135 思想
彼らにとって信仰とは、どれだけ多くを捧げることができたかだ。
金、地位、名誉はもちろんのこと、果ては自他問わずに『人』さえも捧げる。
より巨大な貢献を遺せた者こそが素晴らしく、これを上回る悦びを持ち得ない。そうなる環境を用意することを躊躇う倫理など、あっては成立しない。
まずもって、『神』を信じてこそ発動する奇跡なのだから。
彼らにとって強さとは、どれだけ人から外れることができるかだ。
何世代もかけて血を厳選、凝縮し、『神』に感応しやすい人間を造り続けてきた。
ただ、信じるだけでは足りない。精神に見合う才能があったればこそ、信者として、戦力として十二分になる。
彼らにとって命とは、己のモノではない。
生まれ持った何もかもは、全てが『神』に帰属する。
己を使うことは、ただ借りていた物を『神』へ返すだけのこと。
戦士としても、素材としても優秀な彼らが、湯水のように使われていく。
だから、平気でこういうことをする。
「『我らは卑しき下僕なり。知恵持たぬ獣、盲目の羊、愚かな咎人。故に、主の姿を真似、振る舞いを演じる』」
代償は、死。
英雄に届く器を使い潰すことで為される奇跡。
魂さえも完全に変質させ、完全な分身を作り出すことが出来る。
一時的にせよ、本体と限りなく近い実力を発揮するほどに。
「では、頼みましたよ、『小生』たち」
僅かなる奇跡だ。
ほんの一瞬だけ、多大な犠牲の果てを実現する。
ただ一人、真の意味で『神の使徒』として生まれた怪物に、人間が迫るための。
大いなる力に手を伸ばした先には、虚無だけが残る。
「一生に一度の願いとのことです。あまり感慨はありませんが、それくらいは、叶えてやってもいいでしょう」
其は、奇跡の体現者、大いなる者の影。
冷酷にして慈悲深く、最も気高き、この世唯一の王なる者の化身。
彼の者は、世界に隔たる壁の前に立ち、憐れなる盲目の羊を身元へ導き給う。
主の敵を討ち滅ぼす剣にして、盲目の羊たちを守る砦にして、主の言葉を説く教会にして、主に捧ぐ供物を用意する祭壇。
人にして、人ならざる者なり。
※※※※※※※※※※※
アリオスが駆ける。
雷の速度で敵へと迫る。
魔剣が、敵の首へと走る。
刹那の後、ガン、という硬い手応え。
目に見えない障壁が、攻撃を阻む。
渾身の一撃を容易く防がれたが、それでも彼は止まらない。
最善は初撃での殲滅だ。
だが、アリオスは、戦闘をアインに仕込まれた。
次善として、次の手を常に走らせる。
「一人、一敵だな」
地面が炸裂し、敵は移動を余儀なくされる。
その時、凛とした声が響く。
「『隔てよ、世界』」
次元を隔てられる。
とても強固で、抉じ開けるには時間が必要になるだろう。
いわば、そこは部屋である。壁や床、天井は強固で、監禁するにはうってつけだ。
アリオスの判断と行動は、一瞬だった。
個々人の能力や性格は把握しているが、共闘が可能かは怪しい。
身内だけならまだしも、味方の中には勝手の知らない者が居る。
個々の能力は、幸いなことに信頼できる。
逆に、敵は極めて未知なのだ。大きな動きを見せない今、先手を取るのが最善。
分断する方がリスクが低い故の判断である。
「健闘を祈ります」
「死ぬんじゃないわよ、アンタたち」
「一対一って自信ないし、出来れば助けにきて欲しいなあ……」
そして、
「この小生の相手は貴方ですか、英雄ヴァロル」
「……貴様が、神父か?」
「ええ。アレから情報は仕入れていたでしょう?」
ヴァロルたち英雄も、知っている。
ライラという情報源から、人相書は把握済みだ。
その能力、性格、手口など、ある程度の傾向は聞き及んでいた。
「アレらは、貴様が使う『神聖術』か。いったい、一時の力のために何人殺した?」
「奇跡とお呼びを。それに、これは殺めたのではなく、捧げたのです」
薄い笑みが張り付いている。
酷く不気味で、人間味を感じない。
容姿が整っているのだが、どこか、作り物のような印象を受けた。
何もかもが、ヴァロルが事前に聞いていた、第五の使徒『神父』の特徴と合致する。
「元より、この世のあまねく生は、主のものです。小生はそれを返しただけにすぎません」
「クズめ」
命の儚さも、輝きも知る彼は、それを弄ぶ敵が許せない。
目を輝かせながら、彼らは命を懸けたのだろう。
なんとも、胸糞悪くなる。
ヴァロルの不快感は、そのまま怒りと変わる。
「貴様を信じた者を殺すことが、そんなに面白いか? 罪なき民衆をいたずらに殺すことが、そんなに楽しいか?」
彼は、英雄として見てきたのだ。
信者たちが、どれほど悲惨な景色を作るか。
世界に、計り知れない破壊をもたらしながら、張り付いた笑みを浮かべている。
親の骸を前にして、子どもはどう生きるのか。
何のために老人は、その枯れ木のように細い体を差し出したのか。
命を弄ばれた者たちの尊厳は、押し潰されたままで良いのか。
声が枯れるまで、叫ぶ。
こんな理不尽があっていいはずがないと、訴える。
冗談ではない、と。
「楽しくも面白くもありません。全ては必要な犠牲です。淡々と使命を果たす以外に、特段何も感じませんよ」
「この世には、居てはいけないクズが居る。そして、そういう奴らほど、力を持っている……」
ヴァロルの頭上から、光が墜ちる。
神父の足元から、炎が這い上がる。
両者、互いの力に呑み込まれ、見えなくなる。
肺が焼けるほどの高温である。
ただ時間をかけて会話をしていた訳ではない。当然、攻撃を仕掛ける下準備を進めていた。
渾身とは言わずとも、初撃としては十分すぎる威力である。
しかし、やはりというべきか、両者共にそれを越えるしぶとさを持つ。
「!」
「何故、主の存在を拒むのでしょう?」
そこは、外界を隔てる異空間。
主な目的は、封印。
中から外への耐久性は、無類の強さを有する。
このレベルの人間が全力で暴れることができる空間は、極めて稀だ。
思う存分、戦い尽くすことができる。
「主は、我らを見守り、慈しむ。何故、そうまでして拒むのかが分かりません」
奇跡の力は、極めて力強く、模範に忠実だ。
唱えられた祝詞の通りに、遥か過去に想い描かれたモノを写し出す。
逃れることはできず、必中する。
「人は、弱い。自力で困難に立ち向かえる者が、いくら居ましょう? 主がこの世界に降り立てば、すがり、立ち上がるための導を得る」
神の息吹きが、ヴァロルを捉える。
直撃すれば、英雄とてただでは済まない。
事実、ヴァロルも左肩から脇腹にかけてが、消し飛んだ。
だが、ヴァロルの眼光はいささかも衰えず、殺気の鋭さはさらに高まる。
「主という絶対の名の元に、平等になることでしょう。『神』なき世界が如何に醜いものか」
炎と共に、ヴァロルの肉体は再生する。
治癒の魔法ではない。炎の属性に類い稀なる才覚を覚醒させ、英雄として戦場を駆けた者の、無二の技だった。
無くした部位を炎で補い、炎を体組織に変換する。同じことを他人がすれば、灰になって消え去るだけだ。
人と炎、その境を、彼は無理に踏み越える。
「今の世界を、貴方は肯定するのでしょうか? 差別を、戦争を、貧困を、嘆きを。主が降り立てば、全てが解決するのですよ?」
加熱、加速。
炎の魔人と化したヴァロルの剣が、神父を斬る。
灼熱の炎が、渦を巻く。
隔絶した世界でなければ、半径数キロは焦土になっていた。
「我らの願いは、正しき理想です。否定する貴方たちが、間違っている」
炎は蛇を象り、神父を呑み込む。
咥えられた神父へ、重力に従い、正面から全力で剣を斬り降ろす。
だが、どうしても、熱も刃も届かない。
薄皮ほどの見えざる壁が、あらゆる攻撃を阻む。
「すがりましょう。いつだって誰かは、助けを待っています。主を邪悪と決めつける、それは無知ゆえの愚行です」
涼しい顔で、神父は続ける。
痛みも届かぬ高い位置から、響かぬ言葉が虚しく過ぎ去る。
「蒙を啓かねばなりません。救いを手放す民衆に、救いの手をはね除ける敵に。だから、出来れば退いて欲しい」
その態度には、慈愛すら感じる。
本気で、分かってもらおうとしているのだ。
自らの思想、思考を伝えている。
ちんけな挑発の類いとは思えない。真剣かどうかは、目を見ればヴァロルには分かる。
だから、心底から感じた。
「吐き気がするぜ、その理屈には!」
音が走る。
いと尊き教会の、鐘の音が響く。
実体無き炎にすら、音は響き、震わせ、『神』の敵へと威光を示す。
癒えぬ傷を負ったヴァロルが、動きを止めかける。
されども、苦痛を背負い、走り続けてきた者こそが、英雄と呼ばれてきたのだ。
「その本当かどうかも分からん理屈のために、いったい何人殺してきたんだ!? この先、何人殺せば終わるんだよ!」
叫ぶ。
長年戦い続けてきた者の、心の内だ。
醜く悲惨な景色を作り出す者たちへの、止まらない怒りだ。
「何故、貴様らはそうなんだ! 『神』を降ろす? なんで今の世界じゃダメなんだ!? 何故、平気な顔をして、人を殺せるんだ!?」
英雄として戦った者は、比類無き強さと、艱難辛苦の試練が付き物だ。
人を初めて斬り殺した時の傷の醜さも、血の匂いも、恐怖に歪む顔も、何もかも覚えている。国を守るためと己に言い聞かせ、命の灯火を自ら消した瞬間を覚えている。
侵略される怒りに身を任せ、普通ではない状態にならなければ、我がことながら、とても許容できるものではなかった。悪夢にうなされる夜も、数えきれない。
世界の在り方は、きっと間違っているのだろう。
「いくら世界がおかしいからって、それで他人を犠牲にするのは、もっと間違っている」
神とやらを、信仰する未来が如何に素晴らしいからといって、流れる血が多すぎた。
その罪を、罪とも感じていないのだろう。
この世界の異端というものは、骨の髄まで異端なのだと心底感じる。
「貴様らとは、相容れない。改めて確信した」
熱が、剣に収束する。
直視すれば、目が潰れる極光だ。
そして、
「消え去れ、世界の敵」
「やはり、貴方もそう言いますか……」
世界が、軋む。
片や、物理的に存在してはいけない、焼き尽くす熱。
片や、法則として存在を許されない、あり得べからざる奇跡の光。
究極と絶対がぶつかり、弾ける。
「長い付き合いになりそうです」
「もう、貴様との間に言葉は要らん」
無傷の神父も、即座に治るヴァロルも、尋常ではない。
互いに、刻限までに殺しきれる相手ではないことを確信していた。