2 真面目な良い男の役割?
彼女の次の動きを読めなかった俺は、あっさり距離を詰められる。彼女の素早さはまるで子ウサギのようだった。それに対して俺は何も対処できずに固まって棒立ち。
情けないぞ、俺!
「ちょっと、落ち着こうか。 原南……さんだっけ!?」
メモにあった彼女の名前は、原南朋香。
とにかく小柄、きっと、身長は150センチも無い。目は大きく、眉毛はキリリとしている。鼻と口が、妹が昔持っていた女児向けの某Lちゃん人形のようにこぢんまりしてる。
「はじめまして。わたし、原南朋香と申します。わたしは全然落ち着いています、澤木さん。この度は、わたしの無理なお願いをきいてくださってありがとうございます。さっそくですが……」
先に名乗られた! 角度三十度のお辞儀された! 挨拶、敬語等々がきちんとしてる! 見た目JKだけど、そこはアラサーか。
「こちらこそ、は、初めまして、澤木です。いや、待って。俺はお願いをきくなんて一言も言ってない。佐久間が勝手に……仕組んだことだろう?」
そもそも、彼女のお願いだって、何か違うかもしれない。きっとただの……。
顔に熱が集中する。
一般的にオオカミと称される男の俺の方が動揺してどうする。
「いいえ。わたしが無理なことをお願いしたんです。お金が必要なら払いますが」
「やめやめ、マジで売り買いの問題じゃないし。その……本当にこういうのやめよう……。あ〜もう、仕方がない、部屋の中で話そう。話をするだけだよ」
話が話なので外では話しにくいし、もう時間も時間だ。俺は渋々カードキーを差し込み、自分の部屋のドアを開け、原南さんを招き入れた。真面目に話をするだけだ。
原南さんは、なんのためらいも無くスタスタと部屋の奥へ進む。思わず、誰かに見られてないか外の様子を伺ってしまうほどの後ろめたさよ。彼女の後ろ姿はマジでJK以外の何者でもないからな。
なんで佐久間に部屋番号をきかれたか考えなかった俺がアホで、正直に答えたのも迂闊だった。完全に謀られた。あいつ、今度会ったらタダじゃおかない。それにしても、なんという背徳感。目の前を通り過ぎた彼女の頭は、ガブリとするには丁度良い俺の口の高さだった。
ホテルの個室に二人きり、完全に囚われ状態なのに、原南さんは怖くないのか?
とりあえず彼女に窓際の椅子を勧めると、素直に座ってくれた。肩がけにしていた小さなショルダーバッグにスマートフォンをしまうとそれを外して自分の背中と椅子の間に挟む。両手は膝の上に置いて、きゅっと唇を結んで一点を見つめ、思い詰めた硬い表情をしている。全体的な作りが小さいせいで、それすらも可愛らしく見えてしまう。
俺は立ったまま、窓の外に目をやる。が……。
な、なんじゃ、このけしからん景色は!!?
大通りの外れにあるビジネスホテルのくせに、街路樹に施されているクリスマス仕様の見事なイルミネーションがよく見える絶好のロケーションじゃないか!
実は穴場というやつかもしれない。
「わあ、綺麗ですね! 毎年通りすがりにチラッとは見てますが、ここからだとまるで光の国みたい」
原南さんが椅子からぴょこんと立ち上がると、俺の横を掠め、勢いよく大きめの窓に両手を張り付けた。
あ! 危な……くないか。さすがに。
頼む、予想外の素早い動きはやめてくれ。そうでなくてもさっきから彼女が動くたびにシャンプーか石鹸かの爽やかな甘い香りがふわりふわりと。シャワー浴びたてなのか。準備万端だったのか。余計心臓に悪い。
もう、本当に頼む。
「今日がクリスマスなら良かったのに。わたし、夢だったんですよね。クリスマスシーズンに好きな人と、この街路樹のイルミネーションを一緒に観るのが……」
「だったら、今すぐここを出て帰ったほうが良い。俺は原南さんの好きな男じゃないだろう?」
俺の言葉に、窓ガラスに映っていた彼女の明るい表情は一瞬にして曇った。
振り返った彼女の瞳は、どこか遠くを彷徨っているような淋しさがあった。
その時、俺は察した。
彼女が好きなのは……おそらく。
「わたし、こんな幼い見た目で体型もしかりで、佐久間主任に相手にされないのはわかっていましたが、一度でいいから憧れの主任の温もりを知りたかったんです。心がわたしに無くてもいいから思い出が欲しくて、一度だけでいいので素敵な夜が欲しいとお願いしました。当然ですけど、キッパリと断られました。だったら、誰でも構わないとか、つい言ってしまって……」
ホテルの窓の外の輝くイルミネーションを見ながら話す、俯きかげんで頼りなさげな原南さんをすぐにでも抱きしめて慰めてあげたかったが、もちろんだめだ。
「心が無くても……とか、誰でもなんて、悲しいだけだよ」
憎っくき佐久間め。
イケメンで八方美人だから、こうなる!
「そうですよね。それでも、主任に気にかけて欲しくて、出会い系サイトに申し込んだフリをしました。そしてその相手とホテルで会う約束をしたと嘘をついたんです」
うわ〜。さすがにヤバイと思ったよな。少しヤツに同情する。
「主任が慌てたのがわかりました」
そりゃそうだろ。佐久間も悪いやつじゃないんだし。
「出会い系はやめて、真面目な良い男がいるからそっちの方が絶対良いから、そっちにしろと言われました」
そっち……。それが俺? 真面目しか取り柄の無い男の役割がこれかよ。うまくあてがわれたんだな。
「あ、すみません、そっちとか」
「いや、まあ、いいけどさ。原南さんを救えたならね。でも、もっと周りに目を向けたら? 佐久間だけが男じゃないんだから、妻子がいる男はダメだよ、絶対に」
「はい。主任には申し訳なかったと思っています。憧れだけで、主任の気持ちも考えずに自分勝手に暴走してしまいました。この季節はひとりだと無性に淋しくなってしまって、だめですね」
「うん。その気持ちはわかるよ」
「特にわたしは男の人だと妙に構えてしまって、緊張してうまく話せなくて、男の人から声はかけられてもお付き合いに至るくらい長続きしたことがなくて。そんなわたしにさえ、主任はいつも明るく接してくださって、親切で親身になってくれました。その優しさにつけ込むようなことをして、困らせてしまいました。澤木さんも巻き込んで、嫌な思いをさせてしまって、本当にすみませんでした」
「もう、気にしないでいいよ。わかってくれたら」
「澤木さんは、お話しやすい方ですね」
「そうかな?」
「圧迫感がないというか、あまり緊張しないでお話できます」
原南さん、だいぶ柔らかい表情になったな。良かった。
「ああ、もしかして妹がいるからかな。お兄ちゃん的な雰囲気?」
俺もようやく落ち着いて来た。
流れからして、原南さんが自分で話しながら、自分で結論にたどり着いたように見えたからだ。これで終わる方向に……。
原南さんが、そこで何か言葉をこぼしたが、聞き取れなかった。
「ところで澤木さん、せっかくですから、今日はこのままここに泊まっても良いですか?」
は!? なぜそうなるーーー!!!?
「ごめん、ほんと、きみの言ってる意味が全く分からない」
俺は天井を仰ぐしかなかった。
「澤木さんは、ソフレって知ってますか?」
は? ソ、ソフレ?
もう、やめてくれ略語。
DTだけで抉られたんだから。
「えっと、お菓子の名前? それとも俺が家で洗濯の時に使ってるあれかな、柔軟剤?」
全く予想がつかないので、とぼけてみた。俺のそんな面白くもない返答に、初めて原南さんが、
「お洗濯の時、柔軟剤、使っていらっしゃるんですね」
と、言ってクスッと笑った。ツボったのはそこですか……。
でも、笑顔、か、可愛い……。
うっ、今、何考えた? 俺っ!!!
オオカミがウサギのトラップに引っかかってどうする!?
「柔軟剤の名前ではないです。澤木さんは、本当に真面目な方なんですね」
「俺のこと、バカにしてませんか」
確かにクソが付くほど真面目だよ。
「そんなことはありません。ソフレって添い寝フレンドのことです」
「!?」
は〜? 予想の範疇を越えていた。
また俺は間抜けな顔をしたと思うが、知るか、そんなの!!
「まさか、俺に添い寝しろとか言わないよね」
「今夜だけ、ソフレになってもらえませんか? ただ、隣で寝るだけです。だめですか?」
「あ、あたりまえだろう……。男はオオカミなんだよ。俺だって男なんだから、間違いがあったらどうする?」
「わたし冷え性で、最近寒くて手足が冷えてよく眠れないんです」
「だからって……」
そんな、淋しそうな顔をしても、だめに決まっ……て……。
えええええ!!?
彼女の動きは、まさにDAT=脱兎のごとくだった。
唐突にブーツを脱ぐと、俺のベッドに駆けあがり、すかさず潜り込んで掛け布団を首まで持ち上げると、かけっこに勝ったウサギのようにニッコリ俺に向かって微笑んだ。
げっ、待て待て待て、初対面だぞ、そんな可愛いことするな〜。じゃなくて!!
なんで、そんな急に大胆になる!?
そして彼女はベッドの中でモゾモゾと動き出し、あろうことか、白いセーターを脱いでポンッと俺に投げてよこした。
へ? 思わず受け取ってしまった俺は、その温かく柔らかい毛皮の誘惑に、血を吐きそうだった。
そして次は、グレーのミニスカートがポイッと……。
「添い寝してくれないなら、まだ脱ぎますよ!」
「わ、わかったから!」
ハッ、しまった!? わかったと言ってしまった。
顔から発火しそうだった。
今、二枚脱いだから、上は肌着? まさかのブラだけ? 下は黒のタイツ……。
「ベッドの中のわたし、ご想像通りの格好ですよ」
「うぐ……」
俺の心を読むのやめて。
添い寝は本当に確定なのか?
「いくらなんでも、警戒心無さすぎじゃない?」
「だって、佐久間主任のお墨付きの真面目な良い方ですから安心ですし……」
「お墨付きって……」
「間違いはないって。信頼していいって」
間違いないとか、信頼とか。実は釘を刺されたのか?
勝手にことを進めやがって、佐久間め、いい加減にしろよな。
て、え?
信じられないことに、規則正しい寝息が聞こえてきた。
まさか、もう夢の世界へ旅立ったのか!? いくらなんでも、原南さん、無防備、無警戒にも程があるだろう!!
掛け布団から出ている彼女の小動物的なちんまりとした寝顔。なんだか、拍子抜けしたというか安心した。まるで妹みたいだな。
「もう、寝たのか?」
俺はほっとして独り言のように呟いた。
「シャワーは浴びてきてくださいね。オオカミさん」
彼女の大きめの目がパチッとあいた。
まだ起きてた〜〜!!
だから、俺を翻弄するのはやめてくれ!
「わかってるよ!」
俺がシャワーから出てきたら、寝てるのを祈るだけだ。
とにかくのんびりゆっくり時間をかけてやる。
彼女が眠っていますように、彼女がすでに眠っていますように。
呪文のように何度も唱えながら、シャワーを浴びた。念のため、歯も磨く。泊まると決まってコンビニで下着は買っていたが、その上は何を着て寝ればいいんだ?
ホテルの浴衣やバスローブを着るのもどうかと思い、寝苦しいだろうが仕方がなく脱いだワイシャツをまた着て、ズボンを履いた。
大きく深呼吸をして洗面所から出ると、そこには果たして。
ベッドの上でちょこんと正座する浴衣姿の美少女!?
「よろしくお願い致します」
膝の前で手を八の字に置いた、丁寧な礼儀正しい深い挨拶。
なんなんだこの子〜!?