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しかし、鑑みるに、楽になったで済んでしまう問題ではないだろう。僕は思った。
竹内雛の話を聞いて、彼女がなにかしらの怪異を抱えていることは分かった。しかし、対処法も分からなければ、どうしようもない。
結局何が原因であるかも、突き詰めていけばあいまいである。
そこで、僕は、橘天理に助けを求めることにした。
携帯電話で、彼女の番号に電話を掛けた。
ツーコールしただけで、橘天理は電話に出た。
「やあ、九鬼君。遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
なんだか、妙に、声がエコーする。水の撥ねるような音も聞こえる。
「今、私がどこにいるか分かるかい?」電話越しに橘天理が言った。
「お風呂ですか?」
「ピンポーン。ずっと待ってて、中々こないから、お風呂に入った途端これだよ。いやー全く。君はタイミングが悪いね。いや、良いのかな?」
「……お風呂に電話機持って入って、大丈夫なんですか?」
「何を言うか。私が持っているのは、エクスペディアだよ。防水機能もばっちりだ」
防水機能って、お風呂場でも大丈夫なのかな。そういうための機能じゃない気がするんだけど。
「で、どんな用件で電話をしてきんだい?」
今回のことの経緯を説明しようと思ったが、彼女はどこまで把握しているのだろう。というのも、どうにも橘天理は僕が電話を掛けてくることを予測していたみたいだし。
「僕が電話かけるって、なんで分かったんですか?すごく速く電話出ましたし」
「早く電話に出るのは、当然のことさ。私は相手様を待たせない。私は有能な人間でいてかつプロなんだ。電話はスリーコール以内に出る」彼女はそう言った。
今日は、プロであることにご執心のようである。
「ま、ささっと経緯を説明してくれ。私だって、千里眼を持っているわけじゃないんだ。全部が全部把握しているわけではない」
いや、もう持っているも同然だろとそう思いつつ、僕は経緯を説明した。
「なるほど、そういう事か」
「ちなみに、その神社ってのは、先輩の家の途中に通りがかったんですけど」
「ねえねえ九鬼君、今私はお風呂でどんな格好をしていると思う?」
「そういうのいいから」
つい、タメになる。
「なんだ?君たちは今ちょっぴりしんみりとした雰囲気だろうから気分を明るくしてあげようと思ったのに。何だったらテレビ電話で話してみてもよいのだよ?」
なぜこの人は、こうも挑発的なのだろう。ならば、望むところじゃないか、と思ったが、テレビ電話ってどうするんだっけ。そもそもできるのか?普段友達がいない、伴って普段携帯をあまりいじらない僕は、それほど習熟しているわけではなかった。ていうか、習熟しててもテレビ電話はあまり使わない気がする。使うのかな?
僕は諦めて、「いやいいです」と答えた。
「ああ、そうか。九鬼君は想像で補うタイプだったな」
どういうタイプだ。
しかし、否定できない自分もいる。
「……その神社ってのは」
「ああ、分かってるよ」
「そこで、何か、感じませんでした」
「もちろん、感じたよ」
「じゃあどうして、」
その時、言ってくれなかったんですか?と僕は迫った。
「そこら辺はね、九鬼君。私の管轄ではないからさ」
「管轄って……」
「私は飽くまで悪魔を祓う専門家。心霊悪霊の類は、お取り扱いしていないのさ」
「お取り扱いって、そんなこと言ってる場合ですか」若干、声に怒気が入った。
「そうはいってもね。そういった事は、心霊部、ゴーストバスター、まじない師あたりの仕事だからね。あとは、神社の神主とか?」
しかし、あそこの神社は寂れているんだっけね。天理は言った。
「ですけど、天理さんも対処できますよね。もし報酬とかが必要なんだったら、そう言って下さい」と僕は言った。
「こういうのは、境界線が大事なんだよ」
橘天理はさらに、こう続けた。
「そうやって仕事を分担しているし、そうやって住み分けがなされている。私が扱うのは、飽くまで悪魔。どう違うのかといえば、そうだな。悪魔を作る奴らの多くは、明確な目的意識と確信を持っている。宗教的政治的確信。本来の意味での確信犯が多い。そういうやつらは、社会を根本から揺るがす。そういう奴らが私のメーンターゲットだ。ほら、このことからでも、私がアナーキストじゃなくて、優良な市民であることが分かるだろう?個人的な私怨・怨恨が多いお化け・幽霊・悪霊は、私の守備範囲外といいうことだ」
しかし、そうはいっても。僕は、言葉が出かかっていたが、それより早く天理は話を続けた。
「ああ、きっと君が言いたいことは、困っている人がいたら助けるべきだってことだろ?例えるなら、そうだな。そこに井戸に落ちそうな赤ん坊がいたら、私はその子を助けないのか?といったことだね。孟子の性善説の説話だ。あらゆる人には、先天的に善き心の兆候がある。ふむ。そこを突かれると痛い。もちろんその場合だったら、私だって助けるさ。でもね、雛ちゃんの場合とそれとはまた違うからね。今君の目の前にいるその子は全く無罪かい?今なんて言っている?怪異に至る経緯に、彼女に原因は無いか?解決しようと努力したかな?助かろうと、破滅的なエンディングを避けようと努力はしたのかな?
九鬼君。君が私に持っている幻想をあえてぶち壊すような言い方で、私の言わんとすることを簡潔にまとめよう。私は、今君の目の前にいる女の子を助けるような安い仕事は受け付けないんだよ」
僕はしばらく圧倒されていた。反論したいことはあったが、どこから、どういった手順で反論すればいいのか、分からなかった。
言いたいことは分かる。でも、言いたいこともある。
けど、こんな僕の理屈なんて、付け入るスキはないだろう。隙があったとしても、彼女は撥ねつけるだろう。そして、そういう彼女でいてほしかった。矛盾しているようだけど。
けど、違うんだ。どこかで引っかかる部分がある。そうだ。そもそも、どうして、僕は怪異に遭遇した?
「……でも、天理さんは、僕を、今この状況に誘導した……」
僕が言いたいのはつまり、僕の家から彼女のマンションまで、僕が「送りましょうか」と言った際、いつもなら断っていた彼女が今日に限ってそれを受け入れた。あのやり取りである。
「ふむ。そうだね。なんだ、今の君は、ちょっぴりだけ冴えたじゃないか」
褒められているのか貶されているのか。
「じゃあ、上手く出来た九鬼君に、天理ちゃんからヒントをあげよう」
小さい子供にご褒美をあげるような言い方だった。
「全部で三つだ。
一つ。今回の事は、大きく分けて二つの別の種類の怪異が潜んでいる。ここら辺に気を付けておけば、まあ、大事には至らないよ。
二つ目。人形は回収した方がいい。後々面倒なことになりかねないからね。何。今回はサービスで私が引き取ってあげよう。売れば高値で売れるだろうしね。頭が壊れてるって?関係ないよ。
三つ目。悪魔ちゃんも連れて行った方がいいよ。きっと役に立つだろう。今はもう、あかーくなっているんだろ?天理のお姉さんからの命令だ。ちゃんと働くんだぞと言っておいてよ」