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緩やかな昼下がり。窓からはちょうど日が差し、締め切った室内は心地よい温度となっている。
その日の下で胡坐を組み、真剣に手元を見つめて何かをしているのは、真っ赤な髪に大きなゴーグルをつけた青年。そしてその青年のすぐ傍には、まだ十代半ばだと思わられる、珍しい黒髪黒目の少女が静かに見守っていた。
やがて青年がゆっくりと顔をあげ、傍らに佇む少女を見つめると、どうだと言わんばかりの笑みを浮かべて、手に持っていた物を少女に見せた。
少女は無表情に青年が掲げた物を見つめ、静かに頷く。
それを確認したのち、青年はよっこいしょ、と声を上げて立ち上がり、背後を振り返った。
「出来たぜ、ばあさん」
「あらあら。さすがレオンちゃんねぇ。もうできてしまったの」
「これくらいオレにかかれば朝飯前だって。ていうか、ちゃん付けはいい加減にやめろよな」
そう言って顔を顰めたレオンと呼ばれた青年に、揺り椅子に座っていた見事な白髪の老婦人は「だって、レオンちゃんはレオンちゃんだもの」とにこにこと微笑む。
「23にもなってちゃん付けはねぇだろ」と文句を言いつつも、レオンの老婦人を見る目は柔らかい。そして手に持っていた編みかけだが見事なレースのテーブルクロスになると思われる物を老婦人に手渡す。
「絡んでいたとこは解いておいたぜ」
「ありがとう、レオンちゃん。ふふ、これで続きが編めるわ」
真っ白なレース糸で編まれた物を手に持ち、心から嬉しそうにそれを頬ずりする老婦人に、レオンは柔らかい笑みを溢す。
「もうすぐ孫が結婚するの」
「へえ。ばあさんの孫っつーと…ええっと、マリーだったか? あのえくぼの可愛い子」
「ええ、そうなの。マリーがね、結婚することになったのよ」
「そりゃめでたいな。おめでとう」
「ありがとう。そのマリーの結婚祝いに、真っ白なテーブルクロスを編んであげようと思ってこうして編んでいたのだけど…もうだめね。年を取ると目が悪くなって、手が動かなくなって…自分で絡ましてしまった糸すら解けないの…」
顔を伏せて編みかけのテーブルクロスを見つめる老婦人の肩を、レオンはぽん、と軽く叩き、「そんなこと言うなよ、ばあさん」とにかっと笑って見せた。
老婦人は顔をあげ、目を少しだけ見開きレオンを見つめた。
「ばあさんのお蔭で、オレたちは仕事ができてんだ。だから落ち込むなよ。絡んだ糸を解くくらいならいつでもやってやるさ。それがオレの仕事なんだからな」
「レオンちゃん…私、レオンちゃんたちの役に立てているのかしら」
「役に立っているもなにも、オレたちはばあさんの依頼で貰った金で飯食ってんだ。オレたちにとっちゃ、ばあさんは神様だぞ?」
パチンとウィンクをして茶目っ気たっぷりに言ったレオンに、老婦人は目を丸くし、すぐに笑み崩れた。
「まあ。私が神様…ふふ。ちょっと不思議な気分だわ」
そう言って楽しそうに笑った老婦人を見て、レオンも笑みを浮かべる。そしてレオンの少し後ろで控えていた少女も、ほんの僅かだが笑みを浮かべた。
人の機微に敏く、どうすれば気分を上げることが出来るかを瞬時に考えて口にする。決して口には出さないが、少女はレオンのそういうところを尊敬していた。
「…ありがとう、レオンちゃん。そうだわ。クッキーを焼いておいたの。良かったら食べていって? ──サヤちゃんも」
「おっ。サンキュー、ばあさん」
「ありがとうございます」
「ふふ。いいのよ。そこの棚に入れてあるから、レオンちゃん、悪いけれど取ってくれる?」
「それくらいお安い御用だ」
レオンは老婦人が指さした棚からクッキーを取り出し、テーブルの上に置く。
それを見ていたサヤと呼ばれた少女が、「レオンさん。お茶は?」と言い出す。
「茶葉はあそこの棚に入っているわ。けれどお湯は沸かさないと…」と老婦人が言えば、「レオンさん、お湯沸かしてください」とサヤが言い、レオンは素直に「おー、わかった」と頷きお湯を沸かして、棚から茶葉を出しお茶を淹れる。
人数分お茶を淹れ、レオンの淹れたお茶を飲み、クッキーを食べる。レオンが二枚目のクッキーを食べようと手を伸ばしたとき───
「なんでオレ素直にお茶淹れてんだ!?」
レオンが突如叫んだ。
そんなレオンをサヤはお茶を飲みながら冷たい目で一瞥する。
「美味しいクッキーを頂いたんですから、それくらいして当然でしょう」
「おまえも食ってんじゃねえか! なのに何もしてないよな!?」
「何を言うんです。レオンさんは私の上司……のようなものなのですから、上司が部下の面倒をみるのは当たり前じゃないですか」
「上司のようなものって!? 上司でいいじゃんか!」
「レオンさんを私の上司と認めるのはちょっと…」
「嫌なの!?」
ショックを受けた様子でサヤを見つめ大袈裟に嘆くレオンなど気にも止めず、サヤはもくもくとクッキーを食べる。
そして不意ににこっと老婦人に向けて微笑み、「このクッキーとても美味しいです」と告げると老婦人は嬉しそうに笑う。
「良かったら余りは全部持って帰って?」と老婦人が言うとサヤは目を輝かせて「いいんですか? それじゃ、遠慮なく」といつの間にか手に持っていた袋の中にクッキーを詰めていく。
「ちょっとはオレを気にして、サヤちゃん!」
「善処します」
「それって断っているよね!?」
「チッ…バレたか…」
視線を逸らして呟いたサヤに「聞こえているからな!?」とレオンのツッコミが入る。
そんな二人の様子を老婦人は楽しそうに眺め、「レオンちゃんとサヤちゃんは仲良しねえ」と呟くと、「仲良くないです」とすかさずサヤが否定した。
「ああ、ところでレオンちゃん。洗濯物を取り込んで貰えないかしら? 最近足腰が弱くなってしまって…今日は特に足の調子が悪いの」
「まあ、大変です。レオンさん、早く洗濯物を」
「…なんでオレが…助手がやれよ…」
「おばあさんはレオンさんをご指名です」
きっぱりと言ったサヤにレオンは虚ろな目を向けた。
そんな様子のレオンを少し戸惑った様子で見つめた老婦人は、とても申し訳なさそうにレオンに頼んだ。
「レオンちゃんのお店の名前は『なんでも屋』さんなのでしょう? お金はきちんと払うから頼めないかしら…?」
レオンは俯いてブルブルと震えた。そして「…………じゃない…」と小さく呟く。
レオンの言葉が聞き取れなかった老婦人は「なに?」と聞き返すと、レオンはバッと顔を上げてキッと老婦人を睨み、叫んだ。
「『なんでも屋』じゃねえ! オレの店は『解き屋』だッ!!!」
老婦人は目を見開き絶句し、レオンは肩で息をしている。
そんなレオンを、サヤはとても同情した面持ちで見つめた。