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愛の手

 まずはじめに夢をみる。まるでぬるま湯のなかをたゆたっているかのように、なまぬるくて、とても居心地の良い夢だ。夢の内容はたいしたものじゃないけど、皆が空を飛んでるのに僕だけ飛べないというようなやるせないものや悪夢の類いではなく、幸せというものを肌で感じるような、肉感的ななまぬるい夢をみる。

 次に、音が聴こえてくる。夢の外から、僕の名前を心配そうに呼ぶ声だったり、パタパタと誰かが小走りをしているだろう足音だったり、そういった音が夢のなかに入りこんできて、みている夢に影響を与える。

 そうなったら、次は夢が消えて、真っ暗闇になる。暗闇の中でも音は聴こえ続け、この頃になると僕の手や顔を触るものがあると気がついたりもする。

 意識はまだいまいちで、幾重にも重ねられた布団に乗っかられているように鈍重だ。

 そして最後に視界がスッと戻る。どんよりとした意識が、僕の視界いっぱいに泣きそうな顔をしている彼女をとらえる。僕はまた、蘇生したのだ。

「ごめんごめん。ちょっと死んでた。でも、三途の川の手前に爺さんがいてね、僕を呼ぶ声の方に帰っていい? って聞いたら、そうせいって」

 この状況はもう何回目になるかわからないぐらいだから、僕はなれたもんだった。蘇生直後だといっても、僕の場合はちょっと死んでた以外に悪いところもないので、生命が物体にかわっていくさまの気恥ずかしさをまぎらわすために思いつきの冗談を言える程度には元気だ。

「大丈夫? 大丈夫なの?」

 目の赤い彼女の上ずった声が、なんだか僕の立場を悪くする。いい加減彼女にもこのパターンになれてもらって、あははと笑って欲しいのだけれど、そのことで彼女を責めると彼女の機嫌が地獄の底まで落ちることは実証済みなので、僕の好きな、彼女のニヤニヤ笑顔は要求しないことにしている。


 ちょっと死ぬたびに蘇生してしまう僕だから、彼女はその都度心配して、悲しんで、泣いてしまう。きっと僕の見ていないところではもっと泣いているのだろうし、その彼女の心の隙をついてくるイヤな男なんかに優しくされて、抱かれているに違いないのだけれども、よく死ぬ僕にはどうしようもない。やめろと言う資格がない。僕が彼女に「僕のことほんとに好きなの?」と聞いてしまったら、きっと彼女は恋に悩める女子特有の「わたしわからない、もうわからないよ」という決まり文句を言うに違いなくて、それを口に出した彼女が待ってる結末はどのみち妥協した不幸だ。ダブルバインドの不自由な選択を迫られているし、特に彼女はあまり頭がよろしくないし、まわりにすぐ流されるから。


 僕は信心の篤いほうじゃないから、蘇生直後にみるいわゆる走馬灯現象のなまあたたかい夢に、神様や仏様が出てきたことなんかない。いつもだいたい、最後の方には僕は彼女と話してて、幸せそうに他愛なく笑ってる。この夢の内容を彼女に話したことはないのだけれど。

 あの夢は、脳が一度絶たれた酸素供給からリブートする時にえらく活性化する際の副作用で見せるもので、最近あった記憶や想像を検索して、失った現実の時間や記憶に齟齬がないようすり合わせているらしい。機械的だ。そう考えると五感の回復順序もえらく機械的で、目のような複雑な作りのものの回復はあとにまわされる。自分の意識が支配しているはずと思っている体の中でそんな、停電したから自動的に非常用電源に切り替わりますみたいに機械的なことをされると、自分の体の中に自分の言うことを聞きやしない反乱分子がいるみたいでなんだかすこし不満だけども。


 僕があまりに蘇生してしまうので、僕がやっぱり死んだという時に、彼女はいろいろなストレスから解放されホッと一息ついて、僕が言うであろう蘇生ギャグを空耳してニヤッと笑ってくれると思うのだけれど、残念ながら僕はそれを確認できない。ここまで蘇生をくり返すと、もはやそんなどうしようもないことが一番残念だ。幾度となく死ぬの生きるのとやっていると、残す言葉も出尽くしたし、身辺整理なんか8回はした。あげくには読みかけだったマンガを売っぱらったあとに買いもどしたりする始末だ。

 彼女だけじゃなくみんなそれなりに覚悟しているのに、こう何度も死ぬの生きるのをくりかえしては、なんというかしめしがつかない。いい加減に逝ってもいいだろうとも思うのだけど、僕の体はポンコツのくせにがんばる。バッテリーのあがった車のエンジンを下り坂を利用して走りがけしておこしているみたいだ。とっととポンコツに見切りをつけて「シャチョさん、いらないクルマない?」って言う中東の人に持っていってもらえばいいのに。それだと向こうでまたがんばりそうだから、廃車にして部品取りでもして何かに役立てればいいのに、一度エンジンがかかるとそこそこ元気なもので、対処に困る。いまの僕は車検の切れた倉庫代わりのポンコツだ。自分の意識外で利用価値が見出されている。


 彼女に「そろそろ死のうと思う」と何度か言った。「なんでそんなこと言うの。死ぬならわたしも死ぬ」彼女は言う。

「いや、自殺なんかじゃなくてだね。頃合いを見計らうというか、見計らいたいというか」

「きみが生きるのやめたらわたしも死ぬから」

「いや、生きるのをやめたいわけじゃないんだ。生き返るのをやめたいんだ」

「そんなのおなじことじゃない!」

「いやね、これ、まったくちがう。なんというかね、もう死ぬんなら死んでほしいんだよ。だいたい僕が生き返るたびに、きみやまわりの人を不幸にしているのは明確じゃないか。悲しみも喜びももう十分通り過ぎてきただろう。いま僕のまわりの人たちにある感情はあきれと疲弊だよ」

「そんなことない!」

「みんなそう言うけどね、みんな意地をはってるだけなんだよ。みんなそれなりに良識ある人たちだからね」

「そんなことない!」

「考えてもみなよ。毎週同じ犯人が同じ手口の犯罪をして同じように同じ刑事に捕まる刑事ドラマなんか見させられてもみろよ。あきれて疲れるだろう。僕はあまりに蘇生しすぎたよ。だから、そろそろ視聴者の裏をかいてあっけにとらせるには頃合いだと思うんだ」

「何度だって生き返ればいいじゃない。何度だって、わたしがきみの名前を呼び続けるし、手を握り続けるから」

「実を言うと、それが怖いんだよ」

「なんで? なんでよ」

「幸せはかんたんに捨てることができるんだ。あの頃は幸せだった、楽しかった、そんなものはかんたんに捨てられる。区切りをつけられる。そのままいい思い出としてしまっておける。隔離できる。だけどイヤな思い出はどんなに心の奥底にしまいこんでも、毛細管現象みたくじわじわと心をイヤな色に染めてゆくからね。じわじわじわじわと、耳の奥まで浸透する。だから、できれば僕はきみが僕を呼んで、手を握り続けている間にちゃんと死んでやりたいんだ。いまの僕は走る予定も廃車の予定もない物置代わりのワゴン車だ。それなら、まだ床が錆び落ちる前に、ツタが絡まる前に、誰からも見放されて、車体番号も判別できず、所有者不明のまま放置されて、苔むしてもはやそれがクルマだとわからなくなる前に、ちゃんと、しっかり、死んでやりたい気持ちになるんだ。ふたりで旅行にいった時に買った思い出の交通安全のお守りが虫に食われて跡形もなくなる前に、僕ときみとの関係が、それはそれは美しい関係のままで完結できることができたならば、それがいいに決まってる」

「美しい、関係…」

「そうだよ。美しい関係だ。…わからないって言ってくれるな。わからないって言うくらいなら、いまここで愛のかたちが色濃く見えている間に別れてくれ」

「…なんでそんな話しになるの?」

「さあ、なんでかなあ。笑わせたいけど笑われたくはないからなのかなあ。いや、僕はやっぱり、ああ、ヤボなことはよそう。ヤボなことをするとシンプルなものが複雑にみえてしかたがない。ヤボはいやだねえ、ヤボってやつは丸みを帯びてるのが気に…くわない…」

「何をいってるの? …ねえ、ちょっと、また?」


 何度も何度もなまぬるい夢をみた。もはや自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなってきた。歩いているときなんかは、自分の歩く姿を斜め後ろからから見ているようだ。視界もどこかなまぬるい。

 最初にちょっと死んでから、もう15年経った。いまでもちょくちょく生き返って、まったく死ねやしない。精神の方はとっくに死を選択しているのだけど、体の方は、強いのか弱いのかよくわからないけれど、諦めやしない。二親が、じぶんらが元気なうちに、と、僕の生前葬をやる始末だ。気持ちはわからなくもないけども、なんだか楽しみを奪われた気がしてしょうがない。

 しばらくのあいだ僕の手を握っていた彼女は、風の噂によると、息子が中学受験に失敗したらしい。久しぶりに聞いたグッドニュース。トンビがタカを産むわけがない。いい気味だ。そのままお前ら家族みんな落ちぶれてしまえ。


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