幸福戦争と早合点レディ
イマダ博士はついに、長年の研究の末、タイムマシンを完成させた。
「博士、やはりご自身で作動させる気に変わりありませんか」
助手が博士に問いかける。
「変わるつもりはないよ」
「しかし、このタイムマシンは、いわばパラレルワールドマシンと呼べるものでぬ、100年後あるいは100年前に行くことはできても、その世界はこの世界と同じ時間軸ではありません」
「そうだな」
「一度マシンを起動させて、他の未来あるいは過去に行けば、この世界に戻ってこられる保証はないのですよ」
「わかっているさ。なんせ私がつくったんだ。おそらく、一度マシンを起動させたらもう二度とこの世界の時間軸に戻ってくることはないだろう。無限に存在する時間軸の指定はできず、行くも帰るも、帰るもというのは便宜的な言い方だがね、こら完全な運任せなのだから。盲亀の浮木というところだね。しかし、この旅にはその代償を払う価値があると私は考える。幸い、私は天涯孤独の身だ。資産の整理も終えている。あとは、科学に身を捧げるだけの人生だ」
博士はタマゴボーロ状のタイムマシンに入り、長年夢見た欲望のかたまりを爆発させるように興奮しながら、時空間への旅仕度をした。
「さて、とりあえず20年後の我が国に行くとするか。過去に行っても得るものはあまりないし、いきなりあまり遠くの未来に行くのも危険だ」
博士がタイムマシンを起動させると、あっという間に助手の前から消えた。
「成功だ。さて、この世界はどうなっているのか」
博士からみても、時空間移動はあっという間のことだった。タイムマシンはなにも異常を示さしていない。
外部カメラからの映像をチェックする。
「ほう。ま、たかだか20年後の世界だ。特に変わりはない。しかし、ここは、どうやら私の研究所のようだ。空間軸の制御も完璧だ」
自分の仕事におおいに満足し、そして少しの退屈を感じながらも、博士はタラップをだして、違う世界の自分の研究所に降りたった。
そうすると、物音を聞きつけたのだろう、研究所の入口から扉を開ける音がして、ひとりの男が入ってきた。
「先生!」
入ってきた男が、博士に向かって声をあげた。その声の方には、年老いた助手の姿があった。
「やあ、これはこれは、アズマ君かね」
「はい。助手のアズマです。して、先生は、お見かけするところ、まだ旅を始めたばかりの先生ですね」
「まさしく、私はついさっき完成したばかりのこのタイムマシンをはじめて起動させたところだ」
「そうでしょうそうでしょう。前回こられた先生もそうでした」
「なに、前も私が来たのかね」
「はい。ささ、お疲れでしょう。どうぞ奥でお茶でも飲んでリラックスしてください」
「別につかれてはいないが、ま、そうさせてもらおうか。しかし、あれだね、そう手慣れた様子で歓迎されると、はじめて時空間を旅した感慨というものをあまり感じないね」
「はは。それは失礼。では、早速街を案内しましょうか。おそらくではありますが、この世界は先生のいらした世界とはだいぶ違うとおもいますよ。すばらしい体験になるでしょう。さあさあ、どうぞどうぞ、ご遠慮なさらずに」
イマダ博士は助手の言葉に踊るような気持ちになって、街へと繰り出した。しかし、道中、車窓から流れる景色が自分の知っている景色とさして変わらないことにすこし落胆もした。だいたい、乗車した車も、特に変わらない。
「やはり20年程度ではさして変わり映えはないものだな。考えてみれば、子どもが大人になる程度の年月だもの」
「はい。前回こられた博士もそう言っておりました。しかし、詳しくみれば、20年まえと比べると科学技術の進歩は大したものはあるんです。たとえば、交通機関の自動運転化、マイクロチップを体内に埋め込むことによる健康管理のデータ集約や個人情報の管理、工業技術等々、この世界を大きく変えていますが、法の整備に手こずったり、専門職以外には陽の目を見るような技術ではなかったりで、一般社会で大きく普及し街並みを一変させたというものはありません。その萌芽はある、のですがね」
「ほう。ところで、どこに案内してくれるつもりだね」
「そうですね、まずはカフェにでもいって今後のことでも話しましょう」
「そうか。あまり期待をしてはいけないのだろうね」
「はは。どうでしょうね」
博士は、見覚えのある、いたって普通のカフェチェーンに入った。
コーヒーを注文したところで、
「そういえば、私の持ってる金は使えるのかい?」
と、助手に耳打ちした。
「大丈夫ですよ。いえ、使える、という意味ではありません。コーヒーは無料なんです」
「無料? それは君がこのカフェの特別な会員かなにかだからか?」
「いえ、子どもから老人まで、万民がいつでも無料なのです」
「はあ。すると、ここは国営なのかね」
「いえ、民営ですよ」
「とすると、従業員の給料はどうなっているのかね。囚人とボランティア契約をしているだとか、そんなワケかい?」
「いえ、全員、そりゃ中にはスネに傷をもった従業員もいるかもしれませんが、みな普通の、一般社会人ですよ。さあ、コーヒーがでましたよ。いっしょになにか軽くお食べになりますか? もちろん、無料です」
席に着くと、博士は早速この対価のいらないシステムについて質問をした。
助手いわく、10数年まえから貨幣や対価物を使わなくなり、コーヒーや軽食だけでなく、ありとあらゆるものが無料になったという。
博士の頭では財政の破綻などという言葉などが浮かんでは消えた。破綻するも何も、財政というものがこの世界ではなくなっているのだ。
「こちらの世界では、30年ほどまえに、資本というものの見直しがはじまりまして、まあ、結局のところ貨幣の価値がなくなりました。はじめは一時的に貨幣を介さない、個人間における原始的な物々交換にもどったりもしましたが、それをするぐらいだったら信用貨幣があったほうがいいにきまっているので、禁止され、ついに物資と物資との交換をやめたのです」
「その言い草だと、物資となにかを交換しているということかい?」
「まさしくその通りです」
「それは、なんだろう。なにか私の知らない科学技術が使われているのだろうか」
「それは半分正解です。実は、といいますか、私たちにとってはもはや当然のことなのですが、私たちは商品やサービスの対価として、幸福を支払っているのです」
「幸福、だと? どういうことだね?」
「博士は、この世界の幸福は一定量である、という理屈を知っていますね?」
「そんな与太話を耳にしたことはあるが、まさか」
「そのまさかです。この世界、地球上の幸福の量は常に一定である、ということを、科学は明らかにしたのです」
「しかし、幸福とは主観的なものではないのかい? 個人個人、幸せと呼べる状態に差異が認められるだろう」
「博士、それは、お金でいうなら、一万円をどう使うかはその人次第、といっているのと同じです。どう使おうが一万円は一万円。ドブに捨てたって一万円は一万円じゃないですか。幸福も同じです。博士のいらした世界では、幸福の量を計測できていなかったので早合点レディのごとく違和感を感じるのでしょうが、幸福とは、物質とはいえませんが、事実上、非常に物質的なものであるのです。要は適切な使い方を知らなければ価値はないのです。もちろん、我々は幸福を様々なものに使うことができます」
「ということは、金本位制ならぬ幸福本位制というわけか」
「はは、わかりやくいえばそういうことです。貨幣はありませんがね」
「では、そのことと全てのサービスが無料というのはどう繋がるんだね」
「幸福は玉突きのように移動を繰り返すのです。端的にいえば、他人に良い事をすると、その人から自然と幸福を1つもらえます。すこし詳しくいうと、他人に良い事をして幸福を1つもらうと、自分が持っていた幸福も玉突きみたく1つ放出されるのですが、その放出された幸福の量は、もらった幸福の量よりは少ないことがおおむねで、そうやって幸福の量を貯めて、また日々使っていくのです。サービスを受けて幸福を1つ消費した側も、その空いた1つ分のスペースにそのうち幸福が取り込まれます。と、いうわけで、無料なのです。そっちの方が、良い事、ですからね」
「情けは人の為ならず、とはいうけどもなあ」
博士は助手の言うことを、言葉は理解できても感覚では理解できなかった。さもありなん。幸福が貨幣の代わりになっている、というのは、科学的、というよりは、宗教的、な感覚が博士のなかにあったからだ。
とはいえ、このイマダ博士も科学者だ。科学者は事実から目を背けてはならないし、事実をねじ曲げてもいけない。それこそ、イマダ博士本人だってタイムマシンという、ある種荒唐無稽な機械をつくってここにきたのだ。博士はこの世界の事実を理解しようと、様々なこと試した。幸福の量を計る機械も見たし、いろんなサービスも受けた。また、いわゆる薄幸な状態の人も見たし、多幸な人も見た。
博士の目には、この世界の人々はみな、幸福そうにみえた。誰もが優しいし、街を歩く人々の表情からは笑顔がはみ出ている。街はきれいで、輝いてみえる。なにひとつ不自由を感じさせない。実際、全てが無料なのだ。
博士は助手に、この社会でもなにか問題があるだろう、ときいた。
助手は、強いて言えばと言いつつこう答えた。幸福の量が計れることによりいちばん変わったのは、実は宗教であるという。他人のために祈りを捧げると、わずかながら幸福の量が増えるのだ。
したがって、幸福の量が計れるようになった、という非常に科学的な発見は、大きな視点でみれば対立関係にある宗教の普及におおきく寄与している。とはいえ、そういった現世救済のための活動をタブーとする宗教家も多く、暴力的な争いがたえないという。それでも、社会は幸福な状態だという。
しかし、争いがたえないのならば、それは幸福な状態ではないのではないかというイマダ博士のとうぜんの疑問に、助手はこうこたえる。
「それはちがいますよ。不幸というものも、実は幸福と同じものです。不幸とは幸福がまったくない状態ではないのです。不幸がたくさん集まったものです。それは実質的に幸福がたくさんあふれている状態なのです。人から自然に放出されて漂う幸福はなかなか人に取り込めないのですが、不幸はかんたんに人にくっつきます。そして、幸福の量が不幸の量に対して十分あれば、不幸は幸福に変わります。ですから、人々はおおきな不幸が起こることを歓迎しています。いわば、投資のようなものですかね」
「おおきな不幸、というものは小競り合いってわけじゃないのだろう?」
「ええ。宗教間、国家間、民族間の全面戦争ですよ。我が国も戦争の真っ只中にあります」
「なんだって?」
「このあいだも、この近くに敵国のミサイルが落ちましたよ」
「危険じゃないか。それなのに国民は、どうしてみなあんなに…」
「違和感を感じるのは理解できますが、博士もはやくこの社会を受け入れたほうが良いですよ。違和感や不信感というものは、幸福を逃しますからね」
と、助手がいったとき、街にサイレンが鳴り響いた。
「ああ、そういってるあいだに、ミサイルがくるみたいです」
助手は平然と言い放った。
「この近くに落ちるのかね?」
博士は、のんびりした助手の態度をみたからか、どこか余裕をもってきいた。
「近くでしょうね。ミサイルの着弾ポイントはかなり正確にわかりますから。サイレンが鳴るのはその周辺だけです。あと数分で着弾しますよ」
「逃げなくていいのかね?」
「大丈夫です。少なくとも私は」
「おいおい、じゃあ私はどうなるのだ」
「どうでしょう。でもね博士。異なる世界から来た人間を丁寧にもてなし、案内をする。という行為は、非常に幸福をいただける行動のようなのです。博士とつきっきりだった私の幸福はかなりの量となりました。いまならきっと私のとなりにミサイルが着弾しても、私は助かるでしょう。それだけの幸福を私は持っていますから。しかし、博士は、そうじゃない。だから、さっきも言ったように博士ははやくこの社会を受け入れ、幸福を貯めておくべきだったのです。そうすれば、まず、死にませんから」
「…前に来たという私は、どうしたのだ。無事にこの世界から別の世界に行けたのか」
「博士、この世界の幸福の量は一定なのです。はじめて博士がやってこられたとき、おかげで私はありえない量の幸福をいただきました。どうやら異なる世界の人間の持つ幸福は、その人が死ぬと行き場をなくし、周りの人間にうつるようです。ですからこうしてまた、博士と会う幸運に恵まれたのでしょう」
「…君はなんのために、この全てが無料の社会のなかで、そうして幸福を集めるのだ」
「そりゃ博士、このような場合に死なないためですよ」
みんな気になる早合点レディ、そのテーマ。
早合点レディ、尼寺に消ゆ。
合点合点早合点 朝からバナナをむさぼれレディ
合点合点早合点 紅茶キノコで流し込めよ
初恋を 早合点して 尼寺へ レディは消えた 髪を送って
*以下繰り返し




