123 女子会 後
「あの剣は、元々別の持ち主が居たんだ」
表情は見えない。
暗く、淀んだ深淵の先には、何も映らない。
反射すら許さない、光を呑む奥底に、何が座すのかは窺い知れない。
重く苦しい空気が、纏わりつく。
吐露したモノは、周囲を侵す猛毒のように、ゆるりと広がっていく。
「ボクは、その持ち主から預かった。帰って来た時に返せるように、仕舞い続けてた」
かつて抱いた後悔、嘆き、怒りを圧縮したものが、漏れ出ている。
それは、ほんの一端のはずだ。
なるべく平坦な声を心掛けていることは、相対している彼女らは感じ取れる。
大きく抑えられ、漏れ出た感情の一欠片。
その強すぎる想いが、二人の慈悲も、感謝も、何もかもを塗り潰す。
「クロノくんにあげたのは、分かってたからだ。もう、彼女は帰ってこない。だから、諦めてしまいたかった」
淡々と、嵐のような激情を語る。
見えない顔が何を表すか、見えないことを、彼女らは悔いるのか、安堵するのか。
人の触れてはならない聖域があることを、身をもって知る。
「あの剣、凄い剣でしょ? 剣として、いや、武器として、アレ以上はない。心を持つ剣を、君たちは他に知っているかい?」
強者を演じてきたのだ。
弱さなど見せず、強さだけを見せてきた。
今の今まで、絶対に表に出してはこなかった。
この弱さこそが、アインにとって最も大切な部分であった。
そこに初めて触れた感想を、どうにも見つけられない。
「古い主に置き去りにされた、寂しい犬だ。もう居ない幻想に囚われ続けてる」
弱みとは、こんなにも胸をえぐられるのか。
強き者の幻想とは、こうも脆いのか。
「あの剣と、ボクとは反りが合わなかった。考えの根っこがまるまる違う。でも、同じ、主を見つけられない遺物だ」
「「…………」」
「ボクは、そう思ってた」
言葉には、魂が宿る。
「でも、アイツはクロノくんを新しい主と認めた。立派だよ。一歩も前に進めてないボクとは違って、変わることを選んでた」
アインは、強い怪物だ。
強いから、変わらないことを選んだ。
強すぎるから、変わることを選ぶことができなかった。
「それが、許せなかった。認められなかった。彼女は唯一無二の存在なのに。代わりを、見つけたんだ」
羨望が、怒りが、安堵が、苦悩が。
重なり尽くした想いの果ては、推し量ることが出来ない。
表層を知っただけで、アインの何を語れるか?
普段見せていた態度からは、こんなものは決して悟らせなかった。
「何よりも赦せないのは、それに納得した自分だよ」
押せば崩れそうだ。
強敵に向かう荒々しさの、欠片もない。
見た目通り、繊細な少女のように見えた。
「クロノくんと彼女を重ねた。雰囲気が、何となく似てるんだ。生まれながらの英雄としての、才覚がある。君たちの言う通り、彼は何かを変える力がある」
静かに、重々しく、アインは、
「ボクは、それがどうしても赦せなかったんだ」
笑みを張り付けて、そう締めくくった。
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重く冷めた空気に、言葉が見つからない。
想いの果てがどれほどか、これでもかと見せつけられた。
表には、波紋の一つすら窺わせず。
膨大な熱量を裏に隠し通し、ここまで来たのだ。
過去だけを見てきた、幾星霜。
それだけを、頼りにしてきた時間。
ここを揺るがされて初めて、ようやくこうして口にしてくれた。
その事実を、二人は重く受け止める。
「私たちは、そう変わりませんね」
心からの忠誠心だったのだろう。
それを向ける先が、居るか居ないか。
本質的な違いは、それだけなのだ。
「彼は、貴女が前を向くための存在になれませんか?」
「……なりそうだから、嫌なんだ」
「そんなに、大切な人が居るんですね」
怪物と、誰もが思っていた。
知れども、見せども、未知で埋め尽くされていたのだ。
だから、項垂れているアインは、かつてなく人らしく見えた。
「靡かないことが、その方への想いの証明と思っている?」
「そうだ」
「貴女は、輝かしきモノは、過去にしかないと信じている?」
「そうだ」
「貴女の目的とやらは、その方に関わること?」
「……そうだ」
人が、そこには居た。
人並みに悩み、人並みに信じ、人並みに裏切られてきたのだ。人を外れた力を持ち、人外と謗られる運命を受け入れた。
だが、人の心も、持ち合わせていたらしい。
「彼女のためでも、ボクのためでもある」
「貴女は、その目的のために教団と敵対している?」
「アイツらはクソだ。いつか、潰さなきゃいけない」
嘘偽りは、一切無かった。
誤魔化しがないから、恐ろしく刺さる。
本気で、敵を潰そうとしているのだ。
そこには、研ぎ澄まされた使命感が宿っていた。
「君たちは、駒だ。ボクの目的のために、必要な駒。それ以上の価値はない」
「そう?」
「君たちを強くしているのも、目的半分、気まぐれ半分だ。君たちに、特別な義理や情もない」
「なら、止めなさいよ」
揺らがない、人外の道理。
燃ゆる使命は、大きく理解を外れる。
真に、人外なり得るのなら、理解されることもなく、不気味に嗤っていただろう。
だが、
「そうやって、あたしたちの言葉に揺らぐのも。苦しそうに吐き捨てるのも」
「…………」
見苦しさを覚えた。
惨めにも、小さな後ろめたさを抱えていたのだ。
人との対話だというのなら、彼女らに一日の長がある。
理解不能な怪物は、理解された人へと、堕ちてしまった。
ならば、誰が誰の手中にあるか。
「弱さを隠して、強さで塗り固めて。もう、良いでしょう?」
「独り、苦しんできたことは察するに余りあります。ですが、もう、構わないのではないですか?」
「何が言いたい?」
彼女らの目的は、一つだけ。
あらゆるモノを利用してでも、クロノのために在る。
そのために、己の本心すらも利用する。
「あたしたちの前でくらい、もう少し素直に成ったらって言ってるの」
「こんなに一緒に居たのに、随分と遅くなりました」
待ちに待ったのだ。
これが、ずっと、言いたかったのだ。
敬意を込めて、期待を込めて、
「「仲間になって欲しい」」
「―――――!」
その言葉を、獣だった者の心をどれだけ揺るがしたことか。
弱さを甘えと断じてきた。
強さを解きほぐされたのは、後にも先にもこの時だけだと確信があった。
この真っ直ぐに向く、無垢な瞳を、アインは知っていた。
遥か過去、初めて受けた施しの味は……
「クソが……」
重ねさせた。
胸の奥に仕舞い込んだ思い出と。
「……バカなガキ共だな」
「あん? 文句あんの?」
「あるよ。よくもまあ、こんなクサイ台詞吐けたもんだよ」
裏があるなら、不快に思っていた。
そして、ただ与えるだけのモノなら、ひたすらに嫌っていた。
だが、これはその二つに触れない。
腹立たしいくらいに、心地よい言葉を的確に吐いている。
「ふざけやがって。ボクをバカにしてる」
「相応しい相手に然るべくして払う敬意は、心得ているつもりです」
「なんて、奴らだ。ありがた迷惑っていう言葉を知らないのか?」
「アンタには、必要なモノだわ」
見透かされるほどに、底が浅くなっていた。
自覚するだけの判断力は、奪われていた。
過去だけを見つめると決めていたアインは、過去を思わせる何かに、とても弱かった。
「……仲間にしてくれとは、言わん」
「「…………」」
「だけど、」
起きすぎたイレギュラー。
疲弊した心。
目的成就間近という、最も緩むタイミング。
全てが、アインにとっては、不利に働いていた。
だから、
「お前らは、ただのクソガキじゃない。それは、認めてやる」
気紛れだ。
夢幻のようなものだ。
夜が明ければ消えてなくなる、泡沫の今でしかない。
けれども、
「いつか、対等になってみせます」
「アンタがこっちを向かざるを得ないくらい、輝いてやるわ」
吐いた言葉は、戻らない。