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狂人の走り書き

 テレビでやっていたとあるシリアルキラーの特集を観て、おれはがく然とした。おれにはそのシリアルキラーの心情がとてもよく理解できてしまったからだ。

 そいつの生い立ちは、おれとよく似ていた。もちろん一から十までそっくりだとかいうふざけたものではない。だいたいそのシリアルキラーはアメリカ人だから、子育ての文化やら食習慣やら成長過程でのイベントやら、もはや逆になにからなにまで違う。でも、肝心な部分が似ているのだから、似ているのだ。幼少期に同じような体験をし、大人になってもそれが尾を引いていたという部分だ。


 おれの父親は、とにかく怒っていた。冷静になってふりかえれば実際にはそんなことはなかったのだが、とにかく常に怒っていた印象しかない。母ともよく喧嘩になって、毎度コップなんかを投げつけては、がしゃんと割っていた。

 その怒気はとうぜん息子である自分にも降りかかる。その降りかかり方は理不尽で、たとえば、機嫌の悪いときにおれが、子供だから、ちょっと遊んだりすると怒鳴りつけられる。そのくせ機嫌の良いときは、おれが元気に子供らしく遊んでいる姿をみたいのだろう、はしゃげと命ずる。が、はしゃぐと激怒されることのほうが多かった子供のこと、気を遣いながらビクビクしてつつましくはしゃぐと、その子供らしくない煮えきらない態度に一転機嫌を悪くして、おれに怒気をあてる。そうなると母親はおれのことをかばい、引っこみのつかない父親は母と喧嘩をはじめて、母が台所に行っては泣いていて、父親の怒声とコップが割れる音がして、おれはただただ自責の念に押しつぶされる。ほとんど毎晩そんなものだった気がする。

 いつ爆発するかわからない父親の怒りが、おれがトリガーとなって暴発する。楽しい時間らしきものが急転直下、修羅場になる。それを避けるため、おれは本心を隠して相手の機嫌をとることを学び、喜びも悲しみもできるだけひた隠しにした。プラスもマイナスも波風がたつことに変わりないからだ。大きな喜びも悲しみもない家庭を保つことが、おれが父親と生活する上での役割だとの認識があった。そのころのおれは、良いことも悪いこともなく、静かにただただ時間だけ過ぎていけばいい、と思っていた。そして唯一ひとりになれる布団の中で、たびたび妄想の世界に逃げこんで、押し込めていた感情を静かに発散させるのだ。

 妄想のなかでは、しあわせがあった。しあわせの中では、仲の良い家庭があり、みんなニコニコして、楽しく食事をしている。なにをしゃべっているのかわからないが、誰かが父親と会話をして笑いあっている。おれが何かやると、みんな笑って、おれの存在を認めてくれる。でも、急に電話がなって、こんなときにうるせえなったくよお、と父親が冗談気の一切ない言葉を発して、笑っていたみんながいっせいにしんと静まり返る。おれが布団の中で頭をかきむしると、また最初からやり直しになるから、それ以上嫌な場面はみなくて済んだ。決まって終わりはバッドエンドだったけども、それでも、その妄想の世界はじゅうぶんしあわせな世界だった。余談になるが、だいぶ大人になった今でも電話はとるのもかけるのも苦手で、できることならやりたくない。


 おれが育った家庭には、ちゃんとした愛のかたちを見ることがなかった。愛のかたちというものには実体がない。清濁併せ持ち、いくつもの観測点を打ちつけてゆき、外殻を構築してそのかたちを推測するものだ。だけど、おれにはその外殻を構築する要素が、ほぼない。とても空虚な妄想のなかでかたち作ったしあわせしかない。現実に親から愛されてないことはなかったはずだが、上述の通り、愛されたという記憶がない。そのシリアルキラーも、愛のかたちの見えそうにない家庭で育っていた。だけどもそこが、おれが似ていると感じたところではない。それでもなお、自分の感情を押し込めることにより家庭内のバランスを保ち続けようとしたというそいつの部分こそが、そのシリアルキラーとおれとが似ていると感じたところで、おれが強く共感した部分なのだ。きっと、そいつもおれもしあわせに執着している。子供のころ親からマンガを読むことを禁じられた人が大人になって子供だましの王道少年マンガにハマってとめどなく愛するようになるパターンとおなじで、おれもそいつも、しあわせを現実にしたかった。もうバッドエンドで終わるほど頭のなかを整理できないということはない。あのふたりが愛しあう世界を、みんながニコニコしている世界を、妄想の中のしあわせを、明るくてやさしい家を、安心している自分がいてもいい世界を。

 だけども、現実の恋愛や結婚というものは、必然的に他人が絡んでしまい、自分ひとりではじめから終わりまでコントロールできるものではないから困ったもので。

 おれもその連続殺人鬼も、周りからの評価は変わらない。仕事は真面目にする、周囲とのコミュニケーションにも問題はない、いわゆる良い人となる。これは、そうなる。おれたちは波風をたたせない方法を小さなころから実践していたからだ。コミュニケーションといえば問題なのが、おれは周りから疎まれていたり敬遠されている者と一番仲良くなってしまうという問題を抱えている。おれもその人のことが嫌いな場合が多々あるのだが、本心を隠すことに長けるおれは行動を伴いつつ、その者らと打ち解けてしまう。学生時代ならまだよかったが、仕事をしだすと、周りから嫌われる奴ってのはとんと出世する場合がある。そうなるとそいつはおれを常に自分の下に置きたがる。おれは本心を隠しているだけで、内心はおそらくふつうの人よりも好き嫌いが激しいので、四六時中そいつと一緒にいることになる。と、ものすごいストレスになる。でも、隠す。そいつはどんどんおれのことを気に入って、おれもそれなりのポジションにつく。ここまでくるともはやそいつに対しても周囲に対しても罪悪感すら芽生えてくる。トラウマになってる自責の念の発動だ。こうなるとストレスから逃れるために、おれがいるから周りの奴が出世できないんだ、とか考えだして、病む。そして手順と言い訳を準備しつつ逃げる。もちろんその嫌われ者とは絶縁する。このくりかえしに困っている。いちおうその反省をして、今ではおれのこの臆病者の性格にあった仕事を探りあてたが、おれの嫌いな人物にこそ好かれ信頼される現状はかわっていなくて、ほとほと困っている。たぶん、おれの天職は詐欺師だ。実際、狙いをつけて人の行動を誘導した場合、たいがい思い通りにできる。その過程がおれにとっては大きなストレスになるから、おれは詐欺師にゃなれないのだけども。

 おれたちは、エゴイストとは正反対の性格をしている。だが、物事の極端は表裏一体であることが世の常で、おれたちはある時を境に究極のエゴイストになる。

 その境とは、妄想のなかにあったしあわせを壊されたときだ。そのシリアルキラーは妻の浮気がきっかけとなり、シリアルキラーとなっていくのだが、おれも恋人に浮気されたとき、絶望と明確な殺意を覚えたものだった。

 おれたちは我慢をする。しあわせはしあわせなままでなくてはならないから、いろいろ我慢をする。でも、我慢していると疲れるから、たまにちょっと恋人から離れる。恋人相手には、少し自我をだして甘えるのだ。そうするとあいつら寂しいとかなんとかいって浮気する。しあわせな世界が終わる。

 自分の頭のなかで続いていくしあわせは、しょせん自分の中だけにあるものなのだ。おれとあいつらとでは、見えている愛のかたちが違うのだ。

 あいつらは生きて、物事を自分勝手に考えやがって行動するから、おれたちのしあわせが壊されてゆくのだ。

 だから、殺せばいい。勝手に考えたり動いたりしない死体はおれたちがふだん我慢して、感情を押し込めている分だけ求めてやまない究極のエゴのかたまりで、おれたちの愛のかたちで、しあわせの実現に必要不可欠なものなのだ。そのシリアルキラーは遺棄した死体の状態を何度も確認していたようだが、その気持ちはよくわかる。その行為にどれほどの悦楽と安心があり、しあわせを感じるかは筆舌に尽くしがたいものがあったろう。

 物言わぬ恋人がそこにあり、おれたちの頭のなかでしあわせな世界の住人として、楽しそうニコニコと、いつも笑ってくれている。その世界の安心なことといったらない。ましてや殺人というおれたちにとって究極の感情解放を経たあとでのことなのだ。砂漠で遭難して疲れと喉の渇きで死にかけていたら竜宮城にぶちあたるようなものだ。

 この快感たるや、天にも昇る心地とはまさにこのことだ。世界で一番の、安心、がそこにあるのだ。もうこればっかりは経験者でないと理解できないだろう。


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