたが、主はどこぞの誰かに殺され、己は死に損ね、復讐相手は手を下す前に、別の誰かに殺された。

 生まれながらに疎まれている者たちがいた。彼らは、貧困に喘ぎ、差別に苦しみ、誰も助けてはくれなかった。

 戦争は、多くの人間に等しく絶望を教える。子から親を奪い、人から職を奪い、尊厳を簡単に凌辱する。敗者側はもちろん悲惨だが、勝者側も、戦で負った傷のせいで、その後まともに生きられない者も多くいる。

 病も、人々に絶望を植え付ける。薬は高く、貧民が子を失うことなど、ありふれた悲劇だ。



『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』


 

 絶望した者たちが居た。

 何かに縋らざるを得ない者たちが、世界には多く居た。

 そんな彼らの背を、少し押すだけでいいのだ。

 世界への鬱憤があるほどに、禁忌が甘美に見えるのだ。


 この世界の仕組みに、『神父』は何も思わない。

 滝のように流れ出る苦しみの声に、彼は何も思わない。

 常人なら、頭が割れる苦痛だが、平気で耐えられる力を持って生まれてきた。生まれつき指導者として、屈強な精神を宿している。

 憤る訳でも、悲しむ訳でもなく、悲劇が生まれる世界の仕組みを、苦痛を強いるこの仕組みを、『神父』はただ受容する。


 

『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』『救いを』



 生まれてから、『神父』は眠ったことがない。

 一秒だって休むことなく、『神父』は誰かを救ってきた。

 これは役割を全うしただけであって、特別な感情を抱かない。

 信徒たちにとっては、この救いが特別であるかのように微笑みかけるのだが、見せかけの仮面ではあったが、喜んでくれたので良いだろう。

 救いを求める声に、彼は真面目に従った。奴隷のようでもあったが、蟻に、不満を考える脳などありはしない。


 だから、彼は何も思わない。

 やりがいも、思い入れも、何もない。

 彼は、自分の役目に対して、背負った重荷に対して、特にどうとも思っていなかった。

 つまりは、彼にとって、『救いを』の声から目を背ける理由がなかった。


 ただ、『救わなくては』と純粋に思っていたのだ。



 …………………………


 彼は、決して疲れない。

 肉体は全盛期から衰えない。

 気力は落ちず、常に最高の状態から変わらない。

 だが、ある時から、疑問で思考が埋め尽くされて、動きが止まる瞬間が生まれるようになった。

 

 当然ながら、異端は殺される。

 濃い絶望が、人を信者に変える。だが、強く縋れば縋るほど、バレやすくなる。

 そして、バレれば、殺される。

 なぶり殺される信徒の数が、年々多くなっていることに気付いたのだ。


 魔女狩りの熱が、たまたま強かった年が続いただけかもしれない。

 バレるような間抜けが、たまたま多かっただけかもしれない。

 だが、いつからか、着実に身内の死者が増え始める。


 信徒とは、ただ『神』を讃えるだけではない。

 いつか、『神』を降ろすための活動をするし、『神』の力となるように信仰を捧げる必要がある。

 かつての世では、戦争を起こすこともあったが、人目につく前に、騎士団に鎮圧されていた。『神父』の意向もあったために、ながらく、活動の全てが後者に傾く。

 

 信仰を捧ぐ行為は、至極簡単なことだ。

 いくつか、方法はあるのだが、代表的なところを挙げると、日に三度ほど手を組んで祈るであったり、食事に肉を入れないことであったり、庭の北に背の高い植物を植えたり。

 ほんの少しでも、構わないのだ。

 ほんの少し、些細な行動をするだけで、信仰は捧げられる。

 異端を異端と知っていれば、ほんの少し、違和感を覚えるような行動で構わない。


 流れる日々の中で、違和感を覚える人間も、少なくはないだろう。

 魔女狩りも、決して無いとは言えない。 

 

 信者の数は、減っていく。

 上手く『神父』がかなりの数を引き入れるので、トータルで微増に落ち着いている。

 だが、どうしても、減っていく。

 絶望に沈み、代わりとなる希望を得て、日々を懸命に生きてきた彼らが。受けた理不尽を前に歯を食い縛り、受けた痛みを返してやろうと願った彼らが。

 何も知らない、ただ偶然、社会に踏みにじられなかっただけの衆愚に、殺される。


 石を投げることは、楽しいのか?

 小さくとも、石はとても硬いのだ。だから、人が全力で投げたものが当たれば、とても痛い。

 普通の人間は、当たりどころが悪ければ死ぬのだ。

 

 集団で少数をなぶり殺すことは、何か得なのか?

 少なくとも『神父』は、人を一方的に虐待することに、喜びは感じない。殴っても、蹴っても、別にどうとも思わない。

 ただ、加虐に嗤う姿の醜さだけは、一度見ただけで完全に覚えた。


 何故、人は暴力に酔ってしまうのか?

 人が暴行を繰り返す姿は、とても醜いというのに、何故それが分からないのか?

 人間という種族の未熟さは、十分理解した。

 独立した種として社会を敷くには、足りないものが多すぎる。

 

 理由は、十分すぎた。

 


『神、さま……』



 消え入りそうな声は、いつも聞こえた。

 ごうごうと響く、嵐のような信者たちの声の中でも、微かな想いは聞き逃さない。

 老若男女関係なく、命の灯火が消える時は、淡くなるものだ。

 彼らは、『神』に救われたことへの感謝を、己の生の儚さを、そして、


 仇敵への憎悪を託して、この世を去る。



『死ね』『こんな奴ら、皆、死ねばいい』『偶然、社会に噛み合っただけの連中が』『なんで、こんな目に遭わないといけないの?』『ざまあ、みろ。いい気味だ』『人なんかより、「神」様の方がずっとマトモだな』『なにが、世界の敵だよ。それなら、よっぽど……』『うんざりする。本当に、心底うんざりする……』『なんで、こんなに悪い人間が多いんだろうなあ?』『皆、地獄に堕ちろ』『今の世界が、ほんの少しでも変わりますように』『世界は、はじめから間違っていたんだろうなあ』『もう少しだけ、生きたかっただけなのに』『苦しい』『生きたかった』『幸せに、生きたかった』『皆が、踏みつけてくる』『なんで、こんなことになったんだよ』『許さない、許さない』『どこにも、行けないだろう、お前たちは。なのに、どうして、人の邪魔をする』『どうか、この愚か者たちに天罰を』『どうか、私の大切なものを奪った者たちに天罰を』『贅沢なんて、願ったこともないのになあ』『せめて、子供が、幸せに生きられますように』『これまでの道筋は、間違いじゃない』『きっと、新世界の礎に』『よくも、よくも……』『ただ「神」を信じてただけなのに、何が敵だよ』『お前らだけだよ。悪魔なんて、お前らのことだろ』『自分の頭でモノを考えることもしない連中め』『悪夢だ。ずっと、悪夢が覚めない』『助けて』『死んでも、死んだ後も、「神」のために』『同志よ、戦え』『殺してやる』『この呪いは、消えないぞ、衆愚共』『殺すこと、ばっかりか。排斥すること、ばっかりか』



 こんな声が、いつも聞こえた。

 代行者として、『神』と人の間に立つ者として、無視する訳にはいかない。

 同志へ、怨差を届けて、火を着ける。

 また、肉体なき同志たちが穏やかに『神』の御元へ逝けるよう、ささやかながら、復讐を実行してやる。

 それも、『神父』の仕事のひとつでもある。


 殺して、殺して、殺して。

 見送って、見送って、見送って。

 

 どれだけ募った仕事をこなしても、『神』の降臨にはまだ遠い。

 救いを求める声に耳を貸し、怨差の声に耳を貸し、願いが叶うように動き、戦い、殺して。

 救った数も、殺した数も、それぞれ十万は優に超える。偉業も、悪行も、数えきれないほどに積み上げてきたのだ。

 それでも、『神』の降臨には遠い。


 こんなに繰り返しても、こんなに凄まじくても、ゴールは遥か遠くにある。

 歩いて、月を目指すようなものだった。

 だが、彼は一歩一歩、踏みしめるしかない。

 それ以外のやり方なんて、彼は知らない。

 幾千万という屍を積み上げて、腐臭が漂う呪われた道を作り出し、空の彼方の月へと歩むしか。


 ただ、漠然と、このままではいけないと思っている。

 だが、それ以外のやり方なんて、知らなかった。



 …………………………


 

「辛くならないんですか?」



 ふと、そんな疑問を投げ掛けられたことがあった。

 絶え間なく働き続ける『神父』だが、信徒たちと語らう機会ようにしている。

 既に、『神父』が生まれてから五十年近くが経過したが、信徒の言葉に興味を抱いたのは、初めての経験だった。

 思考を止めて、毎日毎日、信徒の理想の救世主を演じていた。

 何十年と続いたルーティンの中に、差異が生まれた。



『「神父」様は凄いお人と聞きました。皆、『神父』様を褒めてます。ずっと、信徒のために戦い続けてきたんですよね? でも、それって、スッゴく大変そうだなって』



 その少女は、篤い信仰心を抱く両親を持っていた。

 だが、少女自身が熱心な信徒であるという訳ではない。親の影響から、なるべくして信徒になっただけのこと。

 こうした、影響を受けただけの信徒も、大勢居るものである。

 だから、『神父』は対話の機会を設けて、自身に敬意を抱かせ、信仰心を高める。基本、事前情報によるバイアスと、『神父』の異質な雰囲気に呑まれてしまう。


 同じ年頃の少年少女より、空気が読めないほど明るいのか、それとも底抜けにお人好しか。

 想定外の問いかけに、少々戸惑った。

 川面に波紋が広がる程度ではある。理想を演じる『神父』は、小揺るぎもせずに言の葉を紡ぐ。



「問題でもありませんよ。小生は、『神』と、貴女たちのために生まれてきたのですから」


『んー、そうなんですねぇ。私なら、絶対無理だなって思って。だから、『神父』様も疲れるんだろうなって』



 柔和な微笑み、優しい言葉。

 全部含めて、計算付くだ。

 完璧な理想を演じて、『神父』は少女にあたる。

 だが、少女の表情は優れない。



『やっぱり、疲れてますよ。偶にで良いので、休んで欲しいです』



 見当違いの認識だと、『神父』は思った。

 この役目のことを、良いとも、悪いとも感じていない。

 ただ、当然に果たすべき義務だ。思うことなど、何もない。

 それに、『疲れた』という感情、精神状態は、ただの人間からしか生まれない。そうした機能は、備わっていない。

 だから、少女は間違っている。



「小生は、疲れなど感じません。だから、安心して良いのです。貴女たちが、安心して暮らせる世界を創るため、いつでも、いつまでも戦える」


『…………』



 たった、十年やそこら。

 それだけの時間を生きた分際で、何を知るか。

 だが、道を惑う信徒を導くは、彼の役目であり、望むところ。

 目の前の少女も、同様に導いてやろう。

 当然に、彼は少女の幸せを願っていた。



『じゃあ、私は、「神父」様が頑張らなくてもいい世界になるようにしたいな』



 だが、惜しむらくは、『神父』は『信徒の幸せ』しか知らなかったことだろう。

 


『皆、知らないから怖いんだよ。分かりあえる機会もあるよ』

『暴力なんて使わなくてもいい』

『違わないんだ。何も。ひとつ、たったひとつ。信じるものが違うだけ』

『優しさで報いれば、優しさを返してくれるよ』



 五年だ。

 交わした言葉は少なく、邂逅した時間も、雫のように微かなもの。

 おかしな少女との時間は、たったの五年で終わってしまう。

 

 どうにも、おかしなことらしい。

 肉を食わないことが、祈りを捧げることが、夜に会合へ赴くことが。

 どうにも、おぞましい罪であるらしい。

 手足をへし折られ、顔の形が変形するほどなぶられ、ついには殺されるほどの。


 何も、悪いことはしていないはずだ。

 他人に優しく、誇りと敬意で接していた。

 歓迎こそされども、決して、疎まれる存在では、いや、疎まれていい存在ではなかった。

 違った少女も、最後は他の信徒と同じだ。

 苦痛の中で、虚しく死んでいく。


 人を信じ、信徒の他に気の置けない友人を作ったのは、間違いではない。

 間違ったのは、その友人は、己が信徒であることを聞いてもなお態度を変えない、本当の友であったか。

 彼女は、それを見誤った。



「何も、分かりません。何も」



 そんなことは知らないから、少女の言葉は最後まで理解できなかった。

 特段、悲しくはなかった。彼には、そんな機能は備わっていない。捉えたのは、清貧に生きた善人が、当然のように殺されたという事実だけだ。

 心に生まれた波紋が、自然と大きくなっていく。

 


「無為に、虐げられるのです。無下に、殺されるのです。無意味に、不幸なのです。ただ、貴方を信じているだけなのに」



 いつか、波紋は波となる。

 


『「神父」様が居なければ、今の私たちはありませんでした』

『「神父」様に最上の感謝を』

『「神父」様に拾われた命だ。アンタのためなら、死んでもいいぜ』



 時を経て、幾度も『神父』は信徒の中の『変人』に出会った。

 信仰対象である『神』を敬いながらも、最上の敬意は『神父』へと払う、ズレた者たちが。

 例えば、それは戦に負けた傭兵団であったり。

 例えば、それは家族を亡くした老婆であったり。

 例えば、それは浮浪者であったり。

 彼らは全員が、善人と呼んで差し支えない善人であった。


 捨てる神あれば拾う神あり


 この時代から、『神父』がずっと後に聞く言葉だ。

 当時こそ、『変人』と思いはした。だが、彼らは彼らで、当たり前の想いを抱いたのだろう。

 誰が、前者を愛おしく思うか。誰が、後者に仇を為そうか。彼らは彼らなりに、自分にできる恩返しをしようとしていた。

 恩人に誇れる己であらんと、彼らはただ、善き人で在ろうとした。

 だが、殺された。『神』を信仰していたという、それだけで。



 波は、いつか大波へ。



 思い悩む時間が増えた。

 ここ八十年以上、信徒たちは戦争を起こしていない。

 もちろん、その他人道に悖ることもしていない。

 だが、信徒は忌み嫌われ、殺される。

 来るべき日に備えて、力を蓄えるため、そして、信徒という存在を忘れさせるために、不戦の時間を続けてきた。

 それなのに、一向に憎悪は消えない。

 自分達が何かされた訳でもないのに、この虐殺には憎しみがある。



 大波は重なり、荒れ果てた海がただ残る。



 そして、彼は、思い至った。

 ()()()()()を誤ってしまった、と。



「愚か者め」



 何度、己を罵倒しても足りない。

 どれだけ、己を否定しても足りない。

 数十万という命を乗せた方舟としての責務を、甘く見ていた。

 

 これまでの繰り返しではいけない。

 なおかつ、暴力を使うことを躊躇ってもいけない。

 はじめからあったこの溝は、想像していたよりもずっと深く、大きい。

 支配、暴力という方法以外を取ることは、誤りであった。



「愚か者め」



 信徒のことだけを考えねば。

 アプローチが間違っていた。

 信徒以外の全てを支配し、『神』を降ろすための場を整えねば。

 しかし、そのためには力が足りない。

 数を整えようにも、それだけ多くを集めれば、すぐに見つかって殺される。いや、そもそも、十万人単位を集めても、世界の総人口からすれば、世界征服実現には程遠い。


 

「愚か者め」



 ならば、もっと力を得なければ。

 世界を支配する力を得なければ。

 そうしなければ、



「いったい、誰が信徒たち(彼ら)の無念を晴らすというのだ?」



 だから、彼は力を求めた。

 より大きく、より激しい、絶対の力を。

 裏の世界に潜む、『教団』の門戸を叩くことは、自然な成り行きであった。



 ………………………………



 ザザ……


 最初に『教団』への庇護を求めたのは、裏の世界で跋扈する彼らを食い潰すためだ。

 遥か昔から存在するこの組織は、唯一、騎士団と正面から戦争ができる。この戦力を取り入れ、世界征服の第一歩とするためだ。

 だが、想定が甘かったと言わざるを得ない。

 信徒の理想である『神父』は、当然ながら、無敵の存在だ。

 一秒たりとも休息しない『神父』は、信徒たちを救う傍らで、自己研鑽も欠かさない。さらに、英雄を相手に幾度も渡り合い、ただの一度の敗戦もない。

 この時点で、一人で国を滅ぼせる存在だった。

 

 驕っていた、とは言わない。

 相手が悪すぎたと、言う他にない。



 ザザザザ……



「貴方の力。私の元で振るっていただきたい」



 ソレは、『かたち』を喪っていた。


 黒曜石のように黒いローブを纏い、大仰な杖を携えているのは理解できる。

 ここだけを見れば、伝説の大魔法使い、とでもイメージしていただろう。

 だが、ソレを『伝説の大魔法使い』と思えない。

 例えば、ローブから覗けるはずの顔は、深淵のような闇に包まれていた。例えば、袖から延びるはずの手はなく、杖は支えもなく垂直に立っていた。

 ソレの生身が、どこにもないのだ。

 透明になる程度なら、『神父』は容易に見抜いてしまう。ただ、今回は、その例には当てはまらない。



 ザザザザザザザザザザ……



「『神』の力の研究もしたかったのですが、専門家が居なくて困っていました。これで、よくやく、全ての禁忌を究めることができる」



 これは、『無』だ。

 そういう呪いを、恐らくは己にかけている。

 そして、押し寄せる『無』を押し退けてなお、コレはこの世に存在している。

 このレベルの封印を受ければ、『神父』は簡単に、永遠に封じられる。それでも、なお、肌を突き刺すような存在感がある。



 ザザザザザザザザザザザザザザ……



「ご安心を。ここでは、馴れ合いの必要はありません。各々が、己の利を求めれば良い」

 


 ザザザザザザザザザザザザ……ザザザザ……ザザザザ……ザザザザ……


 

「さあ、共に世界を変えましょう」



 ザザザザザザ……ザザザザザザザザ……ザザザザ……ザザザザ……ザザザザザザザザ……ザザザザ……ザザザザ……ザザザザザザザザ……

  


「ご安心を。我らには、切り札がある。この星の全てを焦土にして余りある、最強の兵器を」



 ザザザザザザザザザザザザザザザ……ザザ……ザザ……ザザ……ザザザザザザ……ザザ……ザザザザザザザザザザ……ザザザザザザザザザザ……ザザ……ザザザザ……ザザザザ……ザザザザザザ……ザザザザザザ……ザザ……ザザ……



「ご覧ください。これが、我らの切り札です」



 感動に、嘘を吐くことができなかった。

 この『絶対』を前に、震えを止められない。

 最強という単語が、いったい誰のためのものなのか。

 世界が滅びていないのは、コレの気紛れだ。

 なるほど、コレさえあれば、どんな戦いでも勝つことができる。


 コレに比べて、自分のなんたる小さなことか。

 真の意味で、高み、というものを初めて見た。

 だから、初めて理解することができた。



「嗚呼……」



 ザザザザザザザザ……ザザ……ザザザザ……ザザザザ……ザザ……ザザ……ザザザザザザザザ……ザザザザザザザザ……ザザ……ザザザザザザザザ……ザザザザザザザザザザザザ……ザザ……ザザ……ザザザザザザザザ……ザザ……ザザザザ……ザザ……



「貴女が言っていたのは、こういうことだったのか……」



 凡人とは。

 重い責任とは。

 弱さとは。

 思い悩むとは。


 理想に、ヒビが入った音がした。



 …………………………………………………



 狂ったように、研究を進めた。

 これまでに学んだことを活かし、アプローチを変えた。

 もっと直接的に、『神』を降ろす。

 より過激に、より凄惨に。倫理を踏みにじる行為こそを、積極的に行った。


 遺伝子実験やクローンによる、人員作成。

 人体改造による戦力強化。

 吐き気がする実験を幾度も行った。


 下手に出ていれば、ただ食い潰される。

 ならば、舐めた態度が取れないよう、恐ろしき外敵であるべきなのだ。

 ならば、そのように振る舞う。



 自己研鑽も、怠らない。

 己を虐め抜く覚悟が、これまではなかった。

 死の淵に触れずして、強くはなれない。

 だからこそ、研究を行いながらも、技を磨く時間も欠かさない。

 

 戦い、戦い、戦い抜く。

 体術や剣術まで、なるべく多くの技を学ぶ。

 幸い、疲れを知らない体であるため、学びにブレーキはかからない。


 己の立ち位置は、嫌というほど理解した。

 血の滲む努力をして初めて、なりふり構わず上を目指す。幸い、手本も鍛練相手も、

 凡人が天才を目指すような姿だ。

 これまでの『理想の神父』からは、かけ離れていただろう。

 自他に対して、より一層冷酷に、残酷に。

 足りないことを知ったのだ。だから、そのように振る舞う。



 時々、歩みが止まりそうになる。

 完全無欠であると、勘違いすることができていた時とは違う。

 

  

 打ちのめされた。

 叩きのめされた。

 順風満帆と思っていた過去と比べて、ずっと惨めだ。

 己の道は誤っていたから、過去の自分の否定ばかりに精が出る。高潔であることを目指していたはずが、今や逆の道を歩んでいる。

 手を汚してこなかったとは、断じて言えない。だが、こんなにも人の道を外れてはこなかった。人でなしでも、一線というものがあった。

 これまでの道理を捨てて、怪物に成り果てて、守るべき者たちすら切り捨てながら戦って。守ってきた誓約を捨て、ずっと自由に振る舞えているはずなのに、息苦しくて仕方がない。


 分かっている。

 分かっている。

 苦しいと感じる理由は、明らかだ。



「羨ましい」



 苦しいのは、知ってしまったからだ。

 己が持っていない側だと気付いた。理想なんて、紛い物だと気付いた。どれだけ踠いても、足りないと気付いた。

 己の役割が、己にとって重すぎるものだと、気付いてしまった。


 もう、知らなかった頃には戻れない。

 曲がって、歪になって、終わった。

 純真無垢で、使命をただ果たしていた頃が、目映かった。

 ただただ、疲れてしまった。


 苦しいのは、自分に嘘を吐いているからだ。

 自分よりもさらに優れた者たちが居た。

 手も足も出ないのだ。こんなにも苦しんでいるのに、何も届かないのだ。

 あまりにも、理不尽がすぎる。

 彼らを否定したいという、暗い感情に支配される。そして、その感情すらも、己を貶めてしまう。

 だが、これを認めれば、もう動けない。

 自分を否定しきってしまうことが、怖くて仕方がない。


 強くなりたい。

 身も心も、己や信徒に恥じぬほど。

 だが、それがどうしても、叶わない。

 

 もっと、もっと、もっと、もっと。

 力を、力を、力を、力を。

 やれることは、やり尽くさねばならない。

 ()()を造り出したのも、その一環だ。

 焦りと奇跡が生んだ、祝福された忌み子が、産声をあげる。




 ………………………………………………………………………………………………

 


「クソムカつくぜ、テメェはよ」



 負の感情を込めて、生まれた子だった。

 だから誰よりも、『神父』の見たくないモノを知っている。

 どうにも、彼女と折が悪い。

 命を握っているというのに、こうして口答えをしてくるのだ。

 彼女の強さと、『神父』の弱さ故。彼女は、己を曲げる弱さを見せない。『神父』は、外道に堕ち、高潔であることを諦めても、この程度のことで彼女を縛るような狭量な真似はしたくない。


 どう在るべきか、どう在りたいか。

 その答えが、いつまでも出ない。

 己の弱さにうんざりしながら、彼女の苦言を聞く。

 


「いっつも、理由は自分の外かよ。なんで、テメェのために戦えねぇ奴が、こんなに強ぇんだ」



 知っている。

 この世界の最高傑作が、何のために強くなったか。

 他の使徒たちが、どう強くなったか。

 モノが違うと、心底思う。諦められずに、踠く己のなんと小さなことか。

 彼女の言葉は、凄まじく正論だ。

 


「どうせ自分なんか。今が自分の限界だ。そんな、くっだらねぇテメェの声が聞こえるぜ」



 知っている。

 何をしても追い付けない高みを、知っている。

 言い訳にもならないが、純然な事実として、追い付けないと理解している。

 その上で、みっともなく足掻いているのだ。

 出来ないと自分に言い聞かせながら、戦う己の愚かさを、自覚している。



「いつか、殺してやる。弱い親なんて、あたしには要らねぇ」



 期待していなかったと言えば、嘘になる。

 本当に、いつか自分を越える何者かになって欲しかった。

 彼女が『神父』を越えられないことは、決まったことだ。機能として、持って生まれたものとして、それは摂理なのだ。

 だが、もしもがあったなら。自分にできずとも、子でも良いから、そんな奇跡があったなら。

 願ったことは、何度かある。

 

 いっそ、死んでしまえればと。

 なのに、いつまでも生きながらえて。

 責任から逃れることができず、それに殉じる以外の死に方を知らない。


 だから、自由に生きる彼女が、目映く、目障りだった。

 だから、いつかは、自分の手で始末をつけようと思っていた。



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 怪物も、悩む時がある。

 どうしようもない『絶対』に、苦しむのだ。

 なまじ、『絶対』という太陽に近付いたばかりに、焼かれ続ける。届かない領域に、届いてしまうと夢を見て、現実から目を背けてきた負け犬たち。

 彼らは、自分たちを、そう正確に評価していた。



「このままじゃ、ダメだ」



 第三の使徒は、粗雑な男だった。

 上に立つ『絶対』に最も噛みついたのは、この男だ。何も悩んでいないような、見るからに愚か者である。

 力だけはあって、不撓不屈の精神を持つこの男は、敵として凄まじく恐ろしい。

 そう、思えれば良かった。

 


「このままじゃ、永遠に目的に辿り着けない」



 凄まじい男だ。

 この男の過去を知り、今、この場に立っている奇跡に感服した。

 不撓不屈の精神を知りはしていたが、こんなにも気高い魂であったとは。

 こんな強さが、欲しかった。

 純粋に、羨望していた。

 


「業腹デハアル。ダガ、今ヲ変エタ先ニシカ、ナニカヲ得ルコトハ叶ワナイ」



 第四の使徒は、怪人だった。

 どこに居るかも、在るのかも不確かだ。

 間違いなく、『神父』のように、持っている側の存在である。

 違うのは、『神父』よりも強いこと。

 より苛烈で、より純粋な怪物だった。

 おぞましき怪物であると、そう信じていた。

 


「ダカラコソ、使オウ。敵ノ手モ。忌ムベキ『絶対』ノ権能モ」



 だが、理解できてしまった。

 怪物として産み落とされた苦悩も、辛酸も、『神父』は強く知るところだ。

 彼と己の違いは、そう在れと願われたか否か。

 無頼で世界を生きた孤独な怪物は、何を想って二百五十年の時を生きたか。 

 敬意を払うべき相手と、心から決めた。



「……幸い、実験のための素材はいくらでも用意できます」


「エネルギーも、汲めるだけ汲めばいい。あのクソ野郎は、気にしねぇ」


「己ガ目的ノタメ。己ノ為スベキヲ果タス」



 辛く、苦しい道のりだった。

 誇るべきことのない、無為な二百年であった。

 それでも、足掻くことができた。

 理由のひとつは、初めて同士というものに出会い、対等の関係を得られたから。

 

 もうひとつは、



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「安心しろよ」


「この世に『絶対』はある。誰より理不尽に、誰より冷酷に、世界の全部を見下し続けてる」


「お前だって、『絶対』の下に居る雑魚のひとりだ。挑むのなら、ちゃんと、踏みにじってやる」


「何があっても、誰が相手でも、負けてやらない」


「人間も、この世界も、『神』だって、お前たちの切り札が平等に下してやる」


「だから、良いんだぜ」


「お前らがしくじっても、――が、何とかしてやるからさ」



 この強さが、とても眩しくて。

 そして、



 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………




「だから、小生は戦います」



 暗闇に、意志が広がっていく。

 どんな時にも見失わない、灯台のような光だ。

 柔らかな、そして力強いモノ。

 コレに引き寄せられて、過去を見たのだとクロノは自覚する。

 垣間見た記憶の断片たちは、全て、『神父』が見せて良いとしたものだけを見せてきた。組織の正体を暴く決定的な情報ではなかったが、『神父』という個人を示すには十分なもの。

 

 想いは、しかと伝わった。



「小生の重荷は、小生には重すぎました。幾万の信徒たちの理想を叶えることも、幾億の屍によって作られた道を無駄にしないことも、小生にはできませんでした」



 足元に群がるのは、小さな灯りだ。

 蟻のように小さな、吹けば飛ぶような光だ。

 群がり、群がり、灯りは川を作る。

 全てが『神父』の元へと集まっていく。



「ですが、小生は信じることができました。小生たちの『絶対』が、小生たちにそうしたように、無慈悲にそう在ってくれると」


「ただ、在るだけ? 意志を引き継ぐとか、そんな期待はないのか?」


「ありません。それは、我が同志たちの役目。『絶対』の役割は、ただ在ることです」



 報いなど必要ないと、そう言っている。

 ただ在ることだけが重要だと。

 


「アレに比べれば、小生は大したことがない。だから、役目を果たせずとも仕方がない。そう思えたから、もういいのです。ほんの少しだけ、それで楽になれました」



 忍耐の日々を歩んでいた。

 重荷を背負い、荒野を進む日々だった。無残に蹴散らされたこともあろう。

 そんな中、休める岩場であったこと。

 この岩場は、何も優しくはしてくれなかったが、在ったことだけで良かった。

 勝手に有り難がっただけだ。だから、これ以上は求めない。求められるほど、傲慢にも、浅ましくもなれなかったのだ。

 


「……ですが、気休めを真に受けたりしません。最期まで、小生は『神』のため、信徒のために戦い続けます」


「重荷を、下ろしたいんじゃないのか? こんな、生まれた時に背負わされた役目、関係ないって放り出したいんじゃないか?」


「ですが、小生はこの二百年余り、止まることなく、ここまで歩めた。なら、もう歩ききった方が楽です」



 光は、大きな光の元へ運ばれていく。

 これは、祈りの結晶だ。そして、この祈りは、命がけの供物だ。

 きっとこの後の世を生きられない、深くまで『神』に浸かった者たち。ここで『神父』が敗れれば、もう社会で生きられない信徒たちだ。

 

 

「血にまみれ、過ちばかりの生涯でした。折れて、歪んで、理想は演じられませんでした。ですが、最期くらいは、望まれた責務を果たします」



 その意志は、燦然と煌めいて。

 その姿はまさしく、『神』の遣いに相応しく。

 素晴らしき強敵だと、誰も疑わない。



「クロノ・ディザウス」


「教団第五使徒『神父』」



 名を名乗った途端、世界は形を変える。

 クロノの視界が現実へ引き戻された。

 現実の傷と痛みと血が、体へのしかかる。


 そして、



「この世界は変わります。貴方たちには、止められない」



 空には、『神』の遣いが、悠然と構える。

 正念場は、ここだった。

 

 

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