4
アルベルティーナはフレンツェル伯爵夫人だ。夫はアルベルティーナよりも7つ年上のヴィンフリートで「氷の王子」の異名で知られた人物である。
その異名の由来は、表情筋がないのではないかと思われるほど変わらない表情と、辛辣な物言いがまるで氷のようであるのと、その青い瞳から連想されて付けられたものであるという。
もっとも異名の発端は、ヴィンフリートと古くからの付き合いがある王太子ローレンツが「君は私よりも王子らしいな。まるで氷の王子様だ」と冗談交じり言ったのを、周りの者が広めたのが始まりだと、ヴィンフリートは苦々しい表情で言っていた。
アルベルティーナがヴィンフリートの元へ嫁いだのは一年前の春。最初こそヴィンフリートとは寝食を共にするどころか会話すらしない『新婚さん』からは程遠い結婚生活を送っていた。それでもいいかとアルベルティーナは思っていたのだが、ヴィンフリートの姉であるアリーセがアルベルティーナに対して数々の嫌味と嫌がらせをしてきて、それが嫌になったアルベルティーナは独身であるアリーセを嫁がせようと目論んだ。
その過程でヴィンフリートと打ち解け、今ではすっかり夫婦らしく…なったかはさておき、前よりも充実した結婚生活を送っていた。
アルベルティーナによるアリーセの婿探しは、アリーセの前婚約者であるレオと元鞘に収まるという形で終えた。二人は婚約もし、再来月には挙式をあげる手筈になっていた。
そんな矢先だった。あの出来事が起こったのは。
「お義姉さまは最近マリッジブルー気味で…少しヒステリック気味だったの。そんな矢先に、レオさまが…お義姉さまの婚約者が、見知らぬ女性と仲睦まじくしている姿を見てしまって…」
「……ああ」
レオンはその場面をつい想像してしまい、顔を顰めた。
きっとすごい修羅場になったに違いない。なにせ、あの気の強そうなアリーセのことだ。二人の間に割り込むだけではなく、手まで出していそうである。
「それで、お義姉さまの何かが外れたのでしょうね。レオさまを叩いて、殴って、扇をぶん投げて、ヒールで足を思いっきり踏んで、その場を立ち去ったの」
レオンが考えた以上に過激だったようだ。そのレオという人物に、レオンは心から同情した。自分と名前が似ている分、余計に同情できた。
「レオさまはそのあとをすぐに追いかけたのだけど…お義姉さまは聞く耳を持たなくて…。でもすぐにお義姉さまも反省なさったのよ? レオさまに会いに、ハラヴァティー侯爵家に足を運んで…まあ、その、タイミングが悪かったというか…」
アルベルティーナは歯切れ悪く言う。レオを庇いたいのだけど、どう庇えばいいのか思い悩む、と言った風だ。
そんなアルベルティーナの様子にレオンは察した。ああ、きっと女絡みだな、と。
「レオさまはお義姉さま一筋なの。それは間違いないわ。だけれど、お義姉さまと婚約なさる前までのレオさまはその…遊び人…いえ、火遊びがお好き…じゃなくて…」
「…無理に庇おうとしなくていいじゃねぇか?」
見かねたレオンがそう言うと、アルベルティーナは「そう?」と若干ほっとした表情を浮かべた。
「レオさまは色々な女性との浮名が絶えない方で、お義姉さまと結婚する前までのレオさまは『どの女性も素敵すぎて私には選べない』なんて仰っているような方だったの」
「身も蓋もねえな」
あっけらかんと言ったアルベルティーナに思わずレオンは突っ込んだ。
その時、サヤが「あ」と声をあげた。
「どうした?」
「いえ。先ほどからレオと言う名に聞き覚えがあるな、と思っていたのですが…レオンさんと名前が似ているからそう感じたのかと思っていたのですが、そのレオと言う方、騎士団長を務めていらっしゃる方ではありませんか?」
「ええ、その通りよ」
「やはり。『女落としの騎士団長』のことでしたか」
「…どんな騎士団長だよ…」
レオンの小さなツッコミはアルベルティーナの、「あら、あなたレオンという名なの? レオさまと一文字違いね」という呟きにかき消された。
ついでとばかりにサヤが自己紹介し、アルベルティーナはそれににこやかに頷く。
「それで?」
「ああ、そうそう。レオさまに謝りにハラヴァティー侯爵邸を訪れたお義姉さまは、屋敷の中に通されて客室でレオさまが来られるのを待っていたそうなの。待っている間することのなかったお義姉さまはぼんやりと庭の方を見ていると、窓からレオさまと見知らぬ女性が仲良く連れ添って歩いているところを目撃し…それだけなら、まだいいの。ただ、どうやらレオさまはその女性と…」
「……なんとなく察した。それで、アリーセ様は激怒されたわけだ」
「そう。すごい勢いで怒っておられて、伯爵邸へ戻ってきてもその怒りが納まらないようで…ヴィンフリート様がどんなに宥めても、お義姉さまの怒りは解けなかったの。こんなことヴィンフリート様も初めてだったみたいで、とても戸惑っておられたわ」
「ふぅん。それで、アリーセ様は家を飛び出し、『解き屋』へ来たワケだ」
なるほどな、とレオンは頭の後ろで腕を組み、ソファーに持たれかかった。
「お行儀悪いですよ、レオンさん」という姑のようなサヤの小言はもちろん無視した。
「そうみたい。旦那様のツテを使って私はこちらへ来たのよ。もうすぐ旦那様も来られるのではないかしら」
「…は? 旦那様もくんの?」
「え? ええ。ヴィンフリート様もお義姉さまのことを心配されていたから。お義姉さまは目撃されたのはこことあともうひとつあって、旦那様はそのもうひとつの方へ出向かれたの」
へえ、とレオンが頷いた時、またしてもリンリンとドアに備え付けられたベルが鳴った。
そちらの方にはまたしてもサヤが素早く動き、訪れた客を出迎えた。
「いらっしゃいませ、ようこそ『解き屋コマイヌ』へ」
「ここがあの噂の『解き屋』か。失礼だが、こちらに黒髪の女性か、ココア色の髪の少女が訪ねて来なかっただろうか?」
「旦那様!」
アルベルティーナはパッと顔を輝かせて、訪れた客の元へ駆けていく。
そんなアルベルティーナの様子を見て、その客はほんの少しだけ表情を綻ばせた。
「ティーナ」
「旦那様、ごめんなさい。お義姉さまを止められませんでした…」
「そうか。いや、気にしなくていい。姉上を止めるのは至難の業だろうから」
君が気にする必要はない、と告げたその客の顔をレオンは見つめて、げぇっと悲鳴をあげそうになった。
その客がレオンの姿を捉え、じっと見つめる。
人形のように整った容姿に、まるで宝石のサファイアのごとく輝く瞳に射抜かれて、レオンはとても居心地が悪くなった。それに、彼とは顔見知りでもあった。
「…どうも、伯爵様。ご無沙汰しております」
レオンは笑みが引きつらないように気を付けて、彼――フレンツェル伯爵であるヴィンフリートに向かって挨拶をした。
「レオンか。久しぶりだな、元気にしていたか?」
「ええ、まあ…それなりに」
「そうか」
二人の会話を聞いていたアルベルティーナが不思議そうな顔をして、ヴィンフリートに尋ねた。
「旦那様とレオンさんはお知り合いなのですか?」
「ああ。仕事の関係で、少し」
「お仕事の…」
なるほど、と納得した顔をしてアルベルティーナが頷く。
納得すんのかよ、とレオンはツッコミたかったが、堪えた。ヴィンフリートが怖いからだ。ヴィンフリートの制裁はえげつないことで有名なのだ。
ヴィンフリートに妻がいることは知っていた。それが年の離れた妻だとも。そして彼がその妻を溺愛していることも。
そうだとも。王太子に呼ばれて出向いた王宮で、王太子の親友であるヴィンフリートが王太子の執務室にいて、今朝の妻の様子やら昨夜の妻の様子など、惚気か! と突っ込んでぶん殴りたくなる場面を見かけたのは一回や二回ではない。
しかし彼は王太子曰くヘタレで、奥方との関係は付き合い初めの恋人未満で、ヴィンフリートの一方的な片思いだと聞いていたが、どうやらアルベルティーナの方もヴィンフリートを好いているようだ。
最後に王宮を訪れたのは三ヶ月前なので、その間に何か進展があったのかもしれない。今度殿下に聞こうとレオンは誓った。
…しかし、その妻がまさかアルベルティーナだとは思わなかった。いやアリーセのフルネームを聞いた時点でなんか聞いたことのあるファミリーネームだなあ、とは思った。思ったけれどまさか本当にヴィンフリートの身内だとは思わないではないか。
「とりあえず、奥の席へどうぞ。奥様から受けた依頼の件についても、伯爵様にお話する必要があるでしょうし」
レオンが席に座るように勧めると、ヴィンフリートは素直に頷き、奥の席へ座った。
アルベルティーナもヴィンフリートに倣い、その隣に腰掛けた。
アリーセ、アルベルティーナ、ヴィンフリートは別作品「小姑さまの婿探し!」の登場人物で、この話はその後日の話となります。
合わせて読むと楽しめるかと思います。よろしかったら読んでみてください。
主人公はアルベルティーナです。
「小姑さまの婿探し!」
http://ncode.syosetu.com/n1958dc/