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レオンは数日後、ヴィンフリートの言った通りに王太子であるローレンツに呼び出され、一人で王宮へ向かった。サヤは店でお留守番である。
城の衛士たちはレオンの顔を見て怪訝そうな顔を浮かべるが、「王太子殿下に呼ばれた」と言って王太子からの手紙を見せただけですぐに「失礼致しました! お通り下さい」と道を開ける。それに「お勤めごくろーさん」と軽く声を掛けて飄々とした顔で通り過ぎていく。
慣れた様子で王宮内を歩くレオンとすれ違う人は誰もが皆怪訝そうな顔をしてレオンを見つめる。それはそうだろう。どこからどう見てもただの庶民で、優雅さとはかけ離れた存在であるレオンが王宮内を堂々と歩いているのだ。不審に思って当然だ。
しかしそんな視線をレオンはものともせず、時々王宮内を巡回する騎士たちに質問を受けたりしながらも、迷いのない足取りで王太子の執務室へと向かった。
「…来たか、レオン」
「どうも、ご無沙汰しております、殿下」
奥の椅子に座り、書類を手に持っていた人物が、ゆっくりと顔をあげてレオンの顔を確認すると同時に微笑んだ。
きちんと手入れをされている短い金髪に、アクアマリンのような澄んだ水色の瞳を持った柔和な顔立ちの青年。彼こそがこの国の王太子───ローレンツ・アンドレアス・ゲルト・ゼクレスだ。
だがその優しげな顔立ちに騙されてはならない。彼は自分の容姿をどう活かせばいいのか熟知し、その表情一つで簡単に情報を引き出してしまうやり手なのだ。油断ならない相手だ。
「三ヶ月ぶりか。今日も、自慢の助手は連れてこないのだな」
「ええ、まあ。店番を任せているので。それよりも、いい加減オレのことを顔パスでここまで通して貰えるようにしてくれませんかねぇ? 何回騎士に捕まったことやら」
「それだけうちの騎士が真面目だということだ。いいことではないか」
「オレにとっちゃ、ちっととも良い事じゃありませんけどね」
どうでもいい話をあれこれと続けていると、ヴィンフリートがやってきた。
相変わらず不機嫌顔で、言い合いをしているレオンとローレンツを見ても眉一つ動かさない。さすがは『氷の王子』様である。
「やっと来たか、ヴィリー」
「俺をお待ちでしたか」
「君がいないと始まらないだろう」
「俺がいなくても話は出来るでしょう」
「いいや。君が居ないと、切れのあるツッコミがないからボケ甲斐がない」
「切れのあるツッコミが出来なくて申し訳ありませんねえ」
ほんの少しイラッとしてレオンが答えると、「何を言うんだ。君にそこまで求めるのは酷というものだろう?」とすまし顔でローレンツに返され、更にイラッとした。
(オレだって、ヴィリー並みに切れのあるツッコミのひとつやふたつ…!)
そう思って突っ込もうとするのだが、その切れのあるツッコミとやらがまったく思い浮かばない。やはりレオンはヴィンフリートには敵わないのかと、よよ、と密かに袖口で涙を拭う。顔では絶対に敵わないのだ。それ以外のことでは勝ちたかった…。
「…話にボケが必要なのでしょうか」
冷静に切り返したヴィンフリートのその言葉にレオンはハッとした。
(そう返せば良かったのかぁ…!!)
「……そういうところだ。わかったか、レオン」
「ぐう……」
なぜかローレンツに勝ち誇った顔をされた。
ヴィリーに勝ち誇った顔をされるのならまだわかるのだ。なぜまったく関係ないローレンツに勝ち誇った顔をされなければならないのか。まったくもって理解不能だし理解したくない。
この王太子は性格的にいけ好かん、と毎度の事だがレオンは思うのだ。
「…レオンを揶揄うはこれくらいにして置こうか」
「…おい、今揶揄うっつった?」
「例の件なのだが」
「無視かよ」
ローレンツは完全にレオンを無視して話を進めた。
まるでレオンの言葉など聞こえていないかのように、用件をつらつらと語り出す。
「レオンも先日、ヴィンフリートから聞いているとは思うが改めて説明する。今回、私が君に依頼したい事は、とある令嬢の縁をすべて解く、というものだ」
「…すべて?」
「ああ、そうだ。すべてだ」
レオンは無視された事を抗議するのをやめて、眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「…殿下。前から言ってますが、縁を解くというのは簡単にしていいことではないんですよ。縁というのもその人の財産だ。自分の縁ならいざ知らず、他人の縁を解くということはその人の財産を奪う、窃盗みたいなものなんです」
「わかっているさ。だが、今回の件はこのまま黙って見過ごすわけにはいかない。国の未来がかかっているんでね。それに、君の探し物にも関係があるようだぞ?」
ローレンツの言った探し物という言葉にレオンは一瞬だけ動揺して目を見開いてしまったが、ごく自然にそれを悟られないように表情を興味深そうなものに変えた。
ローレンツに動揺した事を悟られたくはない。だがきっとこの王太子はほんの一瞬の表情の変化も逃してはくれないだろう。その証拠に、ローレンツは笑みをより深めた。
「国の未来が、ねぇ…? とにかく、詳しくその話を聞かせて頂けますか?」
「勿論だとも」
結果的にローレンツの思惑通りとなったような気がして気に入らないが、だからと言って聞かないという選択肢はレオンの中には存在しない。少しでも、レオンの“探し物”への手がかりがあるのなら、それはレオンにとって喉から手が出るほど欲しい情報だからだ。
ローレンツの話を掻い摘むと、どうやらローレンツよりも5つほど年下の有力子息たちがとある令嬢に骨抜きにされてしまい、使い物にならなくなりそうなのだとか。
その令嬢に骨抜きにされる前は、彼らはとても優秀な人材であると目されていたし、その評判通りの能力を発揮していた。そんな彼らが揃って一人の令嬢に骨抜きにされて、今現在使い物にならない状態なのだという。
放って置けばいいという意見もあるようだが、いかにせよ彼らは優秀なのだ。そんな優秀な人材をたった一人のせいで捨てるのは勿体無いというのが大多数の意見で、ローレンツやヴィンフリートも同じ考えだった。
「ははーん。それで、その令嬢と優秀なお坊ちゃんたちの縁をオレ解いてほしいと、そういうことか」
「そういうことだ。頼まれてくれるだろうか、レオン?」
「どうしましょうかねえ」
レオンは意地悪く笑い、人に頼んでいるとは思えないほど不機嫌そうな顔のヴィンフリートを見つめた。
「───君はこの依頼を受けるさ」
説明をすべてヴィンフリートに任せていたローレンツは唐突に、そして自信たっぷりな口調で言った。
そんなローレンツの台詞に少しだけイラっとしつつ、なぜローレンツはそんな風に言い切るのかと疑問に思い彼を見つめると、彼は小さな瓶を机の抽斗から取り出し、レオンに掲げて見せた。
レオンは怪訝な顔をしてその瓶を受け取り、じっと見つめたあとハッとした顔をしてローレンツを見つめた。先ほどまで浮かべていた揶揄うような表情を消し去り、怖いくらいに真剣な表情になる。
「これを、どこで?」
「例の令嬢が持っていた、とのことだ。どうだ、依頼を受けたくなっただろう?」
余裕な笑みを浮かべて言うローレンツを忌々しく思いながらも、レオンはこの依頼を断るという選択肢を消していた。
「…あんたの思惑通りになって悔しいが、受けますよ、この依頼。ただし、この瓶を預からせて貰うことが条件ですが」
「勿論だ。これは君に渡すつもりでいた。受け取れ」
「……ありがとうございます」
レオンは受け取った瓶を懐に素早くしまい、気持ちを切り替えた。そしてローレンツとヴィンフリートの顔を見る。
「では、詳しい依頼の内容を聞かせてください」
レオンがそう言うと、待っていたと言わんばかりに、ヴィンフリートは書類を差し出し、それを補足するかのように依頼の内容を話し出す。ローレンツはそれに時折口を挟みつつ、三人は依頼についての細かい打ち合わせをしていった。