11 過去編(過去だけやるとは言ってない)
アリオス・アグインオークは、天才だった。
アグインオーク家が始まって以来の才能だの、国でも有数の才人だの、百年に一人の逸材だの。
讃えられた経験は、誰よりも多かろう。
捧げられた称揚は、飽きるほどされてきただろう。
剣を振るってから三年で、家で雇っていた指南役から、免許皆伝を受けた。
魔法を修めて同じ三年で、魔法の師から、教えることはもうないと言われた。
それぞれ、その五年後には、それぞれの師の実力を完全に越えていた。
彼らは決して、劣っていたのではない。
ただ、アリオスが凄まじかっただけなのだ。
恵まれた才能、恵まれた環境、恵まれた容姿。
欠けることを知らなかった。
なんでも出来たし、出来ないをすぐに出来るに変えてきた。
壁にぶつかった事などなく、彼にとって人生とは、平坦な道を進み続ける事だった。
他人が壁というものは、彼にとっては道に転がる石ころも同じだった。
ひたすら、真っ直ぐに歩み続ける。
愚直に、征き続ける。
ゴールに何があるかは知らないが、無邪気であった彼は、その道を歩き続けた。
『なんだよ、天才め』
他など、気にしたことはない。
どんな目で見られても、自分を貫いた。
何もかもを置き去りにして、進んだ。
自分に近しい人間など、対等な人間など、どこにも居なかった。
親からの期待、兄弟からの妬みに、常に晒され続けた。
孤独だったと、彼は自覚する。
アリオスという人間の中に、他の人間という存在は、とことん排除されてきた。
『偉そうにしやがって』『天才? だから、何なんだよ』『調子に乗りすぎだろ』『気取ってるよな、アイツ』
日に日に、自分の弱さを自覚し始めたのは、とある剣術大会で優勝してからだろう。
外国の、それなりに有名な大会だった。
大人も当然参加し、優勝した時の名誉は、やはりそれなりのものである。
アリオス・アグインオークという名は、周辺の国でも知られるようになる。
当然、当時齢十四の少年は、さらに多くの人間から、注目を集めることになった。
『気持ち悪い』『どうせ、親の力だろ?』『あの大会は参加した優勝候補選手が少なかった』『裏で手を回してたんじゃないか?』『ラッキーで勝てて良かったな』『恵まれてる奴は良いよな』『何の努力もしてこなかったんだろうさ』『偶々生まれ持ったものでイキリやがって』
様々な声が聞こえてきた。
称賛の裏にある罵倒を、期待の底にある妬みを。
ありとあらゆる悪感情を、味わい尽くした。
褒め称える声よりも、そうした暗いものが聞こえる機会の方が多かったのだ。
求められるものが、増えていく。
それに伴い、影も大きくなっていく。
心を蝕む毒は、強くなっていく。
『落ち目の侯爵家のくせに』『いつになったら没落するんだ?』『自分の領土の金鉱山が枯れてから、あの家はもう終わってんだろ』『家を復興させようと必死なのかね?』『アイツと友達になっても旨味がない』『アイツ自身はともかく、家はもう無理だろ』『アイツも鼻につくから関わりたくないなあ』『どうせ、周りの人間なんて全員見下しているんだろ』『アイツの仲間とも思われたくない』
どうしても、折り合いがつかなかった。
周囲の人間への失望を抑えきれなかった。
気にすることすら、随分前に止めてしまった。
『アリオス。お前は将来、アグインオークを背負って立つ男だ』
『この家を、どうか立て直してちょうだい。貴方なら、きっと出来るわ』
両親は、彼を見てはいなかった。
家を盛り返せるかもしれない希望を、ただ盲信するだけだった。
せめて、夢を見せてあげよう。
そう思い、いっそう努力をしてきた。
周囲の詮無き声はより煩くなったのだが、もうそんなものは聞かないことにした。
『図に乗るなよ、アリオス』
『三男の分際で、当主だと? 父上たちは目が曇ってる。あんな老害だから、家が衰退するんだ』
兄弟は、彼を見ていなかった。
自分たちの立場を危うくする者への敵意と、醜い嫉妬以外、何も抱いていないのだ。
もしも、自分が正しいのなら。もしも、自分が兄たちに疎まれる理由が、嫉妬以外に何もない人間なのだとしたら。
それは深く、兄たちを傷付ける。苦しませる。
自然と距離を取りながら、傲慢不遜な性格を演じるようになった。
誰からも余計に疎まれる事になるのだが、もうここまで来れば、無視も簡単だった。
『死ね』『気持ち悪い』『なんであんなヤツが?』『気に食わない』『くだらない』『結局才能かよ』『努力しても、あんなのに勝てないんだもんなあ』『いいよなあ、恵まれてる奴は』『凡人なんて眼中にないってか?』『羨ましいよ、何の苦労も無さそうで』『なんでこんなに不公平なんだろう?』『ずっと一人で威張り散らしてろよ』『こっちに来んな』『あんな奴に媚びへつらいたくねえ』『嫌われてるって自覚ないのか?』『くだらない人間だよ』『親の下駄で、自分で何かしてきたつもりなのか?』『ああいう奴って、自分の悪いところを見返したことがないのかね?』『誰からも相手にされてないのに、哀れだよ』『自分が一番偉いと思ってるんだろうな』『なんでも思い通りになると楽そうだなあ』『才能があっても、あれじゃあ昼行灯と変わらない』『頭が良くても、あれだけ視野が狭いなら、頭が悪い奴と一緒だ』『ずっと裸の大将やってろ』『ここまで愚かだと清々しい』『早く落ちぶれろよ』『自分は俺たちとは違うって面が気に食わない』『お前だって変わらないだろ』『俺たちと何が違うって言うんだよ』
何も、変わらなかった。
どんな言葉も、無視し続けた。
思うのなら、そう思わせておけばいいと考えた。
血の滲むような努力など、誰にも見せなかった。
夜遅くまで勉学に励んだことなど、誰にも悟らせなかった。
誰も寄せ付けず、誰も相手にしなかった。
周囲に対する失望は、消せなかった。何も期待していないから、自分の役割を果たせることだけに注力したのだ。
だから、
『クロノ・ディザウスだ。是非、覚えて帰ってくれよ』
どんな行為も、周囲から否定された。
何をするにも、侮辱と侮蔑が付いて回った。
だから、せめて、自分に与えられた役割だけは、と。アグインオーク家の希望、次期当主としての強い自分を演じることだけは止めたくないと思っていた。
一番であることでしか、アリオスは自分を許すことが出来なかった。
なのに、それすら、出来なくなった。
当たり前の権利すらも、奪われてしまった。
『――――――』
その時の憎悪を、彼は忘れない。
奪われ尽くし、何をすることも許されず、そして、最後に縋れる場所すらも奪われたのだ。
この恐怖を、絶望を、忘れない。
いつまでも、決して、忘れない。
『―――――…………』
何のために、嫌われ者で在り続けたと思っている?
何のために、努力し続けたと思っている?
何故、かくも簡単に踏み躙る事が出来る?
これまでの人生は、いったい何だったんだ?
『…………ね』
ただ、演じるだけだった人生。
ラベルだけを豪華にしただけの、空の瓶のような十五年と少し。
それを自覚し、息をし続けてきた。
抗うことこそ止めたが、誇りくらいはあった。
いきなりやって来た馬の骨に、粉々に踏み砕かれるまでは。
『……ね』
アリオスにも、感情がある。
想いがあり、経緯があり、理由がある。
それを、いたずらに台無しにされた。
その時になって初めて、芽生えたものがある。
『死ね』
強い怒りと、憎悪と、嫉妬。
他人がアリオスに抱いてきたもの。
人間らしい想いに、深く深く沈んでいく。
『死ね、死ね、死ね、死ね』
初めて抱いた、他者への執着。
立場も、誇りも、何もかもを忘れて、憤怒に染まる。
体の中から、ドロドロとしたものが溢れ返る。
自然と握り締めた手から血が流れたことなど無かった。唇を大きく切るほど噛みしめることなど無かった。
腸が煮えくり返る事など、初めてだった。
『死ね』
気付けば、血の涙を流していた。
使う必要など一切なく、ついぞホコリを被ったままだった宝剣を抜いていた。
剣に映る自分を見て、己の醜さを自覚した。
激しく燃え盛る炎のような、歯をむき出しにして唸る獣のような。
空瓶のような自分ではなく、中身のある自分を見たのは、それが初めてだった。
『死ね、クロノ・ディザウス……』
心を埋め尽くさんとする、憤怒の炎。
心ばかりか、目につくもの全てを壊しても変わらない、終わらないであろう。
そのことに、僅かな歓喜を感じたのは、きっと気の所為ではない。
※※※※※※※※
まず、気絶していた所を魔物に喰い殺されなかった幸運を自覚する。
仰向けの体勢で寝ていたので、わざわざ体を起こさなくて助かった。
全身が痛み、もう動ける気がしなかった。
すっかり日は沈んでおり、空に星が瞬く。
逃げ場を無くすために周囲を焼いていたはずだが、術者の気絶と共に消えたのだろう。
何故か、周囲に自分たち以外の気配はない。
もうしばらく休んでいても、大丈夫そうだ。
それだけ察して、アリオスは溜息を吐く。
これまで、十数年溜め込んできた黒いモノを、排出していく。
そう出来るのは、きっと夢を見たからだ。
「……つまらない夢を見た」
心底、つまらない事だった。
何かを成し遂げたいなどと、ただの一度も無かった。空虚な生き方をし続けてきた。
人生で初めて思った、勝ちたいという衝動。
それに身を任せた結果が、コレなのだ。
卑怯な手を使い、醜く敵にしがみつき、そして、またもや負けた。
潔く認めれば良かったものを、惨めったらしく足掻き、そして最悪の結果へ辿り着いたのだ。
「二度も負けて、俺は何をしてるんだ?」
何をしても、上手くいった。
しかし、何をしても、疎まれた。
だからせめて、自分に希望を見出してくれた人たちの望み通りにしようと思った。
そして、近しい人たちが苦しまないように、そう振る舞おうと決めた。
愚昧な雑多共など、気にしない。
そう決めたのに、自分で違えてしまった。
「俺は、何がしたかったんだ……?」
やるだけやったからだろう。
あれだけ燃えていた熱意が、消えていた。既に冷え込み、終わっていた。
一区切り付いてしまった時に、冷静になってしまった。
そして、自分の愚かさを正しく把握してしまった。
もう、どうでもよかった。
何も得られず、何も出来なかったのだ。
このまま死んでしまえれば、どれだけ楽か?
自分に価値など、もう見い出せない。かろうじてあった生きる意味も、消え去った。
空虚な自分の、抜け殻。
そんなもの、砂粒一つ分の価値だって無い。
元々つけていた見切りに、さらにダメ押しがかかる。
「死ね。死んでしまえ、何もかも……」
投げやり、ぞんざい、自暴自棄。
何も響かない言葉が空に放たれる。
実のない人生を歩んできたのだ。投げかけた言葉にすら、返す者は居ない。
恵まれていると言われたのに、その実情はコレだ。
その手に残ったものは、何もない。
掴んでも、全ては霞のように消えてしまう。
「なんて、無価値なんだ、俺は……」
不満ばかりだった。
後悔ばかりだった。
侮蔑ばかりだった。
冷笑ばかりだった。
痛みばかりだった。
苦痛ばかりだった。
虚無ばかりだった。
そして、
「それは違う」
敵意、ばかりだった。
「…………」
「無価値な、もんか……誰が、価値がない、もんか……」
軋む体に鞭打って、アリオスは体を起こす。
残り滓のような魔力を用いて、光を灯しながら。
すると、ガラガラの声の主の姿を表す。
「…………!」
「俺を、ここまで、追い込んだのは、師匠を除けば、お前が初めて、だよ……」
木にもたれかかっている、怨敵を見た。
口の端から、なおも血が垂れている。
綺麗だった制服は、血と土に塗れているせいで、見る影もない。
明らかに、やられたはずのアリオスより重傷だ。
放っておけば、確実に死ぬだろう。
そんな状況に居たことに、アリオスは驚愕を隠せない。
最後に受けた不可視の一撃、アレは、
「いったいどんな、代償を……」
「内臓が、いくつかやられた……回復、魔法を、使ってはいるが、この傷は治りが、遅いんだ……」
鬼気迫るものを、感じていた。
これだけの傷を負いながら、怨敵には、クロノの目には、まったく戦意が衰えていなかったのだ。
手は出していないはず。少なくとも、数時間はアリオスと同じように気を失っていただろう。
起きてからも、どれほど長く苦痛に晒されたか。
絶え絶えにする話し方が、痛みを堪えるようにそえる手が、苦悶に歪む顔が、クロノの弱さを表していた。
だが、クロノは、弱くはなかった。
死にそうになっている重い体で、純粋な強さしか感じなかった。
「嗚呼、そうだ、そうだよ、自分が無価値って、なんの、冗談なんだ……?」
ただ、圧倒されている中で。
とにかく、慄いている中で。
クロノは、アリオスの自嘲に疑義を挟む。
その憤りの意味を、理解する事が出来ない。
「その実力は、本物だろう……? 積み上げてきたモノは、本物だろう……?」
「…………」
何を、怒っているのだろうか?
意味が分からない。
アリオスの人生など、何一つ知らないはずだ。
関わりすら、かぎりなく薄かっただろう。
傲慢チキな小僧のその態度以外の、いったい何が気に食わないというのだろう?
「そんな事を、言っちゃ、いけない……」
「…………」
「そんな、悲しいことを、寂しいことを、言っちゃ、駄目だよ……」
誰が、寂しいのだろうか?
何が、そんなに悲しいのか?
どんな言葉を紡ぐのか?
「頑張ってる自分に、失礼だ……」
「おれ、は……」
「そこまで強くなるのに、努力してきたんだろう? 分かるよ、俺には」
理解
初めて受けた言葉だった。
妬みでも、嫉みでも、憎しみでも、希望でもない。
憐れみ、そして、怒りが入り混じったもの。
そんなものを、生まれて初めて。
「俺を相手に、引き分けたんだ……正直、俺くらいの奴なんて、居ないと、思ってたのに……」
「…………」
「そうでなけりゃ、俺が、恥ずかしくて、明日から学校に通えない……」
強がりではあるのだろう。
取ってつけたような傲慢は、何とも不格好だ。
鏡を見ているかのような、気恥ずかしさを覚える。
「そうか、そうなのか……」
「……お前は凄いんだ。戦った、俺が、一番分かってる。文句は、誰にも、言わせない……!」
寄り添ってくれた。
認めてくれた。
たったそれだけの言葉なのに、救われた気がした。
その喜びを、振り払えない。
初めてくれた優しさを、無碍には出来ない。
ここまで心が弱かったのかと自分を貶めるより前に、重荷を下ろしたような感覚に身を任せた。
「だから、勝負だ……この一回だけじゃ、終わらせ、ない……」
「ああ……」
「次は、俺が完璧に、勝つ……だから、張り合ってくれよ……お前は、俺の、ライバルだ……今、そう決めた……」
火傷するくらいに熱い眼差しで、こちらを見ている。
アリオスを、真っ直ぐに見ている。
見て、くれている。
その上で彼は言っているのだ。認めているのだ。
これまで、心の底で求めていたものを、クロノは全てくれたのだ。
だから、こんなにも心に響いているのだ。
「そう、だな……また、やろう……」
「ああ……楽しみだよ……」
月と星が輝く夜の帳の中で、アリオスは微笑んだ。
こんなにも自然と笑みを浮かべられたのは、本当に初めてだった。
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