7
つまり、これはやむにやまれぬ行為だったと、彼女は言う。
竹内雛は、僕の姿を見て、あるいは僕でなくても人の姿を見て、気が抜けたのだろうか。その場に倒れ込んでしまった。
僕は、彼女のもとに近づいていった。彼女の体は全く力が入っておらず、口と目はあいたまま、ほぼ意識を失っているも同然のように見えた。肩を貸して立とうとするも、立てない。
取り敢えず、この場から離れるのが先決だろう。そう思い、彼女をしょって、その場を去った。
頭を壊された人形をその場に残して。
取り敢えずあの場所を離れるというのは、正しい選択だった。神社への石段を下りきった頃には、竹内雛は意識を取り戻し、僕の背中に乗っていることを恥じたらしく、「おお、降ろしてもらっていいよ。もう大丈夫だから」彼女は言った。
僕としては、やぶさかではないのだが。
高校に入って、女の子とろくすっぽ話もせず、手をつなぐどころか指一本触れたことが無かったにも関わらず、年頃の女の子が、僕に全体重を預け、全身でそれを支えるという状況に、僕はやぶさかではないのだが、本人が嫌だといっているのにおんぶを続けたら流石にセクハラになるだろうからと思い降ろしてあげた。
「僕の意見としては、今の君には悪いものが憑いている」
確信は無い。そもそも何が憑いているか分からないし、それに対する対処法も分からない。でも、放っておくわけにもいかない。
「だろうね」
竹内雛は、歯を食いしばって厳しい表情をしている。
「家には帰りたくない」
少し間があって、彼女はそう言った。
これはちょっと、年頃の女の子が言うべきセリフではないが、彼女のような真面目で聡明な子が言うのだから、きっと深い事情があるのだろう。
「頭をかち割るとは思い切ったことをするね」
「あ、あれは人形だよ」
「分かってるよ」
竹内雛は、うつむいて、だけど何かを言いたそうにしているように見える。
「『多いなる偏見をもって……ここではそれが命取りになる』……」
「え?」僕は聞き返した。脈絡のない言葉に意味が掴めなかった。
「私も分からないよ」彼女は言った。
私にだって意味は分からないよ。ただ、もう、こうするしかないって思ったんだ。
僕と竹内雛が、僕の家についた頃は、もう10時近くになっていた。
リビングに入ると、明かりは消されていたが、テレビの電源は入っていた。テレビの明かりが、チラチラと部屋を点滅させていた。そして、テレビの前に、三角座りになって、体を小さくしている存在があった。
僕が部屋に入っても、全く反応しない。こっちを向きもしない。きっと、呼びかけても無駄だろう。
その存在は、赤い悪魔。僕の妹の夜の姿だ。大きさは、妹と同じ体なのだから当然同じだが、髪の毛は真っ赤になって、同一人物とは思えなくらい鋭い目つきになっている。
「な、な、なに?これは」
リビングの光景を見た竹内雛の第一声だった。
当然と言えば、当然だろう。
「あれは、一応、妹だ」
正真正銘、悪魔としての妹だ。
「妹?妹って……あんなに髪を真っ赤に染めちゃって?」
たぶん、髪の毛を赤く染めても、あそこまでは赤くはならないと思う。
悪魔は、リビングの入り口で大声をあげる僕らを、鋭い目でにらみつけ、またテレビの方に戻す。
見ているのは、バラエティ番組だった。
妹は、夜になるとこのような姿になる。
正確には、夜になって寝てしまったら、だ。
おそらく人間としての意思統制が弱くなって、その影響でこういった姿になるのだろう。
この赤い悪魔は、もはや反抗することを諦め、最近はこうして夜の間、テレビを見ている。深夜帯のバラエティー番組に情報番組、深夜アニメまで。
「アレについては、また後で説明するよ」
「後でって、いや、今説明してほしい」
「アレは、人じゃないんだ。さっき、妹だと言っておいて、何だけど。夜の間は、妹の体を借りているんだ。アレは、化け物さ」
「化け物って……」
「君も多分、今は同じようなものと遭遇していると思うんだけど」
あの森の雰囲気は異常だったから。僕はそう言った。
「……そうね。たしかにそうかもしれない」
竹内雛は、そう言って、テーブルについた。
「でも、九鬼君の方が、こんな秘密持っているなんて、知らなかった」
「それは、お互い様だと思う。竹内さんが、真夜中、森の中で人形を石でぶん叩いて壊すような女の子だと、誰も思っていないだろ」
「それはそうだけど」
竹内雛は、横目で、悪魔の方を見る。気になるのだろう。
「でも、今の光景を見ると、私の抱える問題なんて小さく見えて。ははは」
「それは、意味は違うけど、隣の芝生は青く見えるっていうのと、心理的には一緒なんじゃないかな。人間、自分の知らないことは、難しかったり巨大にみえるんだよ」
「九鬼君には、私の抱えている問題が、困難そうに見える」
「見えるよ。どれくらいかって言われたら、一歩間違えたら、いや、間違えなくても、放置しているだけで、まずいことになりそう」
「まずいことって言うのは、死んじゃうってことかな」
「自分でも、そう思うの?」
「まあね。死んじゃうかもしれない。でも、大きな問題の様には思えない。あるいは、死んじゃいたいのかもしれない」
竹内雛は、そう言った。
「よし、じゃあ、ちょっと話してみようと思う。ここに至った経緯を」
竹内は、うなずいて、続けた。
「あの人形は、自律的な何かを持っていた。それに気が付いたのは、最近だけど。でも、悪意みたいな、恨めしいとか憎いとか、そういったマイナスの感情のかたまりを、私は最初に見た時から感じていた。飽くまで、主観だけど。
あの人形は、西洋人形といえばいいのかな。なんか大雑把な気がするけど、私も詳しくは知らないから。
深い青色の瞳と、金色の髪だった。普通のアンティーク人形より大きいんじゃないかな。60センチくらい?膝よりも、上くらいまである。
薄いピンク色のドレスをしていて、何にも無いで座っていてくれたらただのアンティーク人形なのだけど。
母が、とても大事に、可愛がっていた
私の代わりとして
ねぇ、九鬼君は、知っている?この街ではないけれど、同じ県内で、小学生の女の子が犠牲になった殺人事件があったこと
」
「どうだろう、全国のニュースになりそうだけど」
「そうだね。でも、多分知らない。だって、もう20年近く前の事件だから。20年前の殺人事件に遭った小学生の女の子。無残に殺されて、森の中見つかった子がね、私の姉なの」