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豚ノルマル

半地下への階段をくだると、すりガラスの引き戸がある。階段にも扉の先にも灯りはついていない。

ノックをするべきか否か躊躇したが、そんな自分の小心に苦笑いをして、ガラガラと扉を開けた。

店内に入りつつあいさつの声をすると、奥から小太りのおっさんがでてきた。おっさんといっても俺とたいして変わらない歳だろうが。近くで顔をみてみると、やたらいかめしい顔をしている。半地下の居酒屋の大将らしい顔だ。こわい。しかしなにやら見覚えのある顔だった。


「おう、久しぶりだな」

「…たけちんか?」

「そうそう。久しぶりだなあ。何年振りだ?」

「高校以来だから、だいたい20年ぐらいじゃないか」

「そうか、もうそんなになるのか。年取ったなあ。ところでおまえこんなところでなにしてるんだよ」

「なにって、バイトの面接にきたんだよ」

「ま、そりゃそうだ。面接は、まあもういいよ。居酒屋の経験はひと通りあるっていうし」

「そうか。じゃあちょっくら世話になるよ。よろしくどうぞ」

「おまえさあ」

たけちんはそう言うとはにかみながらため息をついた。

「あいかわらずというかなんというか、何かほかに言うことないのか? すげえ偶然が起こってるじゃねえか」

「だってたけちんは俺が面接に来ること知ってたんでしょ? そんな卑怯な状況でのんきにおどろいていられやしないよ」

「そうそう、そういうめんどくさいところあったよなおまえ。なつかしいなあ」

たけちんがいかめしい顔をほころばす。俺もついつられて笑顔になった。


俺の奥さんが脱サラして夢だった雑貨屋をはじめた。奥さんの祖父母が土地持ちで、義祖父が亡くなったときに義祖母から生前贈与のような形でテナントを得て、そんなこんなでひとり孫の彼女が生まれたときから持つ潜在的パワーをフルに使ってオープンした。

俺も彼女と同じタイミングで仕事を辞めた。俺は潜在的にヒモ体質で、彼女の夢に協力するという名目を謳いつつ、彼女の経済力に寄生しようという腹だ。

奥さんは俺の残念なこの性質なんてとっくに見抜いているし、職を転々としていた俺に安定した経済的な付加価値など求めちゃいない。世の中には常道から外れた価値観の持ち主なんて腐るほどいる。じゃなけりゃブサイクはとっくに淘汰されているはずだ。

かといって奥さんに小遣いをせびる生活にも飽きがくるのはわかっていたし、言い訳程度には稼ぎがないと捨てられる可能性が高まる。ので、雑貨屋の隣、おなじく義祖母の物件に、居酒屋をつくることにした。

わりあい料理は好きだし、むかし居酒屋で働いていた経験もあるし、というか最初の就職先は料亭の小僧だったし、奥さんは小金持ちだし。そんなこんなでなんとかなるだろうという軽い気持ちだ。気持ちは軽いが飲食業のアレコレはわかっているつもりだ。しかし、なにより体がなまっている。リハビリが必要だと考え、俺は居酒屋でバイトをすることにした。

なるべく業界の知り合いと絡まないように、なるべくいそがしくなさそうな個人経営の店を中心にバイト先を探していると、ここを見つけた。なぜ居酒屋業界の知り合いと絡みたくないかといえば、業界大手の社長がたまたま父の幼なじみで、そこにコネで入っておきながらくそをぶっかけるような辞め方をした過去があるからだし、なぜなるべくいそがしくなさそうな店を選ぶかといえば、店の都合で自然とシフトが削られるからだ。気軽に辞められる。


たけちんの店の店長は、たけちんの奥さんだ。丸っこくてやわらかい顔で、容姿や動作が柔和でジュワジュワしている。たけちんにきけば、前は保育士をしていたそうな。なるほど、俺が気にいられるわけだ。俺は相対した女性の、いわゆる母性というものを焚きつけるタイプらしく、まさしく潜在的にヒモなのだ。つきあったひとはみんな俺にお金や物をよくくれる。恋人に限った話じゃない。宅配の仕事をしていたときなんかも、宅配先の人からよく現金をもらった。お歳暮やお中元の繁忙期に宅配物のミカンやモチ、缶ビールをおすそ分けされることは宅配をしている人ならばままあることだ。特に重いダンボールに箱詰めされたものはかなりの確率でおすそ分けされる傾向にある。が、現金、を、けっこうな頻度、でもらっていたのは同僚のなかで俺だけだったとおもう。俺がなにかまわりと違う、特別な営業をしていたということはない。もちろん昼下がりの団地妻的関係もない。特別に愛想がいいというわけでもなければ、人を惹きつける外見的特徴もない。ねだるわけでもなければ暗に要求することもない。ただ世間話をするぐらいだ。

女性に限った話というものでもない。たとえば、散歩をしていて、歩きつかれてコンビニの喫煙スペースでタバコを吸っていると、「いま禁煙してるんですけど我慢できなくて買っちゃった。1本だけ吸うから残りを良かったからどうぞ」てな具合で若いあんちゃんからタバコを恵まれたことがある。それが数回あるからもう慣れたもんだ。駅前なんかで野菜や果物を売りつける出稼ぎ?のようなことをしているあんちゃんからタダで商品をもらったことも数回ある。あれはわりとヤバい流れの商売なんじゃないかとおもうのだが。小旅行に出かければ、そこいらのおっさんからよく唐突にメシをおごられる。金を払って果物狩りなんかに行くと、狩りとった量以上の量の果物をもらう。

決してイケメンな男じゃない。太ってもいないが痩せてもいない。しゃべる声がはきはきしているわけでもないし、むしろ気だるそうな、人間嫌いの雰囲気をまとうことを意識しているのだが、そんな調子が不惑に近い今まで続いている。そんな俺のことを「フォレスト・ガンプみたいだよね」と奥さんは笑う。そういえばあの時、「人からもらってばかりの俺だけど、俺の愛をもらってくれるのは君だけ」なんてことをテキトーに返すと、奥さんは一転して「なにそれ。バカみたい。あんた去年の私の誕生日プレゼントになにくれたかおぼえてるの? かわいくもないタオル地のくそみたいな猫のぬいぐるみだよ。中学生でももっといいもんくれるわ。なんだよあれ。その前の年は肩こりがひどそうだからってツボ押しの木の棒だったよね? なにあれ。木の棒って。曲がりなりにも好きでつきあってる人の誕生日プレゼントに木の棒ってなに? 木の棒をもらって私がよろこぶの? 誕生日に? すりこぎみたいな木の棒で? バカみたい」てな具合で俺に対する日ごろのグチが爆発して大げんかに発展した。そんな基本どうしようもない俺なのに、他人は俺に物をくれる。人は俺になにを期待しているのだろうか。俺には俺を好きでいてくれる人が誕生日プレゼントになにを求めているのかすらわからないというのに。


たけちんの店の店長は、たけちんの奥さんだ。彼女は丸っこい顔をしていて…となんだか同じ話をした気がするから割愛すると、店長に気にいられた俺は、店の大将との面接に進み、そこでたけちんと再会したわけだ。たけちんは俺と店長が面接した後に、俺が俺であることを知ったという。

この日は定休日で、たけちんは俺にだいたいの仕事の流れを説明した。そこは俺も経験者で、だいたい把握することができた。元は物置だったというが、詰めれば40席ぐらいはある、立派な店だ。

客席が満杯になることはあるのかときくと、火曜の夕方にはなるという。普通の居酒屋なら休日前や週の中日の水曜日が稼ぎ時なのだが、なんで? ときくと、近くの市場で働く人に水曜日休みが多いかららしい。市場は真夜中に出勤して昼ごろに終業するから、火曜の夕方が混むとのこと。市場の人が足を運ぶなんて、ひょっとしてこのお店の料理のレベルは高いのか? ときくと、単にたけちんが以前その市場で働いていたからそのつながりでひいきにしてもらってるらしい。


さっそくお店のメニューをいくつか試作していると、ガラガラとお店の扉が開く音がして、店長の声がした。

たけちんはさっと顔色をかえ、俺を睨むようにみた。

俺はたけちんの心を察して、うなずいた。

というのも、それまで俺たちは雇用関係をこえて、あれからなにをしていたかを互いに話していた。

たけちんは、まあ、いわゆる不良で、ガキ大将だった。

結果的にたけちんは高校生活の途中で先輩と喧嘩をして、相手に大怪我をさせてしまい、退学した。その後、俺にとっては暴走族の集合写真が載った雑誌に特攻服すがたのたけちんを発見して以来の今日だった。

たけちんは喧嘩っ早かった。俺なんかよくボコボコと殴られていた。たけちんがキレるタイミングは急で、たとえば高校のころ、ふたりであやとりをしていたとき、俺がテキトーに返したところ、指から糸が外れてしまった。それでなぜかキレたたけちんにボコボコにされたことがある。まあ、そもそも男子高校生ふたりがあやとりをしているというのも変なもんだが。

たけちんはそういうおっかねえ奴だったが、人なつっこい奴だったし、やさしいところもあった。

俺なんかはどちらかといえばおとなしいガキだったから、ときにはクラスメイトからからかわれたりしたが、そんなときはたけちんが俺のかわりにキレたりもしてくれた。まあ、そんな具合だから俺とたけちんは多少クラスで浮いた存在になってしまった部分もあるのだが。

俺は中学時代を通じてプロレスが好きになったので、高校生になるとレスリング部にはいった。人気のない部活だったから、俺は同級を勧誘しまくった。結果、たけちんの不良友人グループのコアメンバーをごっそりレスリング部に誘うことができた。彼らもプロレスが好きだった。なぜだかしらないが、俺自身は喧嘩なんかこわくてできないタイプのへたれなのだが、そんなおっかない子たちから好意的にみられるというか一目置かれるというか、そんな傾向にあった。たけちんはずっとバレーボールをやっていて、それなりにうまかったから無理だったのだが、高校入学後しばらくして強引にレスリング部にはいってきた。さびしかったのだろうとおもう。

退学したあと、たけちんは、まあ、すたすたと順当にそっちの方向に進んでいった。いろいろあって本職になる手前までいったが、その直前にいろいろあって捕まって、いろいろあって市場で働くことになり、店長と出会い、結婚し、いまに至る。

のだが、たけちんはどうやら、そのいろいろあって、の部分を店長に話したくないようだ。俺にそのことについて釘をさす前に、昔話に花が咲いたせいもあるだろうが、店長がお店にやってきてしまったのだろう。そんなこんなをふまえての、俺のうなずきだ。


ここで俺ははじめて店長が懐妊されていることを知った。奥さんは定期検診にいっていたという。だから、バイトを募集していたのだ。だったらはじめから女を雇えよ看板娘の代役に不惑前のおっさんがつとまるわけねえだろなに考えて経営してんだ、とか、それじゃかんたんに辞められないなあ、とか考えたが、人生なりゆき、で生きてきた俺にいまさら考え直す権利はない。


この日は、3人で飲むことになった。場所はお店だ。飲むといっても、酒を飲むのは俺ひとりだが。

「大将は飲まないの?」

俺はたけちんのことを店内では大将と呼ぶようにした。

「俺は飲まないよ」

「え? すごい飲んでた記憶があるけど」

そう言って俺はハッとして、店長の顔を見てしまった。店長は笑っていた。たけちんを見ると、あたかも、大丈夫だ、と言わんばかりにうなずいた。

「このひと、前にバイクで転んだときに頭をうっちゃって。それ以来お酒を飲むと、量に関係なくすぐ気絶しちゃうようになっちゃったんだよ」

それなのに居酒屋さんやってるっておかしいよね、と店長は手羽先の唐揚げをはみながら言った。

「へえ、大丈夫なのか?」

「検査しても大丈夫なんだから大丈夫なんだろ。そんなことよりおまえの話をきかせろよ」

「俺? 俺かあ。別にたいした話はないけども」

きかれた質問に答えていると、ふたりはたびたび大笑いした。特にウケを狙って答えたわけじゃないが、我ながらおかしくて情けない人生を歩んできたことは認めざるをえないものがある。


「そんなにモテるか? おまえが?」

「モテる。いや、別に万人に好かれるようなとか、なんというか、アイドルのようなモテ方はしないけど、10人のひとがいたら確実にひとりは俺にどハマりする。そんなモテ方をする」

「なに言ってんだおまえは。鏡見たことあんのかおまえ」

「もうね、俺も経験上わかったことがあるというか。俺にどハマりする女の人ってのは、もうね、匂いでわかるようになった。匂いっつってもあれよ。ピンとくるってな概念めいたもんじゃなくて、物質的な匂いのことよ。俺にどハマりする女の人には共通する匂い物質を発している。だいたい体質も似てるしね」

「体質ってなんだよ」

「まあ、足はひどくくさいよね」

「足がくさいっておまえ」

「脇もくさい」

「ワキガじゃねえか」

「なんだかんだいって頭も口もケツもくさいよね」

「くせえとこしかねえじゃねえかよ。なにが、匂いがする、だよ。それおまえがモテるんじゃなくて引き取り手のねえ奴を匂いフェチなおまえが受け持ってるだけじゃねえか」

「いやいや、匂いとくささは別だよ」

「うそこけ、ばか」

「ねえ、じゃあわたしは匂いするの?」

「いや、残念ながら店長からはしませんでした」

「えー」

「そりゃ人の女房にはたとえどんなに臭くても臭いとはいえないだろ。俺だって本人には言えないんだから」

「え? そんなに臭いわたし? ひどくない?」

本当に、俺は俺と相性のいい女の匂いがわかる。汗ともワキガとも精液とも違う匂いがする。店長からもその匂いがする。


それから俺はなんだかんだまじめに働いた。たけちんの店はけっこう流行っている。常連さんだけじゃなく新規の客もそこそこくる。基本、料理は俺が作るが、昔取った杵柄で魚をさばくのはたけちんの役目だ。あいつは目立ちたがりな面があるから、お客さんのまえで大立ち回りをしながら刺身をひいたりする。柵をとったのは俺なのだが。しかし、そんな彼の経営方針が看板娘の代役に不惑前のおっさんをえらんでも問題ないお店をつくっているのだろう。


お腹がだいぶ膨らんできたころ、店長は里に帰った。里といっても、車で1時間もかからないところだ。

さびしがり屋のたけちんは、ちょくちょくうちにやってきてはメシを食っていった。

「あのひと最近たのしそう」

里に帰る前、店長が俺にポツリと言ったことがある。ふたりのあいだになにがあって今があるのかしらないし、できればしりたくもない。



「そういや、俺はおまえに喧嘩で負けたことがないよな?」

「そりゃたけちん、すげー勢いで俺を殴るじゃん。ボコボコだよ俺は毎回」

「よくつきあってたな俺と」

「まあ、暇だったしな」

「なんだその理由は」


閉店後、ふたりでポテポテと俺のうちまで歩いて帰ることがあった。ほんと、たけちんはさびしがりなのだ。


出産予定日にあわせた臨時休業がはじまる晩。この日は月影のよく映える夜だった。

「喧嘩では負けたことがないけど、プロレスごっこでは勝った記憶がない」

「そりゃおまえ、当時プロレスごっこで俺より強いやつなんてざらにはいなかったろうよ」

「あれはなんなんだろうな。レスリングもたいして強くないのにさ。そうだ。試合のときもなんかあったな。あの大逆転したやつ」

「あー。あれか。あれは俺が7ー0ぐらいで負けてたときに、相手が調子にのってバックドロップをしかけてきたんだよ。大技で勝ちにきやがった。あいつはあれ完全に調子にのってたね。反り投げじゃなくて、あれは完全にバックドロップだった」

「おまえ弱いもんな基本」

「でもプロレスごっこなら負けないからさ。勝ったじゃん」

「空中で身をひるがえしてバックドロップを潰してニアフォール、そっから逃げられるが、バックをとってポイント、さらにフルネルソンをかけやがった。おまえフルネルソンなんて練習中やったことないだろ」

「よく覚えてるね。まあ、ごっこモードになってたから。スイッチがはいったというか」

「俺レスリングでフルネルソンでひっくり返してフォールとった試合みたのおまえのあれだけだよ。ひっくり返せるもんなんだな」

「フォール狙いじゃなくて完全に痛めつける目的で締めてたしね。フォールなんかおまけだよ。あれ反則だったんじゃねえかとおもう」

「そういうとこあるよなおまえ」

「どういうとこよ?」

「なんつうか、大胆というか」

「大胆? 小心者だよ俺は。昨日だってあれだよ。横断歩道渡ってたらトラックにクラクション鳴らされてさ。横断歩道をだよ? シマシマ模様の上でだよ? なんならその運転手とアイコンタクトしてから渡ってんだよ? 鳴らす意味がわからねえ。それでも、そそくさと知らんぷりして現場をあとにするぐらいには小心者だよ。だって、怒ってるひとってすごくこわいじゃん。俺、家帰って泣きながらシャワー浴びたもん。ああもう死のうって泣きながら冷たいシャワーを浴びた」

「小心者はとてもじゃないけどヒモなんかできないよ」

「そんなこと言われてもたけちんだって似たようなもんでしょ」

「俺は…まあ、そんなもんだけど、おまえは、なんかちがうんだよ」

「そんなこと言われてもなあ。ああ、あれか。自分より心根の劣る人間をみて安心するかのごとく」

「いや、まあ、それもあるにはあるが、なんかちがうんだよな」

「あんのかよ」

「なんだろうな、そのトラックの話にしたって、もしドライバーが降りてきたらふつうの小心者なら走って逃げるか謝り倒すんだろうけど、おまえ、なんかニヤニヤしながら金的を狙ってそうなとこあるじゃん?」

「しないよ! つうかできないよそんなこと。謝り倒すパターンだよ俺は」

「しねえの?」

「しないしない」

「でも、相手が降りてきて、君、俺とプロレスごっこして白黒つけようじゃないかって言われたらやるだろ?」

「どんな状況だよそれ。たとえそんなこと言われてもやらないし」

「でも、プロレスごっこやらないかって言いながら相手が問答無用で一方的にじゃれついてきたらどうするんだよ」

「じゃれついてきたらってなんだよ。まあ、じゃれついてくるぐらいの弱さなら、なんとか、どんだけ抵抗されても4の字固めを決めるまでがんばるかもしれない。あるいは鎌固め」

「ほら、な?」

「なにが、な? だよ。どんな誘導尋問だそれは」

「ちがうんだよおまえは」

「しつけえよ。だいたいおっさんが夜道を歩きながらする話じゃないだろこんなの。もっとなんか、株価の展望とか国際情勢だとか…なんか自分で言ってて嫌になるな」

「俺だったら、ぼんぼんぼんとぶん殴っておしまいだよ。反対にぼんぼんぼんとぶん殴られておしまいになるかもしれないが、でも、それだけだ」

「たけちんはそりゃ、強えからなあ」

「でもおまえはちがう。普通の小心者は抵抗する相手にがんばって4の字固めを極めようとはしない」

「それは…仮のはなしであってだね」

「ああ、そうか。おまえはやさしいんだ」

「はあ?」

「ふつう一方的に襲いかかってきた相手にわりあい安全な技であるところの4の字固めで済まそうとするか? 相手に4の字固めを極めるまでの力量差がありながら、それだけで済ますその心が、おまえのやさしさなのだよ。自分に危害をくわえる相手にすら、痛いだけで済ます。ギブアップの機会を与える」

「だから仮のはなしだろって。さっきからなんなんだおまえ。酔っ払ってんのか? 飲めないってうそだろ。あ、最近ハイボール用のウイスキーのロスがひどいのは、たけちんが隠れて飲んでるからだな!?」

「おまえ、昨日だけで2回ビン倒したろ。一回につき少なくみても3杯分はこぼしてるよな?」

「なんでしっかり見てるかなあ!」

「あとおまえ、チーズを、ピザ用のクリームチーズを隠れて食ってるよな? あれ原価たけえんだぞ」

「うめえんだよ! こっそり隠れて食うクリームチーズのかけらってすげえうめえんだよ! 夢のかけらなんてのはすっぺえだけだけど、クリームチーズのかけらはほんのりすっぱくて甘くて、なにより確かな味があるんだよ! 現実に確かに存在する味があるんだ。そんなの、やめられねえよ!」

「いや、やめろよ! マジでやめろよ! やめられないなら金払え! おまえのバイト代だっていてえんだぞ!」

「バイト代以上に働いてるだろ! 扶養家族の足もと見やがって! パワハラかよ!」

「うるせえ」

「いてえ。殴るか? ここで殴るかおまえは!」

俺は20年ぶりに喧嘩をして、ボコボコにされた。夜道を歩きながら学生時代の話なんかするものではない。

「いてえ。すごいいてえ。…ところで、うちに食べ物あったかな。コンビニ寄ってこうぜ」

「どうせならセブンがいいな」

「人をボコボコにしといて文句いうな。セブンは遠回りになるだろ。おっさんが女子大生みたいなこと言うんじゃねえ」

「じゃあ俺サンドイッチ、いや、あえて、焼きそばにすっかな」

「しらねえよおまえのいまの気分なんて。俺なんてもうあれだよ。口の中切れてるからなに食っても血の味しかしねえのによ。あえてね、塩味の強いカップラーメン系なら、逆においしくいただけるんじゃねえかと考えてたとこだよ。舌も傷口もしびれる味だよばかやろう」

「ほら、な? そういうとこだよ」

「なんだよまたか? まだ殴りたりないのか?」

「ともかく、おごれよな」

「なんでだよ。俺わりかしプライドないぜ? 勝者からのほどこしとかラッキーってなもんで受け取っちゃうぜ? 負けた甲斐があるってもんよ」

「なあ」

「なんですか!?」

「おまえ店開くんだろ?」

「たぶんな」

「準備進んでんのか?」

「まあ、ちょこちょこ、ゆっくりと」

「そうか。じゃあさ、あの店、おまえにやろうか?」

「は? いや、ダメだろ。というか、店長のもんだろあの店」

「じゃあ、店長付きで、やろうか?」

「なに言ってんだおまえは」

「ああ、いや、まあ、なんでもねえ」


「サンフランシスコの片田舎で仕事させられてたときに、夜中に車がガス欠しちゃって。しょうがないから道端を歩いてたんだよ。スタンドまで。アメリカの夜中なんかすげーこわい。モスマンとか出るし。というか基本まわりに何もないし。そしたら、後ろから車来てさ。停まるんだよ。中からガッチリした黒人が出てきて、すげーこわいじゃん。かっこも汚ねえしさ。暗いし黒いしでけーし俺英語できないし。そしたら、何やってんだおまえはって言ってる雰囲気がしたから、ガスエンプティガスエンプティと連呼したんだよ。そんだらそいついい奴で、助けてくれた。別れぎわにお礼の金を払おうとしたら、拒否するぐらいいい奴だった。しょうがないから、じゃあおまえの胸ポケットに刺さってるボールペンを売ってくれって言ったらようやく折れたけど。いい奴だったな。俺の唯一の芸であるところの、ポール・スタンレーのカメラ目線のモノマネも爆笑してくれたしね」

「英語しゃべれるんじゃねえかよ」

「そこかよ。いや、しゃべれないよ。2年ぐらいいたけど、まったくダメだ。マックで注文するときも通じやしねえからポテトポテトって連呼してた。フレンチフライっつっても受けとめてくれない。なんかくせえしさ、芋が」

「そんで、いつになったらミホちゃんと出会うんだよ」

「だから、そこからもう嫌だっつって日本に帰るだろ?」

「サンフランシスコで出会ったんじゃねえのかよ! どんだけ遠回りして話すんだおまえは」

俺のうちで、輪ゴムのような味と食感の乾きものをツマミに安酒を飲む。いっそ輪ゴムのほうがうまく酒を飲めるかもしれない。奥さんはもちろん寝室だ。

たいして飲んでもいないのに頭がふらふらするのは、酒のせいだけではないだろう。俺の右目は大きく青タンになっている。だからこそモノマネ話をふってみたのだが、たけちんの興味はそこにないようだった。

「日本帰って、会社辞めて、そしたら今度はポルトガルで働くことになっちゃって」

「いいから早く出会えよ」

「ポルトガルといやあ、コルクよ。俺もコルク関係の仕事だったんだけど。そんで彼女は雑貨屋を開きたいとおもってたわけだから。休みがとれたらヨーロッパをまわって将来のために知見を広げたりコネをつくっておこうと努力してたんだね。そんな彼女がちょうどポルトガルのコルクを調査に来たときに、俺は、なんで俺はポルトガルにいるんだ、と疑問に思って日本に帰った」

「長いんだよおまえの話は」

「そんで、ちょっとぷらぷらしようと決めて、ぷらぷらしてたら知り合いの工場で人手が足りないからって呼ばれて。そこで俺サスマタつくってたんだよ」

「なにやってんだよおまえは」

「いやまさに。なんで俺サスマタなんかつくってるんだろう、そう思うまでに時間はかからなかった。まあこれは、最初は期間限定のお手伝いって話がいつの間にかここで働き続けろって話になってたから急いで身をひいたんだけど。だから、全国でサスマタが足りないって問題が発生してたら、それ俺のせい」

「だからいつミホちゃんと出会うんだよ」

「うん。そんで、そっからなんか変なのに呼ばれて、経営セミナーとか経営者相手の講演とかに呼ばれてた時期をはさみ」

「なんでそうなるんだよ。おまえ、そんなこと語れる奴じゃないだろ」

「いや、かんたんなもんだよ。とくに俺はどうやらエンパスだからね」

「エンパス、ねえ」

たけちんの相づちがだいぶテキトーになってきた。舟をこぎだすまでにそこまで時間はかからないだろう。壁に耳ありの状況でふたりの馴れ初めなんか話したら、後日何を言われるかわからない。俺の狙いはまさにそこだ。

「エンパスってのは、まあ、あれだよ。サトリの下位互換だよ」

「あ?」

「サトリって妖怪いるだろ。人の心を読む妖怪だよ。それに似てる。人の感情がわかるんだ。わかるというか、人の感情が嫌だ。嫌だじゃないな、人の感情を必要以上に読みとる能力があり、その感情にすぐあてられてしまう人か。あと嘘もわかる。わかるというか、嫌だ。嫌だ、じゃないな。でも、嫌だとしか言えない感覚になる」

「へえ」

「だから俺テレビのニュースとかみれない。悲しくなっちゃうから。もう大変だよ。悲しんでる人がいたらなんとかして笑わせてあげないといけない。怒ってる人がいたら、そばにいて寂しさを埋めてあげなきゃいけない。そうしないといちいち俺の感情が悪影響を受けるからね。フラットにバランスをとっていかないとこっちが疲れてしょうがない。ものすげえ怒られてる最中の悲しい人なんかに遭遇したら最悪だよ。俺、踊りだすからね。踊りだすしかないんだよ。怒ってる人の背後で踊りだす。そうしないと皆が平和な気持ちにならないから。なにをやってもどうしようもねえ奴もいる。そういう奴はだいたい憎しみと嫉妬と私利私欲が同じ色の奴。ああ、まあでも、相手をフラットにするってことは、その場その場で相手にあわせて適当なことを言うってことだからね。それはそれですごい疲れる。なんつうかもう笑顔に囲まれていたい。もう道行く人、見知らぬ道行く人みんな笑わせていきたい。でもそんなことできない。そもそも人と話すの疲れるから嫌い。将棋さしてるみたいに疲れる。ならばどうするか、自分の見た目を変にすればいいんじゃないかと思ってね。ほら、そうすればすれ違う人みんな、俺と目があえば、こいつ変だって思うじゃん。安定してるから、疲れない。だから、もう真夏にコート着たりね、そんなことしてた時期がある。それはけっこう居心地がよかったけど、すげえ暑かったり寒かったりするし、変な人に絡まれるからやめた。まあ要するに、そんなことをね。人の心の機微というか、物を売りたければ最終的にはやっぱり心が大事だぞ、ってことを経験談をふまえてテキトーに言ってたらなんとかなる。だいたい俺なんかが話す機会のあるとこなんかを聞きに来る人たちに大した奴なんかいないから、案外テキトーで大丈夫だった。孟子とか老子なんか勉強させても、そんなもん学んだ国は何回滅んで、今どうなってんだよって話するとちょっと荒れたりする。でも、ちょっとだけ心をざわつかせたらもう勝ちみたいなもんで、あほみたいに表面の字面を学んでも意味ないぞ根っこを修めないと枯れるんだから的なこと言って茶を濁すと、なんかほほう的な雰囲気になる。最終的に丸く収めるの得意だし。まあ、そんなテキトーなもんだからすぐにどこからも呼ばれなくなったけどね!」

「…うん」

遊びつかれた子犬のように、たけちんはほぼ寝ている。

「店はいらないからな」

「…そう」



たけちんの訃報が届いたのは、次の日の夜だった。昼間に、飲まないはずのビールをファミレスで飲んで、立ちあがった拍子に意識を失い、床にしこたま頭をうちつけて、数時間後にあっさり死んだ。


俺はたけちんから店をもらった。店長は店長でちゃんと店長のままだが。未必の故意があるならば、これは未必の自死のようなもんで、用意周到なもんだ。

俺がエンパスなら、たけちんもそうだったのかもしれない。俺は他人の感情に対してバランスを保つことで対処してきたが、たけちんはなんだかよくわからない嫌な感覚の発生源を本能的に察知して、破壊することで対処しただけかもしれない。きっとたけちんは、俺と店長の相性の良さを、俺以上に察していたに違いない。少なくとも確信めいたものがあったに違いない。


俺の奥さんは、ヒモの負担はみんなで共有した方がリスクが少ない、との理屈で納得した。店長も、いまのところ形にこだわる様子はない。その場しのぎで丸くおさまった。しかし、やっぱり、みんないったい俺になにを期待しているのだろう。




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