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おもらし

 型のいいヒラメが取れたからって、そのまんま持ってこられちゃ困るんだよ。さばけるよ。さばけるさヒラメの一匹や二匹。でもよ、あいつらくさくってたまんねぇや。あの臭いはなんだい。ぬるぬるしてるしよぉ。ええ? あいつらのあの臭いはなんだってんだいまったく。夕めしの前に食欲ってヤツがうせらあ。せっかくだからってんで包丁だって切れるようにしなけりゃならねえ。髪の毛にピタッとひっつくほど磨かなけりゃならねえ。まったくめんどうだ! なに考えてんだあいつは。ヒラメなんかよこしやがって。


 古今も洋の東西も問わず、諸人に人気の場所っていや、これファミレスよ。ファミリーレストランよ。陽気なもんだありゃ。

 扉を叩いてよ、とんとんとん。

「おい、誰かいないか、誰かいないか」

「なんだようるせえな。こっちは営業中だぞ。24時間やってら!」

「テメエ、それが客に対するものいいかい? こっちは36時間前から寝る間も惜しんで扉を叩いて、見ろよ、指の節がこりゃ、猛禽類みたようになって……どうなっとるんだこれは! ええ? どうなっとるんだ! おれの指はこりゃどうなっとるんだ! ねじくれてるじゃないか!」

「そんなこと知るか! こっちはなんも知らねえんだ! 朝から晩までとんとんとん、とんとんとん、とんとんとんとんとんとんとん。奇跡かね。奇跡でも起こっているのかね。そのリズムは! 叩いて叩いてとんとんとん。それともなにかね、魔神でも呼び起こそうとしているのかね。ファミレスの扉を叩いて魔神でも召喚するのかね。そしたらおれは魔神か!? 人をかんたんにくびり殺せるのかね!? えい!」

「なにすんだこのやろう! このやろう! エホッエホッ……テメエこのやろう… アバダケダブるぞこのやろう!」

「あれ、ピンピン生きてら。おかしいな、魔神が人に喉輪をすれば、かんたんにくびり殺せると聞いたが…」

「なにをバカなこといってんだよ。おい、あんた。あんたがファミレスの従業員ってやつかね」

「いかにもおれはファミレスの従業員だ。ボタンひとつで地獄にだっておうかがいに伺うぜ。生まれてこのかたそう教育されてそだってきたんだ。生粋のエリート従業民族さ」

「やいやいやいやい、テメエこのやろう! 言ったなテメエこのやろう! 言いやがったぜテメエは! ええ? だったらおれをもてなしてみやがれってんだ! こっちはファミレスなんかついぞしれねえ、天涯孤独、孤高で流浪の民人だぞ! 生まれついての素寒貧、チワワの乳を吸ってなんとか生きてきたんだ! フォーマルな服なんてひとっつも持ってねえ。いつもほつれた一張羅さ。チワワの毛皮をなめしたアレよ。カジュアル志向な…あれだよ…なんかカジュアルライフイコールアフロヘア、みたいな等号が頭んなかで成り立っちまうようなお花畑さ! それにしても、あいつらどうしてアフロにするんだ? それともなにか、飾らない生活やものをなるべく消費しない生活をすると、人はアフロになるのか? なんという人体の神秘! 先祖帰りかね!? おいらおそろしくってたまらねえや。笑わせるんじゃないよ。ええ? 人造アフロヘアのヤツなんてみんな腹黒いヤツらだよ。人を平気で愛しちまって、襲ってくる野生の猿そのものだ!」

「うちは人造アフロヘアなやつなんて24時間卒なくお断りさ! 安心してお入りよ」

「そりゃあいいことを聞いたってもんだ」

「おいテメエ、タバコは吸うのか?」

「ばかやろう、おれはタバコの火をタバコでつけるぐらいには吸ってんだ。ケツから煙だせらあ」

「そんなら、なかへ入って勝手に座りなさいよ。好きなところに勝手に腰掛けるがいいや。こっちは壁に寄りかかったまま動かないで死んじまって、ミイラになっちまったヤツだっているんだ。どこへ腰掛けようが、知ったことか!」

「げっ、なんだいこりゃ。なんだいここは。ここがファミレスかね。ファミレスという人民のパラダイスかね。パライソかね」

「おおとも。どうだい?」

「どうだいってテメエ、死体がいくつか転がってるが、これがファミレスってもんなら、そりゃあしようがねえってもんよ」

「あったりめえだろこのすっとこやろう! ここがファミレスじゃないなら、どこがファミレスなんだい! おれぁいっぺん見てみたいね! こういうんじゃないファミレスってヤツを!」

「きえーーーー!」

「おい、どうした? マウンティングかい? 蠢きわななく死霊に対する人としての矜持かい?」

「マウンティングだと? ばかやろう。なにがマウンティング…テメエなぁ、マウンティングなんて言葉はよ。テメエあれだよ。猿の群れと本気でやりあったヤツしか使っちゃいけねえんだよ。たかだか人間関係なんかで使っちゃいけねえ。あんときおれなんか必死だったもんだよ。どこまで行っても猿の群れがついてきやがる。キキキ、キキキと、ざわめきたっておれを笑うんだ。命のやり取りさ。おれぁでっかい石をとって川に投げたりいろいろやったもんだよ。それがマウンティングだ! 命のやり取りさ……そもそもおれはそんなカタカナ言葉なんて聞いちまったらピグチンのペニフェンの話をしたくなっちまうサガなんだよ。おいらのひょろ長いもんならずいぶんペニフェンに適してるとおもうんだが、あんたどうだい?……っていやしねえ。なんだいここは。客をひとりぼっちにするのかい。ほお、それがファミレスのやりかたかい? これがファミレスのやりかたかい? ずいぶんお高くとまってまあ、なんだかいけすかないね。いけすかないよここは」

「おい、せっかくきたんだ。これでも食ってろ」

「なんだねこれは」

「見たらわかるってもんだろ。ヒラメさ。おれはこいつの臭いがどうも嫌いで。かっさばいて勝手に食いねえ」

「ったく、人生ってやつはどうにもヒラメだ。ヒラメがついてまわりやがる。どうなってるんだか、神様はずいぶんヒラメが好きだね。おーい、包丁くれよ」

「包丁? 客に刃物なんか持たせられるかばかやろう。ちょっとかんがえればわかるこった。おっと、それからこちらがクレープシュゼットだ。見た目よりうまかないぜ! 見た目よりうまかないもの作らせたら、おれぁ東方一だろうよ」

「おいおい、生ぬるいオレンジジュースの甘い臭いと香ばしいクレープの臭い、それがヒラメの生臭さがあいまって、げに恐ろしき臭いが辺り一面にはびこってやがら。鼻と胃ががわなないちまうよ…こんなもん食って生きてるヤツの気が知れねえや」

「クレープなんてものはよ。よっぽど気を使わねえとそれなりに食えちまう。餅みてえなもんさ。おれは焼いた餅に砂糖をぺったんとくっつけて食うのが好きなんだ。でも女房がよ、そんな田舎モンみてえな食い方すんなって怒ってよ。じゃあ焼いた餅をどう食えばいいんだっつったら、マンゴージュースでもって煮しめて食えってよ。なにがマンゴー、そんなもん、そっちのほうが田舎モンだってもんだ。明るいんだか暗いんだかよくわからねえ色に染まってドロドロになった餅なんかまどろっこしくて食えるか! マンゴー汁粉じゃねえかそんなもんは。南方の汁粉だそんなものは。…おっと、そう考えるとうまそうなもんじゃねえか。こりゃあいい。さっそく女房に作って食わせてやらにゃ。惚れた男の弱みだね。男子一生の不覚だね。ええ? そんじゃ、そういうわけで、あたしゃここらで失敬しますよ」

「失敬するってテメエこのやろう。客を置いて帰る魂胆かい?」

「ばかやろう。客を置いて帰るぐらいの気構えがねえと24時間営業なんてできるわけねえよ。ちょっとかんがえればわかるこった。そんじゃ、失敬するよ。ああ、よければこんどっからあんたが従業員だ」

「へえ、このご時世にトントン拍子で就職が決まっちまったよ。とんとんとんとん扉を叩いたカイがあったってもんだ。ヒラメ臭い店だけど、ファミレスってやつはヒラメ臭いもんだからね。しかたないじゃないか。どうもこのご時世、まっとうにヒラメ臭いファミレスってもんがなくってヤダね。ぬるぬるして、ざらざらして、しかもたまらなく臭い。コーヒーなんて飲んでる場合じゃないよ。パンケーキなんて食ってる場合じゃないよ。だって臭いもの。ヒラメってやつは、ずぶ濡れの犬が火に飛び込んだ臭いがするもの。海底にあんなもんがいるとなりゃ、海ってのはたいそう臭いんだろうね。海ってのはこの星の7割方あるそうじゃないか。となるとまいったね。この星の7割は臭い。そんな臭いんじゃこれ、生きてける気がしないよ。食欲だけじゃなく、生命力まで奪うってんだから、ヒラメってもんは大した魚だよ。大した魚だ。わかったかこのやろう!」




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