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ニューワールドイズマイン前編


 プロローグ



 トクン、トクン、トクン

 

 ――この音は心臓の音……? 


 棺のような長方形の狭い空間に少女は横になっていた。

 少女はゆっくりと瞼を開ける。それだけの動作が億劫に感じられた。瞼が重く、鉄格子でも開けているかのようだ。

 目を見開くと、ピントがズレる。ズレは反響するように揺らぎ、やがては落ち着く。

 棺の小窓から外が見えた。薄暗い。

 どれほど、長い間眠っていたのだろう。ただ、喪失感が胸の中に溜まっていた。それが、どこから来たのか少女には分からない。

 何を意識するわけでもなく、棺が開く。この時を待ち望んでいたような、そんな歓迎を受けているかのようだ。

 その瞬間、埃くさい匂いが鼻孔に流れこんだ。

 視覚、匂いには多くの情報が含まれている。視認した空間はほの暗い。頭上には無数の管が伸び天井を覆っている。そして、空気中には涙色の光が乱舞していた。

 

 ――この場所、光、どこかで見たことがあるような気が……

 

 棺の外に出て、首を巡らせ、周囲をインプットしていくと思考が働く。合わせるようにして透明な光が少女の体をぼうっと照らす。

 地面、光沢のある床に自分の姿が映し出された。

 病衣を着た幼い少女。どうやら、それが自分の姿のようだ。

 

 ――これがわしの……姿なのか?

 

 どこかで見たことがある顔、そして華奢な体。三〇〇年前に見たことがある。やはり、見覚えがある。そして、この場所も。

 

 ――わしは知っている、この顔も、この場所も。深い眠りについてしまった理由も。


 あるべき場所に帰るようにして、彷徨っていたすべての情報が認識と共に少女に戻っていく。

「う、うぅうううう!」

 冷や汗が頬を伝って流れ落ちた。頭が割れる様に痛い。情報量が多すぎてパンクしそうだ。

 少女は膝を折り、じっと痛みが過ぎ去るのを待つ。体が強張り、まともに動くことが出来ない。

 

 ――そうか、そうなのか。


 思わず、少女の声が震える。そして、体も震えだした。

 こうしてはいられない。このことを早く、あの二人に伝えなければならない。

 その運命のもと、少女は生まれてきた。

 違う。少女は他にしたいことがある。たくさんあるのだ。

 だが、それは少女の意思。人々が先の事態を見越して少女を作り、少女の力によって人間をここまで支えさせた。

 くしくも彼らの思惑が的中してしまった。


 ――でも、あの二人なら、都市に住まう人達を守ることが出来るやもしれん。


 微かな希望に頼る様にして、少女は歩き出す。しかし、その一歩一歩は重く、進むだけで息が荒れる。無理もない、少女は長い間眠っていたのだから。

 しかし、強靭な意志が少女の体を動かした。一歩二歩進むと視界の先、光が二つに割れていく。光の先から白衣を着た女性が息を荒らしながら走ってきた。その表情は明らかな戸惑い、焦り、心に感じずとも見れば分かる。

「ど、どうして!?」

 女性の、言葉の続きを少女は知っている。

 目を覚ましたのかだろう。

「どうしてじゃろうな……」

 目から一粒の涙が零れた。

 理由など分かっている。悲しい。目を覚ました喜びよりも、悲しさが心から溢れてくる。

 少女は自身の力不足を恨むことしか出来ず、これから迫る運命に涙を流す事しかできない己の弱さを恨む。

 だから、

「早く。あの二人を呼んでくれ。話はそれからじゃ」

 少女には、何も出来ない。

 でも、それでも、一筋の光に頼りたかった。

 それが、彼、彼女に恨みを買うと分かっていたとしても。

 (すが)りたかった。

 一筋の最後の希望に。

  










 第一章 壊れた世界で



 1


 

 これから俺が話すことは、今現在を語るうえで大切なことだ。

 かつて、地球は天地を切り裂くほどの一撃で世界は壊れてしまった。

 正確に言うと二〇六年前、衛星兵器アルテミスが高圧縮レーザーを放ち人類を救ったと、歴史書に記されてある。地球全体を覆うように火山灰が舞い上がり、日光は遮られ、甚大な環境破壊が起きてしまった。

 その結果、世界の人口四分の一が失われることになる。

 悲惨なことが起きてしまった。だが、人類同士が争い引き起こしたわけではない。

 人類がそうせざるをえなかった。その理由は――


 機械の勢いを抑える苦肉の策だった。

 科学の発展にこそ人の未来があると信じて、純粋な気持ちで機械技術は進歩してきた。

 しかし、次第に使う人間側がその技術に飲まれ、挙句の果てに(おのれ)の手を離れて牙を剥く。

 人が殺され、村が壊され、町が壊され、街が壊され、都市が壊されて、一つの国が機械の反乱に呑み込まれてしまった。

 そして、勢いは地球全土に広がっていく。

 人類は一度滅びかけた。

 ……いや、実際に文明は滅びたのだろう。

 

 それでも、人間は生きることを諦めなかった。

 生存競争の中で、ある者は新しい技術を見出し、ある者は常識を超えた力を想像するためのチャンネルを開いていく。

 人類は機械に襲われながらも抗う力を手に入れたから、生きることを諦めなかった。

 

 機械に対抗する人類最後の切り札『奇跡(テラス)

 現実に事象を与える、不可思議な力。

 人類にはまだ希望が残されていた。

 だから、俺は大切な人達を守るために戦う。


 2



 静寂の中、キメ細やかな灰が鈍色の空から雪のように落ちてくる。

 俺は肩に浅く積った灰を払い、隕石でも落ちたかのようなクレーターを見下ろしていた。

 クレーターに灰が積もっているため傾斜としては浅く見えるが、どんなに積ろうと傾斜がつくだけ。その穴によって、都市の源は破壊され、円状都市(サークル)は活動停止してしまった。この世界で唯一、人間が人間らしく生活できる場所、円状都市(サークル)なくして人間は生きていけない。

 世界には、五つの円状都市(サークル)が存在していた。しかし、残るは東部(エウロス)のみ。現在、俺の足元に広がる中央円状都市(アイオロスサークル)もまた、落日(おわり)を迎えてしまった。

「ここにも、ないか……」

 三六〇度、乱立していた建物は、皆平等に砕け無残な傷跡を刻んでいる。それは完膚なきまでに消し取られ、生命の息吹すら感じられないほどに。

 俺は防塵マスク越しに溜息を付いた。

 辺り一帯は浅く灰が積もり、踏み拉くたびにギシギシと足元が沈んでいく。

 三年前、落日(おわり)を迎える以前。ここは人で賑わい、多くの建造物が存在し、一つの大都市を形成していた。しかし、今となっては、淡い思い出と共に瓦礫と化してしまった。

 俺は、心にぽっかりと空いた穴を埋めようと面影を探す。しかし、心底から苦汁が溢れかえって正直、良い気分ではない。

 ゆっくりと歩いて行く。

 変な感覚だ。どこを見ても本来の形状が網膜に焼き付き、スクリーンに映し出されるように、鮮明な景色となって目の前に現れる。当時の喧噪が、耳元にBGMのように流れ、否応なしに記憶が蘇っていた。

 しかし、すべては俺の幻想。三年前、この円状都市(サークル)落日(おわり)を迎えた事実は変わらない。

《仕事は順調?》

「これといって収穫は無いけど、危険にも遭遇していないから、まあ、順調と言えば順調だな」

《うん、よかった。よかった》

 こんな僻地(へきち)に俺が(おもむ)いた理由、それは落日(おわり)を引き起こした原因、バグと呼ばれる化物の残骸調査のためだ。期間は一か月。全てを俺一人で隅々まで調べる事ができるのか微妙だが、自分から申し出た以上やるしかない。

「えっ?」

 ところで俺は、誰と話しているんだ?

「ハルーーーー!」

 聞き覚えのある声に、俺はハッとして振り返った。

 学生服を着た少女が走ってくる。

 その、少女も防塵マスクとゴーグルを身に着けているため、顔は見えない。しかし、マスクでは覆いきれない腰元まで伸びた長い髪が粒子でも放っているのか、煌めいていた。

 その輝きは、一瞬目の錯覚なのかと勘違いしてしまうほどだ。 

 実際、舞い散る灰をその髪はすくい上げている。

 俺はその少女を知っている。名はカナ・ハクドウ。

 カナと出会った当時の俺は、カナのルックスに目が転げ落ちていた。これはもちろん比喩で、それほどの存在だということ。

 端正な顔立ち、鼻筋の通った美女、解語(かいご)の花、人は美を形容する言葉を無数に生み出してきた。しかし、どれにも類似しない無比の美しさ。

「私も来ちゃった!」

「来ちゃったじゃないだろ!」

「えぇーー」

「分かってくれたはずだよな?」

「でもぉ……」と、カナはバツが悪そうに俺から視線を逸らす。

 出発前、カナに理由をきちんと説明した。

 今は安全な時である、『凪の時』であるには違いない。しかし、何が起きるか分からない。だから安全な場所に居て欲しいと伝えると、カナはしぶしぶ納得してくれた、はずだ。

「あと、むやみやたらに奇跡(テラス)を使わない。心の声がダダ漏れだ」

 カナの力――奇跡(テラス)には様々な効果がある。

 そのうちの一つ。以心伝心、要は念じるだけで脳に言葉が響く効果。

 まあこれは、副産物でしかないのだが。とにかく、カナの奇跡(テラス)は精神力を削るため乱用は控えてもらいたい。

 カナは剥れて見せる。

「まったく、どうやってここまで来たのさ?」

「あれだよ」

 カナの指さす方向を向くと、今ではほとんど使われていない円状都市(サークル)間を移動するためのバスが距離を取って停車していた。

「わざわざ、あんなものまで出して……」

 俺が頭を抱えていると、

「私が来るのが、そんなに嫌だったの?」

 カナはムッと顔を寄せてくる。

「そうじゃない。カナの安全を第一に考えてだな……」

「せっかくここまで来たんだから」

 説教を挟む間もなく、カナが言葉をぶつけてくる。

 カナに会えた喜びから、どうしても甘くなってしまう。しかし、ここはビシッと叱らないと。ただでさえ、主導権は常にカナにあるのだから。

「はぁ……分かったよ」

 俺はカナの額を中指で弾く。

 カナは涙目になって、いたぁい、とおでこを擦る。

「約束を守らないからだ」

 現在進行形でカナの尻に俺は敷かれていると、仕事仲間が言っていた。

 すぐに許してしまう所が、カナの甘えに拍車を駆けているのかもしれない。

「確かに、私が約束を守らなかったのが悪いかもしれないけど、私だってここをもう一度見たかったし、それに……」

「それに?」

「ハルのことが心配だったんだから!」

 カナの上目使いと甘えるような声に、何もかもを許して良い気がしてしまう。

 いや、いかん。このままでは、カナの思い通りじゃないか!

 俺達は三年前、この中央円状都市(アイオロスサークル)にて学生生活をおこなっていた。

 だから、カナも懐かしのこの場所を見たい。その気持ちは分かってしまう。しかし、この場に危険性が潜んでいることに変わりない。

「そっか。もう、三年前になるんだね……」

「三年か……」

 バグの群れに襲われ、この中央円状都市(アイオロスサークル)もまた落日(おわり)を迎えた。

 あの頃の力では中央円状都市(アイオロスサークル)の人々を助ける余裕すら無く、ただ俺達の身を守るだけで必死だった。

 仕方がない。どうしようもなかった。

 どんなに言い訳を作っても、惨めな自分の姿を思い出すと心が重たくなる。落ち込んでいると不意に、瓦礫の崩れる小さな音が俺の鼓膜を捉えた。

「え、これって……」

 カナも音に気付いたのか、動揺しながらきょろきょろと視線を動かす。

「しっ、静かに」

 俺は息を殺して周囲に注意を払うと、地震が起きたと思うほどの揺れが体を襲った直後、ズンと重たい音が鼓膜の中を反響した。そして、再度、崩れた音。

 仮に、生存者が居たとしたなら、いや、そんなことはありえない。あの日、この場所の生命はすべて刈り取られたはずだ。この揺れの正体はまさしく奴だ。

『……カナ』

『ん、何?』

『……さっきのデコピン謝るよ』

 俺達の警戒度が増した、瞬間。

 地面からカマキリの前足のようなものが生え、風切り音を立て襲い掛かってくる。

「くっ――!」

 刹那、回避行動と共に思考を巡らせる。

 考えろ。安全にカナを守る方法を。カナを絶対に怪我させない。最悪、自分が傷ついても構わない手順を。

 強く、強く、念じると――

 カナの腰元――ホルスターに収められた白く輝く二丁拳銃から、涙色の光が溢れ出した。

 それは奇跡(テラス)を発動する際に必ず生まれる光。暖かな、安らぎを与えてくれる光が俺の脚部に集まり、そして――

 俺は、人の反射速度を越えた動きでカナを抱えて後方に飛んだ。

 これがカナの力、奇跡(テラス)――仮想昇華(フェイズシフト)

 俺の体の細胞を活性化させることで、一時的に人知を超えた動きを体現する。それがカナの奇跡(テラス)だ。その力を使う事によって、俺はバグと戦うことが出来ていた。

 カナを抱えたまま、バグと距離をとって着地。カナをすぐ側に下ろした。

 心配そうな表情のカナが俺を見つめていた。仮想昇華(フェイズシフト)が行使されている間は、嫌でもお互いの心の揺れが伝わってしまう。

 現に、柄にもなく心が震えていた。奴らに復讐を果たせと心が体を乗っ取る勢いで叫んでいる。

 お前さえ、お前らさえいなければ!

 こいつらが造られてから、全てが狂ってしまった。

「ハル、大丈夫?」

「俺なら大丈夫」

 カナの澄んだ声で、俺の膨れ上がる憎悪が萎んでいく。

 俺は危うく感情に飲まれそうになっていた。奴と戦う時は常に命懸け。だからこそ、冷静に対処せねばと、肝に銘じる。

「でも……」カナは不安そうに俺を見つめていた。

 そんな、カナに俺は「あの日の俺達とは、違うだろ? それはカナも分かっているはずだ」

 残虐な記憶に心を震わせながら、俺とカナは今まで生きてきた。

 だが三年前とは全てが、違う。奴らに対抗できるだけの知識、装備、必要な物すべてを整えてきた。だから、今の俺達なら戦うことができるはずだ。

「うん、そうだね。今の私達なら大丈夫だよ!」

 カナの力強い返事が、俺の背中を押す。

 無機質に点滅する血色に染まったバグの眼を睨みつけた。

 地中からぬっそりと現れた異質な存在。まるで昆虫のような足は図体の大きさと比較するならば些か頼りなくも見える。

 足の数七本。生物界に七本足なんて存在しない。

 しかし、実際のそいつは漆黒のグロテスクな巨躯。針金のような脚。そして、不規則に点滅する生気の感じられない赤いぎょろ目。まるで蜘蛛のようなフォルム。

 人類はその化物、いや違う。化物でもない機械仕掛けの兵器をバグと呼ぶ。コンピュータプログラムのミスとは的を射た名前だ。

 俺はバグを食い殺す意思を目に込める。

 対するバグは赤色を点滅させ、不可思議な機械音を鳴らしながら、じっと俺達を観察している。どうやら様子を伺っているようだ。

 なら、俺が――仕掛ける!

 俺は地面を蹴ると同時に腰元に下げた、鍔から先の無い漆黒の柄を引き寄せた。


 ――指紋認証完了 バッテリー残量八三% 連続起動時間三七分 刀身構築回数四回 刀身圧縮率四三・八% 刀身膨張率五・八五九% 刀身構築、スタンバイOK――


 機械仕掛けの柄から掌を介して、意識に直接流れ込んでくる情報の処理を終えた。

 よし、いける!

「イミテーション」

 

 ――音声認識終了。最終ロック解除。刀身構築まで、一・五八七九秒――


 柄元から透明な光が空気中に四散。

 四方八方から灰粉が柄元に集まり根元から反り上がるように刀身を象っていく。

 研ぎ澄まされた滑らかさを誇る日本刀とは、真逆。

 高圧縮の果てに生み出された、研磨を怠ったかのようなザラつく灰色の刀身。

 波紋も無ければ、鎬もない、雲の隙間から差し込むか細い光さえ光沢の無い刀身が吸い込み景色と一体化してしまう。

 刀のようで刀ではない刀。

 イミテーション、意味は偽物。

 皮肉を込めた音声認証を終え、構築された刀は手の中で俺の述べた皮肉について文句を言っているのか、ずっしりと重い。

 俺は、はい、はい、分かりましたよっと見えない相槌を打つ。

 その刀の名は、灰烈火刀(グラウティーソード)

 正式名称を述べた。これで、文句はないだろう。


 ――構築終了――


 刀の重みが手の中で落ち着くと、すぐに下段に構え、切り上げの準備が整う頃には、バグの図体が迫る。そして、前足が鎌のような鋭利さを揺らめかせ消えた。

 いや違う、消えたんじゃない。

 一瞬見失ってしまうほど、初速が早すぎるんだ。

 遅れることコンマ数秒後、鎌の描く道筋を視野が認識、すぐさま上半身を反らした。

「くっ――!」

 仮想昇華(フェイズシフト)で細胞を活性化しているとはいえ、上半身を反らすだけで精一杯。

 眼前を鎌がすり抜けると共に、顎下を削るような風が背中に悪寒を走らせる。それでも勢いを緩めずに、滑り込むようにバグの足元に肉薄。刀の柄をしっかりと掴み直し、体を立て直す反動を活かして奴の右脚めがけて切り上げた。

「せやっ――!」

 灰烈火刀(グラウティーソード)の刃先がバグの脚に触れた瞬間、火花が散る。

 刀を介して伝わる、ザラッとした感触。刀身を構築する灰粉の摩擦によってバグの装甲が削れていく。その感触の後、滑らかな感触に変わっていく。

 いける。俺達は三年前の俺達じゃない!

 刃が通るという確信を得ると一本、二本、三本と左脚を次々と断ち切り、俺はバグの脚元から駆け抜けた。

 振り返ると荒々しい切り口がずれ、バグはバランスを崩して地面に突っ伏す。だが、奴は終わらない。電気を弾けさせて欠損個所の再生を行おうと切り口から管のようなものを伸ばし、足元のパーツと絡ませていく。

 この世代から、回復機能があったのか。

 七本脚から備わった自動修復機能。バグは進化するたびに脚の本数を減らしていく。そのような研究結果が出ている。

 やはり、間違っていなかったと、そんなことを考えている暇はない。

 奴の(クオーツ)を破壊しなければ、どんなにダメージを与えようと即時再生してしまう。

 追撃に出ようとした瞬間、バグの背中の中心からレーザー口がまっすぐ頭上に伸びていた。

 頭が判断するよりも早く、俺の体は進撃を踏みとどまり、バグから急いで離れた。

 直後、円を描くようにレーザーを放ち、俺のいるはずだった場所を溶かし尽くした。

 少しでも危機察知が遅れていれば、俺の脚は切断されていただろう。そう思うとひやりとする。仮想昇華(フェイズシフト)には、細胞活性化による治癒効果が備わっている。とは言え、切断されたものを繋ぎあわせるには時間が掛かる。改めて、気合を入れなおさねば。

 着地する時には、バグの脚は復元していた。

 くそ、対応が想像より早い。

 奴はすぐさま奇跡(テラス)を感知したのか、カナに向かって四肢を動かしていた。カシャカシャと不気味な音を立て、距離を縮めていく。

 その時、カナは防塵マスクとゴーグルを投げ捨て、顔立ちを世界にさらした。

 ふわっと風が俺を吹き抜け、空気の色が変わる。

 カナの粒子を纏った髪がさらに輝きを放ちながら風で踊っていた。

 その前髪の下に構えるのは、無垢な輝きを放つ切れ長の双眼。見たものを釘付けにしてしまうほどに美しい瑠璃色を宿している。

 そして、サクランボのように瑞々しい形の整った唇。

 全てをまとめ上げる均等の取れた体と、そこから生まれる曲線美は艶めかしくもあり、上品でもあった。

 カナのすべてが、美そのものだと水晶体に映る。

 角膜を透して見えるカナの綺麗な瞳には、恐怖という文字は浮かんではいない。

 カナは仁王立ちで佇み、両手を正面でクロスして両腰元のホルスターから銃を引き抜いた。その両手には純白の二丁拳銃。

 女性の手でも収まるように軽量化され、スマートなフォルムに無駄のない構造。

 弾倉にはバグ戦闘用に造られた弾、灰粉をコーティングした弾薬が込められている。

そして、一番重きを置いている機能、それはカナの奇跡(テラス)仮想昇華(フェイズシフト)を行使するための体現器具――ギアが内蔵されている。そして、そのギアもまた特注品。

 だから、カナにとって無くてはならない物。

 いや、奇跡使い(アルバ)に必要な物だ。

 カナの愛機にして俺が作った、純白双花(コバルトリバイブ)

 カナにはいつまでも純白でいて欲しいと言う、俺の願望が込められたギア一体型の二丁拳銃だ。それがある以上、ある程度対処可能なはず。

 カナはグリップをしっかり包み、化け物の巨躯に銃口を向ける。

 バグはカナに迫りながら前足を振り上げた。

 駆けだそうとした俺を、カナは冷静な目で私でもこいつなら大丈夫と発して援護を拒否する。カナにしても力を付けていることは確かなのだが、それでも心配だ。

《いや、ここは、俺が!》

《大丈夫、私だって戦える。それに私だって》

 カナは化け物を前にしても、怯えることなく引き金を引いた。

「ハルを守るんだからぁあっ!」

 迫る化け物に弾丸を撃ち込んでいく。

 弾丸が突き刺さるたびに鉄が擦れるような不快な音が響く。

 カナの攻撃は再生する隙も与えない、完全なる力押し。足が拉げ、再生しようとバグは足掻く。されど連射は止まらない。

 再生などは無意味。薄墨色の弾丸にゴリゴリとバグの体は削られ、そして、漆黒の腹を地面にこすり付けた。

「はぁ、はぁ、はぁ、やった!」

 カナは快哉(かいさい)を上げる。

 だが、これでも奴を破壊することはできない。

 即時に管を伸ばして撃ち潰された体を修復していく。やはり、(クオーツ)が残っている限りバグは何度でも蘇ってしまう。

 しかし、腕二本の欠損以上にその傷は深く散らばっているため、それなりの時間が必要のようだ。

 とどめを刺すなら、いまだ!

 すぐさま、俺は追撃に出る。

 瞬間的に距離をつめ、バグの背に飛び乗るとレーザー口が飛び出した。

 そんなもの、俺達に通用するかぁ!

 すぐさま、切り捨て、『アトラクト・ディバイト』体現パターンを念じる。

 仮想昇華(フェイズシフト)の即時性を高めるため、幾重もの型を頭に入れている。そして、型名を思い描くと、俺の身体は涙色の光に包まれ型名通りに動きだした。

 刹那の八閃。刀身が描く薄墨の軌跡が化け物の装甲に溶けていく。一点を支点におき、重なるように斬撃を浴びせ、交わる中心に刀身を突き刺した。

 (クオーツ)に切っ先が突き刺さる。その瞬間、バグは悲鳴にも似た金切り声を大地に響かせた。

 これで、終わりだ。

 真っ赤な目が点滅する間が伸び、立ち上がろうと動かしていた体をズンと灰の上に沈める。

 今度こそ完全なる沈黙。

 俺はそれを確認して化け物の体から刃を抜く。

「エンド」

 終了言語を述べると、刀身が薙ぎ払われたかのように灰となり四散していく。そして、降り落ちる灰と同化して姿を消した。

 灰烈火刀(グラウティーソード)の柄を懐に戻すと、俺の視界がぐらりと揺れる。

 体に力が……入らない?

 トンと、化け物の背中から灰の上に降り立つと俺はバランスを崩してしまった。

「大丈夫?」

 カナが俺を受け止めてくれた。

「多分、ちょっと疲れたんだろうな」

 男ながら情けないと、この時ばかりは思う。

「お疲れ様」

 俺はカナの肩を借りて、残骸から離れてズルズルとその場に座る。

 カナも同様にしゃがむ。スカートを両手で抱える辺りは女の子らしい。

「はぁーー」

 俺はかみ殺していた息を吐きだした。

 久しく戦闘を行ったが故の疲れか、調査疲れの影響なのか、こめかみに鈍痛が走る。収まるのを待ってから、額に滲んだ汗を腕で拭った。

「そういえば大切なことを伝え忘れてたよ」

「その大切なこととは?」

 カナの差し伸べた手を掴んでから、俺は問う。

「私達の子供が目を覚ましたんだよ!」

「え、えぇえええええ!?」

 

 3

 

 灰燼(かいじん)で汚れたバスの窓から見える景色は、人の過ちを具現化しているようだ。

 草木は枯れ果て、新芽すら芽吹かない荒野。

 地面はひび割れ、いっそ海の底にでも沈んだほうがいいと思えるほどに乾いた大地。

 その中に巨大なドーム状の建物が一つ。およそ5万人もの人間を飲み込み、人々の生活を支えるドーム状の建物、それを人は東部円状都市(エウロスサークル)と呼んでいる。

 俺とカナは、都市間バスの一番後ろに座っている。

 他には、誰も座っていない。本来、このバスに乗る理由は中央円状都市(アイオロスサークル)に行き、天啓(てんけい)の選別石に触れるためだ。

 天啓(てんけい)の選別石とは、奇跡(テラス)因子の塊のこと。

 人間がそれに触れると、奇跡(テラス)因子を持つ者だけが進化を促されて奇跡(テラス)が行使可能な人間、つまりアルバとして目覚める。何も変化が無ければ無能と見なされる。残酷な現実を突き付けてくる。そんな代物。

 しかし、それも三年前にバグに破壊されてしまった、今、わざわざ都市間バスに乗り、円状都市(サークル)の外に出る理由は……無い。

 先程、カナが『私たちの子供が目覚めた』と言っていたが、もちろん俺達の間に子供はいない。カナの言った子供とは、地下に眠る少女のことを指していると、思う。

 わざわざ俺を連れ戻そうとするのだから、良からぬ方向に状況が進んでいるのだろう。

 バスが段差を踏んで体が少し跳ねる。

 合わせるように小さな寝息を立てて眠るカナの髪が跳ね、煌めく。

 二日三日、バスに揺られていたのだが、それでもカナから甘い匂いが漂っている。中毒性のあるその匂いに鼻腔が(くすぐ)られた。

 バス自体に入浴室が付いている。しかし、エアーで灰を落とす簡易的な物。それでは体の匂いをぬぐえないはずだが、女の子とは誠に不思議だ。

「もう、到着したのー?」

 カナは、むにゃむにゃと半開きの目をこすりながら目を覚ました。

「まだ、だな」

「あと、どれくらいかな?」

「たぶん、あと、半日くらいで着くんじゃないか? まあ、もう少しゆっくりできるな」

 感覚から計るとだが、それも定かではないと思う。

 東部円状都市(エウロスサークル)が巨大な故に、遠近感が狂って正確な距離を導き出せない。

「そか」

 そう言って、カナは俺の右肩に預けると、ふわっと、先ほど感じた甘い匂いがする。俺の好きなカナの匂い。大切な人の匂いは、俺に安らぎを与えてくれる。

 こうして、体を寄せ合って、一生を過ごせればどれだけ幸せだろうか。そんなことを考えていると、ふと、自分の匂いが気になってきた。

「なあ、そんなに近づいて大丈夫か?」

「ううん、全然平気だよ。お仕事頑張った証拠だからね」

 そう言ってカナは大げさに息を吸う。

「ばっ、だから臭うだろって!」

「気にしない、気にしない。少なくとも私はさ……ハルの匂い、嫌いじゃないよ?」

 そ、そうなのか? 嫌いじゃないと言ってくれるのは、確かに嬉しいけど。

 干上がった大地の上では、水が何よりも重要となるため、なかなか体を洗えない。だから、体が少々臭うと思うのだが……俺は、いったいどんな反応をすればいいんだ?

「いや、でも、あまり近づかないほうが……」

 少々スキンシップが過ぎると言うか、人がいないと言ってもそういえば、前のほうに運転者がいるわけで……今さらだが。

「いいの、いいの」

 動揺する俺を知ってか知らずか、カナは安心したように眼を閉じた。

「時々君のその図太い神経が羨ましく思うよ……」

「すぅ……」

 柔らかな寝息が返事を返してくれた。

 カナの小さな頭を優しく撫でると、眼を細めてやんわりと笑みを浮かべる。

 三年前両親を失っているにも係わらず、カナは俺の前で涙を見せなかった。常に気丈に振舞い、受けた傷を心の奥底にいまだ隠している。

 ズキッと心が痛む。

 カナが優れていた以上、家族を守ることができる可能性が残されていた。

 だが、俺はカナに自分の妹を最初に助けたいと、残酷な行動を中央円状都市(アイオロスサークル)が襲われている最中、とってしまった。

 カナには大切な弟や、両親がいたのに、俺の行動によってカナの家族全員がバグに殺されてしまった。あの時、カナは反対することができたはずだ。しかし、それを言わずに俺の言葉に従ってくれた。なぜ、あの時、俺の選択を選んでくれたのか、未だに聞くことは出来ていなかった。聞いてしまえば、今の関係が崩れてしまいそうで怖かった。

 俺はカナの家族を助ける選択肢を捨て、自分の大切な人を守るだけで精一杯のただの、ただの疫病神だ。

 ずっと、ずっと、心の中に残っている思い。

 逃げるだけの俺をカナは糾弾しなかった。トゲの一つや二つ投げ付けられたほうが心に溜まっている罪悪感が、少し晴れたのかもしれない。

 本当は、カナと出会わなければ良かったのかもしれない。

『そうさ。君は、疫病神だ』

 前方の席に、人を象った黒い影が座っていた。

 はぁ……また、お前か。時折現れる、この影は決まって『今の君では、カナを守ることは出来ないよ』と、何度も同じことを言ってくる。

 そんなこと、分かっているさ。

 俺はアルバじゃない。だから奇跡(テラス)が使えない。自分の力不足なんて十分承知だ。だから、それ以外に力を注いできた。

 体を鍛え、バグについて研究して、灰烈火刀(グラウティーソード)純白双花(コバルトリバイブ)を作り出した。必死に補ってきたつもりだ。でも、それでも……足りない。

 自分に話しかけるようで、気持ち悪い。と内心思いながら、「俺は疲れているんだ。消えてくれ」そう、言うと影は密度を薄めて、消えて行った。

「まもなくフィールド内部に入ります」とバス内部にアナウンスが流れた。

 ようやく、人類が対バグのために作り出した盾、電磁パルス(EMP)フィールドの範囲内にたどり付くという事か。

 EMPフィールドは地下、空、問わず三六〇度包み込むように厚さ五キロメートルのフィールドを発生させることができる。そのフィールドの中にバグが入り込めば、バグ内部にサージ電流が流れる。結果、バグ内部に異常が生まれ、奴らは活動を停止してしまう。

 バグはこのEMPフィールドを技術を進化させることで突破しようとしている。

 だが、俺たちの乗っているバスや、ギアなどの技術レベルでは、サージ電流が流れることはない。あくまで人類がバグと戦えているのは奇跡(テラス)の力が大きい。

 仮に、奴らが人間同様、技術レベルを落として突破したとしても、それでは円状都市(サークル)を落とすことはできない。バグの異常なまでに高い技術レベルを逆手にとった人類側の知恵だ。

 はぁ、やっと眠れる。

 ここはフィールドの内部。

 これで襲われる可能性は低い。

 安心すると溜まりに溜まった睡魔が襲ってくる。

 俺は、素直に従い瞼を閉じると、落ちるように眠りについた。


 4


 夢だとわかっている。

 これは何度も見てしまう、三年前の中央円状都市(アイオロスサークル)での惨劇だ。

 バグの叫び声が聞こえる。それは人々の悲鳴すらかき消してしまうほどの音だ。

 三角屋根、レンガ作りの街並みのいたるところから黒煙が上がっている。煙が目にしみて、痛い。だが、そんな痛み、気にしているほどの余裕なんてハルにはなかった。

 本来ならすぐにでもこの場から逃げ出した。だが、三年前のハルはカナと共に戦っていた。

 ハルはトカゲ型のバグをまっぷたつに溶断。手には高周波ブレードが握られていた。

 奴の足の本数は十二本。まだ、再生機能をもってはいなかった。

 だが、

「くそ、一向にバグが減らない。どうなっているんだ」

 既に倒したバグの数二十匹、それでもすべてを倒すことなんて出来ていない。どれだけ倒しても、奴らは現れる。

「ハル、第二波が来る!」

 天井を見上げると、ポッカリと穴が空いている。あそこから、バグが円状都市(サークル)内部に侵入していた。

「でも、どうして円状都市(サークル)が襲われている……?」

 店屋などが軒を連ねる中、人々が悲鳴と共に逃げ惑っている。

 阿鼻叫喚、騒然となる光景は予期せぬ事態の訪れを表していた。

 本来なら、EMPフィールド発生装置が作動している以上、今のバグの性能では円状都市(サークル)を襲うことはできない。だが、現状はバグが円状都市(サークル)内部に侵入している。見つかることなくフィールドに近づき、そして突破した後に円状都市(サークル)を襲っている。

 そもそも、バグが近づいている事を円外広域監視課が察知出来ていれば、前もって住民がシェルターに避難することは容易なはず。しかし、それすら出来ていない。これは一体どう言うことなのか? 

「今、それを考えている暇なんてない!」

 回転し始めた思考を強制的に止め、現実に引き戻した。

 前方にバグが降ってくる。爆風が吹き荒れ、塵を巻き上げる。その中からドリルのような舌がハルめがけて伸びてきた。

 それをハルは、木っ端微塵に断絶しながらバグを切り伏せる。

「これじゃ、らちがあかない」

「でも、バグを倒さないと!」

 カナの顔色が悪く。呼吸速度も速くなっている。

 奇跡(テラス)を行使する際バッテリーを消費すると共に行使者本人にも、ダメージ、つまり代償が必要となる。

 その代償を少しでも抑えるための、制御システムがギアに搭載されている。

 一昔前、制御システムがギアに備わっていなかった頃、精神力および体力を削りすぎて、死者が出たらしい。

「わかっている。だが……」

 たしかに三年前の俺は間違った選択をしたのかもしれない。しかし、カナ、ルミカを守るという点から見ると間違っていなかったはずだ。

 このまま戦っていては間違いなく、殺されていたのだから。

 カナの仮想昇華(フェイズシフト)には限界がある。もちろんギアにも限界稼働時間というものがある。人の命と同じようにタイムリミットが決まっていた。

 一向に減らないバグ、状況もろくに掴めない状況ではカナの精神力も、ギアのバッテリーも、戦闘終了まで耐えられる保証なんてない。

 どうすればいい。このままでは、(らち)があかない。

 あの頃の俺は都市を守るために戦ってはいなかった。

 ただ、カナと妹を守るために戦っていた。

 それ以外、どうでもよかった。

 例え、カナの両親や友人だとしても犠牲にすることで二人を守れるのなら、   

 俺は……

『わかっているよね? 君がどうすればいいのかなんて』

 このまま戦ってはいずれ死ぬ。

 答えは簡単だ。

 この円状都市(サークル)を見捨て、今すぐにルミカと、カナを連れて逃げ出してしまえばいい。

 そうすれば少なくとも二人だけは守ることが出来る。

「そんなんじゃ……ダメだ……」

『今なら、まだ間に合うよ。三人で逃げればいい』

「いや、そんなことはできない」

 カナの両親、弟、友人たちすべてを見捨ててしまうことになる。だが、

『何を迷っているんだい? 今の君たちでは死ぬだけだ。この数のバグと戦うことなんてできない。わかっているはずだよ』

「だが、そんなことは……」

『いいよ、じゃあ、僕がやるよ』

 急速に意識が暗闇に落ちていった。


 それからのことは覚えていない。


 気が付くと荒野を歩いていた。


 ルミカは俺の背中でぐったりとしていて、


 少し離れて歩くカナはゴーグルを涙で濡らしていた。

 













 第二章  空蝉の日常


 

 1


 長い地下街道を経て東部円状都市(エウロスサークル)の一層にある発着口に到着。

「やっと着いたな」

「んーー!」カナは盛大に欠伸をして「ほんと、長かったね。疲れたよ」

 眠ってたくせに。でも可愛い寝顔が見られたし、良しとするか。

 俺達がバスから降りると、シルビアさんが出迎えてくれた。

 艶のある女性だ。責任感を宿した優しい瞳。

 鍛えられているが過肉厚ではないボディーライン。

 地面すれすれの白衣の内には年齢に似つかわないミニスカートを纏い、目のやり場に困るほど惜しげもなく、おみ足をさらしている。

 この女性の名は、シルビア・フロスト。

 通称、氷弾のシルビアと呼ばれている氷結を得意とする奇跡(テラス)――冷華零装(フィンブルヴィンテル)の使い手だ。そして、この年齢で東部円状都市(エウロスサークル)をまとめる長でもある。

 それにしても、見るたびに三〇代とは信じられない。

「シルビア!」

 カナは駆け出してシルビアさんに抱きついた。シルビアさんはそんなカナにお帰り、と言いながらやさしく頭を撫でている。二人はしばらくの間そうしていると、満足したのだろうか、どちらからともなく離れた。

 シルビアさんは少々変わった人で、さんを付けて呼ばれるのを極端に嫌っている。

 理由は確か、実年齢をさん付けで思い出したくないそうだ。あくまで私は永遠の一七歳だと豪語していた。いまだに、実年齢を認められない精神年齢が子供の人。いや、若々しくありたいと努力する人と、ポジティブな捉え方もできるだろう。だから、カナはシルビアと呼び捨てにしている。

 見た目は完全に大人なのだが……まあ、本人が言うのなら仕方がない。

「お帰り。じゃなくて、凪の時とはいえカナを一人で外に出すのはやめてください。危険ですよ」

 人類はいままでEMPフィールドによって守られてきた。より、正確に言うとEMPフィールドの出力を徐々に上げる事によって、バグを追い払っていた。だが、奴らは追い払われても諦めることを知らない。再度、姿を消して技術を進化させて戻ってくる。この進化中の安全な時期を凪の時と呼ぶ。俺一人で調査に出られたのも、凪の時でなければ不可能だ。

 シルビアさんは手ではすまんすまんと謝りながら、ぐいっと俺の耳元に口を近づけてから小声で、

「人手が足りないし、それに良い新婚旅行になっただろ?」と、ニヒヒと笑っていた。

「し、新婚旅行?」

 びっくりするぐらい、動悸が激しくなる。

 我ながら単純だな、もう。

「まあ、内容は新婚旅行とは思わないけど、二人でいればそれだけで楽しいものさ。君たち二人の間柄を考慮した選択だと私は思っているぞ」

 確かにカナ以外の人が来たとしたら、変に気を遣ったりして大変だったと思う。まったく、人の心を見透かしたようなことを言ってくる人だ。

「余計なお世話ですよ。それに俺達は結婚していません」

「この、ツンデレめ!」

 シルビアさんにツンと頬を突かれた。

「その言葉、古いですよ」

 過去に一時期、流行ったらしいのだがすでに死語だ。

 シルビアさんはコホンと咳をついて、俺とカナを一瞥してから「まあ、なにはともあれ二人とも。無事で良かった良かった」と、ニコッと笑う。

 笑っていれば十代の少女に見えてしまうから不思議だ。

 一体、笑顔にはどれだけの魔法が詰まっているのだろうか?

「こっちは、ヒヤヒヤものでしたよ」

「ごめんね。私が無理言って」

「こちらも人手が足りないからね。カナには助かったよ。それにしても……」

 シルビアさんは顎下に指をあて、カナの体を下からなぞるように見つめ、生唾を飲み込む音を鳴らす。

「首元を飾るリボン、胸に押し上げられるブレザー、きわどい長さのスカート、どれをとっても、くぅーーう! 私がもう少し若ければ白衣の下は常に学生服なんだけどね! はぁ……その若さが羨ましいよ」

 想像するだけで、ちょっとあれだ。

 三〇代女性が学制服を着ている職場なんて……

 それも、着ている本人が上司だなんて……口が裂けても似合っていないですね、なんて言えない……

「シルビアは若いからきっと似合うと思うけどな……、私ので良ければ一着貸すよ?」

「おお、そうか、いやぁー学生服なんて照れるな!」

 本気になっているじゃないか! 

 上司が常時コスプレってどんな職場だよ!

 俺の内心はさておき、シルビアさんはまんざらでもない表情をしている。これはちょっとまずいな……

「学生服の件は考えておくよ。私はこう見てもデリケートだからね」

「何事も思いきりが大切だよ! ねぇーハル?」

「……う、うん……そ、そうだな。何事も挑戦することに意味があると思うよ」

 動揺して返答がぎこちなくなってしまった。

 カナの学制服姿は、似合っているさ。

 黒と白を基調とした、ブレザーとスカート。

 どちらかといえば童顔なカナが着るには現役でも問題ないほど、とても似合っている。

 カナはその場で一回転、スカートをなびかせて、にへーとドヤ顔。

「でも、どうして今頃学生服?」

「私も気になっていたよ。どうしてだい?」

「ハルにあの頃の私を少しでも思い出してほしくて……」

「思い出すもなにも……」

 カナは今でも十分若いのだが。年齢も俺と変わらないし。

「全くこっちが焼け焦げてしまいそうな姿を見せてくれるなよ。私の前にも早く白馬の王子様が現れないかしらね? こんなに良い女が独身でいるなんて、この世界は可笑しいよ」と、シルビアさんは憂いを帯びた声で言う。

 自分で言うなよ。自分で。まったく。

「ほんとだよ。ほんと、シルビアこんなに綺麗なのにって、あれぇ?」

 カナはシルビアさんの顔をまじまじと見つめていた。まるで間違い探しでもしているかのようだ。何時もと変わらない格好。両手を白衣のポケットにつっこんみ口元には火の付いていない煙草を咥えている。

 たしかに、シルビアさんが美人だ。それに年齢的にも結婚していても可笑しくはないのだけれども、東部円状都市(エウロスサークル)の長という地位が男性には荷が重いのだろう。

「シルビアは禁煙中……だよね?」

「うん、そうだが?」

「じゃあ、その口元に咥えているのは?」

「えっ?」

 シルビアさんは煙草を咥えているのに気が付いていなかったのか。

「あははは、まだ火をつけていないからセーフだ。はははっ」

 シルビアさんは乾いた笑いをこぼしながら口元の煙草を乱暴に白衣のポケットにしまい込む。

 シルビアさんは、極度のヘビースモーカーだ。

 でも、今の若い人は煙草なんて吸わないですよ。その言葉に感化されて禁煙を試みているのだが、この分だと成功するのは何時になるのやら。

「そんなことは問題じゃないんだ」

 シルビアさんには深刻な問題だと思うけど、談笑に花を添えている暇はない。

「そうですよ。まだ調査期間の半分も経過していないのに、呼び戻されるなんてよっぽどのことがあるんでしょうね。まあ、『あの子』が目覚めたと聞いて、さらに悪い予感がしていましたけど」

 それは、円状都市(サークル)始まって以来の緊急事態だとは思う。

「まあ、詳しい話は移動しながら話そう。では行こうか」

 俺とカナはシルビアさんの後に続いた。

 

 2

 

 東部円状都市(エウロスサークル)は全部で四つの層から成り立っている。

 その中に、およそ五万もの人々が生活している。過去に存在した円状都市(サークル)の人口と比べると少ないらしい。上下層に進むにしたがって狭くなっている。

 設計者が日本人だったためか、資料の中にも一番広い一層部分の総面積はトウキョウほどと書いてあるのだがトウキョウを知らないので例えられてもピンとこない。しかし、茫漠とした広さは想像を絶する物があるのは確かだ。

 現在、シルビアさんに連れられて俺達は地下二層の奥に来ていた。

 地下二層は立法、行政、司法の三本柱に重きを置き、さまざまな部署が派生している。そのうちの一つ、司法の元に存在している軍には戦闘課、研究課、治安課、円外広域監視課が存在している。

 ちなみに俺は研究課にせわになっているが、軍属ではない。シルビアさん直属の武装研究員という立場を与えられていた。

 このように、地下二層はさまざまなセクションから構成されているため、迷路のように入り組み、新築されたベルトコンベアー式の通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。

 今でも、目的地に辿り着くのは一苦労。知らない場所であれば、なおさら迷う。三年経過した今でも迷うくらいだ。そろそろ覚えないと。今はしかし、それより、

「あのー、汗を流す時間は無いですか?」

 いい加減シャワーを浴びたい。

 どうも、このまま体に不快感を背負っていると思考が鈍る気がする。

「いいじゃないか。その汗は青春の贈り物だ。流すなんてもったいない。それにカナも気にしていないだろ?」と、シルビアさんは平然と言ってのける。

 汗にもったいない精神を発揮するなんて初めて聞いた。

「気にしてないよ。男の勲章みたいなものだからね」

 カナもシルビアさんの言葉に、同感だと強く頷く。

「ほら、今この場にいる二人が言っているのだから、君が気にする道理なんてないだろう?」

「いや、二人が気にしなくても俺が気にするんですよ……それに、匂うだろうし」

「そうか? そうでもないぞ。なぁ、カナ」

「う~ん、さっきも言ったけど、私はハルの匂いが好きだからよくわかんないよ」

 人の汗の匂いを全く気にしていない。

 そこから連想されること。それは――

「ひょっとして二人とも……匂いフェチ?」

 まさかとは思ったが、計算式の答えはこれしかない。

 はずなのだが……

「失礼な。あと、一応言っておくのだが、青春と言っても学生の間だけが青春じゃないんだぞ。青春とは、夢や希望に満ち活力のみなぎっている若い時代を、人生の春に例えた言葉だ。だから、私の青春は終わらない。いや、終わらせないのだ!」

「さいですか……」

 シルビアさんの力強い言葉の羅列に、返す言葉を失ってしまった。

 そもそも、俺はそんなこと一つも思っていないのだが……

 次にカナの反応に目を向けると、唇に指先を置いて思案の間を取った後に、

「そうだなぁ、強いて言うなら……ハルフェチ?」

 なんだそれは。カナはうんうん、としきりに頷き納得しているようだが、俺には全く理解出来ずに首をかしげていると、カナが腕を絡めてくる。

 二人の対応を見る限り、どうやら俺の考えは空振っていたようだ。

 女性の考えなんて、男が分かるはずがない。

「昼間っからイチャつかないでくれよ。私まで恥ずかしくなってしまうじゃないか!」

 トン、ではない。ドン、と女性にしては力のこもったシルビアさんの突き飛ばしに、俺はバランスを崩した。カナと組んでいた腕が解けてよろめく。

 シルビアさんも奇跡(テラス)を使う戦闘員だけあって、身体的な力も強い。

 再度、カナは腕を絡めてくる。今度はそれを断った。嬉しいけどそばにいるのは上司だ。シルビアさんが気にしていないといえ、ちょっと。

 俺の拒否の姿勢が気に食わなかったのか、カナは頬っぺを膨らましながら肩をコンコンとぶつけてくる。

 そんなカナを小声で諭す。

「ごめん、今は勘弁。シルビアさんもいるしさ……な?」

「シルビアなら気にしないよ」

「一応上司だから、こういうところはちゃんとしてだな。嬉しいのは分かるけど、俺も嬉しいけどさ」

「じゃあ、後でね」

 しぶしぶ、といった感じだが、どうにか納得してくれたみたいだ。

「そろそろ、話してくれませんか?」

 いい加減、本題に移ろう。

「そうだったね」

 俺達はいつの間にか新築された動く歩道に乗っていた。

 カナは初めて乗るため、瞳を輝かせながら楽しんでいるようだ。

 俺も初めて乗った時に少し興奮したからその気持ちわかるな。

 目の前に続くのは無機質な直線。果てが無いと言ったら大げさだけど、それだけのものが眼前に広がるさまは無機質な上に、異質だった。

 シルビアさんはカナとは反するように手すりにもたれ掛って、ため息が絶えない。

 いつもはシュッとした背筋が印象的なシルビアさん。

 元気溌剌を絵に書いたような人なのだが、どうやら疲れているようだ。

「大体の内容はカナから聞いているかい?」

「ええ、まあ」

 地下に眠っている少女が目覚めたと、カナから聞いている。

 でも、なぜ俺が呼び出されたのかは聞いていない。

 ずっと気になっていたのはそこだ。

「目を覚ますなんて前代未聞の事態が起きてしまってね。これには上層部もてんやわんやだよ」

「何も分かっていないのですか?」

「目下調査中だよ……何か、心当たりはない?」

 と、言われても……俺はバグ調査に重荷をおいている。そのための部署、研究室に所属しているくらいだ。だから、本来は管轄外。

 しかし、シルビアさんの頼みとあらば無下にはできない。

 三年前、バグに追われて中央円状都市(アイオロスサークル)から逃げた際、途方に暮れた俺達を助けてくれた恩人なのだから。今があるのはシルビアさんのおかげだ。

「思いつくことはありませんね……」

「やはりか。いや、悪かったね」

「俺はそのお守を手伝えば良いのですか?」

「まあ、本心ではそれも手伝ってほしいよ。目覚めるなり、あれが欲しいだの、あれが見たいだの大変なんだ」

「まるで、子供ですね」

「そうだよ。でも、それについては私の部下たちが頑張ってくれているよ」

「そもそも、俺が帰ってくる必要があったんですか?」

「本来、私が少女を説得できれば良かったんだけどね……これは単純な私の力不足だよ。そのせいで調査許可を出しておきながら、中断させてしまうなんて申し訳ない」

 力不足なんて、シルビアさんが使って良い言葉じゃない。

 シルビアさんは誰よりも身を削って東部円状都市(エウロスサークル)に住む人々の為に力を尽くしている。

 だから、

「謝らないでください。緊急事態みたいですから仕方がないですよ」

 シルビアさんに謝られると、恐縮してしまう。

「そう言ってくれると助かるよ」

「いえ」

 どうやら、目的地が近いのだろう。

 シルビアさんが前方に目を向ける。視線の先に目的地があるに違いない。

「少々、話が逸れてしまったけれど、どうやら少女には私に話せないことがあるようだ」

「話せないこと? それを聞きだせば良いんですか?」

「半分正解、ってとこかな。それがハル一人だけじゃダメみたいで、カナとハル。二人が来ないことには話せない内容らしいんだ」やれやれ、といった感じで肩を竦める。

 それにしても、一体どういうことだ?

「私だけじゃダメだったの?」

 正しくその通りだ。カナが言うように、二人でなければいけない理由が分からない。それに大切なことなら長であるシルビアさんに話せばいいだろう。

 理由なんていくら考えても一つも出てこないのだが、とりあえず俺も考えてみる。

 まさか……この東部円状都市(エウロスサークル)の運命でも託されたりしないよな?

「ハァ……いったい何が目的なのか。私には分かりかねるね。ただ、分からないなりに考えるとすれば、二人と私には違うところが一つだけある」

「それとは?」

「ランクだよ、ランク。二人はSランクを取得しているだろう?私はAランクしか持っていないからね。だから話してくれない。それなら納得できるんだが」

 学園施設を備えている中央円状都市(アイオロスサークル)でランクの認定を受けるのだが、今となっては壊滅したため基準が適応しているのか怪しい。

 ランクは、Fで始まりSで終わる。四年前、Sランクは中央円状都市(アイオロスサークル)に五人しかいなかったため、俺とカナは六番目として注目されていた。

 でも、俺達二人の場合は少々ややこしい。カナだけではBランク。少し優れているに過ぎない。そもそも、俺はランクすら持っていない。しかし、俺とカナ、二人で戦った時だけSランクとなる。こんな特殊な認定は初めてだそうだ。

 それに、俺達以外に五人ものSランクがいたのに、中央円状都市(アイオロスサークル)落日(おわ)ってしまった。

 Sランクは、Aランクとは一線を画す強大な力を保持している。それなのに、バグには勝てなかった。ますます、ランク制度自体が怪しい。

 だから、これは擬い物のSランクだ。意味があるとは思えない。

 それに、初対面の少女が俺とカナのことを知っているはずもない。と、思考を終えた。

「なるほど……」

「私も! その子に会ってみたかったから、丁度よかったね」

「ただ、あまり驚かないように。ねだられた物が最近ではあまり見ないレトロな物ばかりだったからね……いったい何時の時代を生きているのやら……」

 さすがのシルビアさんでも困り気味のようだ。

 物事を円滑に進めることに長けているシルビアさんが、手を焼いている。

 俺とカナとでは実力不足だと思うけど。

 しかし、少女はどんなレトロな格好をしているのだろうか? まさか……失われたブルマ、なんてのはありえない……よな?

 カナが、俺の良からぬ想像に気付いたのか、ジーっと俺を見つめてくる。

 俺は普段通りの笑みを心がけながら、カナの頭をなでると微笑んでくれた。

 この時ばかりは幸せを感じるなぁ。

「おっと、到着だ」

 トンっと動く歩道からシルビアさんは降りる。

 俺とカナも後に続くと、シルビアさんは何の変哲もない行き止まりの前で立ち止まった。

「壁ですよ?」

「壁……だね?」

 カナも頭に疑問符を浮かべていた。

「そういえば、二人は初めてだったね」

 シルビアさんが壁の前に立つと、赤い光の線が頭上から降りてくる。その光は虹彩認識を行う光だ。光が消えると壁の中心から縦二つに割れていく。

 壁の中からエレベーターが現れた。東部円状都市(エウロスサークル)内部に六つ通っているエレベーターは各階層に繋がっている。しかし、これはどれにも当てはまらない。

 まさか、こんなところに隠しエレベーターがあるなんて。

「すごーーい!」

 カナもまた目を丸くして、盛大に仰天していた。

「あとは二人にお願いするよ」

「えっ! シルビアさん付いてきてくれないんですか?」

「二人だけで来てほしいと言われているからね。あと、さんを付けないでくれ。呼び捨てが無理なら、シルビアちゃんでも良いんだぞ!」と、シルビアさんは真顔である。

 やはり、嫌でしたか……

「善処します」

「善処します、ほどあてにならない言葉はないよ」

 さすがシルビアさん。読みが鋭い。

「がんばります」

 すみません。俺に上司を呼び捨てなんて無理です!

「期待しているよ」

 カナと共にエレベーターに乗り込むと、扉が自然に閉まっていく。

 シルビアさんは俺たちに向かって親指を立て、まるで幸運でも祈るように

「グッドラック!」と言った。

 ……善処させていただきます。


 3


 地下三層は、まるで人を閉じ込めるために造られたような空間だった。

「寒い……」

 口元から白い息がのぼる。

 鳥肌が立つほど空気が冷たくて湿っていた。

 足元から中心に向かって、照明が等間隔に床に埋め込められている。まるで俺達を導いているかのような一筋の道を造っていた。

 そして、道の先に横たわる白銀の棺。棺の側面には無数の管が刺さっている。それは天頂部まで伸びて、部屋の隅まで這っていた。

 時折、管から涙に似た透明な光が飛び散っている。その光は奇跡(テラス)を使う際に生まれる光だ。

 全ての円状都市(サークル)地下には始祖の子が眠り、膨大な奇跡(テラス)を放出している。それが変換器により電力へと変わり、円状都市(サークル)全てのエネルギーを補っていた。もし仮に、始祖の子が殺されてしまえば、EMPフィールド構築が不可能になり、丸裸になった円状都市(サークル)はバグに襲われてしまう。

 それほどの影響力を秘めている少女が、この先の棺の中で眠っている、はずだ。

「やっと、会えるんだね!」と、カナは顔を綻ばせる。

「そうだな」

 立場上、俺達は地下に眠る少女のことを知っていた。円状都市(サークル)に住まう大半の人が、噂程度に知っている。しかし、それはあくまで噂、都市伝説としての類だ。ほかの誰かに話しても信じてもくれないような、そんな話。

 カナの手がギュッと俺の手を握りしめる。

 互いの手は悴み、ひどく冷たくなっていた。つなぐとほんのり温かくなっていく。安心する暖かさだ。

「とにかく進もうか……」

「そ、そうだね……」

 (りょう)(かく)たる空間は絵に書いたように不気味だ。不気味以外の何者でもない。

 全体的に薄暗く、日常的な物は何一つない。

 それは異様であり、非日常的でもあった。

 俺達は身の毛もよだつ暗闇に恐怖を感じながら、ライトに従って歩を進める。

 足元はニスを塗りたくったかのように、滑らない。躓く(つまづ)ことも無くおよそ五〇〇mほど歩き、棺の元に辿り着いた。

 棺の周りには円を描くように、床に照明が配置されて、不気味に照らされている。

 俺は、棺の窓を覗き込んだ。

 しかし、その中に少女はいない。

 辺りを見回すも少女らしき姿は見えなかった。

 そもそも、周囲が暗いため人の姿を見つけるのは困難だ。

「……いないねぇ?」

「いないな」

 棺の中にいなければ、少女は暗闇に潜んでいることになる。

 ったく、呼んでおきながらなんなんだと、内心、愚痴を漏らしながら棺を開けた。

 ぱたんと開き、中には柔らかそうな白妙(しろたえ)のクッションが敷き詰められている。それは少女の形を象り(かたど)沈んでいた。この場所に眠っていたのは間違いないようだ。

「どこを見ておるのじゃ!」

 少女の声と共に、眼を射抜くような眩い光に包まれた。

「きゃああああああ!」

 突然の声に、驚き声を上げるカナ。俺はすぐにカナを抱き寄せて、カナの腰元から純白双花(コバルトリバイブ)を引き抜き、トリガーに指を掛けた。

 な、なんだ! 今の光は!

 視界を奪われた俺とカナは(まぶた)をきつく絞り、ジワーン、ジワーンと点滅する瞬きが収まるのを待つと、暗がりが隅々まで照らされていた。

 そこには、想像した通りの広大な空間が広がっていた。

 ただ一つ予想していなかったものを除いては……

「待っておったぞ!」

 老人のような言葉使い。しかし、声の質は甲高く少女のものだった。

 声の元に振り返ると、痛みを覚えるほどのバラ一色に包まれた少女が背筋正しく立っていた。

 腰元まで伸びた、光を常に反射する銀色髪。

 淡いグリーンの瞳。

 陶磁器のような光沢と、白さを持った肌。

 身長は一三〇センチほどの、まるで西洋人形のような小さな少女は、こじんまりとした可愛さを秘めていた。

 そして、珍妙な服装。至る個所にバラをあしらった深紅のドレス。

 スカートには何層にもフリルをあしらっている。

 そこから覗く白い足元は鮮血を踏むようにして、これまた真っ赤なヒールを履いていた。

 まるで、バラと同化したいのか、描けるスペースには惜しげもなくバラが散りばめられている。異質な空間の中に、さらに異質な空間がぽつんと浮かんでいた。まるで自己主張と、自己主張をぶつけあって喧嘩しているかのように。

「貴女が例の?」

「如何にも、お主が想像したとおりじゃ!」

 俺は、呆気にとられながら、ホルスターに純白双花(コバルトリバイブ)を戻す。

 彼女相手にこれは必要ないだろう。

 それにしても、

「確かに……これは凄いな……」

「見事なまでに、バラ一色……だね」

 暗闇から現れたことよりも、少女の圧倒的な個性の前に、俺達は呆然としてしまう。

 さすがに、こんなに奇抜だと予想していなかった。

「んっ? どうかしたかの?」

「いえ、、服装が個性的だなと思いまして……だよな、カナ?」

「個人の自由だけど、これはねぇ……ちょっと、やりすぎだよね……」

 俺だけならまだしも、カナまで驚いていた。すでに、このばらとか、バラとか、薔薇とか、バラとか……お菓子などが準備されていることより、圧倒的なバラの主張によって打ち消されていた。

「お主達に、不快な思いをさせてしまったかの?」

「いえ、そんなことは……」

 本人が良ければそれで良い。それは無害な場合の話だ。服装を一見するだけで目がチカチカするため、見る側には酷な服装だ。

 ねだった物が最近では見ないレトロな物ばかりだと、シルビアさんは言っていた。しかし、それ以上に少女の極度のバラ好きに驚くだろ。普通。

「わしは始祖のDNAを元にして作られていると、知っておるじゃろ?」

「存じています。これでも研究者の端くれですので」

 今から三〇〇年前に始まりのアルバ、つまり始祖が発見された。その始祖のDNAを元にして生み出されたのが、目の前の少女だ。

「……それとなにか関係が?」

「大有りじゃ。わしがバラ好きなのも、始祖が好きだったからじゃ。生み出されたすべての個体は、始祖から何かしらを受け継いでおるからの。別に、これはわしの趣味ではないのじゃ。ただ、体が勝手に求めてしまっただけ。あまり気にしないでくれ、と言っても無理かの?」と、少女は微笑する。

 趣向まで遺伝するのか?

 それにしても、少女の語り口は美しい。

「まあ、こんなところで立ち話もなんじゃ。はよう、行こうぞ!」

 少女は振り返り、ぴょんぴょんと跳ねて歩いて行く。

「とりあえず……行ってみるか」

「う、うん。このままだと、会話が進まないからね……」

 俺達は、少女の後に続いた。

 

 

 目の前には、バラが描かれたテーブルクロスがしかれ、中央には洋菓子を乗せたティースタンド。カップや、スプーンなどの、アフタヌーンティーに使う食器全てが並んでいた。

「どうしたのじゃ?」

「いえ、その何でもないです」

 俺は高貴な食器のさまざまに居心地の悪さを感じていた。

「ハル、そう固くなるでない」

「すみません!」

「敬語もよい」

 その言葉には真率の響きがあった。彼女は本気で砕けた関係性を求めている以上、シルビアさんに敬語を使い、円状都市(サークル)の守護者に敬語を使わないとは違和感を覚える。

 一方カナは、元々、いいとこの御嬢さんだ。椅子に背筋良く座る、その恰好は様になっている。きっと、俺と違って緊張などしていないのだろう。

「ささ、お主達のために用意したのじゃ。堪能するとよい」

 すでにティーカップの中にはレモンティーが注がれていた。その証拠にカップの淵には輪切りのレモンが添えられている。それも、俺達が訪ねてくるのを見計らって注いだのか、カップからは湯気が立っていた。

 カナは、臆することなく紅茶を飲んだ。俺も慌てて、飲む。

 お、おいしい。

「で、どうじゃったかの、わしのサプライズは、楽しんでもらえたか?」

 得意げな少女の瞳が俺達に向けられていた。

 どうやら、先程の目を(つんざ)くほどの光は、少女が仕掛けたもののようだ。

「驚きま……びっくりしたよ」

 危ない、敬語になりかけた。

「そうだよ。私なんて、心臓が飛び出そうになったんだから……もう、こんなことしちゃダメだからね?」

 そのカナの余りに普段過ぎる言葉遣いに、俺は内心穏やかではなかったが、同時にホっとした。奇妙な感覚。

 俺は片肘を張りすぎていたのかもしれないな。

 少女は予想していた返答と違っていたのか、ションボリとして、

「すまぬの。シルビアが、こうすればお主達が喜んでくれると言ったから、やってみたのじゃが、どうやら失敗のようじゃ」

 やっぱり、シルビアさんの入れ知恵だったのか。だから、なんやかんやと理由を付けて、俺達と一緒に来なかったわけか。

 その姿をみて、カナが「で、でも、びっくりしたのは本当だから、成功だよ!」落ち込む少女を必死に励まそうとしていた。

 まあ、シルビアさんの行動は、今も昔も変わらない。突拍子もないことばかり企んでいる。すでに注意する気力すら俺にはなかった。

「そ、そうか! 成功なのか!」

「う、うん。よかったね!」

 その二人の笑は、まるで同学年にすら思えた。

「腰元に下げている、その銃がギアのようじゃな」とまじまじとカナを見つめる「ほぉ! それも手作りか!」感嘆の声を上げた。

「うん、そうだよ。ハルが私に造ってくれたものなの!」

「これを、お主が、それは本当なのか?」

「ああ、俺が造ったよ。それは間違いない」

 純白双花(コバルトリバイブ)は、特注品だ。奇跡(テラス)を行使する際、必ず対価を払わなければならない。それにその対価は、血を失ったり、寿命を失ったり、体力を失ったりと人によって様々だ。ちなみにカナは精神力をすり減らし仮想昇華(フェイズシフト)を発動している。

「いや、情報では知っておったが、実物がこれほどとは。完全にカナの手足となっておる。この同調率も、かなりの域に達しておる、いやはや、ここまでの物は二つとないはずじゃ!」

 情報? シルビアさんが、伝えたんだろうか? 

 カナの奇跡(テラス)を自分なりに研究してコツコツと作り上げたものだ。世界に一つしかない。

「さすが、私のハルでしょ?」

 カナは得意げな顔で、ホルスターから銃を抜く。そして、回転させながら元の位置に戻した。

 おお、依然と比べてさまになっているな。

「さすがなじゃ。わしに一丁くれんかの? 観賞用に飾りたい!」

「譲れないよ!」

 カナは取られまいと素早くホルスターに手をかけ、双銃をかばう。

「冗談じゃ、冗談。お主達にとって、なくてはならぬ物じゃからな」

 己の体現具――ギアが無ければ、アルバは奇跡(テラス)を行使できない。それは目の前の少女も例外ではない。

 少女もまた、東部円状都市(エウロスサークル)体現具(ギア)として奇跡(テラス)を発しているのだから。

「だから、ギアを大切にするといいぞ」

「もちろんだよ。大切にする!」カナは俺のほうを見て、「ありがとうね。ハル!」と満面の笑みで言った。

「う、うん。どういたしまして、なのか?」

 改めてお礼を言われると、嬉しい。だが、俺にカナを守る力があればこんなもの必要が無かった。そう考えてしまうと、複雑な気分だ。

「前置きはこの程度にして、シルビアに制限時間を設けられておるからの、早速本題に移るぞ」

 制限時間? ああ、なるほど。まだ、少女の体調は不安定なのだろう。目覚めてまだ幾ばくも経っていない。そのためだろう。

 ふざけるくせに、要所要所抜かりがない。

 まったく、あの人らしいというか、なんというか。

「お話の前に、ちょっと私から質問があるの!」

「なんじゃ?」

「あなたの名前教えて!」

「おお、そうじゃったのう! 自己紹介がまだじゃった!」

 わしとしたことが、と、少女は掌をぽんと打つ。

「確か、名前があったような記憶があるのじゃが……」

 少女は腕を組み、必死に思い出そうとしているのだが、なんじゃったかの? なんじゃったかのう? と、小さくつぶやくばかり。一向に名前は出てこない。

 少女は何百年と棺の中で眠り続けていた。

 とはいえ、自分の名前を忘れてしまうものだろうか?

「思い出せないの?」と、見かねたカナが聞く。

「すまん。わしも歳じゃからの……」

 その容姿で良く言うよ。

 カナは眼を輝かせながら、「私が名前付けてあげるよ!」テーブルの上に身を乗りだす。

 いや、いや、犬猫の話じゃない。そんな、今日初めて会った俺達が決めるなんて、普通、おかしいだろ。

「おお、それは、嬉しいのぅ!」

 いや、良いのかよ!

 少女も、身を乗り出して喜びを露わにした。その笑顔にはやはり年相応の幼さが残っていて、なんだろう。安心した。

 うん、そうだねーとカナは思案の表情を浮かべていた。

 そして、難しい顔をすること五分。カナの瞳に一筋のきらめきが奔る。どうやら、閃いたようだ。

「リアって名前はどうかな?」

 少女は何度も口を動かして、リアという言葉を噛みしめてから、

「おお、甘美な響きじゃ。気に入ったぞ!」と、盛大に喜び、笑みを散りばめる。

 屈託のないリアの笑顔には子供らしさが感じられた。

「確かにいい名前だけど、なんでリアなんだ?」

「ん、何となく!」

「な、なんだよ。そりゃ」

 その返答に思わず体の力が抜けた。でも、まあ、リアは喜んでくれたみたいだから、良いんだろうな。

「気に入ってくれて良かった。じゃあ、次は私たちの―――」

「わしは、お主達の名を知っておるからの、自己紹介は無用じゃ」

 リアによってカナの言葉が遮られた。

「えっ?」

「ど、どういうことなの?」

 俺達は、まだ自己紹介していない。

「わしは、この東部円状都市(エウロスサークル)、内部すべてを把握しておるからの。お主らがこの世界、唯一のSランクであることも、少々変わった奇跡(テラス)の使い手であることもじゃ」

「……確かに、間違ってないな」

 そして、カナも、

「う、うん。そうだね」カナは動揺した表情で「私の考えすぎかもしれないんだけど、ひょっとして私たちの思考まで読まれているとか……なんてね」

 たしかに、俺達はリアのギアの内部に住んでいる状態だ。

 言葉は悪いが、俺達はリアの所有物という認識があってもおかしくない。だから、リアに頭の頭の中をのぞかれているという可能性もある。――現に、リアは俺達の名前や俺の造ったギアの存在を知っていた。

「そんなことはせんよ。あくまで名前だけじゃ。思考はその人の物、誰にも譲ってはならぬ。そうじゃろ? ハル・シュタンフォード。そして、カナ・ハクドウ。わしは、お主達に合えて嬉しいぞ!」

「私もだよ!」

「と、まあ本来なら、もっと喜びあっていたいのじゃが、そうもいかんのじゃ。刻々と時は迫ってきておるからの」

「刻々と……時が?」

「ああ、この円状都市(サークル)もまた、落日(おわり)を迎えようとしておる」

 いま、リアは何を言ったんだ?

 その口は、どのように動いていたんだ?

 意味が分からない。

 これは夢に決まっている。そうだ。俺はさっきの光で気を失ってしまったんだ。その間に見ている夢だ。目が覚ませば、側にカナがいて、起き上がるなりに抱きしめられる。そんな絵が浮かぶ。俺は夢から目を覚めるために頬をつねってみた。

「……ッ!」

 痛みが、教えてくれた。

 夢ではないと……

 リアの言った言葉を理解した瞬間、心に衝撃が走る。

 いつか人類は滅びることも知っていた。

 バグの巣窟を破壊しなければ、奴らの進化の波に人類は飲まれてしまう。

「そのことをお主達に伝えるために、わしは目を覚ましたのじゃ」

「うそ……だろ?」

「嘘ではない」

「頼む。サプライズだと言ってくれ! きっとシルビアさんの悪い入れ知恵なんだろ? そうなんだろ!?」

 気が付くと、俺は、テーブル越しに身を乗り出していた。

「これはサプライズなのではない。真実じゃ」

 よりいっそう真剣みを増したリアの顔に、俺は嘘を見いだせなかった。

 瞳はぶれることなく、俺達を見つめている。この瞳に嘘はない。嘘であってほしかった。でもこれが現実なのだと確信してしまった。

「次は……俺達なのか?」

「え…………?」

 カナもまた、絶句して言葉を失う。

 リアは俺とカナを一瞥してから、

「終焉に向かっておるからの、だから、お主達を呼んだのじゃ……」

 悲しげに黙り、そして苦虫を噛みしめるようにして言った。

 終焉とは、東部円状都市(エウロスサークル)落日(おわり)

 つまりバグの襲来。

「わしだってこんなこと、言いたくないのじゃ……」

 そうだよな。リアだって、辛い。リアの立場が一番辛いと言うのに俺は取り乱してしまった。こんなんじゃだめだ。冷静に次に向かって対処を取らねば、何も守れない。ここで、冷静さを失って時間を浪費するほうが、無駄な行為だ。

「カナ、俺の頬にビンタをしてくれ!」

「えっ?」

「いいから、はやく!」

 俺は、頭を冷やしたかった。それにはこの場でならビンタが一番だろ。

「うん、良くわからないけど、え、えい!」

 バチンと、気合の入ったビンタが俺の頬を襲う。確かにビンタをお願いしたのだが、想像以上に痛かった。

「ご、ごめん! 痛かったよね?」

「いや、いいんだ。俺が頼んだから、これくらいのほうがちょうどいい」

 そんな、俺達のやり取りを、リアは興味深く見つめている。俺がMだなんて思われていないよな?

 まあ、良い。これで、気合が入った。それでは話に移ろう。

「俺達の置かれた立場は理解したよ。だからこそ、一つ質問がある。リアは巣窟の場所を知らないのか?」

「わしとは、決して相容れない存在。申し訳ないが、わしでもそれは分からんよ」

「そ、そうか……」

 未だ、人類はバグの巣窟の場所を掴めていない。

 人類は躍起になって世界中を探し回った。時には懸賞金をかけて、発見者には地位と名誉すら保証した。しかし、二世紀過ぎた今も見つかっていない。

 そのため、巣窟はすでに地球には存在せず、宇宙にあるのではないのかと言う意見が出ている。俺もその意見には賛成だ。だが、宇宙となればさらに厄介で地球よりもさらに広いため、結局のところ見つからなかった。そのため、EMPフィールド発生装置の機能や使い方の方法論が優先された結果、人類は守りを固めてしまった。

 仮に、リアが正確な場所を知っているのなら、すでに俺達に話しているだろう。やはりリアも知らないか。バグの巣窟さえ破壊してしまえば、世界に安泰が訪れるというのに。

「わしとて、大切な人達を守れずに情けなく思っておる。お主も知っているであろう。わしはここから出てしまうと、体が維持できないのじゃ」

 リアは人の形をしている。

 しかし、それはこの場限りの不完全なものだ。

 強力な奇跡(テラス)を宿すが故に、人型に保つことができない。もし、外に出てしまえば数分と持たずに息絶えるだろう。そのため、東部円状都市(エウロスサークル)内部に繋がれ、どうにかリアは人型を維持して生きている。いや、生かされていると言う言葉が正しいのかもしれない。いくらこれが奇跡(テラス)の代償といえ、ひどい話だ。

 リアの存在含めて、過去に存在した円状都市(サークル)でも同様のことが言える。公になっていないため、ほとんどの人が知らないことだが。

「まるで、セミのようだな」

「そうじゃな。わしはセミじゃ。ようやく目が覚めたのに外の世界に足を踏み入れることができない」

 リアは利用されるだけ利用されて、外に出られず、自由を得ることは無い。

 もし、セミのように飛び立つ一瞬の煌めきのために眠っていたとしたら、儚い空をリアは飛んでいるのだろう。

 しかし、現実は残酷だ。

 手に届くところまで、迫っている。でも、その思いが叶うことは無いだろう。

 これなら、目覚めずに死んでしまったほうが幾分ましだったのかもしれない。

「でも、わしは後悔していない。元は産まれもしなかった命、それを与えて貰っただけでわしは幸せじゃ……」

 リアは言葉に間を置き、どこか遠い目をして、

「わしは……バグに殺されてしまうだろう。だから、お主達に未来を託そうと思う。お主達の力なら、ひょっとして未来が変わるかもしれない。わしも……」と、リアは言葉を濁す。その姿は、胸の中に疼く悲痛な叫びを噛みしめているように見えた。

「そ、そんなこと、私達に言われても……」

 七本脚のバグならどうにかなった。

 しかし、これ以上は未知数。

 六本脚、五本脚、四本脚、三本脚、そして最終的にはおそらく、二本足。

 EMPフィールドは突破され、俺達が戦ってバグを倒さなければこの東部円状都市(エウロスサークル)に未来はないだろう。

 建物は薙ぎ倒され、平地と化して、生きる場所を失った人類は消えてしまう。

 それは明白だ。

「五人のSランクにもできなかったことを俺達にやれっていうのか……」

 できることなら円状都市(サークル)を守りたい。

 だが、そんなのは無理だ。

 カナを、ルミカを守るだけで俺は精一杯なんだ。

「EMPフィールドの出力を最大まで上げたとしても、奴らの性能が上を行っているかもしれん……もう、守る自信が無いのじゃ。分かってくれ」

 なるほど、リアが言うには、フィールド出力の限界値をもうすぐ迎えてしまうのだろう。それでは、フィールドの意味が無くなり、多くのバグがEMPフィールドを突破して円状都市(サークル)を襲うことになる。世界一安全だと言われた中央円状都市(アイオロスサークル)落日(おわり)を迎えてしまった以上、今の東部円状都市(エウロスサークル)のアルバでは防ぐことは不可能だ。

「今からEMPフィールド発生装置の出力をあげることはできないの?」

 カナは小首をかしげる。

「それは、無理だ。物資も時間もない。それにEMPフィールド発生装置その物がブラックボックスだ。今の技術では利用できても、解体して内部の動作原理や構造を理解するのは不可能。仮に出力を上げることができたとしても、持久戦に持ち込まれたら、円状都市(サークル)の源であるリアの奇跡(テラス)は終わってしまう」

 人間と同様に有限ではないのだから。切れたら最後、バグに集中攻撃を食らうだろう。

 人類は最初から、分かっていた。どちらにしても最期はバグと直接、戦わなければならないと。EMPフィールドはただの時間稼ぎでしかないと。

 そして、その時間が終に向かっている。

 だから、リアがこれから言うであろうセリフが分かってしまった。

 東部円状都市(エウロスサークル)の母でもある、リアが紡ぐ言葉は……


「頼む、みんなを守ってほしい」


 それは、まぎれもなくリアの叫びだった。


 4


 気分が悪い。吐き気がする。焦点がぼやけ、ピントが定まらない。足がふらつく。動悸が激しい。体が様々な不調を訴えながらも、とりあえずは先ほど話した内容を、シルビアさんに伝えなければならない。

 調子の悪くなったカナを部屋に連れて行った後、俺は地下二層にある局長室前に来ていた。

 ドアをノックする。

「どうぞぉーー」

 シルビアさんの返事を得てから扉を開けると、言葉を失った。

 大きな執務机。その机一面浅く資料が積まれているため、局長と書かれたネーム立てが机の端に追いやられていた。

 執務机の後ろ壁一面には棚が置かれ、本や書類などが並べられている。

 棚をなぞるように視野を移動させると仕切りを隔てて、応接用のソファーとテーブルが置かれている。立派な局長室であるのだけれど、この中に一つだけ可笑しなものがあった。

 違うな、可笑しな人が居た。

 あえて意識するのを送らせて、目の前に視野を戻すと執務机の前に仁王立ちしているのは見まごう無く……


 学生服を着たシルビアさんだった。


 ウソ……だよな? 

「そんなところに突っ立ってないで入ったらどうだ?」

 シルビアさんの促す言葉で石化が解けていく。

 再度、焦点をブレさせながら感触の良い絨毯の上を進み、執務机と適度に距離をとって立ち止まった。

「……なんですか、その恰好は?」

「いやーーねえ、カナを見たら私も学生服が着たくなって、自室から引っ張り出したのだよ。胸元は少し苦しいけど、まだ入る!」

 大の大人が似合っているでしょ? いや、似合っていると言え! と脅迫するかのような眼差しを俺に向けられていた。

 シルビアさんの胸が制服に押し付けられ、ワイシャツのボタンが悲鳴を上げている。お、俺は、どこを見ているんだ。

「そ、そうですか……」

 震えというよりかは、呆れが込められた嘆息交じりの俺の声。

「まだ、私も捨てたものじゃないな。似合うからな!」

 まあ、似合わなくはないのだが年相応ではないため、やはり異様だ。

「そ、そうですね……」

 ちょっと鏡を見てください。

「どうしてさっきから言葉がカタコトなのかな? ひょっとして見惚れすぎて、カナから私に鞍替えしようと思っているとか」

 スカートを靡かせながら、ゆっくりと回って見せる。

「断固として、俺の気持ちは変わらないので、安心してください」

「いいんだよ。気が変わったらいつでも?」

「結構です!」

 俺はスパッと言い切る。

「まあ、こんな茶番は置いといて」

 茶番だと分かってやっていたのかよ!

「立ったままじゃなんだし、とりあえずソファーに座ろうか」

「はい」

 対面する形で応接用のソファーに俺とシルビアさんは座る。

 絶えず目の端でちらつくスカートが目の毒だ。組み直されたら中の白生地が見えそうで、心がそわそわしている。そんな自分に落胆した。これが男の性なのだと。

「カナと一緒じゃないのかい?」

 俺の横に本来なら座っているはずの空間を見ながら言う。

「ええ、ちょっとカナは体調が悪くなったみたいで、自宅のベッドで横になっています」

「そうか、お大事にと伝えといてくれ」

「はい」

 シルビアさんは組んだ足を組み直し、色香を(かも)し出す。ますますシルビアさんが何をしたいのか分からない。俺には心に決めた人がいるのに。

「では、始祖の子と話した内容を聞かせてもらおうか?」

「ありのままを話しますけど…………」

 俺は、リアと話した内容を語った。 

 始祖の子を『リア』とカナが命名したこと、リアが目覚めた理由、この東部円状都市(エウロスサークル)落日(おわり)に向かっていること、など。

「…………信じられないかもしれないですが、リアは話してくれました」

「なるほどね……」

 シルビアさんは、驚いていなかった。

 むしろそうなる未来を予想していたように、すぐに言葉を刻む。

「どおりで、誰も知らないわけか……」

 始祖の子が目を覚ました前例を聞いたことがない。でも、それは今回リアが目を覚ました理由によって判明した。

 リアは始祖が人類に残した最後のストッパーだ。

 そのストッパーを目覚めさせるには、最後の一つになるしかなかったのだろう。納得はいかないが……

「そういうことになりますね……」

「予想はしていたけど、まさか的中してしまうとはね。やはり、人類の滅びはとまらないのかな?」

「シルビアさんらしくないですね」

「なに、私が弱気にならないガサツな女だと思っていのかい? 私はナイーブなのだよ」

「いや、別にそういうわけでは……」

 シルビアさんは仕事はできる。しかし、本人の部屋はゴミで溢れかえっている。だから、俺が時々掃除を行うくらい。調査のため一か月ほどほったらかしのため、また汚れているだろう。考えるだけでもぞっとする。

 はぁ、また俺が掃除するはめになるんだろうな。

 こういうところは、普通の人間とアルバに変わりはない。

「アルバと普通の人間の違いを言えるかな?」

「急ですね」

 唐突なシルビアさんの問い掛けに、俺は首を縦に振る。

 もちろん言えますとも。

「二つの違いは、奇跡(テラス)の有無です」

 奇跡(テラス)は先天的なものがほとんどで、覚醒するためには中央円状都市(アイオロスサークル)に存在した、天啓の選別石を触る必要がある。自然に目覚めるケースも数例報告されているが、それはあくまで特殊なケースだ。

 現在、バグに壊されてしまった以上、新たなアルバの出現は極めて乏しい。

「正解だ。ハルも知っていると思うけど、残念ながらこの円状都市(サークル)奇跡(テラス)の優れたアルバは、少ない」

 奇跡(テラス)の力を戦う前から計るために、ランクという仕組みが造られている。

 現在、知る限りでは俺とカナが共に戦うことでSランク。シルビアさんがその一つ下のAランク。ランクは下がるたびに、それは戦力とは言えなくなる。

 円状都市(サークル)を守るための軍は存在しているのだが、ランク上位者の数が少ないため、EMPフィールドがバグに突破でもされたら、この東部円状都市(エウロスサークル)は長くはもたないだろう。

 やはり、同じ円状都市(サークル)と言えども、アルバの質が天と地ほどに違う。

「分かっています。俺とカナに未来を託すと、リアが言っていましたから……」

 二百年もの間、か弱い女の力に守られていたんだ。

「私もいざとなれば戦う。でも……私達は弱いから、二人を頼ることになると思う。大の大人が、二人に頼ってばかりとは……情けない」

 そんなことはない。

 俺は助けてもらってばかりだ。だから、

「絶対に諦めません。まだ、可能性はあります」

「そう言ってくれると心強いよ」

「いえ、俺の本心ですから」

 進化し続けるバグを倒せる確証なんてない。いずれ、倒せなくなるだろう。

 だが、諦めるにはまだ早い。やれることをやろう。巣窟が見つからない以上、少しでもバグを倒す力を蓄えなければ。

「そうだ!」

 シルビアさんは何かを思い出したのか勢いよく立ち上がり、

「そろそろハルは休暇を取るべきだ。ずっと働きっぱなしだろ? だから、明日一日ぐらい休んでも良いのでは?」

「いや、でも……」

 シルビアさんは一流の剣術家のように、言葉という刀身を尖らせて、

「たまにはルミカに顔を見せないと、悲しむよ」

 と、俺を切り付ける。

「うっ…………」

 カナを通じて、ルミカの様子は分かっているけど会いたい。いま、どうしているだろうか。無理していないだろうか、心配だ。

 バグの研究をしなければと頭では理解している。バグを知るということはカナを、ルミカを、守ることにつながるのだから。

 でも……会いたい。

 俺は選択に狭まれ、心が揺れているとシルビアさんは、棚から休暇証明書を取り出し、あっというまに書き上げてテーブルの上に置いた。

 俺は何も言えなかった。

 体が勝手に、用紙を受け取っていたのだから。


 5


 報告後、俺は疲れた体を引きずりながら自宅に引き上げた。

 シャワーを浴びて着替えて寝室に向かうと、カナはベッドに体を丸めて眠っていた。

 静かな寝息を立てるカナの頬を撫でる。目尻には涙を流した後なのか、薄っすら赤くなっていた。

 カナの隣に俺は横になり、はだけた掛布団を定位置に戻した。

 白色の天井がやけにぼやけて見える。

 そして、見慣れた天井を確認してから瞼を閉じた。



 翌日、休暇を頂いたが俺は地下二層研究室に出向いていた。

 もちろん調査結果をシルビアさんおよび、研究室に伝えるためだ。

 隣で眠っていたカナですら仕事に出かけている。いくら休暇を貰ったとしても、必要最低限の務めは果たさなければならない。

 研究室には珍しく、俺ともう一人の同僚しかいなかった。散らばる資料、並ぶテーブルに椅子、出入り口以外は棚に囲まれた空間。ここが研究課だ。俺は、この研究課でバグの生態について調べている。

 俺は間借りしている自分の席元に行くと、

「戻ったのか」

 いつもの無愛想な表情で男性は俺を一瞥して、手元に視線を戻す。

 となりの席に座る男性の名前は、ロイ・バーゼル。 

 目色の乏しい瞳に、ぼさぼさの髪、身長は俺とさほど変わらない。

 細い体には常に調査室の制服、白衣を纏っている。ロイは俺と同じ無能であり、研究課では、共にバグの研究をしている。長い付き合いになるのだが、今までロイの笑った姿を見たことが無い。感情の起伏が無いのか分からないが、いつも眉間にしわを寄せているため、堅いイメージを感じさせている。

「呼び戻されたんだよ……」

 シルビアさんにと付け加える。

「少女が目覚めた、その一件だろ?」

 どうやら、すでに研究室にまで情報は回っているようだ。

 となると話が早い。俺は頷き、椅子に掛けた白衣を纏って自席に座り、引き出しから白紙の調査報告書を取り出してペンを走らせる。

「本当にこの円状都市(サークル)落日(おわり)に向かっているのか?」

「残念だが……」

「そうか……」

 ロイはたっぷりと間を取ってから、

「どうだった?」

「いや、わからなかった」

「簡単にはいかないということなのか」

 主語を省いて話してしまったが、俺の目的はバグの残骸を探し性能を調べる。それ以外にもあった。奴らはEMPフィールドを破り、中央円状都市(アイオロスサークル)を含む四つもの円状都市(サークル)を襲い、陥落させてきた。その突破された原因を調べることもまた目的だった。

 ただ分かっていることは、当時のバグではフィールドを突破することは不可能。それは、凪の時という存在が証明している。要するにバグについて研究されているが、あまりわかっていない。バグそのものが失われた技術を集めて発展したものだから。

「ただ、バグの進化速度ならある程度はわかった。奴らは少なくとも五本足に向かっているだろうな。それ以上の四本脚かもしれない」

「やはり、予想より大幅に速いな……」

 ロイは再度黙り込んで、手元の資料をめくっていく。

 一方俺は、報告書の空欄を次々と埋めていた。

 久しぶりの休暇だ。少しでも早く残った仕事を終わらせて、自由になりたい。

 今日を逃せばきっと休日なんて訪れない。

 いそがしい日々が俺を待っているのだから。

 一通り書き上げて俺は背筋を伸ばしながら、ロイの手元に目を向ける。

「それは?」

 ロイは、今度は分厚い本を読んでいた。

「バグ生誕論」

 なぜ、今さらと思いながら内容を思い出していく。

 バグは今から約二七〇年前に人間によって作り出されたと記されている。

 その頃の世界は、アルバが優れているという考えが満ちていたようだ。

 やはり、奇跡(テラス)の有無によって、どうしても人間の中に隔たりがうまれてしまう。かく幾俺も、己が力の無さにアルバを羨み、同時に妬んだりもした。

 今は、妬みはしないが、憧れという思いはいっそう強くなっている。そのように、人間の中に格差が生まれ、そして、差別へと趣を変えてしまった。

 そんな中、恨みつらみが溜まった一部の人間が、当時運用実験中のパワードスーツの技術を利用してバグを生み出した。その力でアルバを押さえつけようとした。

 しかし、バグは人間には過ぎた技術だったのだろう。人間の手からバグは離れ、作り出した自らに牙を剥く始末。劣勢に立たされたアルバは衛星兵器アルテミスを起動させ、地球上に存在するバグを滅ぼした。

 その結果、バグは一時期衰退していく。

 この一連の流れをまとめた本をバグ生誕論と呼ぶ。

「これについて、お前の意見は?」

 どう思うと言われても、書かれていることが事実なのだろう。

 しいて言うなら、アルバのとったバグの対処方法は間違っていた。そのせいで地球がこのような姿になってしまったのだから。現在、衛星兵器アルテミスは、バグに破壊されてしまった。

 もう少し、上手くできなかったのだろうか。

「書かれている通りだろうよ」

 と、俺は端的にすっぱりと述べる。

「……ハル、俺は感情や意志に似た何かをバグは持っていると考えている」

 感情? ただ人間を殺すことが目的で、奴らに感情なんて無い。

 そもそも相手は機械だ。

 感情を持つことは生物の特権だ。

 それをバグが持っているなんて、ロイの意見は馬鹿げている。

 研究課随一の分析能力を誇るロイらしからぬ意見だと、いつもなら反論しているだろう。でも、今日は残念ながら時間がない。行かねばならぬ場所と、会わねばならない人がいる。

「バグに感情があるとは思えない」

 俺は意見を一言で述べ、立ち上がる。

 そして、書き上げた報告書を片手に研究課を出た。


 6


 燦々と照らす人工太陽の光に、頭皮を焼かれながら石畳の上を歩いていた。いつもより人工太陽の光が強い気がする。

 眼前に広がるのは一層、居住区にある商店街。

 そして、背後にそびえるのは六本の天に続く柱。

 これは、ただの柱ではなく各層を移動するエレベーターだ。円を描くように等間隔に配置され、到着口からは商店街が広がっている。一層の内円にはA、B、C、Dと四方に振り分けられた、外円フロアーに続く立ち入り禁止の通路が用意されている。

 この場所に来た理由、それはルミカの見舞いに行くため。研究および調査で忙しかったため、二か月ぶりの顔見せとなる。

 現在は昼下がり、商店街は活気で溢れていた。

 この街の電力を必要とするものすべてがリアの発する奇跡(テラス)を元に動いている。頭上に浮かぶ気象をランダムに選択する、人工太陽にしてもそうだ。アルバが持つギアや灰烈火刀(グラウティーソード)にしても、バッテリーが充電できなければ意味を無くすだろう。

 今一度、リアの偉大さを感じながら商店街を歩いて行く。

 さまざまな日常雑貨店に始まり、小料理屋まで並ぶ商店街に無いものは無い。そうでなければ、5万人もの人口を維持するのは不可能だ。

 俺は、その中の一つ、洋菓子店へと向かう。

 久しぶりに来たため、一応地図を持参して目的地を探して歩くこと30分。ようやくたどり着いた。こじんまりとした洋菓子店。わが妹様が認めた味を提供する数少ない洋菓子店だ。

 店前のショーウィンドウに色とりどりのケーキが並ぶ。だが、ケーキの値段が高くなり、数も減っていた。俺が円状都市(サークル)の外に出ている間に食糧問題が少しずつだが、悪化してきているようだ。

 ガラスに映る俺の顔色は優れず、万全の状況というには程遠く、笑ってしまうほどに悲惨だった。

「この顔じゃ、ルミカに会えないな」

 これからルミカの見舞いに行くのに、自分のほうが病人のようなだ。だめだ。こんなんじゃ。両頬を叩く。赤らみ、びりびりとした痛みが徐々に消えて行く。

「よし、さっさと買い物を終わらせて行こう!」

 気を取り直して、俺は出入り口の鈴を響かせた。



 ケーキを買い終わり商店街から道を折れると、ルミカの入院している病院にたどり着く。

 やはり、東部円状都市(エウロスサークル)最大の病院なだけあって、待合室には人が溢れていた。

 人ごみをしり目に手早く受付を終えて、エレベーターに乗り込み六階に到着。そこから伸びる白い廊下を歩く。

 四年前、カナの計らいでルミカは中央円状都市(アイオロスサークル)の病院に入院していた。

 しかし、入院の一年後、中央円状都市(アイオロスサークル)がバグに襲われ、逃げ出した時にルミカの持病である肺の疾患が悪化。そのため、今も入院している。

 これは、シルビアさんの計らいだ。

 ノック後に妹の返答を聞いてから、病室のドアをスライドさせた。

 かすかな消毒液の匂いが鼻に流れ込む。ルミカの病室は個室なため、手広に造られている。簡素な白い壁、対面に窓があり、両端にはカーテンが結び付けられていた。

 病室の奥にはベッドが置かれ、背凭れが面した壁から横に棚が並べられている。小さな簡易用のキッチンと食器棚も完備されていた。

 ルミカは、ベッドに座らずに窓側に用意した丸いテーブルと椅子の前に立っていた。外から流れ込んだ風で、茶色がかったセミロングの髪が揺れる。

 少女の名は、ルミカ・シュタンフォード。正真正銘、二歳年下俺の妹だ。

 身長は一五〇センチほど。切り揃えられた前髪が届く双眼は、ドングリのように丸く目尻が少したれ気味。体つきは華奢で色白である。

「お兄ちゃん、お帰りなさい!」

 ルミカの声を聞いた瞬間、体が少し軽くなる。

「ただいま」

 俺は、ドアを閉めてルミカのもとに歩みより、テーブルの上に土産のケーキ箱を置く。

「お兄ちゃん、このロゴって、ひょっとして?」

 ルミカの瞳はケーキ箱を見つめて、分かりやすく光り輝いていた。

「そう、ルミカのお気に入りの洋菓子店のケーキだよ」

「お兄ちゃん。ありがとう! 開けて良い?」

「どうぞ、どうぞ」

 持ち手のシールをはがして開けると、中には宝石のようなケーキが並んでいる。

「いつみても、綺麗なケーキだね」

 ルミカがケーキに見惚れている間に俺は高茶の葉がある棚に向かった。

「私が淹れるよ」

 そっと掌でルミカを制す。

「たまには、俺がやるよ。ルミカは座っていて」

「う、うん。でもお兄ちゃんやったことあるの?」

 ずっと、紅茶についてはルミカとカナに任せてきた。

 だから、たまには俺が淹れても良いかと。

「カナに教わったから、多分大丈夫だと思う……」

 とはいえ、三か月も前のこと、覚えているのか俺?

「それじゃあ、お任せするね」

 任せられ俺は棚から、紅茶の葉を取り出して、キッチンに向かう。まずはヤカンに水を注ぎ、単一コンロに乗せて点火。沸騰するまで待つ。

 その間に、食器棚からポットを出して、ティースプーンで二人分の紅茶葉を入れる。その上から沸騰したお湯を注ぎ、すぐふたを閉めて三分ほど待つ。

 思い出しながらの作業のため、あまり自信が無い。

 ルミカの意見を聞こうと振り返ると「教えないよー頑張ってね!」と、笑顔で返された。



 そして、三分後。

 ポットの中を、一度スプーンで混ぜてから、待っている間に用意した茶こしを駆使してティーカップの中に注ぐ。

 テーブルに向かう頃には、すでにケーキが取り分けられていた。ルミカはガトーショコラ、俺の皿にはお決まりのイチゴのショートケーキ。

 対面の椅子に座って、ティーカップを差し出すとルミカは受け取り一口。

 緊張の一瞬。

「うん、九〇点だね」

 ほっと胸をなでおろす。

「残りの一〇点は?」

「ポットのお湯でカップを温めたら一〇〇点だったよ。でも、これだけできれば、紅茶マスターへの道もあと少しだよ」

 ルミカは鮮やかに微笑する。

 さすが、厳しいところまで見ているな。

「ルミカには敵わないよ」

 しきりに感心していると、

「お兄ちゃん、ケーキ食べて良い?」

 ケーキを前にしてルミカがウズウズしている。きっと俺がまだ手を付けていないから、遠慮しているのだろう。

「気にしないで食べてよ。ルミカのために買ってきたんだからさ」

 ルミカの笑顔が見たくて買ったんだ。

「うん、頂くね」

 うん、うん、うん、とルミカは頷きながら、ニコニコしながらケーキを食べていた。俺までうれしくなってきて、ぼうっとルミカを見ていると……

「お兄ちゃん、カナさんと結婚しないの?」

 ルミカの唐突な問いに、盛大にむせ返った。

「ゴホ、ゴホ、ごほ、ゴホ、ゴホ!」

「お、お兄ちゃん! だいじょうぶ?」

 どうにか呼吸を取り戻そうとするが、再度、咳がこみ上げてきた。

「だ、だ、大丈夫だから、大丈夫、ゴホ、ん、ん。ハァ……大丈夫」

 ようやく落ち着く。そして、ティーカップに口を付けて、ごまかしていると、

「戦う時はあんなに勇ましいのに、こういう話になると奥手になっちゃうよね。カナさんと一緒に住んでいるくせに……」

 ジーーと俺の顔を訝しい目で、ルミカが見つめてきた。

「一緒に住んでるけど、特にやましいことは無いよ」

 俺は両手を振って、首まで振ってアピールする。しかし、

「ほんと? 寝こみとか襲わないの?」

 首を傾げながらのルミカの言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。

「ないない」

 再度否定を繰り返すものの、

「シャワー中にのぞいたりとか?」

 以前、ルミカの訝しい双眼が俺に向けられていた。

「俺がそういう男に見えるの?」

 妹に尽くしてきたのに、やけに信用が無いものだ。

「冗談だよ」

 ルミカは少し呆れたような表情を浮かべる。

「お兄ちゃん。人畜無害がお兄ちゃんの売りだから。まぁ、そこが悪いところでもあるんだけど……」

「それって褒めてんの?」

「微妙なライン。普通だと思うよ」

 ふつう、ふつう、ふつうか……

 ルミカは一口紅茶に口を付け、改まったような顔つきで、

「この際だけどお兄ちゃん。体が治ったら私、二人の家に戻るのをやめようと思っているの!」その目は光り輝いていた。いたのだが、

「え? ルミカがいつ戻ってきても良いように一部屋用意してるのに……」

「さすがに、それは野暮だよ。それに、私も一人暮らししてみたかったし!」

 俺の顎がだらしなく落ちた。

「ほら、そんな悲しい顔しない」

「どうしても?」

「どうしても」

「ルミカが、一人暮らししたいと言うなら、反対はしないけど……」

 全くもって、複雑な気持ちだ。

 歯を噛みしめると、しくしくと心の雨が降り出した。

「早く、私の前にも素敵な王子様が現れないかな?」

「えっ?」

 追い打ちをかけるようなルミカの言葉に、俺の心はガタガタと崩れ落ちる。

 土砂降りを通り越して、心のダムが崩壊してしまった。

 魂が抜けたようにぽかーんと俺の口を開き、瞬き無くルミカを直視していた。

「お兄ちゃんには、カナさんっていう立派なお嫁さんさんがいるんだから」

「いや、まだ、結婚までは……」

「きっとカナさん、待っていると思うよ、お兄ちゃんの熱い愛の告白を」

 冷やかすカナの表情とは違い、俺の顔は赤信号のように真っ赤になっていた。

「こ、こ、告白、そんなこと俺には……」

 赤信号が青信号に変わっていく。

 やはり、心には三年前の出来事が(くさび)のように刺さっていた。

 俺が告白なんてして良いのだろうか? 拒絶されたりしないのか。俺にそんな資格があるのか? 相変わらず悩み考えてしまうのは変わらない。リアに指摘されたというのに、今までとなんら変わっていなかった。

「お兄ちゃんも、カナさんとの仲を進展させてね。私も体治すために頑張るから!」

 そんな思いを知ってか知らずか、力強いルミカの声。

 いつまでも、沈んでいるわけにはいかない。

 ルミカの前だ。兄らしく振舞おう。

「自分なりに勇気をだすよ」

「うん。だから、お兄ちゃん。退院できたら私を遊園地に連れて行ってよ」

「そうだな。行こうか」

「その時は昔みたいにお兄ちゃんと二人っきりが良いな……ダメ?」

「分かったよ。二人で行こう」

「うん!」

 俺は一口紅茶を飲む。

「やっぱり、ルミカと一緒に居ると落ち着くな」

 家族って良いなと思っていると、

「私は、いい加減シスコン気味のお兄ちゃんには、うんざりしたり、しなかったりしているけどね」

 やれやれといった風にルミカは答える。

「ルミカはツンデレだな」

「お兄ちゃん。その言葉古いよ」

 なんだろう。デジャブを感じるような気がするのだが……。

「この間、お兄ちゃんはずっと研究室にこもっているってカナさんから聞いたよ。少しは自分の時間も作らないと体に悪いよ」

「そ、そうだね。善処してみるよ」

「『善処する』ほどあてにならない言葉はないよね」

 うっ……シルビアさんにも言われた記憶が……

 痛い場所を突かれて黙り込んでいると、いつしかルミカまで口を閉じて外の景色を眺めていた。

 病室に柔らかな静寂が流れる。しかし、そこにはもの悲しさが秘められているような気がした。いつしか、(はしばみ)色の瞳が、俺を心配そうに見つめていた。遅れてルミカを見つめると、「お兄ちゃん……いなくならないでね」と、ぽつりと呟いた。

「えっ…………」

「最近のお兄ちゃん。なんだか無理しているみたいで、このままだと本当にどこか、遠い所に行ってしまいそうで……」

 東部円状都市(エウロスサークル)落日(おわり)についてルミカに話していない。

 それでも、何かを予感しているようなルミカの言葉に、俺は動揺してしまった。

 俺は、動揺を隠すようにルミカの頭を撫でる。

「最近ごたごたで忙しいけど、それが収まればきっと遊園地に行けるさ。だから、ルミカも自分のことだけ考えな?」

「うん、私も頑張るから、指きりだよ」

「まったく、子供なんだか、大人なんだか」

「何か言いましたか?」

「いえ、なにも……」

 ルミカと指と指を重ねて、約束した。

 カナの為にも、ルミカの為にも、俺はまだ死ねない。

 その後、さらにとりとめのない話を一時間。

 面会時間が三〇分超えていたけど、それすら忘れていた。


  7

 

 次の目的地、図書館へと向かう。

 さらに商店街を歩き進むと人がまばらとなり、落ち着いた街並に変わっていく。そして、公園を抜けると図書館に到着。

 門戸に続くスロープを上り、ドアを開けると開放的な空間が広がっていた。

 天井には天窓が配置され、プロペラのようなシーリングファンを回し、撫でるような優しい風が歩いてきた体には心地よい。

 無数に本棚が置かれ、本が頭正しく並ぶ中、俺は隠れるようにひっそりと移動する。

 目的人物を探していると本を小脇に抱え、元の位置に戻しているカナを発見した。

 図書館に来たのは、カナの働いている姿を見るためだ。

 カナは大人しめの紺色のワンピースの上に、エプロンを羽織っている。

 キッチンで見るエプロン姿と違ってグッとくるな。

 腰元まで伸びたキメ細やかな髪が、降り注ぐ光線によって白露のように輝く。

 俺は再度見とれてしまった。

 いかん、いかん、このままでは、カナに見つかってしまう。

 カナの姿が見える角度を維持したまま、テーブルと椅子を探す。

 すぐに机と椅子を見つけて腰を下ろした。そして、仕事姿をひっそりと見つめて――――――ハッとした時には遅い。

 カナの姿を見失っていた。

 俺はボーっとしすぎていたようだ。

 すぐに、立ち上がって移動しようとすると、

「ストーカーなのかな?」

 右となりに、カナが背筋正しく佇んでいた。

「ひっ!」

 カナの白妙(しろたえ)のような掌が、俺の口元を優しくふさぐ。

 ああ……柔らかいな。それに良い匂いだ。

「図書館では静かにしてね」

 口元に人差し指を立てて、シーと息を吐く。

 いつのまに? 気配を感じなかった。

「そ、そうだな……」

 俺は自然と声のボリュームを落としていく。

「ハルでしょ? さっきから私を見ていたの」

 カナは頬を小さく膨らませて、瑠璃色のパチッとした双眼を俺に向けられていた。

「たまにはカナの働く姿をみて見たくなって……」

「もう、だからって、ストーカーみたいなことしなくていいのに……」

 カナは頬にもみじを散らして、両人差し指を合わせてつんつんとしていた。

 照れている姿もこれまた可愛い。

「いやーそれにしても、仕事着のエプロン姿もいつもと違って、良いね」

 偽りない真実だ。

 カナは後ろに手を組んでから、にっこりと笑って、

「ほんと? でも、これ地味だよ?」

 いや、カナは何を着ても服以上にカナが際立つ。

「事実だよ。それに動きも様になっていたし、もう立派な図書館司書だね」

 と言って、カナの頭を撫でていると周りから冷ややかな目線が二人に集まっていた。ひそひそ声まで聞こえてくる。

 互いの表情が瞬間沸騰。俺はすぐさま撫でる手をやめて、コホンと咳を付いた。

 どうやら、二人だけの世界に羽ばたいてしまっていたようだ。

 カナが顔を赤らめたまま、

「いまから、他にどこか行くの?」

「ルミカのお見舞いも行ったから、予定はこれで終わり。カナの仕事が終わるまで図書館で待っているよ」

「うん、六時には終わるから」

「カナも仕事頑張ってね。見守っているから」

 カナは名残惜しそうに仕事に戻っていった。

 見送り終えると、俺は席を離れて本を数冊手に取り着席。依然ジロジロと見られていた。どうやら先ほどの余韻が周囲には残っているため、

 この場で待機するのは少々苦痛。俺は周りの視線から逃げるように、読書に意識を向けた。

 その甲斐あって、あっという間に時間が流れ気が付くと六時。

 カナと共に自宅に帰るため図書館を後にした。


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