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おねしょ。証明写真

 町の一角にある一台の証明写真撮影機に、行列ができるようになったのはこの年の春ごろだった。ある噂のためだ。

 噂がたつきっかけは、一流企業に就職した写真機の近くにある大学のOBが、ふと後輩たちに漏らしたことばだった。

「あそこで写真を撮ったやつは、なぜだかみんなうまくいった」

 氏のそんなたわいないことばに、学生たちは、藁にもすがる思いのやつもいれば、面倒くさがりなやつも、なんとなくみんながそうするならというやつも、こぞってそこに向かうことになった。

 そして噂が噂を呼び、いまでは就職活動にいそしむ近隣の大学の生徒はもとより、運転免許のためだとか、お見合いのためだとか、とにかくひとが列をなして絶えないありさまになった。ネットのおかげで噂はあっというまに全国に拡散されたのだ。

 それが気にくわない人物がいた。その写真機の近く、すなわち大学の近くで古くから写真屋をやっている男だ。噂の発信元となった大学に伝わる伝統では、その噂の売り文句は、もともとこの店のものだった。店主は機械にすっかり仕事を奪われて、客足がめっきり目に見えて減り、いらだっていた。

 店に貼ってある顔写真を撮ってやった卒業生たちからのたくさんの礼状が増えることが、男のちいさな生き甲斐だった。また、プロの手仕事が町によくある写真撮影台になんか負けるもんかとの自負もあり、くだらなくてぽっと出の噂で左右される自分の仕事や力量に落胆し、そんなまやかしに突き動かされ自身が長年築いてきた伝統や生き甲斐を奪っていく生徒たちをうらみさえした。とにかくその噂の撮影機をぶっこわしてやりたい気持ちだった。

 その気持ちはほんもので、男はさっそく行動を起こした。かきいれ時が終わってしまってはしようがないからだ。

 行列ができはじめてそんなに間もないのに、足の軽い卜占者や代書屋やフリーのイタコが撮影台のかたわらで商売をしていた。男は彼らに話しかけ、まずは様子をうかがった。

「もとから噂のはなしですからね。ふだんならわたしらなんか相手にしない学生たちも、わたしらにお金を払うのにあんまり抵抗がないようで、写真機さまさまですよ」

「いやあ、もうまったくです。ラブレターの代筆なんか、わたしらの仕事じゃないんですがね。しかし、代書屋の仕事を理解してもらえればというつもりで、ね」

「よおく同じガイジンさんを呼びたいひとが多いです。なんといったか、ジョブなんとかいうひとで、なんでも新しいリンゴをつくったひとらしいで」

 店主は様子をうかがいながら、行列がなくなるのを待った。しかし、相手は24時間働き続ける機械で、主な客はある程度時間に自由のきくひとたちだから、なかなかその機会はなかった。

 ようやくその機会がきたのは、明け方近くの深夜だった。

 男はこっそり写真機に近づくと、まずはコンセントプラグを引きぬいた。

 パッと明かりの消えた写真機ののれんをくぐり、便を放出する。便所と間違えた泥酔者のせいにしようとしたのだ。

 店主が用を足しているまさにそのとき、電源を落としたはずの写真機が光った。それに焦った男は、一目散に逃げ出した。

 男はすぐに器物損壊の罪で捕まった。証拠の写真が写真機の受け取り口にのこされていたのだ。


「…よお、調子はどうだ」

「どうもこうもないね」

「ははっ。しっかし、災難だったな」

「ああ。相当叱られたよ。あのときインク交換で下から中にあがっていたおれが勝手に写真機を動かしたからね。バレたらどうするって。どうせなら主電源のケーブルを引きぬいてほしかったよ。外装用のコンセントじゃなくてさ」

「それはムリってもんさ。…そうそう、社長もお怒りのご様子だ。なんせこの事件のせいで、ウンがつく、ってなってまた行列がのびたからな」

「…まったく難儀なひとだ」

「難儀なのは、おまえの後輩たちだよ。かわいそうに。あの写真機で撮ったやつらは全員落ちるんだろ?」

「ああそうだ。うちが開発したインクは特殊な光をあてれば黒くなっちまうからな。それにうちだけじゃないぜ。共同でやってるんだ。あんまり言えないけど」

「この情報科学の発達した現代にくだらない噂を信じるようなやつ、不確かな情報に踊らされるやつ、偽の情報をつかまさられる奴はいらない、って社長は言ってるけど、優秀なやつだってたまにはそういうのの力にすがりたくなるときだってあるよ」

「まったくだ。たんに社長がオカルト嫌いなだけだろ」

「オカルト嫌いもここまでくると、ある種のオカルトだよな。オカルトに寄る人物は劣っているってオカルトだよ」

「ああ。そのうち社内で血液型のはなしでもしたらクビになっちまいそうだよ。社長の思想による社内風紀の理想化も、行き過ぎれば澄んでる水には魚も住まないってやつだぜ」

「ま、おれたちなんかお偉方からみれば魚なんて生きてるものじゃなく、まさしく水みたいな背景なんだろうよ。そんならできるだけ浄化された綺麗なもんを見たくもなるさ」

「どうせ透明な液体なら、おれは酒になりたい」

「まったくだ。おっ、ちょうどきたな。それでは前途ある若者たちへむけて、乾杯」

「わが社に入らなくて済んだ若者たちへ、乾杯」







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