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言い争いを始めた二人を何とか宥め、レオンは改めて二人と向かい合った。
そしてアリーセの義妹を名乗るアルベルティーナがにっこりと淑女らしい笑みを浮かべてレオンに挨拶をした。
「先ほどはお恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。私はアルベルティーナと申します。ここにおりますアリーセの、義妹ですの」
アルベルティーナと名乗った彼女は、ココアのような茶色いふわふわとした髪に、若葉のような瑞々しい緑色の大きな瞳を持った、可愛らしいという表現がぴったりな女性だ。
左手の薬指にはプラチナの指輪が輝いており、彼女が既婚者であることを表していたが、どう見ても彼女は結婚しているようには見えない。歳もアリーセとはかなり離れているのではないだろうか。
「義妹、ですか」
「はい。アリーセは私の旦那様の実姉ですの」
「はあ、旦那様の…」
「はい」
にこにこと、アルベルティーナは愛想よく答えた。それに反比例して、アリーセはとても不機嫌そうだ。
「あなた、もうお帰りになったらいかが? ヴィリーが心配しているのではなくて?」
「旦那様はお義姉さまのことも心配なさっているのです。お義姉さまと一緒でなければ、帰れませんわ」
「まぁ。ヴィリーがわたくしのことを…」
満更でもなさそうにアリーセは呟いた。どうやら彼女はブラコンなようだ。それも重度の、が前に付きそうなほどの。美人なのにとても残念だとレオンは思った。
「もちろん、レオさまも心配なさっておりますわ! さあ、私と一緒に帰りましょう、お義姉さま」
「……レオ?」
アリーセはアルベルティーナの言った、レオという名の人物にぴくりと眉を上げた。
そして満更でもなさそうにしていた顔がみるみると不機嫌そうな顔に戻っていく。
「そう。レオが、心配を。……そうなの」
「お義姉さま?」
「…なら、わたくしは帰らないわ。意地でも帰らないと、レオに伝えなさい、アルベルティーナ」
「お義姉さま。お義姉さまは誤解をなさっているのですわ」
「誤解? 誤解ですって? 誤解なものですか! あんな場面を見せつけて置いてよくも誤解だなんて言えるわね!」
「…それって私のことではありませんよね?」
「お黙り! ああ、もう。思い出しただけで腹が立ってきたわ。いいこと、アルベルティーナ。わたくしは絶対に帰りません。例えあの男が泣いて詫びで土下座をしようとも、ヴィリーが涙ながらに帰って来てほしいと訴えようとも、あなたが怒り狂って暴行を加えようとも、わたくしは帰らないと、あの男とヴィリーに伝えて頂戴!」
「お義姉さま。私、怒り狂って暴行を加えたりしませんが…」
「お黙り! あなたは黙ってわたくしの伝言を伝えに行けばいいのよ!」
「…あの~すみませんが、いい加減、依頼の話をしてくれませんかねぇ?」
最初よりも丁寧さを欠けた口調でレオンは彼女たちの会話に割り込んだ。
その顔は面倒くさいとありありに書かれており、その後ろに控えるサヤも呆れた顔をしていた。
アリーセはハッとした表情を一瞬だけ浮かべ、ごほん、と咳ばらいをして改めてレオンたちを向かい合った。
「…今回、わたくしがあなた方に依頼したいのは、わたくしととある方の縁を解いてほしいの」
「とある方の縁ですか。その人物とは?」
「わたくしの婚約者である、レオ・ハラヴァティーよ」
「お義姉さま!」
アルベルティーナが咎めるように声をあげるが、アリーセはそれを無視して涼しい顔でレオンたちを見つめ、「引き受けてくださるかしら?」と笑みを浮かべた。
「なぜ婚約者との縁を解きたいと?」
「もうあの男に振り回されるのはごめんなのよ。あの男とすっぱり縁を切って、わたくしは修道院に行くつもりなの」
「お義姉さま、お考え直してくださいませ!」
「お黙り、アルベルティーナ。わたくしはもう決めたの」
「ですが…!」
「それで、引き受けてくださるのかしら?」
「そうですねえ…」
隣でわあわあ騒ぐアルベルティーナを完全に無視し、アリーセは話を続ける。
そんな二人の様子をじっと眺めたレオンはにこっと笑い、「今すぐ返事は出来兼ねますので、また後日返事をさせてください」と告げた。
それにアリーセは不満そうに眉を寄せた。
「いつ返事をくださるのかしら?」
「そうですねえ。三日後、またお越し頂ければ返事が出来ると思います」
「そう。三日後ね。わかったわ、三日後にまたお尋ねするわ」
そう言ってアリーセは立ち上がり「それではごきげんよう」と店を去って行った。そんなアリーセを追いかけようとしたアルベルティーナの前に、サヤが立ちふさがる。
「どいてくださる? お義姉さまを追いかけないと…!」
「無駄だと思うぜ、お嬢さん」
そう告げたレオンを、アルベルティーナはキッと睨んだ。
見た目に反して気の強い女性であるらしい。アリーセとのやり取りでそれはなんとなく察していたが、今改めて実感した。そういう女性が嫌いではないレオンはニヤニヤとした笑みを浮かべてアルベルティーナを見つめた。
「あの人は一度決めたら梃子でも動かないさ。頭に血も昇っているようだし、少しは時間を置いてやったらどうだ?」
「……そうね。あなたの言う通りだわ」
アルベルティーナは肩の力を落とし、サヤに促されるままにソファーに座った。
「なあ、お嬢さん」
「アルベルティーナと呼んで。お嬢さんと呼ばれるのはちょっと抵抗があるの」
「ではアルベルティーナさん?」
「無理に敬称を付けなくても結構よ」
「そうか? ではアルベルティーナ。あなたがここまでアリーセ様を追ってきた理由を話して貰えないか?」
「なぜ? あなたには関係のない話ではないかしら」
「まあまあ、そうつれないことを言いなさんな。事と次第によっては、オレたちもあなたに協力が出来るかもしれないし?」
「……協力?」
訝しげに聞き返したアルベルティーナに、レオンはにっこりとした笑みを浮かべる。
「アルベルティーナ、ここがどこか知っているか?」
「『解き屋』でしょう?」
「そう、ここは『解き屋』。あなたの家の絡まった糸から引っ越しの荷解きまで。“解く”ことなら何でも致します、がキャッチコピーの『解き屋コマイヌ』さ」
「解くことなら何でも…?」
不思議そうに呟くアルベルティーナ。どうやら彼女はアリーセとは違い、この『解き屋』の噂を聞いたことがないらしい。
そんな彼女にレオンはしっかりと頷く。
「そうさ。“解く”ことならオレに任せてくれ。なんでも解いてやるぜ。例えば、絡んだ糸でも、引っ越しの荷物でも。はたまた嫌な縁でも───誤解でも、な」
そのレオンの言葉に、アルベルティーナは目を見開く。
アルベルティーナのその反応に満足したレオンはにっこりと笑い、「知っているか?」と尋ねた。
「ここよりずっと東方の島国ではな、“解く”の字の読み方は二つあるんだぜ。ひとつは“ほどく”、もうひとつは“とく”だ。つまり、誤解を解くのも俺にとっちゃ、依頼になるわけだ。なにせ、『“解く”ことなら何でも致します』がキャッチコピーだからな」
「…あなたには、なんでもお見通しみたい」
「そんなことねぇぜ?」
「謙遜は要らないわ。…そうね。あなたにお義姉さまを追って来た理由を話すわ。そのかわり、私の依頼を引き受けて欲しいの。もちろん、代金も払うわ」
「…いいぜ、引き受ける。さあ、その理由とやら、話して貰おうか?」
にかっと笑ったレオンに、アルベルティーナはアリーセを追ってアルベルティーナがここまでやって来た理由を話し始めた───