139 命の代価
クロノは、当然ながら敵の戦力の想定をしていた。
能力のデタラメさは既知、狡猾さも当然ながら予想できる。聞いた話では、二百年を越える時を生きているとも。
ならば、あとはどれだけ技巧に長けるか。
能力に一辺倒のアンバランスさが有るか否か。戦力の程を確かめる意味で、小手調べを行った。
底を見せない余力。
不自然があれば、即座に逃げられる体勢。
なおかつ、威力も速度も申し分なく。
これに対して、『神父』は軽くクロノをいなした。
敵対した者に対して、『分厚さ』を覚えたのは、幾度目か。
練り上げられた個人の力。
途方もない時間を捧げた先にしか成り立たない、ひとつの結末だ。
油断する訳がない。
手を抜いたはずがない。
ただ、純粋に、『神父』が上回った。
触れた程度ではあったが、クロノの中では格付けが済んだ。
クロノよりも、『神父』は遥か格上だ。
「…………」
外を見ても、アインは動かない。
クロノが死んだとしても、胡座をかいたままだろう。
他人には極めて厳しいが、他人の矜持を蔑ろにすることだけはない。
クロノの師へ報いたいという想いも、『神父』の抱えた想いも、尊重してくれる。誰も、この決闘の邪魔はさせない。
つまり、援軍は絶対に来ない。
アリオスだろうが、アリシアだろうが、他の誰の頼みだろうが、道は譲らない。泣こうとも、喚こうとも、自分を曲げることはない。
遥か格上の『神父』と、思う存分、戦うことができる。
「…………」
理解する。
遠く、果てしなく続く物語。己はその中に放り込まれたのだ。
如何なる結びへ至るのか、それは、クロノの奮闘次第。どんな結末を迎えるのか、想像することも叶わない。
巨大で、馬鹿げた、覚めない誰かの夢だ。
「…………」
夢は、素晴らしいものだ。
夢は、尊いものだ。
夢のために努力する姿は、きっと誰が見たって素晴らしいと思うのだろう。
だが、幾万幾億の人間が死ぬ夢を、悪夢と呼ぶ他にはない。
悪夢であるなら、誰かが覚まさせてやらねばならない。
「打ち砕く」
剣を持つ。
彼は知らぬ、『■■』という名の聖剣だ。
剣に認められ、幾度も戦場を駆け抜けたクロノは、十全とはいかずとも、剣の能力の大部分は使いこなすことができる。
己の力を漫然と使ってきたが、これまでの戦いから、輪郭を掴みつつあった。
構える。
どのように戦いが流れるか、イメージする。
百パーセントを発揮して、それでもきっと、まだ足りない。
限界をぶち破る自分を夢想する。
苛烈な試練を乗り越える己を、夢に見る。
駆ける。
クロノ自身でも驚くほど、理想の足運び。武人として、遥か高みへ至っていた。
ただの鍛練では、望むべくもない成長。
奇跡ではない。ただ、軌跡がそれを成し遂げた。
数百年を生きる怪人を打ち倒す、そのために必要不可欠な実力は、最低限備えている。
「……おおおお!!」
「…………」
剣を振るう。
一撃必殺、その悪夢を断ち切るために。頭と胴を切り放つつもりで。
クロノの尋常ならざる権能、剣に込められた桁違いの力、合わせて埒外の斬撃だった。
時間にして、二十年弱。
尋常ならざる濃い時間の全てを込めて、振り上げる。
だが、
「足りない」
目の前の『神父』は、さらに上を行く。
「小生の時間は、こんなにも安くはない」
剣は止まり、刃は皮すら切り裂かない。
最初の攻防と異なり、『神父』はただ権能だけで防御した。
初撃と異なり、何故こちらを選んだか。
必要がないから、というだけではない。これには、威嚇と挑発の意が込められている。
「生まれ落ち、悩み、惑い、行き着いた。君の十倍は生きたのだ。小生の時間は、一生は、そう容易くは崩せない」
「…………」
無敵と、安易にも感じてしまう。
どうやったら傷を付けられるか、毛先ほどのイメージも湧かない。
超越者というものは、どうして誰も彼も、他人と同じ次元に居られないのか。
クロノと『神父』とでは、生きてきた時間が違う。鍛練の長さで負けるなら、密度で上を行く他にはない。
だが、クロノは感じ取れる。これまでにコレがどれだけ自分を痛め付けたかを。
数える。
いったい何で、自分は敵に勝れるか。
考えて、思考して、想い描いて、検討して、推察して、熟考して、勘案して、思索して。
実行する。
「―――――!!」
光を纏う。
己の中に眠る恐ろしい力を、引き出す。
出し惜しみも、遠慮もない。
輝く。
意識が飛びそうになる。視界の端が白で埋め尽くされそうになりながらも、視点の中央だけは、色を残す。
己の輪郭すら曖昧になりながらも、暴れる力を制御する。
ただ、敵を倒すことだけに集中する。
「足りない」
冷徹な『神父』の言葉が響く。
嘆きの想いが、芯から伝わる。
期待外れとでも言外に告げている。
仕置きと言わんばかりに、『神父』は攻撃の姿勢に入った。
矢をつがえる姿勢を取る。
そのポーズに合わせて、目映い光が形を取り始めた。
威圧感とも、殺気とも異なる感覚。
表す言葉は『神聖』と呼んで然るべきもの。
指を離した瞬間に、
「!」
「足りない」
クロノの脇腹に、矢が突き刺さっていた。
これは、知っている。
攻撃と同時に着弾する、理不尽極まりない禁忌の術。
だが、薄皮一枚かすらせてから回避すれば、それで良かったはずである。
以前は、クロノも同様に回避が可能だった。クロノは当時よりさらに極まり、技も、体も、磨きがかかっている。
それでも、
「足りない」
壁はなおも高くそびえ立つ。
突き放し、叩き落とすだけの壁である。
続いて、矢をつがえる。
離した途端に、突き刺さる。
その矢は、人体を焼き尽くす熱を有している。
治癒と回避と反撃、タイミングを誤れば、即死を受け入れなければならない。
針の先より鋭く、研ぎ澄まされ、それでようやく戦闘の形が成り立つ。
「足りない、足りない」
祈る。
これこそ、彼の最強の武器だ。
この一つの究極だけで、彼は使徒にまで上り詰めることができた。
星の敵として、人類の敵として、『神』に迫る怪人となった。
「足りない、足りない、足りない」
祈る。
この世に存在する、信者を統べる。
統べた先の楽園を、未来を夢見る。
理想とは、叶わぬから理想と知りながら、それでも目指す。
異端と謗られる者たち、十万の願い。それを犠牲の上に成り立つ、二百年を経た彼自身の願いは、こんなにも安くはない。
「!?」
「『神』の地位には、まだ足りない」
輝く巨鯨が、海を跳ねるように大きくうねる。
山に見間違う大きさだ。皮膚に触れた瞬間に回避したのでは、間に合うはずがない。
次の瞬間には、クロノを押し潰す。
その質量、破壊力は、河だろうが谷だろうが、全てを均すことが可能であろう。
確実に、巨鯨はクロノに触れた。
巨鯨が幻のように消えた後には、
「――――――……」
何も残ってはいなかった。
クロノは、遥か後方へ消えていた。
転移の魔法を使えはしたが、ここまで差し迫った状況下での使用は不可能だった。
命の危機に直面し、咄嗟に限界を越えたのだ。
いったい、どの動作の代償か、ボタボタと鼻血が落ちる。
視界が真っ赤に染まりながらも、クロノは構えを崩さない。
一息つく間もなく、次の手が迫る。
休めば、次の瞬きの後には死ぬ。
強迫めいた事実を前に、彼は決して逃げ出さない。
「限界を超え、死力を尽くし、己の全てを懸けて、それでもなお……」
「――――――!!!」
「足りないのです。『神』とは、世界の敵とは、人知を超えた理不尽でなければならない」
喇叭が鳴った。
しとしとと、ナニカが降り注ぐ。
真っ赤に燃える礫が、空気を焼きながら落ちていく。
触れれば焼け落ちる。近付けば、爛れる。
ならば、これまでと同様の回避は望めない。
死のイメージが、色濃く浮かぶ。
解決策など、そう都合良く浮かばない。
ただ、死力を尽くす。手段を選ばない。それだけしか、選べない。
「!!!」
聖なる力が、溢れる。
クロノが有するエネルギーの、倍以上の力が急に現れた。
クロノ本人にしか知覚できない領域から、抱えきれないナニカを引き出す。
「お、おおおおお!!」
「そう、それでいいのです」
斬る。
クロノは、降り注ぐ赤い雨を斬り裂く。
本来、こちらからなら触れることすらできないはずの『奇跡』に、触れる。
あまつさえ、それを捩じ伏せるなど、あり得ないことだ。
クロノは知らぬことではあるが、『奇跡』とは、同等の『奇跡』でしか対抗できない。
今、このように『奇跡』を斬り伏せたということは、そういうことだ。
「祝福を恐れるなかれ。加護を受け入れ給え。天におわす主を、見つめ給え」
祈る。
より、大きな『奇跡』を実現させるため。
ごうん、と巨大な何かが動く音がした。
続いて、汗が吹き出る熱気が届く。
空から落ちるのは、雨ではない。
天蓋を打ち砕き、天を照らす熱の塊だ。
闇を暴き、罪を浄化する『神』の裁きが、クロノを押し潰さんとする。
それに重ねて、
「その星は、鈍く輝く。我らの試練は、その星を決して見逃さず、ただ目指すこと。どんな苦難の前にしても、決して、決して……」
クロノは、天を仰いだままに膝をつく。
元より、無理を重ねて動いていた。反動から、おびただしい出血があった。
これに重ねて、脱力感と苦痛が生まれる。
勢い良く吐血し、血の涙が止まらない。
毒の存在をすぐに予感し、
「……ずっと、疑問だった」
独り言ちる。
届かない言葉の意味を、彼は知る。
「何で、そうまでして、悪行を働くのか。簡単に人を殺せる理由が、苦しめる理由が、ずっと分からなかった」
何も、彼は知らない。
敵の歴史も、成り立ちも、何も。
目的すら、何百年も悟らせない悪の組織。遥か昔に、理解することを諦められてしまっている。
あまりにも不気味で、恐ろしい。
「化物だ。人の理解が及ばない怪物だ。だけど、」
クロノは、大袈裟に震えた。
その理由は、
「誇り高い」
信念を感じたからだ。
理性なき獣ではなく、気高き人であるからだ。
人が、人であるままに、彼らは幾万という人間を殺してきた。
彼らの理屈で、彼らの想いで、彼らは罪なき民衆すらも虐殺し続けた。
ただ、知りたいと思った。
その軌跡を、追いたいと。
「不思議だ。俺は、今、」
死の淵に追いやられ、限界を越えた。
たった数分の戦いで、幾度死にかけたか。
親代わりの師すらも手にかけられて、絶対の力量差を身をもって知って、心も折れかけていた。
だが、底知れぬ暗闇の中で、思うのだ。
ドス黒い想いが渦巻き、これに支配されそうになりながらも、ふと、事前に決めていた予定を思い出すように、
「お前を知りたい」
引き出した力が、主の願いを叶えんとする。
迫る命の危機よりも、『知りたい』という願いにこそ反応する。
そして、
クロノは、過去を見た。