134 タイマン
クロノとアインが去った戦場は、凪のような穏やかさを保っていた。
アリオスたちは得物を手に、対して、信徒たちは無構えを貫く。
深く被ったフードと、体躯を隠すローブが、彼らの個性の一切を消している。どこの誰で、何を想うかすら見せてはくれない。
目前にも関わらず、とても遠い。
対峙しているという感覚をひたすらに薄められ、人ではなく、アリオスたちからすれば、小さく不気味な絵画を見ているようだ。
飛びかかって先手を取るよりも、迂闊に踏み込めないと本能で理解する。
分かっている。
ここの連中の目的は、足止めだ。
舞台に招かれざる客たちを、これ以上進ませなたくない。
ならば、無理にでも押し通る方が良いかもしれない。何よりも敵が嫌がる手を選べば良いのかもしれない。
だが、しかし、
「不気味だ」
ポツリとこぼしたアリオスの短い感想は、敵の特徴の全てを表している。
不気味だから、踏み込めない。
不気味だから、仕掛けられない。
不気味だから、慎重にならざるを得ない。
アリオスたちは、多くの修羅場を潜り抜けたツワモノである。
己を生かす、この奇妙なカンというものを、無視することが出来ない。
生気も何も感じない。
居るか居ないかも分からない。
「「「「「よくぞ、待ってくれました」」」」」
小さな、小さな呟きだった。
耳を澄まさなければ、聞き逃していただろう。
とても静かに、しかし確実に、事態は動いた。
「「「「「ここは、既に小生の神殿の中。儀式から外れた行為は、法によって咎められる。戦う機会があってよかった。何もせずに終わりというのも、寂しいですから」」」」」
妙に、声が響く。
その声に『魔』や『神聖』といった特別なナニカを潜ませているからではない。
まったく同じ音が、同じように響くのだから、異様という他にないのだ。
「アレは?」
「分からん。だが、おそらく、第五席の手の者だろう」
端的に問うが、答えは無いに等しい。
そも、教団で名の知れた者など、使徒くらいしか居ないのだ。
秘匿された戦力であったなら、知りようもない。
否が応でも感じ取れる『神聖』が、使徒第五席の関係者だと察せる。
ゆらりと揺らぐローブが怪しい。
彼我の距離すらも、正しいと思えない。
踏み込んではいけない領域があるという予感だけが、確かに己の中にある。
「「「「「見せ場というものは、この世の誰にでもあるものです。今、この時こそが、命の最も輝く時だと感じます」」」」」
大きなうねりを感じた。
神聖なる力とは、いくつかの手順を踏まねば発動しないものという性質は知っている。
だが、それを邪魔できる段階に既にないことは、理論と感覚から分かる。
やってくる脅威に備え、構える。
そして、
「「「「「我らは、神の僕ゆえに」」」」」
まったく同時に、そのフードが、隠された神秘が、明かされる。
「……同じ、顔?」
そこに居たのは、まったく同じ人物だった。
顔も、声も、背格好も、空気も何もかも。
しかも、その顔は、アリオスたちにとって、よく知ったものだ。
恐るべき敵、おぞましき怪物。
クロノとアインが王都で戦った、『神父』と呼ばれた使徒だった。
※※※※※※※※※※※
「アインは、なかなか俺たちの味方をしてくれないな」
悪びれもしない、笑いもしない。
信に背を向ける行いをしたにも関わらず、大きな感情を抱いている訳ではない。
心底どうでも良さそうに、緩く流れる景色を見ている。
「教え導いてくれたり、何も教えてくれなかったり。最初から、君はずっと変わらない」
もう、目的地は近かった。
早くと急かされても、アインが拒む。
その必要はないと一点張りで、貴重な時間を潰していく。
先に現れた彼らは、時間稼ぎのための戦力だ。
それを思えば一刻も早くライラの元へ向かうべきなのに、歩くことを強要される。
「どっちつかずで、何がしたいか分からない時がある」
「…………」
クロノは、アインを責めていた。
皮肉のひとつでも言えれば格好がつくだろうが、そう器用なタチではない。
真正面から向き合って、戦うしか出来ない。
取引のやり方など、習ったとて出来ない。
「今回は、どうするつもりなんだ?」
「…………」
「助成、傍観、邪魔。どれでも構わない。でも、どうするつもりかは、教えてほしい」
心を込めて、真摯に願う。
答えてくれなくても、仕方がないと自分で思えるほどには願っている。
だから、アインは気まぐれを起こす。
深淵そのもののような、暗い目だった。
元より、吸い込まれそうな夜の瞳をしていたが、今はことさらだ。
気まぐれではあるが、それを窺わせない。
クロノが無意識に、アインから遠ざかろうとしていた。
「アレは、君にとってどんな存在だい?」
いつもより、遥かに冷たい言い方だ。
クロノも、自分達のことをアインがとても気にかけているのは知っている。
なんだかんだと、結局はアインは甘いのだ。
試練を与え、厳しく接する。けれども、彼女は気に入った者に執着もする。つまりは、応えてくれる限りは、期待をし続けてくれるのだ。
期待を裏切った覚えは、クロノにはない。いったい、何が地雷だったのか、とんと検討もつかない。
「尊敬すべき師? 恐るべき怪人? 裏切り者? どれにせよ、君はアレへの理解が足りていないな」
「…………」
「可哀想に。自分の衝動を、誰からも認められない。まあ、それが人でなしっていうことなんだけどねぇ」
人でなし、と称する。
自分も、アレと呼ぶ誰かも。
人の倫理の中は、決して理解できない理念を、アインは支持している。
「まあ、良いじゃないか。皆、アレのことは分からないみたいだし。分からないモノは、分からないママにしていたら」
「それは、違う。分からないママになんてしたくない」
「じゃあ、自分で気付いてみろって。考えもせずに答えを求めようとするんじゃないよ」
失望を孕んだ溜め息が、逃げていく。
眉間にシワができて、空気が張りつめる。
嫌悪感を示しているのだ。
人でなしのことを何一つ知らず、好き勝手に解釈をする姿が、見るに堪えなかったのだろう。
「ボクらみたいな人でなしを、分からないと投げ棄てるのは構わない。でも、知った顔して、分かったフリして、貶めるのは不快だ」
「…………」
「強いボクならまだしも、愚かで憐れなあの娘を、そんな風に見てほしくない。……ああ、本当におかしいな、君たちと居ると、調子が狂う」
自分でも、吐いた言葉の意味を噛み締めているようだった。
最後の部分だけは、本当につい溢したのだろう。
己で作り出したエラーの要因を探すことに注力していることが窺える。
クロノにも見通せない深淵だが、その正体が、何故見通すことが出来ないかが、理解出来そうな気がした。
「……なんにせよ、だ。これは君に気付いてほしいんだよ」
「それは、何故?」
「人でなしになる君への試験でも、あの娘への感傷でも、誰でもない誰かたちへの慈悲とか、これは好きに解釈してもいいよ」
自分でもどれか、分からないからだ。
クロノに解釈の権利を渡したが、己では決めかねた、もしくは、決めたくないと思ったからだろう。
好きに解釈しても良い、という言質から、クロノは僅かに妄想をした。
アインが何故、こんな吐露をするか。何故、曖昧に濁そうとするのか。
クロノの妄想でしかなく、根拠もない。
短い付き合いの中で、微かな要素をかき集めた、くだらない仮定だ。
だが、答えは、彼の中で出てしまった。
きっと、それはアインの弱さの発露だ。
そして、それを認めず、強く在ろうとする、アインの強さだ。
誇り高い彼女の、醜い足掻きなのだと、クロノは解釈した。
「結論、全部ボクの気まぐれさ。君に味方しようが、敵になろうが、全部ボクの好き勝手ってね」
クロノの内情を察したのか、それとも偶然か、アインは仮面を被った。
へらへらと、先程の虚ろを隠した道化の顔を張り付けていた。
「あの娘の好きにさせたのも、なんとなくの気まぐれだよ。あの娘が、どこの誰を何人殺そうと、ボクには関係ない。殺された奴らも、別に惜しむほど関係もなかったし」
何が面白いのか、何も考えていないような口調だ。
アインの様子は、特段、無理をしている様子はない。
何かを隠しても、偽ってもいない。
「それに、あの娘はスッキリしたでしょ。強い奴ら相手と、あれだけ戦えたんだから」
「見てたのか?」
「ううん? だけど、嫌でも分かる。サシで殺り合ったのが楽しかったのかな? すごくはしゃいだ気配がしてた」
見せかけか、本心か。
喜びを語るアインの口調と軽い足取りは、『あの娘』の幸せを体現しているのかもしれない。
クロノも、尋常な一騎討ちの末に、あの虐殺が行われたとは知らなかった。
満足のいくまで戦った、力を試した、己を高めることができた。後ろ暗いものが無かったことに、多少の安堵もある。
「まあ、本命がすぐ後だから、すぐに気を引き締めたけども」
「本命?」
真意を図りかねた。
ここに、重要な何かが眠っているはず。
そう感じ、追及しようとして、
「さあ、目的地だ」
アインは足を止める。
自然と、クロノもそれに倣う。
そこには、
「遅かったな」
「随分待ちました」
クロノの師、ライラ。
恐るべき怨敵、神父。
相反するはずの二人が、向かい合って立ち尽くしている。
「じゃあ、始めようか」
「!?」
直後、アインはクロノを蹴り飛ばす。
先客二人から、引き離す方へ。
明らかに手加減されていたため、ガードは簡単に間に合った。
異変は、視界を上げた瞬間に現れる。
当然クロノには、それを止めることはできない。
「思う存分やりな。ボクらが、立会人だ」
巨大な結界に隔てられた、あちらとこちら。
中には、件の二人が、外には、クロノとアインが居る。
師の猛る空気が、神父の微動だにしない険しい視線が、これから行われる儀式の正体をクロノに教える。
己もかつて経験したことなのだ。その時の、輝く記憶が思い起こされる。
それは、命と誇りを賭けた、決闘だった。