137 鉢の土となりて
ライラの強さは、光という属性に対する絶対的な適正と、星と強い繋がりを持つゆえの莫大なエネルギー、それらを統べる暴力の才能だ。
ライラは、生物として他と一線を画す力を有している。
数値として表現可能な力は、常人を何万人積み重ねても届かない。才覚の価値を秤にかければ、地平線まで埋め尽くされる金銀財宝だ。
しかも、ライラはそれで慢心することなく、極限まで磨きをかける。
潜った修羅場の数で、幾星霜の鍛練で、数値では表せない能力すらも兼ね備えた。
技や精神でさえ、穴はないのだ。
いわば、最強の剣士が、最強の剣を振るって戦うようなもの。
理屈として、これ以上はないという理論値。
英雄と一緒くたに呼ばれてはいるが、他の英雄とは格が違う。
「――――――――!!!」
閃光が空気を切り裂く。
正しい意味で、ライラは光速だ。
瞬きの間に、数千数万という行動を終わらせることができる。
ライラは星の使徒とも呼べる存在だ。
光そのものと化し、実体すらも曖昧になっていく。
だが、衝撃と、熱と、斬れ味は、現実に刻み込まれた本物で、容易に万物を壊し尽くす。ただ在るだけで世界を滅ぼせる存在が、明確な悪意を持って力を振るう。
過去最高の昂りに身を任せ、無我のままにただ戦う。
他の英雄より遥かに優れ、強いライラ。もし、その命と引き換えに、力を引き出すとするのなら。
今、ライラは、英雄を踏み越える実力から、さらにもう一歩を踏み込んだ。英雄だろうと、瞬きの間に細切れだ。
ライラには、『この後』なんて存在しない。
無二の命を使い尽くし、この一戦に全てをかけるつもりであった。
だが、
「憐れな」
だが、それを上回るのが、教主と五人の使徒たちである。
「物言わぬ獣と化し、小生を弑することだけを目的に生き続けてきたとは……」
幾億という攻撃が、『神父』を襲っていた。
だが、何一つとして、『神父』には届かなかった。
厳正なるルールが制定され、制定者を害する力をことごとく拒む。
そして、無礼者を放置するほど、このルールは寛大ではない。
「――――――!!」
「……貴女は、本当に強者に従順でした」
裁く。
不可避の奇跡が、流星となりて、降り注ぐ。
光の速度で動こうと、過程を無視して、必ず当たる。その攻撃は、確実に実体なき身を焼き、削いでいく。
ライラはその欠損を無理矢理、別の物質で埋めて直していく羽目になっていた。
「母の因子が強いのか、貴女は生まれついた瞬間から、弱肉強食が身に付いていた。貴女は、克己を、生への渇望を、自分で抑えられない」
あまりにも完全。
あまりにも無欠。
人の上に立つ存在として創られ、信者たちを統べてきた。
これに比べて、ライラのなんたる未熟なことか。
遺伝子上の父たる『神父』の奇跡や精神性を持たず、母たる『星獣』の自己中心さだけが幅を利かせている。
されども、その力は二親のどちらにも、遠く及ばない。
「だから、怒るのでしょうね。常に貴女の命を握る小生を」
慎重にして、冷徹なる『神父』は、当然、こんな危険な生物を野放しにはしない。
製造者の特権として、この獣には首輪を用意している。生まれた時から、命を秤に乗せた誓約を結ばせている。
いつでも、その命を終わらせられるために。
命令に、確実に従ってもらうために。
だから、反抗しながらも命令を聞いた。
他の英雄と繋がることも、弟子を育てることも、最後には、その繋がりを断つことも。
この屈辱が、如何なるものであったか。
「上を目指すでもない、小生を」
そして、そんな屈辱を与える相手が、もう上へのしあがることを諦めていたなら、どうだろうか。
挑むことを止め、停滞し、姦計にばかり熱中する気に食わない相手なら。
最も嫌う人物に、命を握らせる屈辱。
己の在り方に人一倍の誇りを持つ、星の使徒ゆえに、幾度も『神父』を殺したいと願っただろう。
「小生も、一位殿とは水と油。いえ、元より、使徒とは互いの目的のために集まったのです。絆などなく、いがみ合うばかりでした」
「―――――!」
「だから、この結末も当然のことなのでしょう」
片や、己の生き様を貫き通し、ひたすら克己に身を捧ぐ。
片や、全体に奉仕し、他者を貶め、はじめから限界を己で定めている。
忌み嫌うのは、仕方がない。
上に立つ者が、ただ一度の慈悲を許せば、どんな道筋を辿ったとしても、この結末に至るのだろう。
「せめてもの慈悲です。小生が、逝かせてあげましょう」
ひとつ。空には、黄金の城が建つ。
ずらりと並ぶ、銀の鎧を纏った騎士が、一斉に矢をつがえた。
ふたつ。輝く龍が、巨大な翼をはためかせる。
大きくぐるりと旋回し、その身に勝るとも劣らぬ極光で、そのアギトを輝かせる。
みっつ。湧き出でる恵みの湖。
其は蓋であり、窓である。深淵を秘め、極大の力を引き出す入り口だ。
全て、信者たちによって連面と受け継がれてきた『神』の奇跡のイメージ。
神罰とは、かく下るのだと信じられた。
その曇りなき信心に、『神』は応え、『神父』が導く。
「消えなさい、怨讐の子」
「―――――――――!」
「呪われた生に、せめてもの祝福を」
直後、世界にヒビが入る。
空間が、時間が、あまりのエネルギーにねじ曲がろうとする。
どんな生命体も、耐え抜けない。その余波さえ、触れれば塵も残らない大破壊。
仮に何の遠慮もなく解き放てば、星にすら重大なダメージを与えていただろう。
「…………」
こんなものが、ただの一個人の祈りで成される。
国程度なら、いつでも滅ぼせる。
だから、彼は使徒として選ばれ、世界を敵にしてもなお二百年余りを生きてきた。
何も残らない空間で、『神父』は一人虚しく天を仰ぐ。
猛る落とし子を己の手で終わらせることへの感傷か、孤独なる人生に思うところがあったのか。
そして、
「小生は、実験のために貴女を創りました」
独り言ちる。
誰にも届かず、理解されるとも思わない、彼自身の偽らざる本音を。
「一位殿を越えたかった。あの完全な生物を上回る、最高の化物を創りたかった。当時は、高い地位を目指すつもりでしたが……」
片膝を付き、視線は下に、両手を組む。
敬虔なる信徒の一人として、己が淀みを『神』へと告解する。
「ですが、今になって思います。きっと、小生は、諦めるために無謀に挑んだ」
身勝手にも、彼は命を弄んだ。
己の目的のために、数多の命を消し去り、犠牲者の尊厳すらも炉にくべた。
赦しを求めたことなどない。罪業の重さも、背負うことこそ責務と知る。
だが、弱者を踏みにじる絶対者としての道は、途中で抜けられるものではない。
「彼女に叩きのめされた時、思いました。己など、大海を知らなかった小僧だと。取るに足らない、踏みにじってきた誰かたちと変わらないと」
だからこそ。
だからこそ、負けることが出来たからこそ。
安堵することが出来た。
「だからこそ、屈してはならなかった。小生の役目に、そんなモノは求められていないのだから」
より深く、己の在り方に絡む部分に近付く度に、祈りは凄味を増していく。
この世界における『神』への祈りは、必ず届くものだった。
正しく届き、それに見合う力を下賜される。
研ぎ澄まされていく祈りは、荘厳と剣呑を併せ持つ。
「強い貴女の言葉は、いつだって正しかった。過っていたのは、小生の方でした」
それは、彼にかかる祝福と呪いの顕現だ。
生まれた時から絶対者として位置付けられた彼は、決して消えない宿業を背負う。
これこそが強さで、これこそが苦悩だった。
彼は向き合い方を何度も探し、迷った末に、ようやく辿り着いたのだ。
これは、過ちであったのだと。
「引け目があります。この結末には、ならないで欲しいと願います。ですが、」
「―――――――!」
「貴女は、安らぎなど毛頭求めていないのですね」
現れる光の怪物に、『神父』は祈りの姿勢を崩さない。
眼前の怪物は、元の人形から大きく崩れた形をしていた。漏れる粒子の流れは、まるで出血のようだった。
手負いであることに違いはなく、命の灯が消える生物特有の儚さを孕む。
だが、敵を圧する覇気は、むしろ凄味を増している。
「……良いでしょう。ならば、小生もそのように」
最も強く、最も野蛮で、最も輝く奥の手。
己が悪と認識した存在を、強制的に裁いて殺す、強き己ただ独りだけが在れば良いという本能に従う、一撃必殺の奥義。
父の性質を継いだ、『神』に迫る攻撃。
この正しき一撃だけは、『神父』の守りを貫通するだろう。
『破邪顕正』
己で勝手に定めた邪悪を、傲慢なる輝きによって照らして正す。
恐るべき刃が、『神父』の首へと走り、
「小生は、絶対者。切り捨てたモノのことを、省みない」
刃は、『神父』の薄皮すらも通らない。
残酷以外に、形容のしようがない。
けれど、その残酷を、彼女は当然のものと受け入れる。
これこそが、彼女が『神父』に求めていた理想であって……
「くだらぬ劇も、これにて終い。小生はこれより、『神』を降ろす」
光の剣に、ライラは貫かれる。
神威の武器は、常に敵よりも早く当たる。
心臓が修復不能な損害を受けた。力の核が確実に致命傷だ。
気力で保ったいた命が、こぼれ落ちる。
ありったけの祝福と、呪いを授かった生が、終わっていく。
そして、
「このために、悠久の時が過ぎました。このために、小生は生まれました。今、その役目を果たします」
「!!!!」
斬りかかるクロノを蹴り飛ばし、結界の縁に叩きつける。完全に死角からの無音の一撃であったが、当然のようにいなした。
一瞬、結界の主の方を見たが、すぐに視線を戻す。
感謝など、する意味がないことだ。
「小生は、土となりましょう。『神』という華を咲かすための、肥沃な土に」
「…………!」
「さあ、越えてみなさい」
彼は、役目を果たすのだ。
ただそれだけの、命なのだから。