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「まずは、オレたちは奥様からの依頼『アリーセ様の誤解を解く』を受けることになっております」
「姉上の誤解を解く…? そんなことが可能なのか?」
「“解く”ことなら何でも致します、がキャッチコピーですので。そしてアリーセ様からは『自分と婚約者の縁を解いてほしい』との依頼を頂きましたが、そちらは保留させて貰い、返事は三日後にする事になっております」
「姉上がそんな依頼を。そこまで追い込まれていらっしゃるのか…」
「ヴィンフリートさま…」
ふうと息を吐いたヴィンフリートに、アルベルティーナが気遣うようにヴィンフリートの手の上に自分の手を重ねた。ヴィンフリートはそれに驚いたように一瞬だけ目を見張り、そして柔らかい笑みを浮かべ自分の妻を見つめた。
レオンはそんなヴィンフリートの様子に、心底驚いた。
ヴィンフリートは滅多に表情が変わらないし、笑うところを見る機会なんて、しょっちゅう顔を突き合わせている王太子でさえも一月に一度あるかないかというのに、今、彼は表情を変えるどころか、王太子ですらも見たことないんじゃないかと思えるほど柔らかい笑みを浮かべたのだ。レア物である。
だが、しかし。
(……なに、この甘い空間。オレ帰りたい…)
二人の間にはなんとも初々しい『新婚さん』の雰囲気が漂っており、可愛い嫁はおろか恋人すらいないレオンにとっては辛い雰囲気だった。それも顔見知りのイチャイチャである。レオンの精神的ダメージは計り知れない。
それに、帰りたいと言っても、ここはレオンの自宅も兼任しているので帰るもなにもないのだが、そんなツッコミをしてくれる優しい者はいなかった。なにせ、レオンの心の中の呟きだったので。
レオンは寂しい独り身には堪える光景だと虚ろな目をした。
ああ、オレも早く可愛い奥さん見つけよ…とどこか彼方へ思考を飛ばしかけたレオンの頭を、バシンとサヤが思い切り叩く。
「しっかりしてください、レオンさん。叩きますよ」
「叩いてから言うなよ!」
レオンは叩かれた頭をさすりつつ、ごほん! と咳払いをする。
アルベルティーナはきょとんとした顔を、ヴィンフリートは忌々しそうな顔をしてレオンを見た。
レオンはヴィンフリートが睨んできているのを全力でスルーし、話を進める。
「まずは詳しい情報を教えて頂けませんかねぇ? それによっては、アリーセ様の依頼をどうするか変わってきますので」
「詳しい情報というのは?」
ヴィンフリートも表情を切り替えて、いつも通りの不機嫌そうな顔に戻して問いかける。
こういう切り替えの早いところは彼の良い所だと思う。仕事と私事をきちんと区切っているのだ。
「そうですね。レオ様という、アリーセ様の婚約者の方が、なぜアリーセ様以外の女性と仲睦まじくされていたのかという理由を教えてください」
「…そうだな。一言で言えば、あれもレオ殿の仕事だ」
「仕事?」
「ああ。とある極秘の任務で、その女性について調べているところだったんだ。それを運悪く姉上に目撃されてしまった、という事だ」
「という事は、二回とも同じ女性とレオ殿は一緒にいたということですね?」
「そういうことになるな」
「なるほどなるほど」
レオンがチラリとすぐ後ろに控えているサラを見ると、サラは無言で紙を差し出した。
今の情報を纏めたものだ。何も言わなくても先読みしてやってくれるサラは実に優秀な助手だとつくづく感じる。サヤを拾って正解だったと、こういう時に心から思う。
「…その女性が問題なのよ」
黙っていたアルベルティーナが口を開いた。
レオンは興味を惹かれたようにアルベルティーナを見つめ、「問題とは?」と尋ねると、アルベルティーナは可愛らしい顔を顰めて語り出した。
「その女性、いろんな方との浮名が噂されている方なの。某公爵子息から、レオさまの跡継ぎと目されるほど優秀な騎士の方まで。夜会でも周りに殿方を侍らかしていて、あまり評判の良い方ではないのよ」
「…なるほど。だからこそ、余計にアリーセ様は気に入らなかったと」
「そうだと思うわ。…私だって、お義姉さまと同じ立場になったら、お義姉さまと同じように思うもの。他の方ならまだしも、あの方だけは絶対に許せないわ」
「…そこまで」
どれだけ印象悪い人なんだろう、とレオンは思いつつ、必要な情報は引き出せたと感じ、
さてどうしようか、と悩む。
この誤解、解くのは相当難しそうである。なにせ、極秘任務が関わっているのだ。迂闊なことはレオという人物も言えないだろうし、かといってただ「信じてくれ」と言って信じて貰えるものでもなさそうだ。
これは長期戦になりそうだ、とレオンは覚悟した。
「お義姉さまの依頼はどうなさるの?」
「そうですねえ…まぁ、お二人に黙って依頼を遂行することはありません、とだけ言っておきましょう」
「…そう。お義姉さまとレオさま、仲直りしたばかりなのよ。ずっと想いあっていて、ようやく結ばれるところだったのに…どうしてこんなことに」
「ティーナ…」
「私、お義姉さまには幸せになって頂きたいの。だから、レオンさん。どうか、アリーセお義姉さまの誤解を解いてください。お願い致します」
頭を下げたアルベルティーナに、レオンはにかっと笑って「頭を上げてくれよ、ティーナちゃん」と声を掛けた。
「一度受けた依頼は必ず達成する。それがオレのモットーだ。だから任せてくれ」
「…ええ。任せます」
「ティーナ。そろそろ帰ろう。レオ殿にも話をしなければならないし」
「そうですね。ではレオンさん、私たちはこれで失礼致します。また来ますわ」
「こっちも進展があり次第連絡する」
アルベルティーナは貴婦人らしく優雅な礼をして、店を出た。
そのあとに続くと思っていたヴィンフリートは、じっとレオンを見たままその場に止まった。
「…あの、伯爵様?」
「いつも通りでいい」
「あーはいはい。なにかオレに話しでもあんのか、ヴィリー」
レオンはいつも通りの言葉遣いに戻し、ヴィンフリートを愛称で呼んだ。
レオンとヴィンフリートと王太子の歳は同じだ。それ故に、身分の違いこそあるものの、三人しかいない場では気安く話しをする仲でもあるのだ。
しかしレオンはヴィンフリートも王太子も苦手だ。
その理由はただひとつ。二人とも美青年過ぎるからだ。
「先ほど言っていた極秘任務だが、後日その事で君にも殿下から相談があるだろう」
「げっ。まじか」
「ああ、覚悟しておくと良い。それでは俺も帰る。また、王宮で」
「ああ…」
ヴィンフリートは立ち上がり、店を出ようとドアに手をかけたところで、突然振り返ってレオンをじっと見つめた。
なんだ、と思いレオンが見つめ返すと、ヴィンフリートは絶対零度の声音で告げた。
「言い忘れていたが。───俺の妻を気安く呼ぶな。わかったか?」
レオンは一瞬、北国にいる心境に陥った。
コクコクと頷くと、ヴィンフリートは満足そうに今度こそ店を出て行った。
ヴィンフリートたちが去ったドアを見つめてレオンは呟いた。
「…この依頼終わる前にオレ死ぬかも…」
「安心してください、レオンさん。骨はちゃんと拾ってあげますから」
慰めるように笑顔でぽん、と肩に手を置いたサヤを、レオンは虚ろな目で見つめ、「そこは励まそうぜ、サヤちゃん…」と項垂れた。