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 他愛のない話をしながら歩いていたと思うんだけど、いつのまにか会話は終わった。たぶん、僕の方が、何か会話をするような心持ちでなくなったからだと思う

 彼女の家までの途中、頂上に神社がある小山があって、その小山のそばを通る。

 そのそばを通り過ぎるときだ。重苦しい空気に包まれた。息苦しいし、頭痛がしてきた。

 これが、霊感と言うものなのだろうか。悪霊や幽霊と言った、怪異の存在に近くなったから、このようなものを感じるようになったのかもしれない。

 橘天理が僕らの兄妹のまえに現れて一か月ほど。

 その一か月は何もなかった。

 怪異なんてそうそう身近にあるものじゃないなと。

 そう思い始めていた頃にこれだ。

 だけど、天理の方を見ても、全く涼しい顔をしている。

 何も感じていないのか

 それとも感じるに値しないものなのか。

 しかし、神社のある小山を過ぎると気持ちは一気に楽になった。

 そして、しばらく歩いて僕と天理は、彼女のマンションについた。

 今思うと、彼女の住むマンションまで来たのはこれが初めてだった。

 そこは、五階建てのマンションで、入り口のポストの数を見るに、戸数はそれほど多くない。エレベーターはついていなくて、二人がすれ違うのがやっと程度の階段があった。

「ここが私の住むマンションなんだけど。ドエル・リーフ。くだらな名前だ。まあ名前はどうでもいい。場所は覚えておいた方がいいかもね。ここに来るのは初めてでしょう?」

「そうですね」僕は答えた。

 暗くてあたりはよく見えないが、16年住んでいる街だ。場所はよく分かる。

「上がっていきなよ」

 僕は、キョトンという擬音が似合うような顔をした。

「上がっていきなよと言っているんだ。遠慮しなくていいよ。私の趣味を知っているかい?」

「知りませんけど」

「ハーブティーに凝っていてね。おしゃれでしょ?ご馳走してあげるよ」

 橘天理は、言うまでもなく一人暮らしだった。

「女の子の部屋に入るなんて初めてだ」

 僕は正直に、本当のことを呟いた。

「いや、そんな異性として意識されては困るんだけど」

「今日、学校帰る時からセクハラ発言繰り返しているくせに、そう言うか」

「あれはセクハラではない。からかっ……コミュニケーションだ」

「そこは、からかっているでもいいよ」

 ていうか、やっぱりからかっていたのか。

 橘天理の部屋は、一人暮らしには十分過ぎるくらい広かった。

 リビングとダイニングキッチンと、他にも部屋が二つ。和室とベッドが置いてある洋室があった。

「住むところにくらい、贅沢したくてね」天理は言う。

「同業者にはいろんな奴がいるけど。なんせ、移動が多いものだから。どいつも住むところには適当だよ。ボロアパートのワンルームだったり、漫画喫茶を仮宿にしていたり、野宿する奴なんかもいるよ。屋根のあるところを探してね。その中で、私は奇特とまでは言わないけど、まあなんせ変わったやつが多いから」

 悪魔祓い師には。橘天理はそう言った。

 しかも、そんな中で、彼女は高校への入学手続きもしていたわけだ。彼女は、悪魔祓い師なんてアウトサイダー中のアウトサイダーだと言っていたが、その割には人間の実社会に興味があるように僕は思える。

 何にせよ、マンションの保証人とかはどうなっているのか、非常に興味深いところではあった。

 彼女の部屋はとても清潔で整然としていた。というより、物自体が少なかった。リビングにはカーペットが敷いてあって、窓に向かってソファーが置いてあった。ダイニングキッチンにはテーブルとイスがあり、家電といったら冷蔵庫ぐらいで、あとコンロの上にヤカンがあるだけだった。

 天理が、ご自慢のハーブティーを準備している間、彼女は、こう切り出した。

「そうだ、九鬼君。ああ、さっき、悪魔ちゃんと一緒にいるときに話しておくべきだった。私としたことがすっかり忘れていた。君の妹の名前のことなんだけど。新しく考えてやりなよ。悪魔ちゃんなんて可哀想だし、君も、そうは呼びたくないのだろう?」

「それはもちろんそうですけど」

 そうだけど、そう簡単につけられるものなのか?変えられるものなのか?戸籍では、妹の名前は本当に悪魔なのだ。

「いいんだよ。変えても。そもそも、名前を変えられない今の世の中がおかしいんだ。名前なんて、ころころ変わるのが歴史の常だったんだが。年を取ると変わる、住むところが変わると変わる、役職が変われば変わる。だというのに、現代社会は、行政サービス上の管理と効率のために、名前はそう簡単に変えたくても変えられないんだ。結局、私たちは、私たちの頭の上に乗っかっているシステムのために、我々は便宜性と習慣を犠牲にしなければならないんだ」

「無政府主義者の言い分みたいですね」僕は言った。

 僕の発言に天理の反応はいやに遅かった。遅れて、「私がアナーキストだとでも言うのかい?もし私がいなくなったら、社会秩序は浴槽の栓を抜いたみたいに、渦を巻いて流れていっちゃうよ」と言った。

 なんだかよくわからない例えだが、橘天理はお風呂の栓のような存在らしい。彼女がそうなら、僕は浴槽に浮かぶ髪の毛みたいなものだろうか

 ともかく、名前のことだ。

「いわば、通称みたいなものをつけようという事ですか?」僕は言った。

「そうそう。そう言うことだよ」

「……天理さんが、考えてくれませんか?」

「え、やだよう。メンドクサイもん」

 僕がそう頼んだのは、その資格があるのは、彼女のように思ったからだ。

 けれど、面倒事を押し付けたと思われても、それは仕方ないかもしれない。

「ん……でも、そっちの方がいいか……」

 天理は意味ありげに呟いた。

「おっけー。じゃあ考えとくよ」

 天理の作ったハーブティーは、お茶らしい苦みの中にも、砂糖はいれていないというのにほんのりとした甘さがあった

「効能もあるよ」天理は言った。

「どんな?」

「肩こり、血行促進、便秘、肌荒れ……」

「僕は老人か」

 とはいっても、薬草の効能と言えば、大体そういうものだ。

「あと、霊験を高める」

「霊験?」

「ああ、そうさ。多分……私にはこういう空間と、落ち着いた時間が必要なんだ。24時間神経を張っていたら持たないからね。さっき、ろくな部屋に住まない奴らが多いと言ったけど、ほんとのところ言うと、私には、彼らが信じられないんだ。常に悪霊やら心霊やら悪魔やらが24時間歩き回っている外の世界にずっといることがね。私はとてももたない。とはいっても、こうしてリラックスしている時間、何もしないわけではないよ。常に頭は働かしている。こう見えても私は、」

プロだからね。橘天理はそう言った。

 彼女が弱音を吐いているところを、僕は初めて目にした。いや、別に弱音ではないか。弱音と言うより、彼女なりの仕事観かあるいは世界観といった方が正しいだろう。何にせよ、こういう本音を聞いたのは初めてのような気がする。

 あまり遅くなるわけにはいかない。

 僕が帰ろうとする際、

「悪魔ちゃんの名前は、考えておくよ」

 天理はそう言った。

「よろしく頼みます」

 僕はそう言って、彼女の部屋を後にした。

 結局、行きしなの違和感について聞きそびれた。僕は、部屋を出て、階段を下りているときにそれを思い出した。

そして、それを強く後悔することになる。


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