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僕のクラスの担任は、毎日欠かさず、その日の授業後のショートホームルーム(SHR)でオチ付きの小話をする。
よくもまあ、毎日毎日話すネタがあるものだと感心するが、僕はそのSHRの時間中、大体そっぽを向いてグランドの方を眺めている。決して面白くないわけではないのだが。
委員長が号令をして、学校の一日が終わる。僕は部活動をしていない帰宅部生だから、さっさと家に帰ろうとするが、ふと携帯をチェックすると、ちょうどそのタイミングでメールの着信があった。橘天理からだった。
橘天理は昇降口のクラスの下駄箱のところにいた。
「いやー待っていたよ。九鬼君。ここのところ放課後は、毎日私のことを待たせるねえ。じらしているのかい?」橘天理はそう言って、わざとらしく笑ってみせた。
「僕のクラスの担任がSHRをきっちりするんですよ」
そのせいで遅くなるんです。僕は、一応の釈明をする。
「SHR?なんだいそれは?」
「その日の最後の授業の後に、担任と、クラスの全員が席について集まって、一応うちの学校では、するようになっているはずなんだけど」
「終わりの会みたいなものか。私のクラスでは一度もやっていない気がするなあ」
「まあ、そこら辺は先生によって違ってきますよね」
「じゃあ君のクラスの担任は、きちんとクラスの面倒を見ているわけだ。いい先生じゃないか」
それはそうかもしれない。
「そんな具合で遅くなったんですよ。もちろん、待たせて申し訳ないとは思っていますが」
「謝ることはないよ。きちんと正当な理由があってこそではないか。その点、うちのクラスはまとまりがないというか互いが互いに無関心というか。ねぇ、私は学校生活というものはもっとドラマティックでドラスティックであるべきだと思うのだけど。ああ、これじゃあ、折角久しぶりに高校生をしているというのにつまらないし退屈だよ。思い出もあったものじゃない」
久しぶりに?それじゃあここに転校してくる前はどこで何をしていた?と、聞きたくなったが、その質問は何となくためらわれた。まだ彼女にどこまで踏み込んでいいのか測りかねていたからだ。まだ出会って一か月程度しかたっていないし、その間に空白期間もあった。
実際、どちらかというと橘天理の僕に対する接し方が軽いというか、なんというか。
軽いというより、僕に対して(あるいは誰に対してもなのか)警戒心が無いといった感じだ。言葉をかえると、人付き合いに関して度胸がある、と、言えるのか。
あるいは、事実上友達ゼロの僕の方が、対人関係の距離感を見誤っているのか。
男は度胸、女は愛嬌。
なんだか自分がむなしくなってきた。
橘天理。一つ上の二年生の先輩で今年の三学期にこの学校に転校してきた。
姿なりは、前髪を残して後ろに三つ編みをつくっていて、左肩のところに掛けている。前髪は緑色のヘアピンがしてあって、この色は日によって変わる。制服のブレザーの上に淡い茶色のセーターを着ていた。
「うん、今日呼び出したのは、昨日と同じだよ。一緒に帰ろうって。今日も君の家にお邪魔させてもらうよ。おやおや、そんなイヤそうな顔をすることあるまい」
嫌ではない。決して。
嬉しいくらいだ。
女子と帰り道を共にするなんて、全国全男子高校生の夢であり、同時にそれが果たされなかった場合トラウマにも等しい病根を残すことになるだろう。
でも往々にして、
上手い話には、裏がある。それが世の常だ。
橘天理が僕の前に初めて現れた時、それは、高校の先輩としてではない。彼女はエクソシストとして現れた。それも、かなりの凄腕のエクソシストであると、後に知った。
狙いは、僕たち兄妹。
君たちには消えてもらうよ。
殺すんじゃない。消えてもらうんだ。
そうじゃないと、おかしなことになるんだ。
だって君たちは人間じゃないんだ。
消えてもらうしかないよ。
残念ながら。
そんな風なことを言われた気がする。
この話をすると、それは別の物語になる。だからここでは簡単に触れるだけにしよう。それは、昨年の年末。クリスマスの日から年が明けるまでの間。具体的に言えば、12月25日から12月31日まで。世界中が、クリスマスの余韻と待望の正月休みで浮足立って落ち着かない。そんな期間中の出来事だった。
その期間に、3年以上部屋に引きこもって、同じ屋根に住む僕にさえ姿を見せなかった妹は解放され、僕は人間であることを失い、橘天理はこの街にとどまることになった。
僕の妹の名前は九鬼悪魔という。そう、名前が悪魔。
失笑するか、呆れてしまうか、あるいは一部の人は怒り出してしまいそうなキラキラネーム、もとい、DQNネームだ。
僕たち兄妹の親は、一体何を考えてこんな名前を付けたのかと思うかもしれないが、彼らは大真面目だった。大真面目に悪魔を造るためだった。名は体を表すというが、悪魔という名が体を表すためならば、これはちょっと笑えない。
妹は、もし完成すれば、恐ろしい悪魔にあるだろうと、橘天理は言っていた。僕らは、あの姿から、まだ完成しきっていないあいつの姿から、”赤い悪魔”とよんだ。名前は、まだ無かった。なんせ、新しく造られた悪魔のなのだから、当然だ。
今でも赤い悪魔は生きている。妹のなかでひっそりと。
僕たちは、あらゆる方法で赤い悪魔を弱体化し、がんじがらめの制約の中に赤い悪魔を封じ込めた。
結果、僕と妹は生きている。
でも、これは許されることなのだろうか?
もし地獄があれば、僕たち兄妹は、やはり地獄行きなのだろうか。